12-2 コネリウス・ライト


 東南を向いたフェルヴィンの王城は、切り立った山肌に背中を預けた造りをしている。崖を切り出して装飾したように見える王城は、実は山肌を侵食し、見かけよりもずっと奥へと続いている。さらに隠されたそこかしこに、坑道跡に見せかけた抜け道が蟻の巣穴のように存在しているという。ヴェロニカ皇女らが逃亡に使ったのもここである。


 フェルヴィン首都ミルグースは、背面に連なる鉱山の山脈から掘り出された金属の加工と細工で栄えた都市だ。『魔界』とまで呼ばれるほど痩せた硬い土壌を持つ土地で生きていくために、フェルヴィン人は、長い時をかけて数々の試行を繰り返してきたが、何より国を潤したのは、彼らが大地と炎と水から生み出す細工ものたちだった。


 いわく。フェルヴィンの剣は刃こぼれすることがなく、若枝のように軽く、鋼とは思えぬほどにしなって折れず、砥いでも刃が減らないとか。


 いわく。フェルヴィンの鎧を通すのは同じフェルヴィンの鋼だけ。戦へ向かう子息に、フェルヴィンの鎧を用意できない金持ちは外道か阿呆かと謗られたとか。


 いわく。フェルヴィンの銀細工は、水のように艶めかしく、レースのように繊細で、羽のように軽い。淑女にはもちろんのこと、ひとかどの男であるならば、仕込み時計や仕込みナイフのブローチやステッキを持つのが粋というもの。


 時代の流れとともに商品は変わった。しかしそれは、歴史の文字にフェルヴィンの名が消えることは無かったという証である。そうして財を得たフェルヴィンであるが、さてこの地でどうやって貿易を行っていたのか?

「答えはかんたんです。この国には、ほんとうはずっと移動手段があった。世の中に『飛鯨船』なるものが飛び交うようになるよりずっと前、それこそ魔女が死んで神話が終わった古代から、ほんの百年ほど前まで……」


 前を歩くダッチェスの背中が、黒い影を被せている。ダッチェスの手にある明かりが、一行の先を照らすために右へ左へ動くたび、人型の影もぬるぬると地面や壁を揺らめいた。もしかしたら道順を覚えられないようにするための技だったのかもしれない。おれとジジ、皇子とその語り部たちは、網目のような坑道をダッチェスの導きに沿って歩いていく。疲れからか、ダッチェスの澄んだ声を聴き洩らさないようにするためか、誰も言葉を交わさなかった。


「……これは王家、いいえ。魔女とともに旅をし、この地へ辿り着いたものたちの秘密です。流人や罪人や奴隷であった彼らは、職人となり、鉱山夫となり、農夫となり、騎士となり、漁師となり、商人となり、学徒となり、王となった。

 それぞれの一族の末裔だけが知らされる秘密。

 魔女が与えた『隠された』二つ目の魔法……それが魔女の財宝『フレイヤの黄金船』。

 彼らはこの船で、このフェルヴィンに降り立ったのです。そこは、戴冠の間でもあります。この場所へは、皇帝ですら道順を教えられません。語り部の導きを以てしか辿り着けないのです」


 カンテラが揺れる。土が剥き出しでいつ崩れるかも分からなかったそこに、とつぜん黄金のきらめきが現れた。

 海と冥府、大樹と天空の二枚一対の扉には、向かい合うように、赤い宝石と青い宝石を瞳にはめた女の貌がある。ふたりの女の揺らめく髪には、薄く切り出された漆黒の水晶が重ねられていた。

 この意匠のモデルが、おれに分からないはずがない。

 向かって左は、おれの主である時空蛇。その化身『影の王』。

 右は我らが始祖の魔女。彼女は、美しい黒髪に輝くように青い瞳の女性であったと伝わっている。


「……さあ、グウィン様。この先が戴冠の間。最初の王が産まれた場所でもあります。貴方が開けるべき扉ですわ……と、言いたいところですが、老朽化が心配なので、あたしが開けるわね! 」

 グウィン皇子は踏み出しかけた足を引き、気まずげに頬を掻いた。

「――――さあ! とくとご覧なさい! そう見られるものじゃあないわよ! 」


 眩い光が、長らく太陽を忘れた一行の網膜を刺した。

 そこは途方もなく、高く、深い、一本の縦穴であった。

 円柱型の穴の内壁へ取りついた螺旋を描く通路は、闇を塗りこめたような黒だが、下から吹き上がってくるような寒々しい冥府の青いマグマの燐火と、反して天上から降り注ぐ温かな白い光で、上層世界の雲一つない晴れの日ほどにも明るい。

 その淵に立ちつくすおれたちの目の前に、その船はあった。ぽっかりと、円柱のなかに支えもなく浮かんでいる。

 帆も甲板の無いそれは『船』というよりは、『箱』だ。

 そしてただの『箱』というよりも『棺桶』のようだった。

『黄金』の名を戴いているのに、主には黒く、金は船体を縁取る渦巻くように絡まっていく装飾にだけ刻まれているだけだ。おそらく芽吹く草木や波しぶきを表している金の紋様は、経年により、インクの途切れかけたペンで描いたように、ところどころ剥がれて擦れ、黒ずんでいる。それでも、少なくとも三千五百年以上の時を経ていると推定すると、驚くほど魅力的な姿を保っているように見えた。


「下は冥界、上は最高層マクルトにまで続いています。数々の冥界下りの舞台はこの縦穴。もちろん、雲海以外で各海層へと直結しているのはここだけ。この船の中で初代フェルヴィン皇帝は王となりました」

「どうやって船まで行くんだ? 」

 虚空を覗き込んで、ヒューゴ皇子が言った。顔が引きつっている。

「当然、資格があるものには道ができますわ」


 当たり前でしょう? とばかりに語り部が言う。「神秘だな」と、皇太子はのんびりと呟いた。これからいよいよ皇帝になるというのに、緊張はあまり見えない。「………」ケヴィン皇子は、始終、感情の見えない無表情で黙り込んでいる。


「さあ、先導するのはあなたよ。立会人さん。皇子たちは殿を。そして皇太子グウィン。あなたは船を出たとき、すでに『皇帝』です。お覚悟は? 」

 グウィンは高い額の影にある瞳を細めて、父の語り部に微笑んだ。

「……とうの昔に出来ているよ」


(おれは……出来てんのかな。まだわかんねえや)

 思いながら、虚空に足を踏み出す。ここでもし、先に進めなかったとしたら、おれは『資格無きもの』になるのだろうか。

 はたして、おれの足の裏は資格を得たようだった。

 おれは足の下に冥界の青い炎が燻ぶる光景を踏み越えたこの瞬間のことを、腹の底が浮くような言いようのない興奮と畏れと現実感の無い奇妙な経験として、記憶に刻み付ける。

 見えない道の下、冥界の青い炎が、火山の火口のように沸騰しているのが見えた。

 ここに落したら、何も戻ってこないだろう。そこにあることを確かめるように、思わず眼鏡のつるを押し上げる。馴染んだ動作をすると、不思議と落ち着くものだ。


 辿り着いた船体は、滑らかな漆黒をしている。後ろを振り返ると、固唾をのんだ一行の姿が数メートル先に見えた。

「おーい! 大丈夫なんで! 」

「すぐ行くわ! ほら、次はあなたよ! 」

「……えっ、ボク!? 」

 ジジが鳩が豆鉄砲くらったような顔をしている。「そりゃあなた、立会人の魔人なんだから、二人でひとつよ。あたしたちが主人とセットになるようにね」

「ええ~……勘弁してよ」ふだんプカプカ浮いてるくせに、コイツは何言ってんだろう。


 自分でもそう思ったんだろう。ジジはスタスタとこちらへ渡り、無言でおれにハイタッチを求めた。顔の両側で上げられた手のひらを、ぱちんと打ってやると、気が済んだのか、「ふん」と満足げに鼻を鳴らして、おれの二歩横へずれて頭の後ろで腕を組み、後続を見守る姿勢に入る。

 続いて、迷いなく語り部ダッチェスが渡り、皇太子を手招く。兄が先に渡ったので、あとの皇子たちはスムーズだった。


「……いきますよ~」

 ごくりと一同が唾を飲み、おれの指先を見つめた。おれの右手は、水面のように波紋を描いて揺らめく漆黒の船体の中へと吸い込まれていく。

 冷たくも温かくもない。抵抗らしい抵抗はなく、しいて挙げるなら、たっぷり満たされたゼリーの中に、手を突き入れたような感触がする。ちょっと癖になる感触だ。


 これから一世一代の大勝負が始まるかもしれないってときに、おれは自分でも驚くほど呑気なものだった。

 王城へ向かう直前までは――――いや。変貌してしまったアルヴィン・アトラスと対峙したときあたりまでは、実力不足の焦りと緊張で心臓がバクバク鳴っていた。

 でも、なんでだろう。レイバーン皇帝の嘆願に、「そのために来た」と口に出した時にはすでに、おれの精神の床は固く踏みしめられていた気がする。不思議だ。


 おれは、運命というやつを生まれた時から持っていた。

 おれの運命は、大人たちから何度も言い含められてきたので知っていたけれど、あの時までは半信半疑だったことは紛れもなく事実だ。

 おれは、そんな大層な人間ではない。自分がそれを一番よく知っている。

 それでもおれは、ここにいる。ここに来てしまった。

 この今ある状況こそが、おれの持つ、運命ってやつを証明するのだろう。


 ✡


 暗闇の中から、語り部ダッチェスに先導されてやってきたおれたちを、皇子たちは固い顔で出迎えた。

 その壮絶な体験からすれば友好的なほうだっただろう。なんせおれは、初対面の外国人なわけだし、いかにも怪しげな黒づくめの魔人を引っ付けたコブ付きだったのだから。

 魔人ってものは珍しく、その製造法は、先の大戦のときには散逸して分からなくなっている。そのうえ一般的に『魔人』といえば、見てわかるほど人間とは違うものであって、ジジや語り部たちのように、人と見分けがつかないほどの完成度を誇るとなれば、それはもう千年単位の骨董品だといっても過言ではない。個人が所有できるものでは無いのである。


 反面、語り部たちは、いくらか分かりやすく友好的だった。

 とくにヒューゴ皇子の語り部トゥルーズは、おれが姿をあらわしたとたん、手に握っていた楽器を取り落とし(レクイエムの演奏は彼によるものだった)、一目で看破したおれの正体を大声で言い当てた。


「――――コネリウス様だッ! 」


「うわ、言っちゃったよ」とジジが笑う。おれも笑った。なんせ、おれの家族とその関係者が必死になって隠していることを、こうもハッキリ大きな声で宣言されては、もう笑うしかない。

 語り部の真名看破の前では、どんな秘密も形無しだった。おれの中に流れる血は、百年なんて『ちょっと前』の彼らには、懐かしいだけのものらしく、表情を抑えた語り部たちは、そわそわと姿を現して遠巻きにおれたちを見つめている。

 おれはろくに皇子たちと口を交わす前に、自分の大きな秘密を明かさなくてはならなくなった。


「……コネリウス・サリヴァン・アトラス・ライト、と申します。曾祖父の名をいただき、コネリウス二世の語をいただきました。遠き曾祖父の……」……ええと、どうなるんだっけ?

「……兄の息子の、その息子の皆さまへ。いまもなお、高貴なる連なりにいらっしゃる御身へ、廃嫡の血筋ではありますが、心からの敬意と親しみを。このサリヴァン、血と運命に導かれ、助太刀に参りました次第でございます」

 よし言い切ったぞ。


 皇子たちはぽかんとしている。

 そりゃそうだろうとも。

 王維継承権を失い、祖国を飛び出して、遠い異国の田舎貴族の令嬢へ婿入りした、歴史の英雄の子孫が、こんな時にいきなり現れたんだから。

「コネリウス様はお元気ですか!? 」

 ひょろっとした語り部の青年だけが目をキラキラさせて、おれを見下ろしている。

「九十を超えた今も、実家の山で元気にしてますよ。芋作ってます」

「いも! ねえヒューゴ様! コネリウス様、芋作ってますって! ねえ、すごいですねえ! 素晴らしいですねぇ! ……あ、おれ、トゥルーズっていいます! 」

「あ、まさか『王に捧げる鎮魂歌』の作曲家!? 」

「はい! その語り部トゥルーズです! 今はヒューゴ様へお仕えしています! うわぁ~まさかコネリウス様の曾孫に逢えるなんて……ああ、懐かしいなぁ。コネリウス様とはあんまり似てないんですねぇ! あ、でも、声は似ています! お顔にもちょっとだけ、お小さいときの面影があるかも! 面白いですねえ。ねえヒューゴ様! ……ヒューゴ様? どうしました? 」


 一言、皇太子がぼやいた。

「……今日は、いろんなことが起こる日だな」

 同意するように、二つ溜息が重なった。

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