9-2 サリヴァン・ライト

 朝が来る前に漂う独特の空気は、いつだってサリヴァンを不安にさせる。


 思えば、幼いサリヴァンが眠い目を擦りながら故郷のサマンサ領を旅立ったのも、まだ星が光る早朝だった。別れ際の両親の顔よりも、初夏の良く晴れた肌寒い日であったことや、車窓から夜明けを見たことのほうをよく覚えている。


 酔っ払いも野良猫も寝静まろうとしている、一日で最も暗いこの時間は、空気そのものがあらゆる生命を拒絶して尖っているような気がして、いったい自分は何をしているのだろうという気分になるのだ。

 サリヴァンは奥歯の奥からにじみ出る苦い汁を飲み込んで、らしくもなく緊張している自分の胸の内に向かって笑った。

 街を貫いて王城の門へ続くまっすぐな白い街道は、祭の衣装に着飾ったまま静止している。人々も。彼らは一様に、石像になったように固くなっている。

 『審判』には段階がある。これは第一段階。『石の眠り』だ。

 審判が終わらなければ、目覚める日は永遠に訪れない。


 そろそろケトー号も出発する頃合いだった。

 敵方の出方が分からない以上は、あまり皇女たちをこの国に留まらせると危ないという結論に至った。いや、あの皇女ならば、大丈夫かもしれないが、皇太子妃であるモニカは完全な非戦闘員である。

 青い炎は冥界の炎―――――ならばこの状況は、冥界の扉が開いたと見るのがおそらく正解だと、魔法使いたちと皇女は理解していた。亡者や屍人がたむろするこの国に、反撃の手段のない生者がいるのは、あまりに危険だった。

 頬にぶつかる風は朝霧で湿って冷たい。

 ケトー号が飛び立てば、おのずと敵にもその船影がさらされることになる。

 サリヴァンとヒースは、まだ日が昇る夜明け前に、同時に出立する作戦を立てた。

 攪乱になればいいと思っての作戦だったが、思っていたよりも遥かに街は静寂に沈んでいる。動くものは野良猫一匹もいない。


 城は青い炎に包まれ、篝火のように輝いていた。


 ✡


「……どうしてボクらは石にならないんだと思う? 」

「おれたちが外国人で、フェルヴィンの民ではないからだろう。『審判』には順番があるんだろうと思う。『魔法使いの国』は第18海層。審判の順番は三番目だ」


 街道を駆け上がるボクは、黄昏の影法師のように大きな黒猫に姿を変えている。そんなボクの背中で、サリーが銀蛇が形を変えた鞍に乗っていた。


 城門の脇には物見の塔が立っており、塔の間にはアーチ状に橋がかけてあった。塔の上はもちろんのこと、等間隔に並んだ十字型の小窓は狙撃を想定した造りだ。

 門は開け放たれていた。祭事用に飾られた制服を着た夜警がふたり、門柱を背に立ち尽くしている。城門から先はかなり急な階段と坂道が続く。城はすぐ前に聳えているのに第二の城門が現れ、段差は狭くなり、勾配はさらに強くなる。第三の門は、馬が二頭並んでもいられないくらいに小さなものだ。それをくぐった瞬間――――目の前にフェルヴィンの王城の全容が広がった。

 フェルヴィンは昼夜も無いほど光が乏しいので、この城壁を飾った親方たちは長い試行錯誤の末この形に辿り着いたのだと、ボクがずっと後に読んだフェルヴィンの観光誌には書いてあった。


「……そうか。街から見た時、やたら塔が多いのはこのためか」

「ついでに実用的だぜ。こんなの城ってより砦じゃねえか。旋毛つむじより上を取られちゃあ、たいがいの歩兵はひとたまりも無い。これを見た歴史家は、フェルヴィンがド田舎で良かったって言うだろうな」

「その神秘の王城へ、今から乗り込むってわけだね? 」

「その通り! さあ何が出て来るやら! 」


 背中の鞍の上で、サリヴァンが立ち上がる。

 ボクは速度を上げて、かたく閉ざされた最後の城門へ突進した。

 マエストロが指揮棒を振り上げるように、サリーが頭上に掲げた魔法の杖から、澄んだ青銀の光が帯になって後ろへたなびく。

 鞭のようにしなりながら帯が飛ぶ。魔法を叩きつけられた扉は、軋みを上げながら勢いよく内側へ開かれた。

 ボクの肉球が、鏡のように磨き上げられた王城の床を滑りながら踏みしめる。硬い床は爪がカチカチあたるので、踏み込みが滑る。

 サリヴァンは危なげなく床に足を下ろし、白亜の宮殿の内部を見渡した。

 青い炎が床や壁を舐めるようにして漂っている。触れても少しヒンヤリとするくらいで、とくに害はない。ただ見た目が不気味だというだけだ。


「これを起こした犯人は、審判を起こすことが目的なんだよね? とうぜん、そいつも選ばれているんだとしたら、二十二のさだめのうちのどれなんだろ。えーと、愚者、隠者、魔術師、女教皇、女帝、皇帝、教皇、力、死神、悪魔、恋人たち、吊るされた男、戦車、正義、審判、運命の輪、節制、塔に、星に月と太陽……これで二十一。あとなんだっけ? 」

「ワールド……『世界』か『宇宙』って呼ばれるな。『死者の王』って名乗ってるんだろ? 連想するのは、悪魔か、悪魔を呼び出す魔術師か、狂気の月……あとは死神か。冗談みたいな状況だぜ。早く皇子を見つけたいもんだ」

「そンなら簡単だ」

「ああ。人探しは得意分野だろう? 」

「ヒヒヒ……まあ、最初はあそこの人に訊くのがいいんだろうけど。―――――――来るぞ! 」


 王城の玄関にあたる大広間。

 遥か高い天井を支える、巨木ほどもある白亜の柱の奥から、ニュッと出て来たその腕は、刃渡りが大衆食堂の長机ほどもある剣を握っていた。

 目の前に壁のような胸がある。

 開け放たれた扉から吹き込んだ夜風がボクの猫ヒゲとサリーの髪を揺らすが、そいつの顎に蓄えられたヒゲは、一本の毛先もピクリとも揺れない。


「ゴーレムだと! あんなの博物館でしか見たことねえ! 」

「あんなの博物館にあるの? 」

「壊したら賠償金を請求されちまうか? 」

「有耶無耶になることを祈りながら暴れよう」


 呼ばれたとでも思ったのか、石の巨人……ゴーレムの瞳の境がない石の目玉が、ギョロリとこちらを向いた。服も肌も黒鉄の質感をしていて、臼のような歯の隙間から獰猛な青い火の子が漏れている。黙って立っていれば立派な美術品になったはずだ。

 ゴーレムは、どこか見覚えのある服を着ていた。それもそのはず。身に纏っている制服は、先ほど通り過ぎた夜警たちのものと同じ仕立てのものだった。

 ボクは餌をねだる子犬のように、巨人の足のまわりをぐるぐると駆けた。

 吹き抜けになった天井は高く、床面積はダンスホールにだって使えるだろう。

 ゴーレムの頭は天井に掠らない程度。つまり、走り回るには狭すぎるし、足元をうろつく鼠を踏みつぶすにも気を遣う。

 猫背で頭だけを回してウロウロしている巨人は、守衛にしてはのろますぎた。

 だからサリヴァンがその小山のような背中を駆け上がっても、何もかもが遅すぎる。


「おいこらデカブツ! こっち向け! 」

「キミったら無茶するなア! 」

 口はそう言っても、ボクの口角はにいっと吊り上がる。


 巨人が首を回して、ボクから視線を外したと同時に、ボクらは足場を蹴った。ボクは床を。サリヴァンは巨人の肩を。巨人がサーベルを振り上げ、その刃の上にボクは肉球をつけると、巨人の顔に向かってまた跳んだ。ボクの首に齧りついたサリーが、銀蛇を握った腕を突き出す。

「――――を照らすは叡智たるその灯火ともしびか」

 杖先に小さな光が灯る。

「鉄を打つはそのほむら! 鋼を断つはその劫火ごうか! 」

 瞬発力が足らない。ボクはサリーを背中に抱えたまま、一瞬身体を霧散し、大きなガマガエルに変え、毛並みがヌルヌルに変わった瞬間のけぞった魔法使いを尻尾の名残りで背中に縛り付けつつ、身を起こそうとする巨人の額を発射台にして天井へと跳び上がった。

 吐き気を飲み込んだサリーが再度口を開く。


「――――汝は我が古きともである! 御手みての主よ! 我が腕に叡智の祝福を! 」


 詠唱を終えたサリーが固く口を結ぶ。光は空気を飲み込んで蜷局を巻く炎蛇となり、巨人の顔を飲み込むほどにも大きく顎を開けて黒鉄の肌を舐め上げる。炎蛇は巨人を締め上げながら天井へ捕り付くボクらも巻きこんで広間いっぱいに広がり、そこは一瞬で赤黒い鉄鋼場の炉と化した。熱気が渦巻く上昇気流となって空間を掻き回す。ボクは必死に足場に張り付いた。巨人が溶け始めた剣を天井に向かって振り上げるが、炎蛇は見逃さない。鉄の飛沫を散らしながら剣は柄から折れ、柔らかくなった鉄の肉が炎蛇の締め上げで飴のように千切れていく。

 熱風に煽られてサリーの耳についた色とりどりの宝石が、怪しげなきらめきを湛えながら揺れていた。



 ✡



 サリーの耳には、両方で八つの穴が空いている。もちろん耳孔を除いて八つである。

 出立を夜明けに定めて、一行は残りの短い夜を休息に使うことに決めていた。


「……これで全部かな」

 目の前では、ベット脇に腰掛けたヒースが小さな化粧箱をいくつも取り出して、マットレスの上に中身をさらしていく。どれも金属製のピアスや髪留めで、多くが磨き上げられた宝石がついていた。

 出立前にオシャレをしようってんじゃない。

 ヒースは一つ一つを指差して、サリーに『効果』を説明していく。


「この橙色と水晶のやつは魔力増幅。こっちの水色の丸いのは精神統一系。この黒と赤と青の三つは、ぜんぶ魔除けだとか呪詛そらし。サリーは火の魔法が得意だから、このルビーと磁石とダイアモンドを使った髪留めがいいと思う。水晶とダイヤはなんにでも合うから、数に迷ったらその中から選べばいいよ」


 簡易ベッドの剥き出しのマットレスの上でも、ビロード張の化粧箱に収められた宝石の煌びやかさは損なわれない。サリーは気圧されたように、すでに耳にぶら下がっている菱形ひしがたの石をいじった。

「売り物だろ。いいのかよ」

「売り物じゃあないよ。このヒース・クロックフォードが、こんな時もあろうかとサリーに用意したやつだ」

「いや、でも、こんな高価そうなやつをおれが付けても……」

「こんなところで小市民の貧乏性を発揮しないでよ。デザインに留意しないなら、ほしい効果のやつを僕が見繕ってやるから」

 ヒースは笑って、いくつかの化粧箱の蓋を締めてひっこめた。『デザインに留意しないなら』とヒースは言ったが、その装飾も揃いのものだ。明らかに一式セットのあつらえであるのだが、サリーはそこに気づいているのかいないのか。

(もしかしてオーダーメイド? )

「ちゃんと天然石を加工してあるからね。どれも一級品だよ。ま、せんべつだと思って受け取ってよ」

 サリーは気まずそうに、三つ四つと指定をしていく。そのうち開き直ったのか、より詳しい効果を聞き出して吟味を重ねた。その様子は、あたかも剣を吟味する武器屋と戦士だ。


 交渉がノッてくると、ヒースは化粧箱のほかに、黒い小さなトランクと、そこに詰め込んだ水晶の小瓶も山ほど取り出した。香水瓶のようにも見えるが、手書きのラベルが貼られたそれらは、大量の魔法薬である。

 魔法薬といっても様々。服薬用のものもあるし、投げて爆弾代わりになるやつもある。


 便利になった現代、一般的に、魔法使いは必要最低限の技術しか体得しない。

 ガチガチに魔術を磨いて、しかも魔術で戦闘ができる人間というのは、特殊な職業の人か、でなければ鍛えるのが趣味の人に限られてしまう。

 『魔法戦士』がゴロゴロしていた時代は、半世紀も前に終わっている。そしてサリーは、時代錯誤の魔法戦士だった。

 『魔法戦士』の戦い方にも様々あるが、彼らの強みはとにかく『手数の多さ』だ。

 何もない所から火を取り出し、魔法の剣は刃こぼれ知らず。搦め手、罠、不意打ち、呪詛、幻覚。

 魔法での戦いは、あらゆる道具を駆使して勝つことを目的としている。

 体中に便利な道具を装備するのは当たり前。

 サリーの魔力をたくわえた長髪や、特別な宝石をぶら下げる耳に空いた八つの穴も、戦いに備えた日頃の準備である。


 魔法使いには『銀蛇』があるから剣も盾もいらないし、サリーには専属の魔人ボクがいる。

 だいたいの事態には対処できる手数はそろっていたが、問題になるのはサリー自身の体力と集中力だ。

 魔法を使うさいに必要になるそれらを総括して、魔術師たちは『魔力』と意義している。

 魔法は技術だ。手順と準備を間違えなければ、魔法は必ず作動する。もちろん『魔法を打ち消す魔法』もあるから絶対とは一概には言えないけれど、そうなってくると技術が優れたほうの魔法が発動するのが当たり前。

 万全の備えというには、きっと足りないだろう。でもサリーは、時代錯誤な魔法戦士で、今はそんな時代錯誤な『勇者』が必要な状況だった。


「……十日だ」

 ヒースは言う。

「十日以内に、かならずフェルヴィンに戻ってくる。それまで持ちこたえて」

「ああ。ついでに皇子たち見つけて待ってるよ」

「…………気を付けて」

 ヒースは苦笑いして、サリーと握手を交わした。



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