6-3 モニカ・アーレ



 モニカ・アーレは伏せていた顔を上げ、目の前に立つ女の背中を見上げた。


「あなたは……? 」

「通りすがりの魔女です。大きな地震でしたね。ご無事ですか? 」

 振り向いてそう言った顔は、にっこりと笑っている。


 丸い耳の後ろで長い黒髪を簡素に束ねた小さな頭には、くっきりとした切れ長の目と形のいい鼻口が綺麗な配置で収まっていた。横に立つと、モニカよりも頭ひとつ半も背が高い。手荷物もなく、まるで近所を散歩してきたような、長袖の白シャツと黒いズボン姿である。

 細身で引き締まった体つきや、化粧気のない顔は、少年を抜け出したばかりの青年にも、四十路を過ぎた女にも見え、それでいて不審な感じがしないのは、しぐさに品があって堂々としているからだろうか。


 自称魔女は、ぐるりとあたりを見渡した。

「ここは暗くて人通りも少ないようだ。お嬢さんは気を付けたほうがいい」


 『お嬢さん』なんて。

 いつもなら、(なんて気障なやつなんだ)と、腹の中が痒くなっているところだ。

 しかしモニカは、「はい。ご親切に、ありがとうございます」と自然にお礼を言うことができた。



 たしかに、夜の倉庫街は閑靜としており、人の気配がまるきり無かった。これではいくら治安がいいといっても、女の一人歩きは危ない。


(……あれ、でも、おかしくない? )

 倉庫のいくつかには、灯りと人の気配があったはずだ。それが、ぷっつりと途絶えている。

 時刻は深夜というには早いが、じゅうぶん床につく時刻ではある。しかし明日は、一年に一度の国をあげた祭の日なのである。

 言いようのない異常を、肌で感じていた。

 モニカの視線もうろうろと彷徨い、見知った人物の姿を探す。

 ヴェロニカ皇女の捜索に走った老兵士とは別に、モニカのほうについた若い兵士が、ほんの五歩後ろあたりにいたはずだ。その彼の姿が見当たらなかった。

 夜とはいっても、両脇に等間隔に建物が立ち、街灯が照らす広い道路は、街路樹もなく見通しが良い。あの真面目そうな兵士が、ひとり言葉も告げずに護衛対象の認識の外にまで離れるとは思わなかった。もしかしたら、どこかで頭でも打って動けなくなっているのかもしれない。



「……あの、わたしの連れを知りませ―――――あれ? 」

 モニカは、きょとんと無人の道路に立ち尽くした。




「―――――モニカ様! 」

「―――――ヒャッ!? 」

 肩に置かれた手の感触にモニカは肩を跳ね上げて驚いた。


「も、申し訳ありません」

「あ、あなた……。無事だったのね」

 若い兵士は頷く。

 見たところ怪我もない。彼は不思議そうに、モニカに尋ねた。



「あの……モニカさま。今しがたまで、どこにいらっしゃったんです? 」

「え? 」

「い、いえ、地震の手前で御姿が見えなくなったので」

「わたし、一歩も動いていませんでしたけど。いなくなったのは、確かにあなたのほうで……」

「え? 」

「そうだ、女性を見ませんでした? 束ねた黒髪で涼し気な面立ちの、フェルヴィン人ではない人」

「外国人の女性ですか? いいえ。自分は誰も」

「一見して女性には見えないかもしれません。こんな見通しのいいところ、見ていないはずが無いと思うんですけれど」

「いいえ。誓って、モニカさま以外の人影は見ておりません」

「……そう。ねえ、ほんとうにすぐそこにいたのよね? 」

「はい。目の前にいたはずなのに、モニカさまを見失ってしまって少々慌てましたが」


 嘘をついているようには見えなかった。

 互いに、小さな困惑と恐怖を抱えた顔をしている。

 モニカは、ふっと息を吐いて、微笑んでみせた。

「気にしないで。疲れてたのよ」


 しかしその微笑みは、次の瞬間凍り付く。

「……えっ……な、なにあれ。も、燃えてる? 」

「は? ……し、城が―――――っ! 」

 王城は不吉な篝火のように、煌々と闇にその姿をさらしていた。天を衝くほど立ち昇るその炎の色は、異様なまでの『青』。

 いやに冷たい夜風が吹いている。

 分厚い雲がいまにも落ちてきそうだった。







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