第四節【終末王の戴冠】
幕間『運命の雨の日に。』
雨が降っている。
秋の日暮れ、雨空の黒い雲で、ひと足早い夜の間際。風のない冷たい雨は、まっすぐに地面を穿つ。
摩耗した古い石畳を
人通りは無かった。扉ごしの灯りも遠く、廊下の奥がうっすらと灯るだけ。
陰気な夕暮れだった。
土臭い湿った空気を吐き出して、ボクは目の前の建物に侵入した。
ボクら魔人に呼吸は必要ない。それでもボクが本能的に呼吸をするのは、人間の模造品として作られたからだ。なんのために? 『人間の代わり』をさせるためか? いいや、違う。『人間に出来ないこと』をするためだ。
ボクは空気に
目に見えないほどに極小の粒。そのひとつひとつが『ボク』になる。黒霧のようなその身体は、空気に広がって見えなくなる。こんな暗い雨の日なら、なおさらだ。
地下二階に存在するその施設は、予想よりもずいぶん清潔だった。照明はけちっているのか、電球が丸見えの粗末なものが、廊下にまばらにあるだけだったが、ここにふさわしい人間には妥当だろう。
入口から三つ目の錆ひとつ無い鉄格子の向こうで、そいつはボンヤリと、高い位置にある小窓から雨を見ていた。ボクが鉄格子越しに姿をあらわすと、彼は億劫そうに振り返り、なにも言わずに顔をしかめた。
「……寒くないのか? 」
ボクが何も言わないでいると、まだ子供の名残りのあるガラガラ声が言う。
「……キミこそ、一晩で風邪ひいたんじゃあない? 」
ボクが返した言葉に、ソイツは「そういえば、ここって冬は暖房入るのかな」とトンチンカンな疑問を呟いた。
ボクの服から滴った水が、床に黒い水たまりを作っている。
「どうしてボクを助けたの? 」
ソイツは不思議そうな顔をした。
「そんなこと聞きにきたのか? 危機感ねえなぁ。早く外国にでもなんでも逃げると思ってた」
「早く答えて。そうすればボクはすぐにでも逃げる」
「そんなのが気になるのかよ。変なの。そんなの、成り行きだよ。あんたはラッキーだった。それでいいじゃないか」
「……成り行きなわけないだろ。アンタみたいな普通の子供が、ボクみたいのに関わるのが、そもそもオカシい……! アンタ、いったい何なんだ。ガキのくせに……! 」
「おれって、ふつうの子供に見えるのか? 」
ソイツは今度は驚いた顔をして、時代錯誤に長い後ろ髪を掻きながら少し笑った。「そりゃ良かった! 」
そう喜ぶ、眼だけが笑っていない。
嫌味なほど知っている目だ。身に覚えがありすぎる眼だ。
何かを悟っている眼だ。
……何かのために、何かを諦めた眼だった。
ああ、たしかに。コイツは普通の子供ではない。ボクと同じ、何かに擬態して生きている奴なのだ。
ボクとあろうものが、どうして気が付かなかったんだろう。
疑問が膨らむ。ボクはその時、抱えていた疑問のひとつの答えを見つけた。
「……ボクはキミに興味がある。だからここに来た」
「さっきのおれの質問の答えか? なんでおれ? 」
「キミはボクの正体を知っただろ。この
「それは駄目だ」
黒い瞳がまっすぐに、あの雨みたいにボクを見つめた。「それだけは駄目だ」
「……なにがそんなにキミを頑なにさせるの。たかだか十四歳のガキが」
「十四歳のガキでも大切なもんがある。おれは死んでも自分でそれを言わないって決めている」
「死んでもなんて、口で言うのは安い」鉄格子の前にしゃがみこみ、ボクはその陰気な黒い目を見上げた。「……その覚悟、ボクに教えてよ。うん、そうしよう。面白い」
「な……っ! 勝手に決めんな! 」
今度はソイツがたじろぐ番だった。
チッチッとボクは指を振る。
「だめだめ。もうその気になっちゃった。なぁに、簡単な賭けサァ。期限はここからキミが出るまで。それまでにボクがキミの正体を調べて正解を見つけられたら、キミはボクに……そうだなぁ。ボクには二度と嘘をつかない。これでいこう」
「それ、おれにメリットあんのかよ! 」
「ならキミはボクが負けた時のことを考えればいい。この魔人ジジは、こと人間社会では万能を自負してるんだぜ。ヒヒヒ……どうだい? ボクは知っての通りのアウトロー。なんでもするぜ? キミのメリットのほうがずいぶん大きいと思うけどォ? 」
「げえっいらねえ! 」
「楽しいねェ楽しいねェ。けっこうボク、好奇心旺盛なんだよねェ? 秘密を暴くのって楽しいねェ。ヒヒヒ腕が鳴る」
「くっ……! ま、まあ、どうせ無理だな! これに関しちゃ証拠は見つけらんねえからな」
「キミ、語るに落ちるって知ってる? キミのそういう態度が、『僕には秘密がありますぅ』って言ってるんだよォ? 」
「な、あぁっ……! く、くそ! お、おまえ! 」
「うふふ。やっぱオマエ、まだガキだねえ。フフフ……」
「ぬぁ~~~~~っ! 」
愉快愉快! 涙目で悔しがるクソガキの姿に、ボクの笑いは止まらない。そうだ。ボクが本気を出せば、コイツの口を割らせなくても見つけられない秘密なんて無い。
でもまあ、少し可哀想かもしれない。コイツはクソガキには違いないが、根は真面目で実直なやつなのだ。
こんな口約束、それで終わりかもしれないのに。
……いや、口約束で終わらせるのはもったいないな。
ボクは、ちょっと追加をすることにした。
「ふうん? そんなに嫌なら、キミが勝った時の賞品を釣り上げてやろうか。そうだな。せっかく魔法使い相手だし……」
ゆっくりと視線を巡らせて迷っているふりをする。彼は不安げにその視線を追い、目が合うと気まずげに素早くそらす。もったいぶったボクは、極上の笑顔で(ボクの顔立ちは、一般的に評判がイイ)、彼の瞳を覗き込んだ。
「この魔人ジジの呪文を、キミにあげようかな」
「――――――ハァ!? 」
彼はそれだけ叫ぶと、大きくのけぞって驚いた。予想通りの反応に、笑い声が止まらない。
「な、なななな、は、はぁぁぁああ? ば、ばばば、ばっ―――――かじゃねーのお!? ま、魔人の呪文っていや……魂とおんなじじゃねえかよ! アンタレベルの魔人じゃンなもん怖すぎる! いらねえ! 」
「そんなに拒否されると悲しいなぁ。そろそろマトモなゴシュジンサマがいたらいいかなって思っただけなのに……」
「その媚びた顔をこっちに向けるな! 」
「なら何が嬉しいの? こっちは身を捧げているも同然なのにィ」
「重いんだよ! 俺のことを『ソイツ』とか『アンタ』とか『コイツ』とか『そこのキミ』とか言わなくなるほうがまだ嬉しい! 」
「じゃ、それも付けてあげる」
「ぐぬぬ……! くそっ」
雨の音さえ忘れていた。
冷たい地下牢で馬鹿みたいだったけれど、ボクはどうしてか、とても嬉しかった。
コイツは何か大きなことをしてくれる。ひしひしとそんな予感があった。今思えば、それは模造された人間の感覚とは違う、魔人として備わった本能によるものだったのかもしれない。
「そういや、キミ名前なんだっけ? 」
「サリヴァンンンッ! 覚えてねエのかよ! サリヴァン! ライト! 」
「どっちが苗字だかわかんねえ名前だな」
「ほっとけ! 」
「ボクはジジ」
差し出した手を、鉄格子越しにしぶしぶ握られる。
「……おれは、サリヴァン・ライト」
「もう知ってる」
「おれが今言ったからな! 」
「よろしくサリー。キミって損なくらい律儀だね」
「うるせえ! ぜったいお前なんて引き取らないからな! 」
鉄格子ごしの握手は、少し暑苦しくて、けれど、どこかワクワクしていた。
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