幕間:フェルヴィン皇国歴史列伝「王に捧げる鎮魂歌」
(※ズンドコ薄暗くてドロドロした『星よきいてくれ』世界のダークサイドの番外編です。
前にちょろっと本編で出た『五百年遅れていると言われていた数十年前までのフェルヴィン皇国』の時代の話です。
本編とテイストが違うので、苦手な人は注意してください。次で終わります。)
いましばし待たれよ。
貴方は知らねばならぬことがある。
知らねば、続きを読むこと叶わぬことがある。
選ばれしものたちの戦いよりも、ずいぶん昔のこと。
我が愛する男、レイバーン・アトラスの孤独と、その背に負った宿命の
しばし立ち止まって、わたしの紡ぐ言葉に耳を傾ける(もとい、目と脳を使う。必要ならBGMをかけても良い。)しばしの時間をくれないだろうか。
それはまだフェルヴィン皇国が斜陽の国であったころ。
七十八年も昔のこと。
宮中では誅殺・わいろ・横領と揃い踏み。
【魔の海】があるために外国の脅威からは遠ざかっていたかわりに、国土はくまなく内乱と暗殺に明け暮れていた。
当時のフェルヴィン皇国は、まさしく修羅の国であった。
レイバーン皇帝より三代前の、皇帝オーガスタスは、レイバーンの実父である。
轟く異名は、吟遊王オーガスタス。またの名を、【無能王】。
幼少のころより弱視であり、それゆえに音楽を始めとした芸術に傾倒。その情熱は執務には向けられず、実権を握っていたのは、十二も年の離れた姉・ユリアだった。
そしてそのユリアは、偉才で知られた一方、類を見ない【毒婦】としても有名だった。
【無能王】オーガスタスが、なぜ皇帝などになったのかというと、彼には生まれながらにして語り部が寄り添っていたから、に尽きる。
語り部トゥルーズは、今や皇子ヒューゴ付き語り部として知られている。
彼がオーガスタスの語り部であったころは、八歳ほどの少年の姿をしていた。今の気性のままに、陽気で口が達者でないわりによく喋る彼は、いつも小さな体で楽譜の束を握りしめ、肥え太ったオーガスタスの傍に控えてニコニコしていた。
オーガスタスは並外れて無口で内気だったが、トゥルーズと姉ユリアにだけは、はっきりとした喜怒哀楽を見せた。
妻も子供も(八人も)いたというのに、彼が心より信頼していたのは、魔人を除くとユリアだけだった。
さて、そのユリアはといえば、家庭を顧みずに執務と弟の世話に邁進する毎日であった。
ユリアは美しく、優秀だった。
夫は宰相。国務を取り仕切る王の片腕の地位である。
幼き頃は、歩くより先に文字を読み、走るころには詩を暗唱した。金の髪にすみれ色の瞳。その輝く美貌も、誰もが知るところ。姫として上にも下にも置かれない扱いで育ち、稀代の我が儘娘の条件はそろっていたというのに、気が付けば倫理を知っていた。
父王は、あまりに出来過ぎた娘の縁談先に困り果て、政略結婚にしてもあまりに旨味の少ない、しかし無難な片腕の宰相へと、娘を下賜するしかなかった。
陰謀渦巻く宮中において、彼女は社交界でもうまく立ち回った。
仔細は省略するが、当時の宮中は、前々代の皇帝が地位をばら撒いたせいで【貴族】と名乗る者が人口の0.7%を占めるほどにまで膨らんでいた。また、前前前々代の皇帝がおかしな法律を作ったせいで、彼らには例外なく税金を分け与えねばならなかった。それが国の金庫を圧迫して、つまり慢性的に王家は貧乏で、へたをすれば一部の貴族は王家より金持ちである、という状況があった。
王家はその貴族から金を引き出さねば、権威ある
そういう悪循環があったのだ。
王家の姫で、宰相の妻であるユリア皇女に求められた役割は、優秀な諜報員であった。美しい彼女は当たり前のように社交界の大輪の華となり、時に蝶のように飛びまわった。ユリアは、それをやり遂げた。
国政に必要な情報という名の蜜を吸い取り、やがては夫とともに、国を回す最も大きな歯車の一つとして働いた。
『ユリア皇女に語り部がいれば』と、誰もが口にした。まだ、ユリアのしていた悪行が明らかになっていなかったころだ。
いま、皇女ユリアは毒婦として知られている。
歴史に名を残した大淫婦ユリアの最初の悪行は、十五歳のとき。皇帝の娘であった彼女が、王の片腕である宰相の息子へ輿入れが決まった夏のこと。
昼寝をしている三つの弟のベットに忍び寄り、目蓋に熱した油を垂らしたことだった。
以来、オーガスタスの右目は光が分かる程度にしか見えず、左目は、おおまかな色が滲んでいるほどにしか分からない。
ユリアは才媛であった。
もし、生まれたのが、語り部の有無で王を決めない国であったのなら。上層の発展国で、王族でもない、貴族の娘でも、むしろ商人や政治家の娘、もしくは妻であったなら、彼女は偉人となったかもしれない。
美貌も兼ね備えていた。
彼女の息子はまさしくその生き写しで、後世、母譲りのその美貌で知られることになる。
ユリアには、双子の息子がいた。
ジーンとコネリウス。のちのフェルヴィンの英雄になる二人であるが、父親は夫ではない。
歴史におけるユリアの第二の悪行は、この双子を身籠ったことだった。
オーガスタス十三歳、ユリア二十五歳。ユリアが結婚して十年の時が過ぎていた。いまだ夫との間に子は出来ぬまま。
それというのも、ユリアは四度妊娠の兆候があったが、どれも生せぬまま流れていると。
しかし宮中、それも女官の、中でも、より闇深いところにいる女官たちの話では、ユリア皇女は自ら夫との子を殺していると。
そんな話がまことしやかに流れるなかで、彼女の懐妊の知らせが宮中に轟いた。すでに六か月を過ぎており、もはや流れる心配は少ない。
人々は言祝いだが、宮中で真相を知るものはユリアと、あと二人のみ。
他にいた……たとえば、夜ごと姉が弟へ会いに行く伴をしていた女官や、当番だった護衛の兵などは、みな郷里の老いた父母が恋しくなり……もしくは、街をぶらぶらしているところを強盗に襲われ……もしくは、一家の住む屋敷ごと放火に……もしくは喰い合わせが悪く……などという理由で、宮中から姿を消していたのである。
ユリアは弱視の弟へ微笑んだ。
彼女の美貌は、弟にだけはきかなかった。それがとても嬉しかったのだと、彼女は弟に寄り添う語り部へと語った。
自分の美貌を疎んでのことではない。
弟の目が見えないことが嬉しいのでもない。
「”これが正しい形だから”嬉しい」のだと、ユリアは笑った。胸には弟との子供を抱き、十五歳の夏、なぜ弟の目を潰したのかということも口にした。
「わたくしを十二年も待たせたから、罰のつもりでした」
何の後悔も無く、にっこりと。
「男が待つのはいいでしょう。しかし女のほうを十二年も待たせるなんて、とんでもない。わたくしは危うく他の男の子を孕むところでした。運命の人なら、わたくしを浚ってほしかったのに、この人がボンヤリしているから……」
「悪かったよ」
弟も目を細めて笑った。ほとんど見えない目を姉に向けて、まるで恋人を見るように。指をしっかりと絡ませて。
「女ならば顔の傷なんて恐ろしいことだけれど、わたしは男だったからいいのだよ。この両眼は勲章なんだ」
と、右の
フェルヴィン皇国、皇太子。
オーガスタス・ユリウス・アトラス。
その姉。皇女にして宰相夫人。
ユリア・リリ・アトラス・フロスト公爵夫人。
この、類まれにみる頭のおかしい姉弟が、玉座に並び立った二十一年。
皮肉にも、『資格ある無能の王』が『資格なき有能の姉』に玉座を預けた、この二十一年間が、荒れに荒れたフェルヴィン皇国において、束の間の平穏の時代だったことは、その息子にして次代皇帝のジーン・アトラスも、しぶしぶ認めるところであった。
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