5-2 ジジ

 

 ボクとサリーがようよう麓へとたどり着き、通りがかりの優しいおっちゃんの車に乗せてもらい、二時間半かけて城下町に辿り着いてから、愛しのケトー号といまみえる長い長い苦労をしていたことは、つまらないので描写しないでおこう。



 近代の学者たちは、ボクらの住むこの世界全体をこう呼称した。

『多重海層世界』。

 この世界は球体ではない。例えるなら、数珠つなぎに連なる、長い長い砂時計だ。

 空と、大地と、海の下にさらに空があり、大地があり、海がある。

『多重海層世界』とは、そんなミルフィーユ構造の世界を、端的に表した学術的呼称である。

 伝説では、第1海層マクルトの空の果てには神々の住まう雲の宮殿があるという。

 反対に、最下層の第20海層フェルヴィンの海の底には、果ての無い死者の国が広がっているのだとか……。


 神話では、かつてこの世界は丸くて、ひとつの海にあって繁栄したと謂われているけれど、科学の進歩により、それは証明されている。この『多重海層世界』は古代、確かに何らかの大きな力で、第1海層から、このフェルヴィンの在る第20海層までの、二十の世界に切り分けられたのだ。


 ボクらにとって『海外』とは、おおよそこの『雲海層』を隔てた向こう側、雲海を抜けた先にある国のことをいう。



 そこで人類は、「海外」を行き来して、旅行をしたり貿易をしたり、時には戦争をしたりするために、『飛鯨船』というものを創り出した。

『飛鯨船』とは、正式名称を『潜水対応型飛空艇』であり、『飛鯨船』という呼び名は、空に浮かんだ様子が羽の生えた鯨のようなところから付けられた愛称のようなものだ。機能は簡単。潜水艦と飛空艇のハイブリット。滑走路を必要としない特殊なガスによる浮遊、魔術による耐久性と機械による駆動性を設計され、優雅に水空を泳ぎ回るステキな鯨さんである。


 ボクらの安住の地『魔法使いの国』は第18海層。

 前述の通り、このフェルヴィンのある第20海層との間には、魔の海第19海層が横たわっている。飛鯨船――――それも、大型とまではいかずとも、中型程度のつくりの船が望ましい。


 そこで、ヒース・E・クロックフォードである。


 飛鯨船は、どんな小型でも6mはある。そして飛鯨船があつまるということは、外国人が多く出入りするということだから、自然と場所は限られた。

 頑強なつくりの箱のような倉庫が並ぶ貿易地区と呼ばれる場所は、海沿いから少し入った首都ミルバーン西の郊外にあった。


 倉庫には簡単なキッチンとお湯が使える設備があり、少し覗いたところ、二段ベットが二つほど押し込められた部屋も併設されていた。仕事で滞在する短期間なら、じゅうぶんな設備だ。




 ヒースはサリヴァンの二つ年上の幼馴染であり、彼が奉公している杖専門店『銀蛇』の店主、アイリーンの一粒種である。

 濃い睫毛に縁どられた紺色の瞳、薔薇色の頬と唇を母親譲りのサラサラの黒髪が覆っている。

 男女の垣根を軽く超える美貌の持ち主だが、長旅の無精で伸びきった前髪が頬のあたりまで届いているので、その綺麗な顔立ちの三分の一は隠れている。むしろ、隠しきれていない。

 機械油の染みた作業着の片袖を脱いだ腕は、真っ白なきめの細かい肌をしていたけれど、顔に似合わずたくましかった。


 給湯室の粗末な椅子に座ったサリーから、立ったまま黙って事情を聴いていたヒースは、おもむろに腰に手をあてると、心底呆れた顔をしてサリヴァンを見下ろし、一言感想を述べた。



「……バッカじゃないの? 」

 幼馴染の端的な評価は、未だにスタミナが回復しないサリヴァンには、心外極まりないものだったようだ。重い体を起こすや、身振り手振りで『自分たちがいかに苦労して脚一つでここに辿り着いたか』というプレゼンを始める。



「はいはいはい。わかってるわかってる」

 幼馴染の気安さで軽くあしらって、ヒースは長い脚を持て余すように、ごついブーツのかかとで床を叩いた。


「……それで? 僕に訊きたいことでもあるんでしょう」

 ヒースは長い前髪の間から瞳を妖し気に煌めかせ、いたずらっぽく唇を持ち上げた。スンッとサリーが静かになる。


「それだよ……ヒース、おまえ、師匠の指示で動いてるんだろう? 」

「うん。まーね。母さんの指示があってこの国に来たのは間違いない。あ、でも、きみを連れて来たのは僕の船じゃないよ。そもそも母さんの命令じゃなきゃあ、こんな辺境、僕みたいな単独航海士には荷が重すぎるもの。途中までは僕のケトー号を知り合いの大型飛鯨船に乗せてもらってここまできたんだ。魔の海の航海にはどんなに急いでも五日以上はかかるからね。操縦席に座るのが僕だけじゃあ眠れないし」

「役目はおれの回収だろ? いつ帰る? 」

「うーん。それが、一概にもそうとは言えないんだよねぇ」

「……なんだと? 」

「今夜……今夜だよ。母さんの預言だと、今夜にも事が起こるらしい。ちゃんと間に合うように頑張ったんだから。何が起こるのか僕は教えられてないんだけど、サリーなら分かるんじゃあない? 」


 じっと、サリーは幼馴染の顔を見る。

「……預言案件ってことか」

 サリーはそれっきり、考え込んでしまった。




 時刻はすっかり夜になっていた。

 薄っすらと冷たい霧が漂う石造りの都は、堅牢で実用的なつくりだ。しかし鉱山と鍛冶の街というだけあって、民家であっても窓枠やドアに施された様々な細工が目に楽しい。とくにサリヴァンは同じ金属を扱う職人という一面もあって、この『ケトー号』が収められた格納庫に辿り着く道中でも、実に興味深そうにしていた。

 そもそもこの街全体が、『銀蛇』の地下にある工房の雰囲気によく似ているのだった。


「あ、そういえば、きみからこれをサリーに渡しといてくれない? 」


 ヒースは真っ黒な地に魔除けの大きな瞳が描かれた愛機の脇腹に背中を預け、ボクに細長い皮張りのケースを手渡してきた。ヒースはそのまま、整備用の工具を手の中で弄びながら腕を組む。


「きみが持ってたの? 」

 ボクはヒースの人柄が以前からかなり気に入っている。苦笑して肩をすくめた。


 ボクも見慣れたそれは、サリーの眼鏡の入ったケースだ。燃え盛る炉を見つめ続ける職人は、その多くが瞳をやられるのだそうだ。サリヴァンの視力の悪さは、彼がいっぱしの杖職人である数少ない証である。



「……サリーが訊かないからボクが訊くけど、いくつかおかしいことがあるんだよね」

 口火を切ったボクを、真顔のヒースが見つめた。


「第19海層を突破するのに五日かかるって言ってたけど、ボクとサリーにはそのあいだの記憶がない。ボクはまだしも、サリーは普通、五日も飲まず食わずだったら体調になんの変化も無いのもおかしい」

「うん。そうだね」

「さっき街で日付も確認した。サリーは確かに、

「………」

「手段にはもう突っ込まないけど、サリーを連れて来たのが誰かはわかる。アイリーンさんだね? 」

「さあ。現場にいなかったから、なんとも言えないかな。なんせそのころの、魔の海の中だったもの」


 ヒースはにっこりとして、続けた。

「ジジ、きみが気に食わないのは、自分にもここに来るまでの記憶が無いからだろ? 」


「そうだよ。分かってるんじゃないか」

 ヒースのこういう話が早い所が嫌いじゃない。ボクは腕を組んで、ヒースの目線まで浮かんだ。



「ボクの機嫌が悪いのは、アイリーンさんが弟子のサリーだけじゃなくてボクまで騙したってとこだ。ボクはサリーの魔人まほう。ボクはサリーに何かあったときの最後の抑えであるべきだ。こればかりは師匠のアイリーンさんにも、キミにも譲ることはできない。主人を守るのは魔人の存在意義に関わってくるものだからね」

「驚いたな。ジジはサリヴァンのこと、主って認めてるんだ」

「茶化さないでよ。ボクとサリーが魔人と魔法使いである以上、契約上はそういう関係でないといけないってだけ。サリーの魔人であるボクが、アイリーンさんとアナタを信頼しているのは、アナタたち親子がサリーを絶対に殺したりしない人だからだ。その大前提があるってこと、忘れないでほしいな」

「勘違いするようなことは慎めってことね。オッケー」

「キミたちの関係を侮辱するつもりはないよ。でもボクは、アナタたちを二年しか知らない。……アイリーンさんにとって、サリーがどういう存在なのか、どうしたいのかも、ボクはまだ知らないんだ。弟子として大切にしているのか。それとも……大事に大事に育てて、最後は収穫するようななのか。たまに疑いたくなる」

「ふふ。そういうきみだから、母さんもサリーの傍にいることを許したんだろうね。きみは予想以上にサリーを大事にしてくれているみたいだ」

「やめろよ気色悪い。まだたった二年の付き合いだ」

「魔人にとっての二年と、人間にとっての二年は違うよ。サリーもきみを大切にしてるんだね」

「何話してるんだ? 」



 ケトー号の陰から、サリーが顔を出した。

「飯できたぞ。二人とも食べるだろ? 」

「やったぁ。サリーの料理久しぶり。もうお腹ぺこぺこだよ」

「大げさな。ジジも食うだろ? 」

「うん」

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