49.割れた仮面の怒りの騎士

 魔物が現われたと言う情報は、瞬く間に人々の間に伝わった。

 現われたのは最前列の辺りであるが、情報はすぐに後方まで伝わり、人々を混乱と動揺に染まらせる。

 すでに何度も魔物の襲撃を受けた人々は、その脅威を分かっているだけに浮き足立っていた。


「落ち着け! まだ魔物がここに現われたわけではない!」


 右往左往する人々に、ルシラが声を上げて言う。

 だが、普段ならば人々を落ち着かせて奮い立たせる彼女の声も、今はあまり効果をなさない。

 混乱の度は、深まるばかりだ。


「本当か? こっちにも出てくるんじゃないよな?」

「騎士はもう信用ならない。守ってくれるかどうかも不安だ」

「やっぱりこんな森の中に入るんじゃなかったんだ! おしまいだ!」


 人々は口々に言いながら、ルシラの声に耳を貸さない、

 そして勝手に行動に移ろうとする。


「ッ! 頼むから!」


 ルシラは、そんな人々に声を張り上げる。


「頼むから私たちを信じてくれ! もうこれ以上、私たちは貴方がたを失いたくない! だから、信じて従ってくれ! 守らせてくれ!」


 彼女は心の底から、声を張り上げる。

 自分の力のなさをかみしめながら、それでも叫ぶ彼女を見て、人々は少しだけ冷静さを取り戻したのか、騎士の指示に従って避難を開始するのだった。




 現われた魔物は、豹やジャガーのような姿をした猛獣、キラーパンサーだ。

 身軽でスピードがあり、鋭い爪や牙で襲いかかってくる魔物で、大大陸では密林の覇者として恐れられている魔物でもあった。

 普段は群れをなさないとされる魔物であるが、今は人々の群れを格好の標的とみたのか、かなりの数が一斉に現われている。

 そんな魔物から人々を守ろうと、立ちはだかる騎士たちであったが、その中にいたシグは、最前列に立って剣を振るっていた。

 俊敏なキラーパンサーは距離をとって躱すが、それに対してシグは、前へ前へと進んでいく。


「シグ、出過ぎです! それ以上は孤立しますよ!」


 相手に斬りかかっていくシグに、槍を持つエヴィエニスが警句を発する。

 集団戦には慣れていないキラーパンサーも、一斉に躍りかかってくれば脅威だ。いくらシグと言えども危険であると判断し、エヴィエニスは制止を指示する。

 だが、シグは構わず前へ出続ける。


「ッ! サージェ、ここは任せます! あの馬鹿を助けなければ!」

「わ、分かった! お願い!」


 前進するシグを見て、エヴィエニスが救援のために前へ出る。

 槍を手に駆け寄るエヴィエニスの前で、シグは剣でキラーパンサーの一体を撫で切る。

 血飛沫が上がり、咆哮と共に倒れるキラーパンサーであるが、その血潮の向こうから、別の一体が俊敏に踊りきた。

 首筋に食いつこうとしたそいつに、シグは咄嗟に腕を出して防御、その腕にキラーパンサーの牙が突き刺さる。その激痛にシグは顔を歪めるが、彼は勢いよく倒れるのを装って身体を反転、キラーパンサーを押し倒し、その上にのしかかる。

 倒れるふりをして体勢を入れ替えたシグに、そいつはすぐに牙を抜いて逃げようとするが、その瞬間、その脳天を剣で貫かれる。頭部を破壊されたキラーパンサーは、血飛沫と脳漿をまき散らしながら即死し、ばたばたと手を動かしながら絶命の余韻を表わした。

 なんとかキラーパンサーを倒したシグは、腕から出血しつつも、構わずさらに前へ進もうとした。

 だが、それをエヴィエニスが背後から掴んで止める。


「シグ! いい加減にしなさい!」


 怒りを露わにして、エヴィエニスはシグに言う。

 シグは振り返らなかったが、足を止めて、眼前で様子を窺うキラーパンサーたちを望む。

 そんな彼に、エヴィエニスの怒号が続く。


「勝手に戦っては、命を落としますよ! ここは皆と協力して――」

「・・・・・・気が済まないんだ」


 エヴィエニスの声を遮るほどではない、小声がシグの口から漏れる。

 しかし、エヴィエニスは思わず言葉を途切れされてぎょっとした。

 それだけ、シグの声は小さいながら、深すぎるほどの怨嗟の情念が籠もっていたからだ。


「奴らを、残らず潰さなければ。その衝動が、抑えられない」


 言った後に、シグは奥歯を噛みしめながら、軋ませる。

 それは、哀しいまでの怒りであった。

 怨念か、あるいは慚愧を連想させるその深すぎる感情は、見る者を思わず戸惑わすほどに、激しい。


「シグ・・・・・・」


 彼のその顔に、エヴィエニスは危うさを感じる。

 思えば、彼は国を出てから、平然とした様子で職務をこなしていた。

 だが、平気であったはずはなかったのだ。

 母を目の前で殺され、しかも魔物に喰われる様を見て、それに囚われずに日々を過ごせている方がどうにかしている。

 普段着けなれた仮面をかぶり直し、気丈に振る舞っていたにすぎない。

 心の内では様々な激情の種火がくすぶっていて、魔物を前にしてそれが爆発したのだ。

 今にも泣き出しそうな、そんな怒りの感情を見せ、シグはさらに前へ進んでいこうとする。


「シグ!」


 慌てて、エヴィエニスはそれを止めようとする。

 今の彼の精神状態は危険だ。このまま前へ進ませれば、危険を冒しすぎてむざむざ命を落とすことになりかねない。

 必死に彼を止めようとするエヴィエニスだが、止められない。

 シグはなおも、手負いのままキラーパンサーの群れへ飛び込もうとした。

 止めたのは、空を切り裂く音を伴った、矢であった。

 突然、横の方から飛んできた矢の群れは、キラーパンサーたちを貫いていく。

 その矢に、シグたちやキラーパンサーは目を向け、同時にキラーパンサーは勢いよく逃げ出した。

 先ほどまで獰猛にシグたちを狙っていた猛々しい魔物たちだが、今彼らのかおには恐れがある。

 シグたちには決して見せなかったそれをみせ、撤退していくキラーパンサーを傍目に、シグたちは視線を矢の飛んできた方向へ据える。

 そこに居たのは、十数人に及ぶ人影であったが、その姿にシグたちは不審の後、瞠目をする。

 立っていたのは、いずれも逞しい体つきと剛毛を生やした、大柄に犬の頭部を持つ者たちだった。

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