9-3 サリヴァン・ライト
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巨人がどろどろに溶けたのを見届けて、ボクは長ーい長ーいため息を吐いた。
サリーの作る魔法の炎は、原則として命を焼かないよう調整がされている。彼は曲がりなりにも、『世界一の魔法使いの弟子』なのだが、広間の被害はやっぱり凄惨たるものだ。
「……無茶するなぁ。そりゃキミの火は焼けないし、ちょっと楽しかったけどね。溶け始めた鉄の巨人がどれだけ熱いと思ってるの? 焦げちゃったよ」
「悪かったって。一度全力でぶっ放すのが夢だったんだよ。まだレア焼きだろ? 」
ボクは穴の開いた帽子で、サリーを締めあげた。
休息の間もなく、ボクは探索を開始した。目を閉じて、身体の末端を空気の粒よりも小さく広げていく。それは例えるなら、薄暗いなかを手探りで進む感触に似ている。無人のエントランスホール、廊下、食堂、用途が分からないただっ広い部屋、王族の居室、尖塔の屋根の先まで、鼠一匹もいない。
「こんなに派手に暴れたら、向こうから斥候の一人でも出てくると思ったんだが」と、サリヴァンは顎を掻く。
「もう、そんな必要は無いってことなのかも」
「……なあジジ。どうして街の人たちは、城が誰もいないのに気が付かなかったんだと思う? 」
「そりゃ、だいたい想像通りのことが起こったんでしょ」
「じゃなきゃあ、皇帝一家が監禁されるわけがないか」言って、サリヴァンは静かに瞼を閉じ、しばらくのあいだ祈った。
「それで、まずはどこに行く? 」
「下だ」ボクの感覚は、渦を巻く潮に似た流れを感じていた。
「地下に、何かが集まってる……」
部屋全体が上下に揺れた。
柱がゴムで出来たみたいにグラグラしている。
白煙がたちこめる広間へ向かって、ボクらは真っ逆さまに落下した。サリーが背中にしがみつく。
ボクは落ちるままに吸盤のある前脚を翼に変え、巨大な黒いフクロウになって、カギ爪を大きく開いて灼熱の床をかすめ滑空した。
開いたままだった扉から再び外に飛び出すと、もう一度黒猫になって地面に落ちる城の影から一目散に逃げる。
その間も城は凍えているように震えていた。
サリーが舌を噛まないようにしっかりと噛み締めていた口を開いて叫んだ。
「―――っ何が起きた!? 」
ボクらは、気づけば足を止めて立ち止まり、目を見開いて青く燃え上がる城を一心に見上げていた。ゴウゴウと竜巻みたいな音がする。体中の毛が逆立って、いまにもその流れに吸い込まれそうだ。風はむっとして暑いほどなのに、体の芯が寒気で震える。
―――――城から立ち昇る青い奔流の勢いは、昨夜の比ではない。
城から暗雲の空を穿つ青い槍は、とうとつに内側から罅割れた。
真っ赤な光が槍の中心を裂きながら空へ昇っていく。血管に巡る血液のように、真っ赤な稲光のように。赤い筋が、冥界の青を侵食して塗り替えながら、細く、細く、尖っていく。
空を穿つ光の筋は、赤く染まったまま糸のように先細り、やがて、プッツリと切れた。
光は、城の中心にある尖塔の根本あたりから現れたように見えた。その尖塔をぐるりと大きく回りながら、青い騎馬の人影が空を駆けあがっていく。まるであの赤い柱の痕跡を探しているかのように。
遠目にも小さな騎士が、その馬に跨っている。馬のほうが大きいのかもしれない。しかし、馬に身を任せるその騎士は、その巨馬を乗りこなしている。まるで彼らの足元から道が生まれるように、青い炎が帯を描いて尖塔に巻き付いている。
その視線の先にあるのは、夜明けを背中に隠して赤黒く染まる雲に埋没しそうな、小さな火だ。地上からだと、それは影を纏って黒と赤の人影に見える。身をよじり、頭の炎を腕で払うような仕草は、炎を灯した熔けかけの蝋人形みたいだった。いまにもぽっきりと折れて、ばらばらになりながら墜落しそうにか細い。
「……なんだ、あれ―――――」
燃え盛る人影は、焼死体を連想させるには容易い。サリーは酸っぱい唾を飲み込みながら、現状を見極めようと視線をそらさない。
青と赤が尖塔の真上で対峙する。
フ、と不穏に空気が震え、かろうじて耳をふさぐ手が間に合った。
――――――………ィィィィイイイイイィィィヒィャギィヤアァアアアアアアアアアアアアアアアア――――――ッッ!!!!!!!!!
汗でぬめった肌が、手のひらで密閉された耳孔の奥が、びりびりと震える。
何かおそろしいものが出てきたのだと、ボクもサリーも理解した。真っ赤に溶けた鉄と同じ。差し出されても触れてはならないものだと。
雨のように蝋人形の怪物からパラパラと金色の火花が降っている。彼の声は甲高い悲鳴にも、金属を擦り合わせたときの騒音にも似ている。神経をガリガリと削られる音だ。
サリーは吐き気をこらえて歪んだ顔をしているし、ボクも逃げなければと本能が叫んでるのに、視線を逸らせない。
おもむろに、
身をよじって燃え盛るこぶしを振り上げた姿は滑稽なほどだった。騎士は馬脚をひるがえし、横腹でそれを受け止め-――――――流星のように落下した。ボクらの目の前に!!!!!
粉微塵に砕かれた石畳でもうもうと砂塵が舞う。ボクは余波で霧散した体を掻き集めて土煙を掻き分けた。
「サリィーッ!!!!!!!! 」
まだらの砂煙のなか、ボクの視線が正面からあったのは、相棒のものではない鮮烈なほどの碧眼だった。
豪奢な毛皮のマントのように、冥界の炎を纏った少年がこちらを強く見据えている。ボクは射すくめられたように固まり、放射状に砕けた石畳に体を沈めるその人物から目を離せない。
――――――ボクの懐には、一枚の写真が忍ばせてあった。
ヴェロニカ皇女から託された家族写真は、彼女の兄弟と父親がレンズ越しにこちらを見つめている。縦にも横にもひときわ大きな男がフェルヴィンの皇太子であるグウィン皇子で、彼と親子にも見える小さな少年が、末のアルヴィン皇子だった。視線はどこか不安げで、表情を殺して戸惑っているように見える。そんなアルヴィン皇子の後ろに立つ祖父のように見える老人こそが、五人の皇子たちの父親であるレイバーン皇帝であった。
青い騎士は、アルヴィン皇子とそっくりの顔をして、野生の狼に似た眼差しでボクをじっと見つめていた。
汗が流れる。
少女のように未成熟な美貌は、面の皮の下に冷酷な狩人の本性がある。ボクを見つめるその瞳は、しかしボクを見ていない。ボクの人格を度外視して、ボクを殺す必要があるかどうかを値踏みしている。いやというほど知っている捕食者のまなざしだ。
肌の毛穴が開き汗が流れるという、聞こえるはずがない音すらも気になる。何がこいつの琴線に触れるかどうか、怯えている自分が顔を出す。
とつぜん、気弱になったボクの脳裏に、ここには無いもう一枚の写真が閃いた。
色彩をなくした灰色の髪―――――――紙のように白い肌―――――――そこに二つ鮮烈にこちらを射抜く、血色の赤い瞳。
目の前の人物の瞳は青いけれど、それは冥界の炎の色だ。
かの皇帝は生まれながらに太陽に嫌われていたと、写真の持ち主だった老人は薄笑いに口にした。虚弱に生まれ付いた
――――――ジーン・アトラスが生まれついて持つはずだった肉体の強さを、双子の弟がぜんぶ吸い取って生まれてしまったんだよ。
老人はさびしく笑って言った。
―――――でも俺は、そんな兄貴に喧嘩で一度も勝ったことが無かった。
――――――誰よりも強い男だったんだ。
「…………ジーン・アトラス」
目の前の亡者の美しい貌が、ゆっくりと笑みの形に歪んだ。
「―――ジジィイ!!!!! 戻れェッ! 」
砂塵の向こうでサリーの声がする。主人の召喚に、ボクの身体は見えない重力に従って引き寄せられる。
視界は一瞬にして掻き混ぜられて遠ざかる。
ジーン・アトラスが、冥界の炎が宿る瞳を、大きく見開いていたのが最後に見えた。
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