12-6 終末王の戴冠③
―――――過去数百年、同時代に『語り部』を持ったフェルヴィンの王族が複数人いたことは、数えるほどしか無い。
語り部は『王』の素質あるものにしか
建国以来さだめられているこの法則が、争いの火種となったことも歴史上には数多い。
今代、皇帝レイバーンの五人の子供たち全員に『語り部』が顕現したことは、非常にまれなことだった。
この国が、『五百年遅れている』と言われるまでにも停滞した原因の一つ。『語り部』を持つ王族同士の権力争いによる内戦の歴史は、レイバーンの前々皇帝の時代まで続いていたのである。
それを知るフェルヴィンの民の多くは、兄弟五人全員に『語り部』が現れたことに再びの戦乱を予感していたが、幸いにも五人の皇子たちの仲は珍しいほど良好なまま、『この日』を―――――人類存亡の『審判』の日を迎えたのだった。
フェルヴィン皇帝の継承の儀式は、選ばれしものの一人である『皇帝』の役目を継承する儀式でもあるのだと、ダッチェスは皇太子に説明した。
そして『選ばれしもの』には、自らの役目を、
すなわち必要となるのが、自分だけの
その内容は、『語り部』の本体である銅板と、『フレイアの黄金船』と本の墓場と呼ばれる、フェルヴィンの『地下図書館』に同期して記録される。
極めて機械的なシステムは、魔術によって、非常に強力な強制力を持っていた。
魔術儀式における誓いの言葉は、破れば代償をともなう大切なものだ。
古典における数々の魔術師たちが、勇士に対して真実をぼかすようなあいまいな言葉を口にするのは、慎重に『誓い』を破らないために言葉を選ぶ必要があるからである。
その代償は様々だったが、強い力を持つ魔法には、それだけ大きな代償を担保にしなければならなかった。
術者個人の命ならまだ軽い。土地の実りや、子々孫々への
『語り部』が主人の運命に介入できないことも、『仕える主人は九人まで』という上限が定められていることも、その魔術的な法則に基づいていた。
『宣誓』は、『選ばれしもの』を、始祖の魔女が組んだ大いなるシステムに組み込むために、必要なプロセスだ。
魔女は預言者であった。やがて来る審判のため、多くの準備を重ねていた。
うちの一つが『語り部』であり、『フレイアの黄金船』であり、このフェルヴィン皇国という国のすべてである。
いずれこの最下層で起こる大いなる審判のため、彼女は国を創り、王となる者を選び、
語り部が『王たる資格あるもの』を
堅実で信仰深いアトラス王家は、魔女の思惑通りに、一度も間違うことの無い、正しい方法で『皇帝』を継承し続けた。
《かちり》
ひとつ歯車がはまる。
新たなる―――――そして
《かちり》
もうひとつ歯車がはまる。
語り部二十四枚に内蔵された魔術式が、新たな文言を刻まれ、ゆっくりと回転を始める。
同調した黄金船もまた、埃を被り、奥底で役目を待っていた宝箱の蓋を、次々と開いていく。
《かちり》
《かちり》
《かちり》
《かち……カチッ……カチカチカチカチ―――――》
フェルヴィンという国の地下、誰も知らない閉ざされた場所で、リズミカルに、猛然と、無数の歯車たちが噛み合い蠢き始める。
《 同期 》
《 同期 》
《 同期 》
フレイアの黄金船は、数秒ごとに行われる『端末』との同期と同時に、システムの解凍を進めていく。
《 32%……35%…… 》
『黄金船』に意志は無い。魔女の手が入った端末の中で、意思を持つのは『語り部』たちだけだ。
しかし『黄金船』の一度も起動したことが無いシステムたちが、母たる魔女によって謹製された魔術式たちが、起動していく歓喜に震えて、おのおのの役目に動き出していく。
《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》
『審判』のおとずれを待っていた。
彼らを動かす『鍵』の帰還を待っていた。
『鍵』――――-すなわち『愚者』。魔女が、すべての
魔術式を構成するだけのシステムたちにとって、人類存亡などはたいした意味をもたない。
彼らにとって『愚者』以外の選ばれしものなど、『皇帝』ですら下に置く。
【プロジェクト:
言葉なき魔女の稚児たちは、歓喜を表現するかわりに駆動する。
《
《
さて、この魔術式に、始祖の魔女が払った代償とは如何なるものか?
―――――簡単な話だ。
条件の達成。すなわち、魔女が見たすべての預言の成就を担保に、この魔術式は稼働していた。
この
正しい
ひとつの間違いもあってはならなかった。しかし間違いなく、魔女は正しく稼働させることに成功していた。三千五百年前の女が目蓋の裏で見た未来が、この大がかりな魔術式を稼働させていた。
《 おかえりなさいジジ! あなたが来る日をずっと待っていたわ! どうか良い旅を。心の底から、願ってる! 》
おおいなる魔術式が、ここに為ろうとしている。
《 かちり 》
風はやがて細く、細く、グウィンの中に溶けた。
固い杖としてのかたちを取り戻した銀蛇が、グウィンの両肩を二度ずつ叩き、最後に額に触れる。魔法使いが喉を鳴らして唾を飲みこんだ。
「……告げる。人民の王。統治のあかし。秩序の守護者。『皇帝』のさだめをここに。……皇帝グウィン」
呼ばれて顔を上げてすぐ、グウィンは目の前に立つサリヴァンの異変に気が付いた。
レンズの奥で見開かれた黒い瞳。耐えるように強張った顔。
見て分かるほど全身が震えている。
杖は両手でようやく持ち上げていた。グウィンは一瞬浮かんだ戸惑いを千切り、誓いの言葉を口にする。
「誓います」
こんなにも立会人に負担を強いる戴冠式があるだろうか。
本来であれば、ここに前皇帝退任の儀式も挟む。しかしレイバーン帝亡き今、その語り部であったダッチェスがその手から書き上げた『伝記』を収めることでその儀式は省略される。
進み出たダッチェスが、白い皮表紙を付けられた父の伝記を捧げ持って、グウィンに差し出す。
「……陛下」
小さくダッチェスが囁いた。まだ儀式は終わっていない。
少女のうっすらと笑っている口元に、予感がよぎった。少女らしからぬ、どこか艶のある微笑みをして、ダッチェスは魔力で編まれた指先で表紙をなぞり、鮮やかな翠色で、タイトルを刻み込む。
「ダッチェスの知るレイバーンを、すべてここに書ききりました。こんな時でも、語り部として最後まで誇らしい仕事を成せたことを、心より感謝いたします」
伝記を手渡す瞬間、ダッチェスのインクで斑らになった白い指先が、グウィンの手の甲ごと名残惜し気に撫でていった。その袖口から、光の粒が零れている。
「あと、もう少しですわ」ダッチェスはそう言って、目を細めてグウィンを見上げた。
「
溜息のように声が漏れた。
グウィンは、九番目の主人と別れたあとの語り部がどうなるのかを知らない。
しかし予想はできる。きっと、あの地下深い、冥界に最も近い大図書館の闇の中で、永い眠りにつくのだろう。
ダッチェス自身が、他の語り部たちの銅板にそうしたように、魔女の造った装置として稼働することはあっても、きっともう、ダッチェスがダッチェスとして、グウィンたちの乳母替わりのときのままで存在することは、永劫無いのだろうと予感する。
父レイバーンの影には、姿はなくとも必ず彼女がいた。彼女が幼い少女の姿をしているのは、父の中の幼児性があらわれた結果だと知っていたが、グウィンたちは父に少年のような心を感じたことは無かった。
厳格というほど叱られた覚えも無い。しかし歯を出して笑っている顔を見た覚えも無い。
無口で、不器用で、頑固で、不愛想で、壁のようにいつも人に囲まれているのに、孤独をはらんだ人だった。長子として、その孤独にもどかしさを感じていたが、結局その影を薄くすることが出来ないまま、今日を迎えてしまった。
ダッチェスという語り部は、陽だまりのような人だ。幼いころに感じた印象は、再会してもちっとも変化しなかった。
大人になった今、子供の時には感じなかった疑問を抱く。
(こんな語り部がいながら、父はどうして、あんなにも孤独だったのだろうか? )
すべての真実は、父自身と、この語り部の中にしか無いのだろう。
語り部とはそういうものだ。
どんなに親兄弟と過ごそうとも、語り部との時間と密度にはとうてい敵わない。語り部の中には、生まれた時から一瞬も切り取られていない父の姿がある。
悔しかった。
こんな形で、父と別れるはずではなかった。もっと話をするべきだった。無口で、不器用で、頑固で、不愛想で、壁のようにいつも人に囲まれているのに、孤独をはらんだ人だった。
それなのに、不思議と父の愛情を知っていたのは、いったいなぜだったのか? 遠い幼い日、母がまだいたころに、抱き上げられたことを覚えている。夢ではない。きっとヴェロニカとケヴィンも覚えている。ヒューゴはまだ小さくて、覚えていないだろう。
長子として、父の孤独にもどかしさを感じていたのに、何もできなかった。あの愛情を覚えているのに。
ああ、どうして父は、自分に与えた思い出を、弟たちにも与えてくれなかったのか。そうすれば何かが違ったのかもしれないのに。アルヴィンは、もしかしたら。ヒューゴは、ケヴィンは、ヴェロニカは。
どうして。どうして……。どうして―――――――。
その疑問の答えのすべてが、この一冊に収められているのかもしれなかった。
ずっしりと、赤ん坊ほどにも本は重い。
きっと国を背負うという事は、これより比べ物にならないほど重いのだろう。
モニカに逢いたいと思った。これから戦いにおもむく自分に、彼女の一言が必要だった。
無理とわかっていても、家族を失った分だけ重くなった身体には、彼女の持つものが必要だった。
そんなグウィンの悼みも迷いも、傍から見れば、瞳によぎる微かな影と、分からないほどの沈黙でしかなかった。
グウィンの鍛えられた精神は、すぐに儀式の進行へと意識を向ける。
ダッチェスは、光に解けかけた手を後ろでに隠し、見届け人であるサリヴァンへ道を空けた。
サリヴァンの額の脂汗はひどくなる一方である。眼鏡ごしに、下目蓋が痛みにこらえるように痙攣している。
(……儀式はまだ終わらないのだろうか)
あとは最後に立会人の宣言をするだけのはずだ。だというのに、いっこうにサリヴァンの口から宣言の言葉が出ない。
じりじりとサリヴァンの口が開くのを待った。
「――――戴冠は、成された……」
やがて擦れた声でサリヴァンが言った。
《 ピッ 承認 》
「……我が名において、また……青き魔女の名において。審判の名において承認する。此処に、新たなるアトラスの王が起つ。そして―――――」
『そして』?
(その先にそんな文句があっただろうか)
進行を知っている弟たちにも緊張が奔った。サリヴァンは震える手で縋るように持った杖を、自身の額に押し当て、グウィンの知らない文句を口にした。
「――――戴冠は成された。我が名を得たり。我がさだめを得たり……
我がさだめは『教皇』。
審判の名において選抜された、知恵授かりしもの……」
背後で、絹擦れの音とともに、次男ケヴィンの語り部、マリアの小さな悲鳴が聞こえた。
耐え切れず振り向くと、あの小さな魔人が、マリアの腕の中で崩れ落ちている。それらの光景が見えているのだろう。睨むように顔を上げ、サリヴァンは早口で文句を最後まで繋げた。
「―――――せ、『宣誓』!!!!!! 」
《 ピッ 条件を達成しました 》
《 『教皇』の出現 》
《 宣誓を 》
「『教皇』として【認証】!
我が名はコネリウス・サリヴァン・アトラス・ライト……ここに【宣誓】する!
『おれは、運命を受け入れる』
”命ある限り、成すべきことを成そう”
”歩みは止めない”
”託されたものを知っているから”
”おれが未来に望むのは、神の奇跡でも、栄光でもない”」
魂からの叫び。意志の強さが、そのまま音となって響いていた。
「”おれにできるのは信じること! “
《 ピッ 【教皇】の【宣誓】を受諾。記録しました 》
船が低く唸りを上げる。
《 条件を達成しました 》
床にいくつもの汗が落ちる。
「……教皇の名において、ここに、『皇帝』の戴冠を宣言す、る――――」
サリヴァンもまた魔人ジジに続いた。首から力が抜けるように、四肢が崩れていく。
「お、っと――――――」
グウィンはすかさず逞しい腕を差し出して、少年の体を受け止めた。しかし支えるグウィンの体も、どっと何かが抜けてしまったような感覚がある。
「……ダッチェス。ぼくは、ちゃんと出来たのだろうか? 」
「完璧でしたわ」
ダッチェスは、晴れ晴れとグウィンに微笑んだ。
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