明かされる騎士の真実――――――――――――――――――――――――――

86.夢の記憶

「あー! 忙し~い!!」


 怒号のように、あるいは悲鳴のような呻きが、工房に響き渡る。

 そう声を上げたのは、設計図と向き合っているスネールだ。

 ただ、その声は彼女個人と言うより、今働いている練想術士全体の心の声を代弁するものでもあった。

 その証拠か、彼女の呻きをたしなめる者は一人としていない。彼らは各自で動き回り、職務に励み続けている。

 見習いの子供たちも動員しての作業は、煩雑で困難を極めている。


「くそぅ! この設計図難しすぎるよ! 誰よこんな難しい設計図考えたのは! しばき倒した~い!!」

「私ですが、なにか」


 思わずスネールが叫ぶ中、その声に応じてスネールの背後に立ったのはエヴィエニスだった。

 彼女の到来とその発言に、忙しくて動き回っていた練想術士たちも思わず手を止め、視線を集める。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「わ、分かりやすい設計図で助かっています!」

「そうですか。それはよかったです」


 慌てて取り繕うスネールに、エヴィエニスはにっこりと笑う。

 その笑みが、本当のものかそれとも表面だけのものかについて、スネールと周囲は震え上がる。

 当然ながら、氷のごとき冷たさのエヴィエニスを怒らせれば、やばい。

 ただ、幸いにも、彼女はそれほど怒ってはいない様子だった。


「それはそれとして、誰か、機材の運び入れを騎士の方に頼んできて欲しいのですが。誰か、手が空いた方はいませんか?」


 エヴィエニスは、注目が集まっているのをこれ幸いと、周囲に尋ねる。

 が、視線を集めている者のほとんどは、作業の最中だった。皆、それぞれに仕事が割り振られている。


「あっ、私が行くよ、師匠。書類見せてください」


 そんな中で、立ち上がって来たのはサージェだった。

 彼女はエヴィエニスに近寄ると、彼女から書類を受け取る。

 その際、エヴィエニスは眉を顰めた。


「サージェ? 疲れているのではないですか?」

「え? なんで?」

「そういう顔をしているからです。少し、休んだ方がいいのでは?」

「大丈夫です。じゃあ、行ってきます」


 師からの心配を他所に、サージェは小走りに役目を果たすべく動き出す。

 その背に、エヴィエニスは「あまり急がなくてもよいですから」と声をかけた。


 騎士の駐屯所へと向かったサージェだが、彼女はそこへ着く前に、たまたまシグと遭遇した。


「あ、シグ――さん」


 声をかけると、シグもそれに気づいた様子で、足を止めて振りかえる。

 彼は訓練の帰りだったのか、タオルで汗を拭っていたが、サージェに気づくと佇まいを正した。


「あ。失礼、どうかしました?」


 シグは、サージェに対してそう尋ねる。

 公の場であるからか、一応は敬語であった。

 それを気にすることなく、サージェは資料を差し出した。


「すみません。工房への機材の持ち運びをお願いしたいのですが・・・・・・」

「確認してもよろしいですか?」

「はい」


 差し出された資料を受け取ると、シグはその内容を確認する。

 そして、すぐに顎を引いた。


「了解しました。すぐに、持って行きます」

「お願いします。じゃあ――」


 言って、サージェは頭を下げると踵を返す。

 すぐに工房へ戻るつもりなのだろう、シグはそれを悟り、呼び止めることもせずに、書類へ視線を戻した。

 が、その直後である。

 小走りに工房へ戻ろうとしたサージェは、ふとふらつき、そのまま体勢を崩した。

 バタァンっと音が響き、シグはぎょっと視線をそちらへ戻す。


「サージェ?!」


 瞠目し、シグは慌てて彼女へ駆けよる。

 彼が側に駆け寄った時、サージェはすでに気を失っていた。



   *


「――サージェ。どうしたんだ、その怪我?」


 不審げな顔で尋ねてきた少年に、サージェはぎょっと振り返る。

 振り返った先では、同じ背丈、同じ視線の高さの相手が、じっと自分の顔を凝視していた。

 それを見て、サージェは慌てて顔を背ける。


「怪我? な、なんのこと?」

「ごまかすなよ。前髪の下と、頬が腫れている」


 顔を背ける相手に、シグはむっとして回り込んでくる。

 自分とそんなに背が変わらない相手が、じっと自分の顔を見てくるのに目が合い、サージェはドキッとする。

 そんな中で、シグは憤りを浮かべていた。


「誰にやられた? ぶっとばしてきてやるから、教えろよ」

「ぶ、ぶっ飛ばしちゃ駄目だよ! 破門になっちゃう!」

「? どういうことだ?」

「あ・・・・・・」


 ますます怪訝そうな顔をするシグに、サージェは自身の失言に気づく。

 口を噤んだ相手に、シグは目を細める。


「誰に殴られた?」

「・・・・・・お父さん」

「またか。どうして?」

「・・・・・・昨日、私、練想術の練習で失敗したでしょ。それを、怒られたの」


 ぼそぼそと言葉を返しながら、サージェは軽く肩を落とす。


「あのくらいの術、シグだって成功できるでしょう? なのに、私は失敗しちゃったから。難しいかもしれないけど、同じくらいの子が出来ることを、どうしてお前は失敗するんだ、って」

「あれは難しい内容だろ。俺だって、いつも不安になりながらやっているぞ?」

「でも、シグなら成功するから・・・・・・」


 俯き加減で、サージェは言う。

 そこには、シグへの憧憬と自分への失望が、仄かにだが込められている。


「お父さん、私が一番の練想術士になりたいって知っているから。だから、そんなんじゃ駄目だって。この程度でつまずくようじゃ、いつまで経っても一番になれないぞって、そう言うの」

「でも、だからって殴られるほどじゃないだろ」


 シグは、かなり苛立った様子で憤る。

 そこには、日頃からため込んできた鬱憤も籠もっていた。


「宗領も勝手だな。自分だって、他の皆やエヴィーと比べて抜きん出ているわけじゃないのに、サージェにはきつく当たって・・・・・・」

「そ、そんなことないよ。シグが出来るのに、出来ない私が悪いんだもん。お父さんは、悪くない」


 慌てた様子で、サージェは自分を殴ったはずの父を庇う。

 悪いのは父ではなく、自分だとサージェは思っていた。

 自分の前には、いつでもシグがいる。

 そしてシグを越えない限り、自分が一番の人間になれないことも、またサージェはよく心得ており、周りの皆も知っていた。


「私が一番上手く出来れば、殴られることなんてないから・・・・・・。だから、気にしないで」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「私、すぐにシグに追いつくから。そうすれば、お父さんを怒らせるようなことにはならないよ」

「・・・・・・そうか。分かった」


 強がって笑顔を浮かべるサージェに、シグは頷く。

 その目には、人知れず決意の光が宿っていた。


「サージェ」

「なに?」

「頑張って、一番の練想術士になれよ。お前なら、出来るはずだから」

「・・・・・・うん!」


 シグに言われ、サージェはそれだけで元気を取り戻す。

 彼がこう言って自分を励ましてくれることは、それだけで本当に心強い。

 だから、だっただろうか。

 彼女は嬉しさのあまり、シグがどんな顔と声で言っているのか、はっきりと見えておらず、意識もしていなかった。

 その翌日、シグは練想術を辞めて、サージェたちの前からいなくなくなろうとは、このとき思いもしなかったのである。


    *



(あぁ、そうか・・・・・・)


 徐々に暗くなる、その時の光景を見て、サージェはようやく悟った。

 過去の記憶、その回想を掘り起こし、彼女はようやく理解したのだ。


(そうか・・・・・・。だからシグは・・・・・・)



 その日の記憶から、まどろむ意識の中で、サージェは目を覚ます。

 気づけば、自分はどこかのベッドに寝かされているようだった。

 ここはどこか、と言うことより先に、彼女は状況を思い出す。


(・・・・・・そうか。私、寝ちゃったんだ)


 正確には倒れて意識を見失っただが、サージェはそう認識する。

 同時に、彼女は辺りを見回し、そこである青年の背を見つけた。

 昔と比べてすっかり伸びたその後ろ姿は、ここ最近では見る機会が増えている。

 シグの後ろ姿を目にし、彼女はなんとなくほっとした。

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