第3章

遭難の避難路――――――――――――――――――――――――――――――

48.密林を往く

 咄嗟の国外退去から、十日以上が過ぎた。

 嵐の中の出航は、多くの難破船や行方不明の船を出し、結果として多くの人間を犠牲にする。

 状況的には仕方がなかったとは言え、果たして荒天の中で船を出したのが正しかったのか、そう思ってしまうほどの被害の大きさだ。

 そのことに不満を持つ人もいたが、それでも、あの状況を考えるとやむをえなかったと多くの人間は考える。

 過ぎてしまった事は仕方がない――そう考え直し、人々を乗せた船は大大陸を目指した航路を進む。

 それがようやく実を結んだのか、つい先ほど、ようやく大陸の陸地が見えたと言う報告がはいった。

 嵐が原因で半ば航路が外れ、また位置に迷いながら進んだために、大大陸に着くのは大幅に遅れている。

 半ば漂流ともいえる進路の後、着いた場所も、当初の予定とは異なる場所だった。


「大大陸南西の未開の密林?」


 そう航海士に尋ねたのは、甲板にたつエドワード団長だ。


「はい、おそらくは。我らが目指した場所よりは北にあたります。大陸の南端には、小さな漁村と北東の都市へ繋がる道が整備されていますが、その北には未開の密林が広がっています。あれは、おそらくそれでしょう」


 そう説明する航海士の言葉を受け、騎士たちは眼前に広がる壮大な森を見る。

 それは深く、また広く、目の前の端から端まで広がっていた。

 その光景を前に、団長たちは思案する。


「着岸、すべきであろうか? それとも、船を着けずに別の場所を進むべきだろうか?」

「ここに上陸するべきでしょう」


 迷う団長に、そう断言したのはシグだ。


「我々に残されている選択は、この密林を前に船を着けて密林を突破するか、船を着けずに陸地を沿って北か南の人里を目指すかの二つです。ですが、後者はもはやほとんど選択の余地がありません」

「何故だ?」

「食糧が、もう三日ほどしかないからです」


 尋ねられ、シグは苦々しく答える。

 船には、航路に持ちこたえられるだけの非常用の携帯食は積まれていたが、難航した航路によって、それも尽きかけている。


「ここから人里に回るのに、どの程度の日数がかかるか分かりません。ですが、未開の密林であっても、強行して進めば、三日あれば人里に出られる公算が高いそうです」

「そうなのか? 密林を進んだ方が、日にちがかかりそうだが・・・・・・」

「大陸南西の密林は、南北に長く広がっていますが、東西にはあまり伸びていません。東へ進めば、おそらく二・三日で抜けられるのではないか、と」


 かなり推測の入った、不確定な情報だ。

 密林は未開の場所であり、大陸の住人はともかく、セルピエンテにいたものたちが詳しく把握しているわけがない。

 そこを進むのは、危険な賭けだ。

 しかし、今はあまり猶予が遺されていないのもまた事実である。

 確実に飢えるか、それとも可能性にかけて密林を強行突破するか、どちらかを選択するのには変わりがない。


「――分かった。密林を突破しよう」


 やがて、団長は荒療治ともいえる強攻策を選択する。

 この判断に対し、人々が反発する危険は高い。

 だが、他に手立てがないのだから、そこは説明して納得してもらうしかなかった。




 未開の密林とあって、道はほとんどないに等しい。

 草木が生い茂る森の中を、先頭の騎士たちが道を開きながら進む。

 獣道すらほとんどない道を、人々は騎士の先導と護衛を受けながら進んでいた。

 道なき密林の中を進む事に対し、人々は初めこそ反対したものの、いざ行動に移すと大人しく従った。

 国を追われ、多くの人間を失って、心は荒れ果てているはずであるが、しかしここに来て彼らの間には、団結心というものが芽生えている。

 彼らは苦しみながらも、なんとか人々を安全な場所へ導こうとする騎士たちの懸命さも理解しているのか、彼らの指示に従ってくれていた。

 もっとも、それがいつまで続くかは分からない。

 ひとたびパニックに陥れば、それは脆くも崩れる危険性は大いにある。

 それを理解しながら、騎士たちも護衛に必死になっていた。

 その人々の列の中に、セルピエンテの王女でもあるルシラの姿もある。

 すでに王女『だった』になってしまっているのだが、その事実はまだ彼女は知らない。

 ただなんとなく、察している程度であった。

 人々を励ましながら前へ進ませていた彼女は、そこである一団と遭遇する。

 避難民の中を進んでいた、マクスブレイズの王女一行だった。


「やぁマリヤッタ殿。お疲れではないですか?」


 馬車がないため、徒歩で進んでいる彼女らに、ルシラは声をかける。

 それを見て、マリヤッタは軽くせせら笑う。


「疲れているのは貴女の方でしょう? ずいぶんと、心は乱れた様子ね」

「・・・・・・そうだな。そうかもしれん」


 成り行きで一緒に歩きながら、彼女らは言葉を交わす。

 ここしばらく、ルシラはまともに眠れていない。

 国を追われ、また多くの人々を失ったショックは、彼女の強い心も流石に疲弊させていた。

 それを見抜いて、マリヤッタは言う。


「今、どんな気持ちかしら? 前言ったように、貴女も国を追われる立場になったけれども」

「ちょっと、マリィ!」


 挑発気味に言うマリヤッタを、近くにいたルメプリアが止める。

 それに対し、ルシラは一瞬目をぎらつかせたが、すぐにその光を収め、淡く笑う。


「今は、そんなこと言っている場合ではない。まだ人々が頑張って従っていてくれているのだ。私も、それに応えねばならん」

「そう。それでいいと思うわ」


 挑発を重ねるか、と思いきや、意外にもマリヤッタはルシラに同意する。


「今あるものを手放さないように必死になりなさい。失ったものは戻らないわ。それでも、今あるものを守る事ぐらいはできる。過去を悔いてばかりではなく、今を守ることに懸ける、それが一番大切なことなのよ」


 そう、マリヤッタは言う。

 その言葉に、内心ルシラは驚く。もっと挑発や冷笑を畳みかけてくるかと覚悟していたが、出てきた言葉は現実論であり、また気遣いの色もあった。

 それが、少しだけありがたい。


「ありがとう。ご忠告、しかと胸に刻もう」

「・・・・・・まぁ、多分無駄になるでしょうけど。今更頑張ったところで、事態が好転するとは思えないから」


 ぷいっと顔を背けながら、マリヤッタは言う。

 一言余計なその態度に、ルメプリアなどが注意を入れるが、マリヤッタが聞くことはなかった。




 先行して道を作る騎士の中に、シグの姿はある。

 草木を払いながら進む彼の位置は、獣や魔物が突然現われた場合対応しづらい危険な場所だ。

 それを彼は、自ら志願して買って出ていた。

 他の者たちより比較的腕の立つ自分が最前線に出た方が、被害は少なくなりやすいと彼は主張し、他の者たちの意見を半ば押さえ込んでその役についたのである。

 それは、献身と言うよりも少し自棄になっているようにも見え、彼を見る者、知る者は少し痛々しさを感じざるをえなかった。

 危険な道を進む彼を、その背中が見える位置で、サージェは心配する。

「ねぇエヴィー。シグ、無理しているよね?」

 側に立ち、獣や魔物の気配を探るエヴィエニスに、彼女は尋ねた。

 それに、エヴィエニスは軽く渋面を作る。


「そうですね。かなり疲労していると思います。身体的にも、精神的にも」

「大丈夫かな。私に、何か出来ることはないかな?」


 尋ねながら、サージェは何か自分でも可能なことはないかを探る。

 その様子に、エヴィエニスは目を細めた。

 ロミアを失った後のシグに対するサージェは、これまでなかったほどに真剣だ。今のところ、彼女に出来ることはほとんどない中で、しかし出来る事を必死に模索している。

 その様にはかなりの度があり、他の練想術士たちは少し戸惑いがあり、エヴィエニスや、今は避難民の中に混じっているヘイズ姉妹といった彼女に親しい者たちは、懸念を抱くほどであった。


「サージェ。出来ることがある場合は私も言います。ですから、そう思い悩まないでください。今できると言ったら、私たちにはサポートぐらいです」


 エヴィエニスはそう言って、サージェの頑迷ぶりを解こうとする。

 思い悩みすぎて、サージェまで大変な事態に陥る方が問題だった。


「・・・・・・うん。そう、だね」


 サージェ自身も自覚がアルノか、エヴィエニスの言葉に大人しく頷く。

 それを見て、エヴィエニスも内心安堵する。

 が、その顔が急に鋭いものに変わった。


「サージェ。早速ですがシグに警告を。魔物らしき気配が、北の高所よりこちらを窺っています。群れです」

「! 分かった!」


 エヴィエニスの言葉を受け、サージェは頷く。

 そして、彼女がそのことをシグに伝え、シグが警戒態勢に入った直後、魔物は視界にその姿を現したのだった。

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