55.お留守番
「駄目に決まっているでしょう。何を言っているのですか」
氷の相貌の中に冷たい怒気を浮かべながら、エヴィエニスは言い切った。
その前では、ヘイズ姉妹とシグがいる。
シグは立ったままであるが、ヘイズ姉妹は正座の状態だ。
顔を強ばらせつつ青ざめる姉妹を冷たい目で見下ろした後、エヴィエニスはシグを睨む。
「シグ。貴方がついていながら、なんでこんな馬鹿な提案を二人に思いつかせたのですか? 少しは二人を諭しなさい」
「えぇ。かなり諭したんですが、聞かなかったので。もうこれは一度怒られた方がいいと思ったんです」
エヴィエニスの怒りに、シグはそれを甘んじて受けながら、釈明する。
結局、ヘイズ姉妹はルメプリアの口車に乗せられ、シグを共に説得してエヴィエニスの元まで来たのだが、案の定彼女から怒られる結果となった。
エヴィエニスはちょうど、エドワード団長を初めとする騎士たちと、出発前の会議をしているところだったため、その時間を割いて言われた話の内容が、余計に腹に据えかねた様子だった。
半ば予想できたものであるが、シグはそれにとばっちりを受けた形である。
「あ、あの~、エヴィエニスさん。一応、話を聞いてもらえませんか?」
そう言って、クラーカが手を挙げてエヴィエニスに事情を説明する。
そして、ルメプリアが言っていた話を語り出したが、それを聞き終えたエヴィエニスは、目を三角にした。
「そんな確証もない話を信じて、信じた上で残りたいと言ったのですか? 余計にいけないでしょう、それは」
火に油を注いだのか、エヴィエニスは更に怒り出す。
「いいですか? こういう避難に当たる時は、様々な噂や雑説が飛び交います。ですが、それは大体根拠のない妄言であり、人々を不安にするだけで確証はありません。そういう確証のない話を信じるのは、冷静な練想術士を目指す貴方方が一番考えてはならないことです。大体クラーカにグルトーナ。貴女たちは――」
くどくどと、エヴィエニスの説教は続く。
一度怒りだしたエヴィエニスはなかなか止まらず、それこそ説教は長時間にわたる。
それを知っているシグは、内心げんなりしつつも、それを表に出さないように努める。
「妄言、かどうかの判断は早すぎるのではなくて?」
そんなときに、彼女たちの元へやってきたのは、意外な人物であった。
振り返ってみると、そこには、騎士を数名伴わせた、マリヤッタとルメプリアの姿があった。
「もしかしたらと、僅かでも可能性にかけるのは悪いことではないと思うけど」
「どういうことですか?」
エヴィエニスの言葉に、マリヤッタは含みのある笑みを浮かべる。
そしてそれから、視線を話の様子を見ていたエドワードに向けた。
「エドワード殿、一つお願いがあって参りました」
「ん? なんでしょうか?」
「この遺跡に、しばらく残っていいでしょうか? 確認したいことが出来たので」
「確認したいこと?」
エドワードが尋ね返すと、マリヤッタは顎を引く。
「どうも、ここには神の時代に残された神の遺産が眠っている可能性があるようなので」
「・・・・・・マリヤッタ殿。貴女もそのようなことを言い出すのですか?」
マリヤッタが言い出した言葉に、エヴィエニスは呆れた様子で口を開く。
軽くこめかみを押さえてから、彼女は尋ねる。
「それについて、何か確証はおありなのですか?」
「ないわ。でも、ルメプリアが確信を持って言い切った時、それが何もないということはほとんどありません」
断言するように、マリヤッタは言う。
それに対し、エヴィエニスが何か口を挟もうとするが、先んじてマリヤッタは言う。
「私は、本当はマクスブレイズから逃げる時、死んでいたはずなの」
さらりと告げられた言葉に、周囲は不審がる。
それを見て、マリヤッタは続ける。
「とある道で、南路を進もうとした時、ルメプリアに出会った。そして、彼女に忠告されたの。南へ行けば魔物の待ち伏せに遭うと。通るのは難しいが、南東の道を選んだ方がいい、と。結果、南路を進んだ一団は壊滅し、南東の道を選んだ私たちは助かった」
淡々と語る彼女に、周囲はその淡泊さから事の大きさをすぐには悟れなかった。だが、やがて彼らがその意味に気づいて息を呑む中、彼女は続けていく。
「他にも、ルメプリアは私がマクスブレイズを出る時、何度も助けてくれたわ。道を選ぶ時や、天気を当てたり、魔物たちの狙いを当てたり――おかげで、私はここにいるの。こういったときの彼女の発言は予言のようなものでよく当たるわ。だから、確証があるというならばそれね」
そう言うと、戸惑う騎士たちに対し、彼女は告げる。
「そんな物を信じるのか、というところでしょうけど。そもそも、彼女が精霊だと言い張っているのを信じているのは、この場にはほとんどいないでしょうね。でも、それはともかく、私は彼女の話を信じているわ。だから、少しだけ時間を頂戴。結果の善し悪しはともかく、そう時間は費やさないから」
「時間というのは、具体的には?」
エドワードが尋ねると、マリヤッタは振り返る。
「一日で良いです。それ以上は、きっと食糧も持たないでしょうから」
「ふむ・・・・・・」
「エドワード殿。まさか、許可するおつもりですか?」
考え込むエドワードを見て、エヴィエニスが驚きと不審を見せて言う。
「ここは、一刻も早く東へ向かうべきです。民たちも、これ以上疲弊させるわけには参りません」
「分かっている。だが、ここは予想以上に安全な場所だからな。万が一の場合の、逃げ場として確保しておく手もあるのではと思ってな」
別にマリヤッタの言い分をすべて真に受けたわけではない、とエドワードは言外に釈明する。
ひとえに逃げるといっても、その最中で退路があるとないとでは大違いだ。
もし退路を断って逃避行を続けて、行き場を失うような事態に陥ってしまえば、その瞬間全滅もありうるからだ。
「念のため、ここを一時の避難路としておきたい。そのために、一部兵を残しておきたいという考えもあったのだ。だから、そこに彼女らを一日残すのも、やぶさかではない」
そう説明してから、エドワードはマリヤッタたちを見る。
「そういう意味もこめて、ここに残るなら許可しよう。ただし、何人か我が騎士も残すが、承知してくれるかな?」
「えぇ。それで構いません」
「うむ。ならば――」
「お待ちください」
何やら言いかけたエドワードに、エヴィエニスは言葉を遮って近づく。
そしてその耳へ、何やら小声で言葉を告げる。
不審がっていたエドワードは、彼女が耳打ちした内容に驚いたような反応してから、何やら真面目な顔で頷いた。
「ふむ、分かった。おい、シグ」
「はい。なんでしょうか?」
「お主がここへ残れ。ここで、マリヤッタ殿たちと共に、背後を確保せよ」
エドワードは、そうシグに対して命令する。
その言葉に、少し間を置いてから、シグはエヴィエニスを見る。エヴィエニスは表情を変えなかったが、何故エドワードが急にそんな命令をしたのかは容易に想像がついた。
シグは内心舌を打ちたいのを隠し、エドワードを見る。
「それは、いかなる理由からでしょうか?」
「・・・・・・お主。前の撤退の時、負傷を隠しておっただろう」
少しきつめの声で尋ねるシグに、エドワードは渋い顔で答える。
「手負いのお主を、むやみに前線へ出すわけにはいかない。そこで、後方支援に回って貰うことで――」
「納得いたしかねます。俺以外にも、手傷を負っている者は多いはずです。補佐官級の騎士で、団長を補佐して動くのに適しているのは自分では?」
「そ、それはそうだが・・・・・・」
素早く反論するシグに、エドワード団長はどもる。
それを見て、シグは畳みかけようとする。
「それなら、ラートゲルタ殿を代わりに当てればよいでしょう。彼女ならば、シグの代わり以上に働いてくれるでしょう」
団長にフォローを入れたのは、エヴィエニスだ。
その提案に、エドワードは「なるほど」と頷き、シグは一瞬渋面を作った後、エヴィエニスに目を向けた。
「エヴィエニス殿。ラートゲルタ殿は、ルシラ王女の補佐です。それを外すか、兼任させるのは些か酷では?」
「怪我を隠したままの補佐官を前線で補佐させる事と比べたら、まだいいでしょう。それに、今は姫を特別扱いしている時ではありません。姫にも何か、騎士として役割に従事してもらいましょう」
「ならば、姫こそ後方の確保に当てるべきでは? 避難予定場所の安全が確保された後、姫には来て貰うと言う考えもあります」
「姫とラートゲルタ殿を取るか、手負いの補佐官一人を取るかでは、戦力的に前者を取った方がよいかと」
シグとエヴィエニスは、鋭い舌鋒で言葉を交わし合う。
そのやりとりに、また険しい空気に周囲は軽くはらはらする。
それから、二人は視線をエドワードに向ける。
エドワードは思わずびくっとするが、視線の意味するところを悟ると、すぐに言う。
「分かった。今回はエヴィエニス殿の案を優先する。シグ、よいな?」
彼がそう決定を口にすると、流石にシグもそれ以上の反論はせず、渋々とではあるが、頷くのだった。
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