39.急変の避難路

 避難の目的地である、南方の漁港都市群までは、あと三日の距離である。

 夜明け前の騎士団の陣営では、出発前の確認作業が行なわれていた。本日の行程でどこまで行くか、注意すべき場所などはどこか、大雑把だか把握する。

 そんな最中だ。

 騎士たちの陣中に、一人の騎士が飛び込んできた。

 皆がその騒々しい音に振り返り、シグやロミアなどは驚く。

 入ってきた人物が、この集団にはいるはずがない人間だったからだ。


「ラートゲルタさん? 何故貴女がここに?」


 驚きつつも、シグが倒れ込みかけて入ってきた彼女に近づくと、それをラートゲルタは手で制し、立ち上がる。

 そして彼女は、ロミアたち団長の前に進み出る。


「急ぎ、報告です。至急避難民を南方から別方向へ誘導させてください!」

「・・・・・・何があった?」


 およそ、何か火急の事態が起きたのは察しつつも、ロミアが問う。

 いつも間延びしてのんびり口調のラートゲルタだが、今はそのような余裕をかなぐり捨てて、告げる。


「南方の都市群に、魔物の大軍が襲来。防戦をしておりましたが、極めて劣勢になり、その旨を伝えるべく、馳せ参じました・・・・・・」

「何だと?!」


 ラートゲルタの言葉に、エドワード団長が立ち上がる。

 周りの騎士たちも色めく中、ロミアが冷静に尋ねた。


「いつ、そこから出立した? ここにたどり着いたのは、お前一人か?」

「向こうを出たのは一日半前の昼中です。ここへは、姫様やその従者たちと参りました」

「漁港都市での防衛の推移は? 言いづらいことかもしれぬが、聞かせてくれ」

「いえ・・・・・・お構いなく。敵影が確認されて、都市が襲われたのは、三日ほど前です。そこから騎士たちが丸一日以上防衛に奮闘しておりましたが、善戦むなしく、敗勢になったため、姫様たちと共にここへ急いで参りました」


 ラートゲルタがつぶさに報告すると、それを聞いてロミアは顎に指を添える。

 避難先であったはずの南方の都市が、魔物に襲われた――その事実に、多くの騎士たちが動転している中で、ロミアは冷静だった。


「敗勢が決した、ということは、お前が落ち延びた時点ではまだ落ちていないというわけか」

「えぇ。しかし、今頃はもう・・・・・・。残った騎士たちは、私たちを逃すための時間稼ぎをすると、口々に言っていました」


 そう言いながら、気丈に口にしていたラートゲルタの瞳から雫がこぼれる。

 その時の様子を思い出して思わずだろう、彼女は目をこすった。


「重ねて進言いたします。今すぐ、引き返してください。直に、ここへも魔物がやってくることでしょう」

「――騎士の皆様、よろしいですか?」


 ラートゲルタが注進する中、テントに新たな人影が入ってきた。

 エヴィエニスである。

 彼女は、テント内が少しざわついているのをみて怪訝な表情をしてから、自分に注目が集まっているのを見て、口を開く。


「至急の案件です。今日の行軍は予定どおりには行なわず、引き返すべきかと。かなり先ですが、前方の盆地にて、魔物が隠れて待ち伏せしているようです」

「エドワード殿。進路を変えましょう」


 エヴィエニスが言い終えるや、ロミアはエドワードに話しかけていた。


「昨日想定したとおり、東の軍港へ向かいましょう。南の都市が落ちたということは、我らに残された進路は二つ。王都に戻るか、国外へ逃げるかです。そのうち王都へ戻るには、時間と危険度が高すぎます」

「う、うむ。戻るには時間がかかるし、一度襲われた場所を通るのは危ないな」

「加えて、王都からの伝令が三日前から全く来ません。何か危険な事態が生じている可能性は大いにありえます。ひとまず国外の安全なところへ向かうと言うのが、少し大袈裟ですが肝要でしょう」


 懸念を口にし、ロミアは今後の方針を告げる。

 彼女の言うとおり、大袈裟かもしれない逃避だが、しかし後で被害がでてから手を打つよりはマシだ。

 騎士たちもそれを了承し、顎を引いた。


「ラートゲルタぁッ!」


 怒声と共に、人影がテントに入り込んできたのは、騎士たちが退去のために入り口へ向かい始めた時だった。

 テントの入り口から入ってきたその少女の騎士は、鋭い目つきで中を見回し、呼び出した騎士を発見するや詰め寄っていく。

 彼女の憤激の形相に、周りが退く中、呼ばれた当人は涼しい顔だった。


「あらぁ、姫様。どうなさいましたぁ?」

「貴様! 何故私をあの場から退却させた! 残った者たちがどうなるか分かっての行動か!」


 怒りの声をあげ、ルシラはラートゲルタの胸ぐらを掴む。

 その凶行に、シグや数人の騎士が駆け寄る中、ラートゲルタは手でそれを制する。


「あら? そんなに、私が姫様を気絶させて撤退させたことをお恨みですか?」

「当たり前だ! 皆が、私を守ろうとして犠牲になるのを、むざむざと切り捨てて逃げ出すなぞ、王族として恥ずべき行ないだ!」


 目は違うが、口だけは笑みを浮かべているラートゲルタに、ルシラは怒りを募らせる。


「私は皆を守りたかったのに、どうしてそれをさせなかった! 皆を見捨てた! 答えろ!」

「それは、姫様一人ではどうにも出来ない戦況だったからです」


 静かに、しかしはっきりとラートゲルタは言う。

 それに目を剥くルシラに、ラートゲルタは続ける。


「貴女の力では、あの戦況を覆すのは不可能です。敗勢は決していました。ゆえに、貴女には逃げる義務があったのです」

「逃げる義務、だと?」

「えぇ。王族は、生き延びなければならない。何があっても。王族は死んだら負けなのです。ゆえに、それが分からない姫様には、気を失っていただきました」


 そう言って、ラートゲルタはルシラの手を自分の胸ぐらから引き離す。


「これから、我々は東の軍港に向かうそうです。ロミア団長、姫様に指示を」

「うむ。姫様、貴女には先行して軍港へ向かっていただく。そこで騎士たちに、船の出港の準備を急がせる指揮を執って貰います。避難民は、我々が率いて向かいます」


 そう言うと、ロミアは立ち上がり、二人に近づいていく。

 その指示に、ルシラはしばし茫然としてから、ややあって歯を食いしばる。


「ふざけるな! 私は、今度は避難民を守るためにここで戦う! 逃げるのは、騎士の恥だ!」

「駄目です。今すぐ軍港へ向かってください。命令です」

「断る! 私は――」


 なおも、ルシラはロミアに反発仕様としたその時である。

 ルシラに近づいたロミアが、姫の頬を平手打ちした。

 乾いた音と共に、ルシラは倒れ、茫然とする。

 周りも呆気にとられる中で、ロミアは言った。


「団長命令だ! 姫であろうがなんであろうが、私の命令に従え!! 無事に国民を守るのが私たちの使命ならば、この危険な地帯から離脱させるための準備も重要な役目だ! それを忘れ、軽んじ、反対するならば、姫であろうが切り伏せるぞ!」


 凄まじい怒気と迫力で、ロミアはルシラに言う。

 ロミアは本気であった。

 彼女は、これ以上口答えするようならばと言った様子で、剣の柄に手をかけている。

 それに、シグとラートゲルタがいつでも動けるように構えつつ、状況を見守っていた。

 ルシラは、茫然とロミアを見上げたまま、反応を返さない。返せない。

 それを見て、ロミアは顎を引く。


「ご納得いただけたようで何より――では皆、各自の動きに入れ!」


 そう指示を出し、ロミアはテントの外へ出て行く。

 それに従って、多くの騎士も、避難を開始すべく動き出す。

 その中に取り残されたルシラは、やがて無言のまま、ただ悔しげに下唇を噛むのだった。

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