6-2 ヴェロニカ・アトラス


 ヴェロニカ・アトラス。三十二歳。フェルヴィン皇国皇帝レイバーン・アトラスの第二子にして長女。早くに母親を亡くした皇帝一家にとっては、母親代わりとなって弟たちを教育した偉大なる姉。


 そんな彼女は、そのすじにおいては、『世界同一論』で知られる地質学者クロシュカ・エラバント博士に見出されて師事し、唯一の助手、理論の後継者としても知られている稀代の才女でもある。


 ヴェロニカ・アトラスの名は、ともすれば皇太子グウィンよりも、歴史に刻まれることだろうと研究者たちは言う。

 世界的な大発見をした学者の唯一の弟子が、美しき土エルフの正統な皇女であるというは、伝説とるに足る魅力をもっていると人は言う。


 遠くない未来では、伝記として間違いなく人々の手に渡るのだ。ヴェロニカ・アトラスは、すでに歴史に名を刻むことを定められたヒロインの一人である。

 そんな彼女の語り部が、かの近代の英雄、前フェルヴィン皇帝であるジーン・アトラス付だったというのも、彼女の物語を彩る華のひとつである。


 24枚から為る語り部は、主人となる者と最も相性のいい一枚が自動的に選出される。

 ジーン皇帝の語り部、ダイアナは、ジーンの旅にも同行し、数々の冒険を記録した。そのジーンの没年よりたった二年ほどで、フェルヴィン王家には、ダイアナの主人に適した皇女が産まれたということになる。


 ヴェロニカ・アトラスは、神の血に連なる土エルフの姫君であり、王位継承権二位の資格持つ皇女であり、母性溢れる五兄弟の柱であり、新進気鋭の学者であり、武術の天才であり、そして何より、まぎれもなく―――――冒険者の魂を持つ者である。


 これを因縁といわず何という。

 ヴェロニカが街の路地で異国の魔法使いに出会ったのは、ジーン・アトラスが復活し、レイバーン・アトラスが『審判』の宣誓を行ったのと、ほぼ同時刻のことだった。



 ✡



 ずん、と石畳が縦に揺れた。たとえば、平らにならしたケーキの生地をオーブンに入れる前に台の上に叩きつけるのを、この大地そのもので行ったような、そういう揺れ方だった。

 余震は激しく、街角の人々が悲鳴を上げながらうずくまる。家屋の中からも声がほとばしった。露店のいくつもが横倒しになり、広がる被害の規模を目視できた。


 サリーの陰にひそんでいたボクは、おそらくその場で一番周囲を観察する余裕があった。坂の上の家屋の屋根よりもっと先、山の影を背にした城の窓の奥が、不自然な青い光に照らされている。それは窓から出て城全体を包みこみ、尖塔の先から細長く暗雲たちこめる空を刺し貫いた。

 見えない何かがうねりを上げ、城から波紋のようにやってくる。

 サリーはよろめいたヒースを抱え、うずくまっていた。その脇に、さきほどぶつかった金髪の大柄な女が、石畳を踏みしめて立っている。女の視線の先は、ボクと同じだった。

 ボクはサリーの陰から飛び出した。女の淡い蒼の瞳がボクを見て丸くなる。うずくまるサリーの前に立ち塞がるように透明な波の前に浮かんだボクは、両腕を前に突き出して吠えた。


「―――――――サリー!!!!! 」

「―――――――ジジ!!!!!! 」

 お互いを呼んだのはほぼ同時。サリーの伸ばした指先から伸びた杖先から金色の光がほとばしり、ボクの背に穿たれたのは、波がボクに触れるその寸前。


『かちり』。

 サリーが呼んだ名前をスイッチに、ボクの中の部品が噛み合って動き出す。闇を煮詰めたような黒い天幕が、円を描いてボクらの前に展開された。

 一拍もない沈黙。なだれ込むような衝撃。眼球の中心あたりで白い火花が散る。黒い障壁の裏に、ボクの瞳が黄色く不安定に瞬きながら映っていた。

 ―――――押し負ける!!!!

 そのとき、顔の左右から腕が伸ばされた。二つの細さの違う腕が、障壁を新たに支える。

 サリーは歯を食いしばり、ヒースは額に汗を浮かべてボクに頷いた。どちらも、魔力分には申し分ない魔法使いだ。

 呼吸すらやめていた。


 ボクらは、天幕に響く長い長い女の悲鳴で、ようやく呼吸を思い出した。


「ッダイアナ! 何があったの! ダイアナ! 」

 天幕の中に、人がもう一人増えている。金髪の女が抱き起しているのは、白髪を振り乱し、顔を腕で覆って悲鳴をあげる初老の女だった。黒い服を着た老女の指の隙間から、金色に輝く瞳が覗いている。

 金色に輝く瞳は魔人の証。

「魔人―――――」

 老女はボクの声を聞き届けたように、ぴたりと悲鳴を飲み込み、とボクを見た。

「―――――ヒィ……」

 老女の喉が引き攣れながら息を飲み、顔を覆っていた腕が滑り落ちる。黒いズボンに包まれた細い脚が石畳を蹴り、あらわれた顔は、ボクを見つめて恐怖と困惑に硬直していた。

 その表情にボクが思い当たったのは、ということだ。

 老女を助け起こす女もまた、老女ほどではないにしろ、ボクの顔を見つめて蒼白になっていた。女の唇が音も無く動く。

(―――――ミケ? )


 ボクがいぶかしんで口を開こうとしたとき、サリーがボクの肩ごしに伸ばしていた手を引っ込めた。慌てて前を向き、あたりが静かになっていることを十分に確認して障壁を閉じる。

「大丈夫ですか? 」

「……え、ええ。大事ありません」

 背後でサリーが女に話かける声が聴こえる。ヒースが労わるようにボクの肩を叩く。ボクはゆっくりと確かめるように石畳の上に足裏をつけた。


 ―――――はたして、あたりは変貌していた。


 街並みじたいには変化がない。変貌しているのは、無辜の人々だ。

「な……っ、なんだ、これは……! 」

「『最後の審判デウス・エクスマキナ』第一の試練……『石の呪い』だ」

 ヒースがたじろぐほど静かに言った。


 それはまるで、黒鉄でできた彫像のようだった。

 恐怖におののく表情も、はりつめ、あるいは弛緩した筋肉や、服の布の質感もそのままに、人々は最初からそうであったかのように、精巧な彫像になって石畳の上にうずくまっている。


 転んだ少女の像を持ち上げ、娘へ手を伸ばす母親らしき人のかたわらに安置させながら、ヒースは淡々と続けた。


「三千五百年の執行猶予は終わった。人類選定の『審判』が始まったんだ。


 二十二人の選ばれしものが最上層を目指さなければならない」



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