12-3 声

 グウィンの語り部は、大柄な老爺の姿をしている。

 灰色の総髪と髭と皺に覆われた四角い顔の中に、猛禽を思わせる金の瞳が鋭く輝き、かっちりと黒い詰襟を締めた寡黙で穏やかなベルリオズ翁は、今となっては、もう一人の父のような存在だった。


 グウィンには、そんな語り部の存在を疎ましく思っていた頃があった。

 先に産まれたということは、それだけで責任がともなう。妹とたった15ヶ月しか違わなくても、グウィンは皇太子であり、長男であった。

 そんなことを理不尽だと拗ねていた頃があり、貫禄のあるベルリオズの存在は、何もかもが足らない自分の劣等感を刺激する鬱陶しい存在だった。


 昔の話だ。


 皇帝となる覚悟ができたのはいつのことだろうと、三十四歳のグウィンは思う。

 少なくとも、二十になったころまではまだ出来ていなかった。軍へ進んだのは、それが健康な皇太子として妥当な進路であったからだ。

 期となったのは、おそらく二番目の母――――アルヴィンの生母が亡くなったとき。打ちのめされる家族と過ごした一夜。父や弟妹を守るためには、自分が父の跡を継ぎ、その志のまま国を治めることが最善手だと、冬の夜空に消えていく煙草の煙を見ながら漠然と思った。 

 その瞬間、かちりと胸の内で確かに音がした。それは、運命というものが奏でる音だったのかもしれないし、グウィン自身の持つ迷いが溶けた感覚だったのかもしれない。

 あの日、何かの歯車がはまったのだろうことは確かだ。

 除隊し、留学したのは、未来の自分の迷いの種を一つでも消すためだった。

 体を動かすことと同じほど、本を読むことも好きだったから。許してくれた父たちと妹には、生涯頭が上がらない。その先でモニカと出会ったのも、きっと何かの導きだったのだ。


 グウィンは運命論者ではないが、彼女との出会いだけは、そう思わざるを得ない。

 今ごろモニカはどうしているだろう。怖い思いをさせた。彼女が無事に逃げ延びたと聞いたとき、安堵のあまり眩暈がしたほどだ。

 彼女なら、いずれ普通の男と結婚する道もあったろうし、その生活は皇后の生活よりもずっと自由で彼女らしい人生になったかもしれない。しかし彼女は自分を選び、自分も彼女を手放さなかった。これからも手放すつもりはない。きっと苦労をかけると思う。障害は多いだろう。不安はあるが、戦いはまだ始まってもいない。そう、恐ろしいことに、なのだ。

 グウィンが守るべきものは、まだこの国にたくさん残っている。


(まずは生きること)


(次に、命の使い道を知ること)


(覚悟という言葉に囚われないこと)


(やるべきことに覚悟は要らない)


(王らしく胸を張ること)


(……常に、忘れないこと)


 今日、グウィンは父へ刃を向ける。





『かちり』

 運命が噛み合う音がする。




 ✡



「息は止めた方がいいのか? 目は閉じたほうが? 」「……別にどっちでも大丈夫よ。怖いなら走っていけば? 」


 ダッチェスに追い払うように手で示されて、おれは上腕の中ほどまで突っ込んだままに漆黒の壁へと直進した。

 おれはしっかりと目をあけて、『壁』の中を見通そうと考えたのだが、ぬるくもなく冷たくもない『壁』のようなものは、少し肌に張り付くような感触があるだけの面白みのない暗闇でしかない。

 抜けたという感触はあった。

 内部はひやりとして、照明がついていなかった。『ブゥーン……』と、かすかに小さな音が聞こえる。

 暗闇に立ち止まったまま、三拍ほど呼吸をしただろうか。


 《 ピッ 端末を認識しました。起動を開始します 》

 とうとつに上の方で、感情を感じられない女の声がした。


「誰かいるのか? 」

 ヴヴン……。

 重いものを振ったときのような低い風斬り音が、言葉のかわりに応える。


 《 端末『銀蛇』から遺伝子情報を検索。特定。ピッ データベースより照合します。ピッ データベースより該当者を特定。》

 《 ピッ ようこそ。サリヴァン。ワタシはアナタを歓迎します 》


「どこにいるんだ? どうしておれの名前を知っている? 」


 《 ピッ 条件を達成しました。【ホルスの目】の起動を確認。同期を終了しました。ピッ 》

 声は、こちらのいっさいの問いかけを無視して、理解を放棄した言葉を連ねていった。


 《 ピッ 【審判】からの応答を確認。認証しました。 ピッ 》



 《 ピッ 条件の達成を認識しました。【資格あるもの】の存在を認識しました。【デウス・エクス・マキナ】システム起動を開始します。》



 《 ピッ 凍結フォルダー解凍。ピッ 成功しました。オールグリーン。100パーセント。展開します。 》



 《 ピッ 【影の王】からの応答を確認。起動要請を受諾。》



 《 ピッ 条件を達成しました。【22人の選ばれしもの】データを解凍。成功。》



 《 ピッ 条件を達成しました。【予言の成就】シナリオの40%を達成。【青薔薇の城】データを解凍。成功。》



 《 ピッ 条件を達成しました。【シオンへの告知】データを解凍。成功。起動します。成功。データは削除されました。 》



 《 ピッ 条件を達成しました。【デウス・エクス・マキナ】起動を確認。【シオンへの告知】削除を確認。【デウス・エクス・マキナ】シナリオの5%が達成されました。 》



 《 ピッ 条件を達成しました。【黒龍城への告知】データを解凍。成功。起動します。データを送信。……応答がありません。データを再起動します。 》



 《 ピッ 再起動成功。起動を確認。データを送信。応答がありません。》



 《 ピッ 【黒龍城への告知】のデータ送信を一時保留します。 ピッ 》



 《 ピッ 【黒衣の魔女】からの応答を確認。認証しました。 ピッ 》



 《 ピッ 【三邪神同盟】からの応答を確認。認証しました。ピッ 》



 《 ピッ 【四聖四柱神助成組合】からの応答を確認。認証しました。ピッ 》



 《 ピッ 【虹蛇の獏】からの応答を確認―――――》




 ここにあるのは、もはや声の奔流だ。暗闇を埋め尽くす途切れない言葉が、渦を巻きながら鼓膜を叩く。

 こんなところに長くいたら気が可笑しくなりそうだ。




 《 ピッ システム起動を確認。条件を達成しました。【伝説の帰還】データを解凍。成功。シナリオを起動します。 》




「ちょっとサリー! これは何の音!? 」


 『壁』を抜けておれの隣に現れたジジが、声に負けないほどに言葉を強くしておれに尋ねた。

「おれにもわかんねえ! さっきからずっと―――――」


《 ピッ 個体認識。データベースと照合します 》


 とつぜん視界が明るくなった。照明が付いたのだ。

 照らし出されたものに、おれたちは言葉を忘れて、船内の光景を見つめる。


 おれたちの目の前にあるそれは、ひとつの街だった。

 等間隔に天高くそびえる建物たちは水晶のように輝いて、空をゆっくり流れていく雲を映している。広い道路の脇に植えられた樹木は、枝ぶりにあきらかに人の手が入っており、青々として繁っていた。針山のように連なる建物の向こう側に、カーブを描いて街を横断する河川と、そこにかかる大きな橋まである。



 《 ピッ 拡張空間テクスチャの変更がオーダーされました 》


 そして、早くも聴き慣れた女の声がそう言った瞬間、『街』の風景にいくつもの縦線がはしりながら擦れて消えた。

 まるで皮を剥くように、新しい空間を仕切る壁が現れる。


《 ピッ テクスチャを『書斎』へ変更 》


 おれの全身の肌が総毛立つ。

 現れた『書斎』が、あの『部屋』だったからだ。

 違いは、暖炉に明々と火が入っているくらい。おれの視線は、しぜんと菫の柄のカーテンへ引き寄せられていく。


 《 ピッ 》

 もはや馴染みになった音が、ジジ一人を示して鳴った。

 おれの隣に棒立ちになっている奴の体を囲むように、青い箱状の光の幕があらわれる。囲まれてしまったジジは、とっさに逃れるように身を引いたが、すぐに光の膜へ触れないように身体を縮めた。青い幕の表面に、波状の模様が何度も流れていく。


 《 個体認識。個体認識。優先個体認識。ピッ ようこそジジ。ワタシたちの可愛い子。ピッ アナタには、サプライズプレゼントがあります。》

 青く透ける幕の中で、ジジが驚いた顔をするのが見えた。おれを見つめるジジの瞳が、思いがけず名前を呼ばれて隠し切れない動揺に震えている。

 波状を描いていた幕が、何かの輪郭をつくったのが分かった。外側から見ているおれには、青と白のおおまかな輪郭しか把握は出来ない。

 《 データを解凍。成功。音声データ再生します。》

 《 ピピピッ 》


『……ぉか……えりなさい。ジジ』

 上から聞こえる声とは別の女の声が、幕の中で口を利いた。

 ジジを囲む幕の表面に描かれた影のようなものが、四方から歓迎の言葉と笑顔を向けているらしい。


『あなたが来る日をずっと待っていたわ! どうか良い旅を。心の底から願ってる! 』


 《 …ピッ 再生終了。ピッ 音声データを削除します。 ピッ 》

 シュン、と音を立てて、青い幕が消えた。


「…………」

「……ジジ? 」


 帽子のつばの陰になった顔が、いつにも増して白くなっている。金色の瞳がいつになく爛々と輝きを増し、黙り込んだままの唇は、真一文字に結ばれて表情が抜け落ちていた。


 《 条件を達成しました。【大きい鍵の帰還】シナリオ解凍します。この処理には、時間がかかる場合があります。……1%……5%……7%…… 》


「ねえサリー……ここはどこ? 」

「船の中……のはずだ」

「そういう意味じゃない。どうしてあの女の声はボクに『おかえり』って言うわけ? 」

「おれには分からない」

「………」


 ジジの瞳孔が尖る。

「腹が立つな。ボクに分からないことがあるって」

 コイツにもコイツの事情がある。おれと出会う前、知らないしがらみってやつだ。


 瞬時に疑問を怒りに変換したジジの後ろの壁(白地に青い蔓薔薇の柄)から、ようやくダッチェスが現れた。


《 ピッ 個体認識。『語り部』を確認。個体名ダッチェス。ようこそ 》

《 ピッ 個体認識。『語り部』を確認。個体名ベルリオズ。ようこそ 》

《 ピッ 個体認識。『語り部』を確認。個体名トゥルーズ。ようこそ 》

《 ピッ 個体認識。『語り部』を確認。個体名マリア。ようこそ 》


 続いて、次々に皇子たちも顔を出す。


《 ピッ 個体認識。独立端末『語り部』より個体確認。ようこそ。グウィン・ランスロー・サーヴァンス・アトラス》

《 ピッ 個体認識。独立端末『語り部』より個体確認。ようこそ。ケヴィン・ガウェイン・サーヴァンス・アトラス》

《 ピッ 個体認識。独立端末『語り部』より個体確認。ようこそ。ヒューゴ・モルドレッド・サーヴァンス・アトラス》


 伝統的な戴冠の儀式には牧歌的すぎる内装に、ダッチェスの眉が寄せられた。

「前はこんなふうじゃあ無かったのに」


 しかし、それらしく場を整える時間も余裕も無い。ダッチェスはぐるりと書斎を見渡し、テーブルを片付けるようにと、同じ語り部たちに指示を飛ばしていった。


「何かあったのかい? 」

 皇太子がおれに尋ねた。

「……いいえ」なんでもないように首を振る。

「ついにこの時が来たと思って」

「ああ。確かにそうだな」

 皇太子は厳つい顔を和ませて微笑んだ。



 ✡




『かち……かち……』

 おれの胸の奥で、音がする。

『かち……かちち……かちっ……』

 何かが起こる。そんな予感の音がする。






『かち……かち……かち……かち……かち……―――――』



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