第二節【少年は冒険に出るか? 】

5-1 ジジ

「あ~あ……魔法使いの国行きの飛鯨船がサァ、そこらへんの丘で低空飛行してねえかなぁ」

「そんな都合のいいことあるわけないじゃん」

「チッ! わかってるってぇの」


 サリーはごちて、頭の後ろで腕を組んだ。



 『黄昏の国』の異名をとる通り、このフェルヴィンという小島国は、常に分厚い雲がかかっている。

 渦を巻く黒雲は、雲を突くゲルヴァン火山のてっぺんから湧きだしてきているようにも思えた。

 束ねた雲の隙間から漏れる僅かな陽光で、ようやく今が昼間と言える時間だと分かる。草木は日にあたらないから淡い黄色や灰色をしていて、永遠の黄昏に輝くようだ。


 そんな丘陵の先に立ち、サリヴァン・ライトは憂鬱を隠そうともせず、眼を細めて眼下の風景を見下ろしていた。頭の後ろで束ねた暗い赤毛の先は、色が抜けて金色に光っている。

 長い髪は魔法を使う時に有利に働くことがあるというので、サリーの髪は腰よりも長い。



「山火事になったら寝覚めが悪いだろ」と、サリーは爆発した倉庫の火を鎮火させたので、表情はこころなしグッタリとしている。

 頭頂が煤を孕んで、うっすら黒ずんでいた。



「あんな大きな魔法を使うから……」

「仕方ねえだろ。大きな火に水は危ない。火を窒息させたほうがいいって言ったのはお前だろうが」

「言ったけどできるとは思ってなかったんだ」

「ま、おまえが思ってるより、おれは優秀な魔法使いってことですよ? 」


 にやにやして、サリーは胸を張る。

 サリーは大きくて派手な魔法が得意だが、こうしたことでも無いと本領発揮できないので嬉しいのだろう。逆にボクは、失せもの探しだとかだまし討ちだとかが得意である。ふつう逆だろって、ボクもサリーも思っているし、よく言われている。



「……あれが帝都だろ?」

 サリーが火山の裾にある街の灯りを指差して言った。立地的におそらく間違いない。


「くそ田舎だなァ。わかってたけど」

「きみの実家もたいがいじゃない」

「うちは北西端の農地で首都じゃないし」

「魔法使いの国は下層最大の先進国なんだから、比べるほうがおかしい。ほら、海岸線にシマシマの旗が立ってる。飛鯨船ひげいせんへの目印だ。べつに船がこないわけじゃない。それにフェルヴィンもこの三十年くらいで、かなり豊かになってるってきくし」

「来たことあるのか? 」

「まさか。第十九海層を抜けるなんてまね、用もないのにすると思う? 」


 顔をしかめたボクにサリーは小さく笑った。




 最下層フェルヴィン―――――第二十海層は、半世紀くらい前までは、『五百年遅れた国』と呼ばれていた。六百年、国交を閉ざしていた第十八海層の魔法使いの国が、いまや『下層最大の先進国』なのと対照的に。

 その原因のひとつが、我が国とこの国の間にある『第十九海層』……通称『魔の海』だ。

 この海層には。いわば果てしなく広い縦穴である。海層を渡る唯一の移動手段である飛鯨船ひげいせんだが、小型の船では燃料だけで積み荷が埋まってしまうし、大型の船では人件費がかかる。

 魔法使いの国が『自主的な鎖国』なら、フェルヴィン皇国が置かれていた状況は、鎖国っていうより『孤立』だ。原初の魔女は、そこを狙って罪人たちとこの国に落ちのびたのだろう。現に、フェルヴィン皇国だけは三回あった世界大戦にも一度も火の粉を被っていない。


「それにしても、おまえ、よく海岸なんて見えるな。俺には全部真っ黒だ。おまえそんなに目がよかったっけ? 」

「ボクは暗いほうがよく見えるの」

「箒も無いしなぁ。どうするかねぇ」


 ボクらは山を降りることにした。

 街は見えているし、土地柄か、梢で空が見えなくなるほど大きな木は生えていない。移動手段はサリーが徒歩で、ボクはその右わきを糸で引かれる風船みたいについていく。

 体内時計ではおそらく昼を少し過ぎたくらいだと思う。倉庫を脱出したのは朝方だったのだろう。

 飼い葉のある倉庫があるのだから、家の一軒でもあるかと思ったけれど、そんなことはなかった。サリーのスタミナは折紙付きだし、夜になる前に移動して人家なり探したほうが確実に良い。



 もくもくと歩き続けて数時間。


 風向きが変わったのが肌で分かった。

 風を切るプロペラの、地響きに似た駆動音。背後から近づく存在感。


「ウワーッ」ボクらは揃って間抜けな悲鳴を上げながら草の中に顔を突っ込む。ボクらの頭があった高さを蛇腹状の鯨の底が掠めていき、その小型飛鯨船は、丘の草の先を削り取るように低空飛行しながら崖を飛び出して再び天空へと泳ぎだした。


 名前の通りに、鯨によく似たシルエットの尻尾を呆然と見送るボクの後頭部を、サリーの平手が襲う。「ちょっと! 」サリーは抗議するボクの頭を右手でリズミカルに叩きながら、興奮した様子で去っていく飛鯨船を左手で指差し、叫んだ。



「飛鯨船だ! 」

「そうだね。飛鯨船だね。キミは預言者だった」

「エリ――――いや、ヒース! 」

「え? は? 荒地ヒース? ……いや、あれはどう見ても飛鯨船だった。間違いないね」

「違う! ちっが~う! 気づかねえのか! ヒースだよ! ヒース・クロックフォード! 飛鯨船の航海士の!」


 サリヴァンの両手がボクの肩をがっしりと掴み、ブンブン前後に揺さぶった。ボクの頭はブラブラ揺れる。脳細胞が遠心力でプチプチ潰れそうだった。

 真っ黒な空に消えていった船の影を指差して、サリーは興奮して叫んだ。


「――――あれは! ヒースが乗ってる『ケトー号』だよ! 」

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