11-3 対『皇帝』戦
「―――――その願い、聞き届けました」
「アア……」
皇帝の声が震えた。
サリーは迎え入れるように、間合いまで楯兵が迫るのを待った。間合いに入ると、大きく足を前に踏み出して一気に距離を詰める。逆手に持った刃を楯に突き立てるようにぶつけると、真っ白に熱を持った刃が黒鉄の楯をバターのように削り取りながら一気に切り裂いていく。その背後にも二体、楯兵は迫っていた。唇を引き結んだサリーは、奥歯を噛み締めて両手に握り替え、一気に柄頭に力を込め、楯を鉄くずに変えながら体を反転させる。獲物を飲み込んだように銀蛇の刀身がうねり、白い刃がみるみる太りながら伸びていく。
「――――ふんっ! 」
一閃、というには、その斬撃は遅い。
けれど、サリーが肩に担いでいた大剣を床に突き立てた時には、三体の楯兵が紙のように破けた楯と切断すれすれの胴を抱えて崩れ落ちるところだった。楯兵の届かなかった打撃と交差するように放たれた矢は、ボクのナイフでいくらか弾く。床に突き立てた大剣を楯に、矢をやりすごしたサリーは、「っいよっぃ、しょっ! 」ともう一度剣を持ち上げ、第二波に待ち構える二列目の重歩兵へ立ち向かっていく。
弱い……。
いや。皇帝は、この小アルカナ兵を魔法使いの杖と同じだと言った。
魔法使いの杖の稼働の源は、持ち主の持つ強い意思である。この小アルカナ兵は闘志の無い皇帝を反映しているから、こんなにも脆くて鈍い。
しかし反面、小柄な体で大剣を揮うサリーの顎からは汗が滴り、空間を歪にはしる罅から凍み出る寒さが肉体を鈍くする。肌や呼気から立ち昇る蒸気の熱が、失われるサリヴァンの体力を表していた。
そしてもっと悪いことに、小アルカナ兵自身には、意思や命がない。
砕いたはずの兵士は立ち上がる。両断されたどてっ腹も、熱に曲がった手足も、傷を飲み込むかたちで再生する。どんな劣勢にも気持ちが萎えることはなく、ボクらにはある。
対人特化のボクと、火力はあっても人間であるが故に限界があるサリーでは、はっきり言って相性が悪い。
小アルカナ兵たちは、無尽蔵の再生と疲れを知らない体をもって、ボクのちょっかいを無視してサリーに殺到した。
「くそっ! 」
毒づいて、サリーは大剣の戦法を捨てた。大剣を横凪ぎに振ると、刀身を太らせていた力が炎の飛沫となって敵を襲う。すらりと痩せて刺突剣となった銀蛇を握りなおしたサリーは、軽くなった肩を回して、顎から滝のように垂れる汗を拭った。サリーにも分かっている。こいつらに刺突攻撃はきかない。
炎を捨てたサリーは、刺突剣を顔の前に立てて短い呪文を吐息と共に「ふうっ」と吹きかけた。
サリーが炎の次に得意なのは、雷の魔法だ。
「サリー、どうしてさっきの火の蛇は使わないの」
サリーは防御の合間に太い息を吐くと、早口で言った。
「あれは、炉の神の力を借りた力だ。神の炎は死者の魂を焼く! 」
「ボクを使う? 」
サリーはちょっと考えた。「……それは最後の手、だんッ! 」バシッ! と刺突剣の先から小さな雷がほとばしって、盾を振り上げたスート兵が、背後の弓兵を二体巻きこんで吹っ飛んでいった。
「わかった。ベストを尽くそう」
サリーは返事のかわりに、ぺろりと乾いた唇を舐める。
再生した『次』が来るまで、まばたき三度ぶんの猶予があった。
ボクは横に立って前を睨む。
「―――――――、――――――、―――――――――」
サリーが口の中だけで呪文を唱えた。
そこからはすべてがスローだった。
サリーの右の耳から下がった石が三つ、それぞれの色で輝き、光で繋がって光線となり、顎首肩から腕を一瞬で駆け降り、剣を持っていない右手に溜まっていく。パチ、と虹色の火花が爆ぜるその手で、サリーは勢いよくボクの背中をブッ叩いた。
バチン!!!!!!
衝撃に爪先が浮く。叩かれた背中から放射線状に光の糸がほとばしり、ギュッと肩を寄せてその糸を
『皇帝』は素人だ。小アルカナ兵どもの動きでわかる。あいつらは
ボクらは違う。この攻撃のすべてを、瞬きの間でできる
緊張と解放。――――それは、弓を引き絞るように。あるいは、肉食獣が獲物に飛び掛かるように。ボクは弓で獲物を前にした肉食獣。魔力は、ボクの中で破壊力を高めた尖った凶器。
―――――
魔人とは意志ある魔法。でもきっと、ほかの魔人なら一度で壊れてしまうだろう。
ボク、魔人ジジは質量なき魔人。……粒子の魔人と言い換えてもいい。
群にして個。個にして群。
熱も、氷雪も、雷も、病すら、この身は内包して拡散する。
✡
ジグザグに迸った無数の七色の光の槍は、立ち止まることなく全てを刺し貫いて空間を満たす。
灰色の講堂は、束の間、どこよりも眩い白に塗り上げられた。
音すら白く焼き切れて吹き飛ぶ。この場においては、ただひたすらに無音。
「…………ぅ」
『皇帝』は、舞い散る灰塵のなかで顔を上げた。肉体を失った体では、以前のように砂埃に咳き込むことも目が眩むことも無いというのに、老人は腕で顔を覆い、目を瞑っていた。
衝撃の残響が空虚な腹の底に残っている。
「…………ぅ、うぅ」
苦し気な声。
老人のものでは、無い。
何かが焼ける臭いがする。
「……ぅぅううううう―――――ッァァアアアアアアア………」
老人は、目前で玉座をかばうように立つ小さな背中に震えた。
いまもなお、白い煙が立っている。炎熱に熔けた歪な頭蓋。細い肉の四肢は黒く焦げ、すでに肉は残っておらず、頭からながれる真っ赤に蕩けた灼熱の金属が、炭化した肉を捕食するように広がっている。
―――――老人に、わからぬはずがない。
老人にまだ心臓があったのなら、それを抉って差し出せば『彼』が元に戻ると言われたなら、迷いなくそうしただろう。
けれど、彼にはもう肉の心臓は無かったし、その息子はどうしようもなく……変わってしまった。
それでも老人は息子がわかった。
灼銅の鎧の怪物は、父をかばって立っていた。
「アル……ヴィン…………おまえ」
「ァア、ァァァアアアア――――――!!!!!! 」
怪物は父の呼び声を掻き消すように、ぽっかりと小さく見える空を仰いで咆哮する。全身の鎧が
マグマのように沸騰した右腕が、無造作に、そう、蠅を払うように、後ろへと振るわれた。
―――――怪物は父を守ったのではない。
―――――ただ、自分達とは別の戦いの気配に誘われてやってきただけだった。
(……ああ。私はなんて目出度い頭をしていたのか……)
―――――それとも、彼の中にあった憎悪がようやく発露したのか。
灼銅の拳が迫る。
(…………)
老人は再び瞼を開けた。
「―――――ッフ、ぐ……っ」
「お、叔父上……! 」
「ふざ――――ふざけるなよ……! てめえの相手は、このわたしだ……ッ! 」
上段に構えた祭儀用の宝剣で、怪物の拳を受け止めるジーン・アトラスは、あまりに細い腕をぶるぶると振るわせている。噛み締めた歯列の隙間から鮮血が滴った。見開いて目前の怪物を睨む碧眼は、よりいっそう冥界の色をした炎が噴き出し、髪を揺らしている。
「ちッ―――――父親殺しの真似事など……!
ジーンの全身を青い炎が包む。酸素ではない別のものを食らって生きている炎は、ジーンの頭を超えて立ち昇り、激しく揺れていた。
炎から力を得たジーンは、とうてい英雄らしくない足さばきで怪物の丹田を蹴り上げると、よろよろと後ろへ倒れこみそうになった怪物に剣で殴りつけるように向かっていく。
「―――――貴様の相手は、この俺だッ! 」
「アルヴィン……!? あの怪物が、
柱の陰で声を荒げたサリヴァンに、ジジが指を立てた。サリヴァンはなおも声をひそめ、相棒に畳みかける。
「……しかしだなジジ。まずいぞ。これは」
「……なにがマズいってのさ! 今は皇太子捜索が先決だろ! せっかくあっちで忙しそうにしてくれてンだから! 」
「……アルヴィン・アトラスが生きている? 師匠の預言が覆ってるってことじゃねえか……! 」
「後にして……! 今しか無いんだから……! 」
床の
白灰色の岩石を陶器のように磨いて作られた床は、砂塵で汚れ、見るも無残に罅割れている。その表面は決してなめらかとは言い難く、罅の間からは立ち昇るような冷気と青い光。それはまるで、一度砕かれた床をパズルのように歪に組み上げて、接着剤で補強したようだった。
ここに踏み入れた時から、ジジの足はこの下にある空洞を感じている。
「……ほらここ! 早くして……! 」
「……これ、おれたちの足場も崩れるんじゃあないか? 」
「ド派手に爆破解体といこうじゃあない」
「ほんとうに大丈夫なんだろうな……」
サリヴァンは剣を構える。
『星』の声が轟くなか、凍てついた床に、地獄より熱い魔法の杖が勢いよく突き立てられた。
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