38.シグの不都合な事実
夕闇の中、小高い丘の上から周囲を見ている美女・エヴィエニスがいる。
白銀の髪を束ね、冷たい目で回りを見回すその姿は様になっており、絵心があれば画に残したい光景だった。
そんな彼女へ、シグが近づく。
「エヴィエニス殿。状況はどうですか?」
シグが近づくのに気づくと、エヴィエニスは振り向いた。
「シグですか。特に、今のところは異常ありませんよ」
「そうですか。分かりました」
返答に頷いて、シグは彼女の横に並ぶ。
そして、一枚の書類を渡してきた。
そこには、これから南の土地の地形や距離が描かれた図であった。
「これ、明日の行軍予定です。探知に役立てておいてください」
「はい・・・・・・毎回ありがとうございます。無理をいって、これを用意させて」
「いえ。無理をさせているのは、むしろこちらですので・・・・・・」
苦笑を浮かべて言ったシグは、しかしすぐにそれを消す。
自分がやって来た方向とは別の、丘の下からやってくる人影に気づいたからだ。
それは、どうやらエヴィエニス以外の練想術士のようだった。
彼らは、シグに気づくと目に険しいものを浮かべて歩み寄ってくる。
「シグ。これを、彼らにも見せていいですね?」
「えぇ。勿論」
「貴方の用意してくれたものだということを言うのは?」
「それについては、内密に。貴方がたにバレたならともかく、漏らしたと知られると、団長に怒られるので」
「・・・・・・ふふっ。分かりました」
微かに笑いながら、エヴィエニスはシグの強ばった横顔を見る。
この辺りの詳細な地形が描かれた地図は、シグが他の騎士たちに内緒で勝手に写して持ってきたものである。
セルピエンテ王国内では、簡素な地図の複製は許されるものの、ある一定レベルの詳細な地図の作図は、少し法で罰せられることがある。またその詳細な地図の保有を認められたのも、一部の騎士たちだけであった。
理由は、極めて軍事的なものなのだが――仔細を語ると難しいので、ここでは『違法である』ということだけを理解してもらえればいい。
それを受け取ったエヴィエニスは、こちらにやって来る部下の練想術士と、シグを交互に見る。
「シグ。早く去っておいた方がいいのでは? また苦情を言われますよ」
「構いません。不満を溜められて、後で爆発されるのならば、事あるごとに発散して貰った方がいい」
「・・・・・・貴方も、気が回りますね」
すでに薄く、軽い笑みで表情をコーティングしているシグに、エヴィエニスは呆れるのを通り越して感心した様子であった。
そんな中で、練想術士たちが、声が届く場所までやってくる。
「おいシグ。こんなところで何している。宗領に嫌みか?」
そう、見当違いな絡み方をしてきたのは練想術士の若手だ。
それにエヴィエニスは内心呆れるが、代わりにシグが軽薄な笑みで首を振る。
「いいえ。ただの事務連絡です。お仕事、お疲れ様です」
「まったく。周囲の魔物の警戒は、本来騎士の役割だろう。俺たちに押しつけやがって」
文句を言う練想術士に、周囲の練想術士は「そうだそうだ」と同意する。
先日の魔物の襲撃以降、練想術士は周囲から再び魔物の襲撃が来ないか、警戒の役目を一手に担わされていた。
それは本来騎士の役割であったのだが、しかしこれには訳がある。
「それについては、まことに申し訳ありません。騎士の方は、人々の統制や治療で手一杯でして・・・・・・」
襲撃以降、騎士たちは避難民たちの行軍の統治に手一杯になっていて、彼らの不満や要求を聞き答えることに奔走していた。
そのため、彼らは避難民の直接の護衛にしか兵を割くことが出来ず、周囲の索敵を、練想術に頼む他なくなっていたのだ。
効率としては、練想術士の索敵の方が、効率がよいからである。
平謝りのシグに、練想術士たちは不満を抱きつつ、しかし逆上するまではしない。
「まったく。平時でもむかつくのに、他に人がいないからってお前の顔を毎回見なければならないこっちの事も考えろ」
「すみません。俺以外の補佐官は、およそ負傷が大きく、安静が必要でして」
「あぁ。分かっているよ」
だから、だと相手は言う。
「用が終わったら早く帰れ。今のところ、周囲に異常はないからよ」
「分かりました。ありがとうございます」
報告に礼を言って、シグは去ろうとする。
踵を返し、元来た道を戻っていくシグを、練想術士たちは見送る。
そんな中で、ふとエヴィエニスがあることを思い出し、また思いつく。
そこで、彼女は背後の部下に表情が見えないように気をつけながら、
「シグ殿」
声をかける。
「そういえば、サージェが気にしていましたよ。貴方が負った怪我の具合を」
その言葉に、周囲の練想術士は不審げな顔を浮かべ、またシグは足を止めた後、エヴィエニスを見る。
一瞬、その目には凄まじい怒りが浮かんだが、すぐにシグはそれを消して、微笑む。
「はぁ。よく分かりかねますが、彼女には一言、気にする必要はないとだけお伝えください」
「そうですか? 本当に、なんともないのですか?」
少しだけからかうように笑いつつ、しかしエヴィエニスは目を据える。
真剣な眼差しに、シグは、
「えぇ。では、自分は他の場所にも用があるので」
そう言って、踵を返してこの場を去っていく。その際、微かに舌打ちめいたものが聞こえた気がしたが、それは気のせいではないだろう。
去っていくシグを、エヴィエニスはじっと見送る。
そんな中で、背後から練想術士たちが近づいてきた。
「エヴィー。なんだ、あいつの怪我って?」
「なんでもありませんよ」
尋ねてくる彼らに、エヴィエニスはつまらなそうに言うと、それ以降口を閉ざす。
そんな彼女に、練想術士たちは不審がるのだった。
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