40.反撃の『ピース』を手に
馬車の中から、マリヤッタは外を望む。
避難民の集団は、今日も再び移動を開始した。
そんな人々の間には、強い不安や怯えの色があるのが確認できる。
先ほどまでとは打って変わって、と言った様子である。
騎士から目的地、避難方向の変更と国外退去の方針を聞かされた時の人々の反応は、それはそれは大きなものだった。
何せ、国内の避難から国外へ退去をいきなり告げられたのだから、当然大きな反発があった。
話が違う、何故そんな命令に従わなければならないのかと、人々は騎士へ言い返し、罵詈雑言も飛び交った。
それに対し、騎士が行なった返事は、半ば脅迫じみていた。
彼らは、避難予定地が魔物に襲われ、陥落寸前であることを正直に告げた後、
「この先、騎士の命令に反して行動し、仮に被害にあったとしても、我々は一切関知いたしません。やがてここにも、南北両側から魔物がやってくるでしょう。それを承知の上で行動されるなら、ご自由にどうぞ」
そう言い放つと、騎士は再び避難の指示を告げた。
これに対し反発する者は、流石に一人もいなかった。
民も、そこまで言われて騎士に従わない愚か者はおらず、また非力な自分だけで行動する胆力を持つ者もいない。
彼らは、それ以上は黙って、騎士の指示に従って避難を開始した。
「まったく。愚かしい事この上ないわね」
誰にいうでもなく、独り言として、彼女は口を開いていた。
「この国の人間は、利己的で保身的。私たちの、マクスブレイズの国民はもっと団結していて、騎士たちの命令にも恭順だったわ。こんな、白痴な反発はして時間を取らせるようなことはしなかったわ」
「そう? でもそれって、言い換えれば意思が弱いとも言えるんじゃない?」
マリヤッタに言葉を返したのは、この場で唯一同席している少女・ルメプリアであった。
騎士たちは周りで警戒に当たっている中、馬車の中にいるのは二人だけだ。
「ここの国の国民は、自分たちで考え、発言し、行動する強い意思を持っているんじゃないかな。そういう国民性なんだと、私は思うな」
「・・・・・・そう。でも、こういうときはむしろそれは都合が悪いわね。頭が回る愚か者ほど、周囲に破滅をもたらすものはないもの」
「そうかなぁ? 一概に、そうとは言えないと思うけどなぁ・・・・・・」
座ったまま足をばたつかせ、ルメプリアは何か言いたげにするが、それ以上に言葉を紡ぐことはしなかった。
そんな彼女から目を伏せ、マリヤッタは薄ら嘲笑を浮かべる。
「どちらにせよ、この国もまた、魔物には勝てなかった。今こうして、避難する人々が魔物に殺される危機に直面している。きっと、セルピエンテの王都も今頃火の海でしょう。結局は、人は魔王には勝てないのよ・・・・・・」
そう言いながら、マリヤッタは嘲笑を深めていく。
嘲りの向け先は、何も他人だけでなく、自分自身にも向いている。
「これ以上の逃避行に意味はない。ならばいっそ――」
「でも、希望は残っているわ」
落ち着きを払った、周囲の動揺すらも沈めるような、心地よいうえによく通る声が、馬車内に響く。
顔を伏せていたマリヤッタが上目で見ると、ルメプリアは静謐で知的な眼光を、その目に宿していた。
「反撃のための『ピース』は、この陣営にまだ残っている。貴女のほか、セルピエンテの王族の血、そしておそらくはかの一族・・・・・・」
言いながら、ルメプリアは微笑む。
「覚えている? 私と出会った時のこと。貴女は私を信じてくれた。だから貴女は、私を側においてくれて、死にたがりながらも、最後の一線で踏みとどまって、結局は死から逃れようとしてくれている。その苦労は、いずれ実を結ぶわ。彼らが、本当に私たちの求めている者で、そして――」
上目遣いから顔を上げるマリヤッタに、ルメプリアは軽く頭を傾けながら、微笑みを笑みに返る。
それは、この状況や会話にそぐわぬ、明るいものだ。
「貴女と共に、目覚めてくれるのならば。そして力を合わせれば。きっと、魔神たちへの反撃の一手になる」
「魔神・・・・・・」
ルメプリアが言った言葉に、マリヤッタは呟き返し、口を引き結ぶ。
それから、一瞬目を斜めに伏せ、またルメプリアを見る。
「あれについては、まだセルピエンテの人間には喋っていないわ。本当によかったのかしら?」
「うん。言ったとしても信じなかっただろうし、言ったら言ったで、マリィが何故そんなことを知っているのかって、意味もなく疑われたでしょうから」
「貴女が口を酸っぱくして言ったのだもの。でも、本当に倒せるものなの? 魔物の王を、さらに凌駕し束ねると言う存在を・・・・・・」
「うん。もっとも、まずは魔王から倒せる力を得ないといけないけどね・・・・・・」
そう言うと、ルメプリアは馬車の窓から外を見る。
そして、思慮深く、目を細めた。
「だから――死なないでね、シグ」
そう呟く彼女の目には、外で降り始めた雨粒が映り込んでいた。
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