87.裏切りの真実

「――シグ」


 声がかかると、その声にシグは振り返った。

 彼の視線の先では、目を起こした様子のサージェが、横たわったままこちらを見つめていた。

 それを見て、シグは薄ら微笑む。


「起きたか。もう少し、寝ててもいいらしいぞ」

「?」

「さっき、エヴィーにしばらく休ませるように指示されてな。お前、ここ最近ほとんど寝ずに働き詰めていたそうじゃないか」


 言いながら、シグは思わず微苦笑を浮かべる。


「不眠不休で働いて、倒れるとはなんてことですか。時に休んで体調を整えるのも仕事です――ってエヴィーが言ってた」

「・・・・・・ふふっ。ちょっと似てる」


 少し声真似をしたシグに、サージェは笑う。

 よく特徴を捉えている口ぶりが可笑しく思える。

 が、それから彼女はあることを思い出し、笑みを消した。

 口ぶりからある程度予想はついていたが、ここにはどうやら今、シグと自分しかいないようだ。

 切り出すならば、今しかなかった。


「ねぇ、シグ」

「ん? どうした?」

「訊きたいことがあるの。聞いてくれる?」

「?」


 やや、言葉に矛盾があることに疑問符を浮かべながら、しかしシグは耳を傾ける。

 その反応を見て、サージェは切り出す。


「さっき、夢を見たんだ。昔の夢を」

「へぇ・・・・・・なんの?」

「昔、私がお父さんに殴られた翌日に、シグと話した夢。シグが怒ってくれて、それで私を元気づけてくれたことがあった日のこと」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「その翌日に、シグは練想術士になるのをやめるって言って、いなくなったんだよね。ずっと、その日のこと忘れていたの。それで、なんとなく今分かっちゃった」


 切なく、笑いながらサージェは言った。

 それを見て、シグは視線を外す。


「シグ、練想術士やめたのって、ひょっとして私のため、だよね?」

「違う」

「え・・・・・・いや、それは、嘘だよね。嘘じゃないなら、こっち見ていうはずだもん」


 視線を合わせようとしないシグを見て、彼がそういう時はどんな風であるかを思い出し、サージェは判断し、続ける。


「私が怒られて殴られて、その理由が自分のせいだと思って、練想術から身を退いたんだよね? 私が、自分と比べられて、ひどい目に遭わないように。私を、暴力から暴言から守るために。違う?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 はっきりと、手短く、自分が練想術を辞めた理由を推理され、シグは黙る。

 それから、両者の間には沈黙が流れる。

 黙るシグに、じっと待つサージェ。

 やがて、シグはおずおずと口を開く。


「お前、いつも俺と比べられていただろ」


 その、暗に是という回答に、サージェは目を軽く開く。

 シグは続けた。


「俺は、たまたま出来るだけで、しかしそういうことに限って、お前はよく失敗した。それで、陰口たたいている奴がいたの、知っているか?」

「うん。知っている」

「シグは出来るのに、サージェは出来ない――そんな陰口をたたく奴が、それなりにいた。幸い、そういう奴は不思議と今こそいなくなったがな。ちょっといい気味だ」


 薄く、少し陰湿な笑いを浮かべた後、すぐにそれを消して話を続ける。


「そういう陰口は、少しはいい。俺は別にお前に負ける気は無かったが、お前が追い抜いてくれても別にいいと思っていた。けど、大人はそうじゃなかった。お前が、俺たちの間で一番であることを強要した。それで、お前の父は手を出すことまでしていた」


 言って、シグは少し言葉に迷う。

 が、すぐに決心したように話を続けた。


「俺がいたら、サージェは一番の練想術士になれないかもしれない――とまで思ったわけじゃない。けど、俺がいるせいで、お前は周りの期待に、一番でいなければという期待に応えられないかもしれない。そう思っていたんだ」

「思っていたって、その日の前から?」

「あぁ。それが、あの日確信に変わったんだ」


 そう言うと、シグは顔を完全にサージェから外して、外へ向ける。


「お前は、練想術士宗家プロフェソル家の直系だ。だから自然と、そういう期待も背負っていたんだろう。けど、俺の存在が、そんなお前を一番でいてほしいという周りの期待から裏切ることになるかもしれなかった。現に、その時点では、周りは期待を裏切っていると判断していた」


 言いながら、彼は少しだけ苛立たしげに、語気を荒立たせる。


「それが、気にくわなかったんだよ。そんな周りの勝手な目が。お前が頑張っていたことは、俺も知っていたのに。けど、同時に俺がいたら、もっとひどい目に遭うじゃないかって思ったんだ。嫌みを言われたり、殴られたりして、それでいつか、もっと傷つくことが起きるんじゃないかって」

「・・・・・・だから、辞めたんだね。練想術士になることを」


 語られた真相に、サージェは様々なことを理解した。

 今まで、彼がどうしてそれを秘匿にし続け、だまり続けていたかも分かった。

 単純な理由だ。

 それを知れば、自分がまた傷つくのを知っていたからである。

 サージェは優しい少女だ。そんな彼女が、自分のために、シグが練想術を辞めたと知れば、却って彼女自身が傷つくことになる。だから、シグは自分勝手な理由で辞めたように思わせることで、サージェが傷つかないようにしていたのである。

 今ようやく分かった真実に、サージェは身を起こしながら、切なげに微笑む。


「・・・・・・ありがとう、シグ。シグは、私の事を思ってくれていたんだね」

「いや・・・・・・そういうわけじゃ」

「ごまかさなくてもいいよ。でも、ごめん。私、そんなことも知らずに、シグを傷つけ続けたんだね」


 思い出したのは、夢からの記憶だけではない。

 これまで彼にしてきた、主に練想術士たちがシグにしてきた仕打ちの数々だ。


「皆、シグを勝手な理由で辞めた、練想術士の裏切り者だって、そう決めつけてひどく当たっていた。原因は、私なのに。私のために、辞めただけなのに。辛い思いをさせて、本当にごめん」

「気にするな。自業自得だ。俺が勝手にしたことだ」


 頭を下げるサージェに、シグは自嘲的な笑みを浮かべて言った。


「それに、俺はこのことを言えなかったのには、また違う理由がある」

「・・・・・・なに、それは?」

「いや・・・・・・。お前、怒るだろ。こんなこと知ったら」


 少し、迷いながらもシグはそんなことを言ってきた。

 それに対し、サージェは少しだけ目を瞬かせてから、クスリと笑う。

 そしてその笑みのあと、突然表情をむっとしたものに変えた。


「うん。怒るよ! 馬鹿にしているでしょ、私のこと」


 そう言って、頬を膨らませるような勢いで、シグをじっと睨み据える。


「自分がいたら私が一番になれないなんて思っていたなんて、本当にむかっとする! どれだけ私を下に見ていたの!」

「あぁ。自分でもそう思う」

「私はシグに追いつけると思っていたのに、シグは私じゃ無理だなんて思っていたみたいで、本当に腹が立つ!」

「うん。だから、言えなかったんだよ・・・・・・」


 苦い顔で、強ばった笑みを浮かべながら、シグは告白する。


「お前のため、というのは言い訳だ。そういう名目をして、俺はお前を馬鹿にしていたと思った。だから、許されると思っていなかったし、許されようとも思っていなかった」

「・・・・・・でも、ちょっとそれは嘘でしょ」


 シグの言葉に、サージェはじっと視線を注ぐ。

 そこには、猜疑がありつつも、妙に確信があった。


「本当は、許されないでいいから、ばれないで欲しいと思っていたでしょう?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「だって、それが知られたら、私が傷つくだろうから。そうなるくらいなら、自分が傷ついている方が良いって、そう思っていたでしょう」


 言われ、シグは黙り込む。図星であった。


「分かるよ。だって、シグは優しいから」


 そう言って、サージェは微笑んだ。


「自分より、他人を大事にする人間だから。嫌われることを分かって言えて、それでも他人より、自分が傷つくのを優先してしまうほど、お人好しなのも、分かっているから。けどさ――」


 笑みを薄め、真面目な顔になりながら、サージェは言う。

 心の底から、真情を告げる。


「お願いだから、もう、私を置いていかないでよ。私は、自分の力できっと自分の夢を叶えるから。だから、どこか遠くにいってしまわないでよ。私が夢を叶える姿を、一番に見て欲しいのは・・・・・・やっぱりシグだから」

「・・・・・・そうか」


 横顔を向けたままのシグは、小さく顎を引く。

 その顔は、重荷が取れたようで、少しだけ清々しい。

 が、やがて彼はふっと微笑みと、ほんの少し意地悪い顔をしながら、横目を向けてくる。


「分かった。けどさ、今の台詞アレだな」

「? アレって?」

「なんだか、下手くそなプロポーズみたいだな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っう!」


 沈黙の後、サージェはシグの言葉から自分の発言を思い出し、顔を真っ赤にする。

 そして慌てて、否定する。


「ちちちちち、違うよ! 違う違う違う! そんなんじゃないから!」

「うん、知っている。お前にそんな感情ないもんな」

「あ、当たり前だよ! シグのことなんて、これっぽっちも、ちっともそんな対象には思ってないんだから!」

「ははは。だろうな」


 聞きようによってはひどいサージェの言葉に、しかしシグは気にした様子なく笑う。どうやら彼は、サージェをそんな風には全く意識していないらしい。

 それが、サージェにはちょっぴり悔しい。

 そんなことを思う彼女の気など知らず、シグは言う。


「まぁ、アレだ。安心していろ。俺は、お前の前を勝手に進んでいるさ。だから、お前も勝手に後ろをついて来たらいいさ」

「ば、馬鹿にしているでしょう、それ! 私じゃ追いつけないみたいな言い方して!」

「え、追いつけるのか?」

「追いつけるもん! それで、追い越してやるもん! シグがどんな人間になったとしても、私の方が偉くなって、有名になって、一番だって言われる人間になってやるもん!」

「無理だろ」

「無理じゃない!」


 むぅっと頬を膨らましながら、サージェはシグを睨む。

 そんな彼女を、シグは心の底から、楽しげに笑う。

 なんだかんだで、二人にはこのような関係がしっくりくる。

 シグが前を進み、サージェが追いかける。

 そして時折足を止めて振り返り、並び立ったサージェをからかって、それからまたシグが前を行く。そんな彼を、サージェが追いかける。

 長い間、失われた関係を取り戻したことは、二人の間に横たわっていた蟠りを解いたに等しいことでもあった。

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