46.嵐の中の船出

 避難民の集団を大陸東にある軍港に届けることに、騎士たちはなんとか成功していた。

 ただ、それまでに出た被害は少なくない。

 王都を出発してから、その全体の十分の一以上の人々が被害に遭っており、また同じほどの割合の人間が、軍港に着くまでに道を逸れてしまったらしく、行方不明になっている。

 それでも、今は避難民と騎士たちの総数は、具体的に数字にすれば三万以上もいる。

 それだけの人間が、都市ではない軍港に集まっているのは、なかなかの混雑具合であった。

 そんな人々は、今軍港に並べられた錚々たる数の船に乗っている。

 人々が船に移動したのを確認しつつ、旗艦たる巨大船に乗るエドワード団長が、部下たちに指示を出していた補佐官、ラートゲルタに尋ねる。


「船は足りたか?」

「ぎりぎりですねぇ。三百人収容の船が三隻、二百人収容の船が十五隻、百人収容の船が五十隻程度、五十人収容の船が百二十隻程度、二十五人収容の船が三百隻程度、十人収容の船が三百五十隻程度――、都合でおよそ八百五十程度の船をすべて用意しましたぁ」

「本当に足りたのか?」


 数と乗員を咄嗟に暗算で計算し、ルシラが尋ねる。


「船の一部には、乗員オーバーで乗せていますからぁ。この船しかり、他の船も同様ですぅ。それでも、ギリギリでしたがぁ」


 軍港には、こういう時に備えて、非常用の船も用意してあった。

 ただ、それらを全て合わせても、本来の想定では二万五千程度しか乗客の数は想定していない。三万人以上を乗せるのは、一つの船当たりおよそ二割ほど、無理をする必要があった。

 人々の乗船はほぼ済んだ。

 だが、ここで思わぬ障害があった。

 雨である。

 避難行から降り始めていた雨が、小雨から徐々に勢いを増し、今や嵐に近い大雨になっていた。

 その荒天のため、船は出そうにも出しづらい状況にある。

 今は、少しでも雨足が弱まってくるのを待っている状況だった。

 しかし、事はそう甘くは進まない。

 非情な事態が、迫っていた。


「報告! かなりの数の魔物が、こちらへ迫っている模様! ゆっくりとですが、向かってきています!」


 慌てた様子の報告が、旗艦に集まる騎士たちに告げられた。

 それを聞き、護衛の騎士たちの中心にいるメンバーは表情を歪める。


「くそ! ここでまた追手か――急ぎ応戦をせねば!」


 そう言って、ルシラが剣の柄に手をかけながら、船を下りるべく移動しようとする。

 が、それを立ち塞がって止める者がいた。

 シグである。


「駄目です。応戦はなりません。姫様はここで待機を」

「・・・・・・どけシグ。邪魔をすれば叩き切るぞ」


 立ち塞がるシグに、ルシラは脅しをかける。

 だが、シグはそれを気に留めず、視線を報告に来た騎士へ向けた。


「数は?」

「え?」

「敵の数は?」

「わ、分かりません。ですが、大量です。少なくとも、今ここにいる騎士の倍、いいえ三倍はいるかと・・・・・・」


 シグが尋ねると、騎士はおどおどしながら言う。

 それを聞いて、シグは言う。


「そうなると、少なくとも二千はいるか・・・・・・エドワード団長」

「な、なんだ?」

「いかがしますか? 全滅覚悟で応戦するか、それとも確実に被害が出るのを覚悟して出航するか。ご決断を」


 その言葉に、全員の視線がエドワード団長に集まる。

 エドワードは、少し迷ってから、


「両方、というのは駄目か? 一部が戦い、一部が逃げるというのは・・・・・・」

「駄目でしょうね。そういう中途半端な行動は、一番被害を増やすわ」


 そう言ったのは、いつの間にかこの場にやってきていた少女だ。

 皆が見ると、そこには騎士を携えた、マクスブレイズ王国の姫、マリヤッタの姿があった。


「かつて多くの民を犠牲にしてしまった者として進言するわ。ここは多少の被害が出ても逃げるべきよ。戦えば間違いなく全滅の危機に瀕する。ならば、多少の犠牲は覚悟しなければ――」

「犠牲を覚悟だと?! 民の一部を、荒天の海で難破させろというのか!」


 マリヤッタの言葉に、ルシラが荒げた口調で言う。

 彼女が相手へ詰め寄ろうとするのを、ラートゲルタが止める中、マリヤッタは涼しい顔で言う。


「えぇ、そうよ。それでも、少しでも多くが救えるもの。全員助けようなんて考えは甘すぎるわ」

「っ! 貴様!」

「団長。やはりここは出航しましょう。一人でも多く、魔物から遠ざけるのが先決です」


 怒るルシラを差し置いて、シグがエドワードに進言する。

 もはや猶予はない中、団長は決断を迫られた。


「・・・・・・分かった。全員、出航の通達を」

「! エドワード! 勝手な真似は――」


 団長の決断に、ルシラが食いついてかかろうとする。

 が、それを横手から掴んで止める影があった。

 ルシラは、それに勢いよく振り返り、そしてビクッとする。


「いい加減にしろ、姫」


 言ったのは、シグだった。

 その声は低く、いつもの彼とはほど遠い、鬼気と迫力に満ちたものだった。大声でないのにもかかわらず、その気迫に、周りの人間は、離れた位置のマリヤッタでさえ顔色を変える。


「感情で動くな。感情で指図するな。ここからは、一人の勝手な行動が、その何十倍もの人間を死なすことになりかねない。貴女はそういう立場でもあるんだ。身の程をわきまえろ」


 恫喝、そうとしか呼べない迫力のそれに、胆力のあるはずのルシラも気圧される。

 彼女が声を返せないのを見ると、シグはラートゲルタを見る。


「ラートゲルタさん。伝令を出しに行きましょう。出航には時間がかかるかもしれない」

「・・・・・・分かったわ」


 シグの言葉に、ラートゲルタは頷く。

 それを見て、シグはルシラから手を離し、この場を後にする。

 その後ろ姿を、未だ鬼気に圧された様子で、ルシラたち、マリヤッタたちは凝視していた。



 人々の出航は始まった。

 荒天を覚悟の上の渡航だ。

 小型の船を、ロープや鎖で繋ぐことで、強風や高潮による転覆被害を避けることに注意しながら、船は続々と陸地を離れていく。

 それに気づいた魔物たちは、急ぎ軍港に押し寄せたが、魔物がついた頃には、すでにすべての船が出航を終えていた。

 魔物による被害は、出ることは避けられたわけである。

 しかし、予想どおりの被害、悲鳴や怒声は海上で起こっていた。


「ちくしょう! また一隻難破した! 急ぎ救出を!」

「駄目だ! 海が荒れている! これでは助けられない!」

「報告! 五隻ほどの船の集団が、航路を外れてしまいました!」

「船同士が激突し、大破! 乗っていた人間が船ごと沈没した模様!」


 旗艦の船では、次々と報告が入ってくる。

 騎士同士が怒号に近い声と共に報告し合う光景が、もう数時間に及び続いている。

 そんな光景を、やや離れた位置でルシラは見ていた。


「・・・・・・ラートゲルタ。これは、何の悪夢だ?」


 嵐の雨粒に打たれながら、ルシラはそう言っていた。

 旗艦に乗る彼らは、出来るだけ多くの船を救えるように奔走するが、しかし彼らとていつ難破するか分からない状況のため、出来る事は限られている。

 魔物の大軍が迫った状況で、出航したのは決して間違った判断ではない。

 しかし皮肉にも、出航した直後能見は大いに荒れた。

 そのため、当初予測したより、難破したり遭難したりする船の数は多かった。

 人々の叫喚や怨嗟が轟く中で、ルシラは側に立つ彼女に問う。


「この光景を、私はただ見ている事しかできないのか?」

「姫様・・・・・・」


 痛々しく、全身を自噴と悲哀に震わせるルシラを、ラートゲルタを初め、普段は彼女をおだてるだけの取り巻きたちも、言葉を失った様子で見ていた。

 ルシラは、慟哭する。

 自分の無力を、怒り、嘆き、悶えるように。


 姫の慟哭は、シグの耳にも届いていた。

 その哀しみ、己への怒りは、聞く者を共感させ、同じく苦しい気持ちにさせる。

 しかしシグは、全く顔色を変えなかった。

 彼は淡々と、自分に出来ることを、今できることをこなしていく。

 そんな彼に、たまたま近くへ通りかかる影があった。

 サージェである。

 エヴィエニスと共に旗艦に乗せられていた彼女は、シグが心配になって甲板へ出てきたのだ。


「シグ・・・・・・」


 彼女は声をかける。

 それに、シグは立ち止まり、振り返る。

 その顔を見て、サージェはぎょっとする。

 シグの顔は、まるで死人の顔のように、感情を失っていた。

 忙殺される騎士たちは気づけないが、普段の彼をよく知るサージェだからこそ気づけた。

 彼の目は、死んでいた。


「何か?」


 シグは問う。

 サージェは慌てて言う。


「だ、大丈夫? すごい顔色が悪いよ?! 無理をしているなら、休んだ方が――」

「今は、そんな暇はない」


 冷たく言うと、シグは用がそれだけならば、と言った様子で去っていく。

 そんな背中を、サージェはただ見ている事しかできない。


「サージェ。室内に戻りますよ。ここにただいるだけでは、身体を壊します」


 背後から、様子を見ていたのだろう、エヴィエニスが声をかける。

 控えめなその声に、サージェは呟く。


「私の、せいだ・・・・・・」

「え?」

「私が無理して、シグを死地に追いやったせいで・・・・・・ロミアさんが死んで、シグにあんな顔を・・・・・・」


 そう言って、サージェは顔を覆う。

 その台詞を聞いて、エヴィエニスは慌てて彼女へ近づき、否定の言葉を説く。

 だが、サージェの耳にはそれが届かない。

 瞳からあふれ出すものも、心からあふれ出る罪悪感も、嵐の雨粒によって流されることはなかった。


 荒天での渡航は困難を極め、嵐がやむまでの間に、数えるのも痛々しい細野人間が、難破や遭難の被害に遭ったのだった。

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