5-3 ジジ
「サリー、ご飯のお礼にいいもんあげる」
「はあ? なんだ? 虫とかじゃねーだろうな」
ボクは鼻で笑って、差し出された手のひらに、眼鏡ケースを置いた。
「あっ! おまえこれ! 」
「ヒースから奪還したの」
「失礼な。預ってただけさ。どうしたって必要でしょう? 」
ヒースは食後のお茶を置き、唇を尖らせた。サリーはわなわな震えていたが、眼鏡の魔力には抗えないのか、大人しくそれをかける。
「……うーん。相変わらず、見慣れているのに似合わない眼鏡だ」
ヒースが腰に顎に手をあてて唸った。
「わかる」
ボクはすかさず両手の人差し指を向けて同意した。
サリーの眼鏡は、レトロな丸眼鏡だ。真鍮の細いつるがついていて、ブリッジが凝ったかたちに曲がってレンズを繋げている。ヒースが端的に、サリーの眼鏡を酷評した。
「サリーは目元が強いからさ、そんな丸いお爺ちゃんくさい眼鏡かけちゃうと、童顔ばっかりが強調されてダサい感じになるんだよな」
「わかる」
ボクは大きく頷いた。
「ンなこと言っても、これしか持ってねえもんよ」
「節約してるの? でもそれって正直ないよ。きみのお父さんはわりとオシャレなのに」
「そうか? 」
「うん。都会的な若ダンナってかんじ。サリーはね、服にもその眼鏡があってないんだと思う」
「……そうかぁ? 」
「うん。服はいつも流行りの無難なかんじなのに、眼鏡と髪型だけ半世紀前の人みたいだもん。長髪は仕方ないにしてもさ、眼鏡は変えなよ。悪目立ちするよぉ」
「わかる」
「ジジおまえ『わかる』しか言えねえのかよ」
「ぜんぶヒースが言ってくれたもん。ボクはいまヒースと握手したい」
「……しよう」
ボクとヒースはがっちりと両手で握手した。サリーはそれを呆れたようすで見ている。
ヒースはおもむろに、深く大きく頷いて、唐突に言った。
「そうだ! 買いに行こう! 」
「は? まさか今から? 」
黄昏の国フェルヴィン皇国は、おどろおどろしい逸話に反し、女は姦しく、小売人は声を張り上げ、通行人の顔も明るい街だった。慣れた街と変わらない光景に、ボクとサリーは少しだけ安心する。
平和な国だと思う。こんな時間に若い女が出歩いてもいい国は珍しい。
昼でも薄暗いこの国では、軒に下がった透かし彫りが美しい涙滴型のランタンが優しいオレンジ色で街中を照らしているが、夜になると、どの扉の前にも、円柱型で、中でゆっくりと人形の影が回る影絵の灯篭が加えられ、さながらおとぎ話の都のようだった。
盆地に沿って街が出来上がっているので、屋根が高い家屋は少なく、どこからでも山肌に取りついた王城の、蝋燭のような尖塔が見えるというのも絵画のように美しいと思う。
ボクらはなだらかな坂になった石畳の道をゆっくりと、露店をひやかしながら歩いて行った。
「なんだか街の人たち楽しそうだね」
ボクの素朴な疑問に、ヒースが答えた。
「明日が、この国の新年にあたる冬至の日でね、祭の日でもあるんだよ。ここらへんは外国人も多い商業区でしょ。ここから逆側、南西にある広場から王城に続くメインストリートでパレードがあるんだ」
「へえ……」
サリーは小さくこぼして、遠い目で街並みを見つめている。
食事の時は
「……サリー。預言案件ってなに? ときどきアイリーンさんと話してるよね」
「それは僕も聞いてみたいな。母さん、人を選んで肝心なことを言わないから」
サリーは鼻の奥でため息を吐き、間をおいて話し始めた。丸眼鏡の表面で、金色の街灯りが踊っている。
「……『レイバーン王は、末の息子の死を見届ける』。むかし師匠が、フェルヴィンで詠んだ預言だ。皇子は十五歳までに死ぬらしい」
「……なるほど? それで、その末の皇子がもうすぐ十五歳ってわけ? 」
「そうだ」
「『影の王』の預言だものね。……でも、それだけじゃあないんでしょう」
「ヒース。おまえが師匠からどこまで知らされてるか、おれは知らん。……おれは、おれが生きているうちに、『最後の審判』が起きるって、昔っから言われてるだけだ」
喧騒の中、ボクたちの会話を聞いているひとはいなかった。
ヒースが真顔になる。サリーは冗談を言っているふうでもなく、淡々と続けた。
「おれも預言に詠まれてるんだ。『三つの王の血を束ねる息子、最後の審判を見届ける』ってな。貴族院はおれの生誕を基準にして、いつ『審判』が起きるのかを計ってるってさ。『三つの王の血を束ねる』ったって、そんなんおれくらいしかいないだろ」
サリーはちょっと笑って言った。
サリー――――サリヴァン・ライトの出生は複雑だ。サリーは五歳から裕福な屋敷を離れ、王都アリスで、杖職人見習の奉公人として育てられてきた。
魔法使いの国には二人の王がいる。政治と人道を司る『陽の王』と、魔術と神秘を司る『影の王』と。
影の王は不老不死の偉大な預言者だ。かの
――――すべては預言の子を守るために。
「ヒース、おまえ知ってたんだろ」
「……うん。ごめんね」
「なーんで謝るんだよ。知ってくれてたほうがいい。おれはよぉ……。おれは……自分が望まれて生まれて来た人間だって思ってる。親父たちにも大っぴらには会えねえし、妹と話したこともない。でも、大切に想われてんのは知ってる」
「うん」
「……師匠はたまに頭おかしいけど、おれをたぶん大切にしてくれてる」
「……うん。たぶんね」
「そこはハッキリ『たぶんじゃないよ』って言えよ。……でさぁ、おれは、自分ができることをするだけなんだ。結果的にどこまでやれんのかってのは、わかんねえけど」
「うん……」
「……でも、今はちょっと不安になってる。自分が、どこまでやれんのか……もしかしたら明日始まンのかもしれねえし、十年後かもしれねえ。それとも爺さんになってからかも。そんな御大層な運命、ほんとにおれにあるのかよ、出来んのかって。……少しだけな」
「………」
ヒースは足を止めた。
「……なあ、エ―――――」サリーがそれを振り返り、何かを言いかけた、そのとき。
どんっ
「きゃあっ」
サリーが立ち止まったのは、ちょうど路地へと続く建物の間だった。そこから勢いよく飛び出してきた女性が、サリーの右半身に派手にぶつかったのだ。
フェルヴィン人は大柄である。女性でも170センチ台は小柄なくらいだ。
その金髪の女性は、とくに長身のようだった。サリーは軽く往来の幅を半分くらい吹っ飛び、なんとか無様に頭を下にして転がりはしなかったようだ。
「す、すみませんっ! お怪我は……?」
女性のきらきらとした水色の瞳は、涙で少し潤んでいた。
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