36.捨てがまりの騎士

 避難民集団の最後尾、そのさらに後方に当たる場所で、ロミアたちは奮戦していた。

 迫った魔物の集団に対し、少しでも粘って時間を稼ぐべく戦う彼女らだったが、戦況は思わしくない。

 それを象徴するのが、ロミアの状態だった。

 指揮官であるとともに、最前線で剣を振るうことで周りを鼓舞する戦士でもある彼女であるが、そんな彼女は今、手傷を負っていた。

 エヴィエニスたちに無理を言って新調してもらった黒い団服は、彼女の血によって赤く染まっている。


「くっくっく・・・・・・人間にしてはなかなかやりおるではないか」


 そう言って笑ったのは、ロミアの眼前にたつ、異形の魔物だ。

 人型であるが、人ではない。

 なぜなら、そいつには四本の腕があり、背には巨大な鷲の翼が生えている。

 そしてその手にはそれぞれ剣が握られていて、返り血によって赤く鈍く輝いていた。

 そんな異形の魔物と相対し、ロミアは厳しい顔でそいつを睨む。

 軽く息が上がる中、それでも彼女は、地面を蹴った。

 肉薄した彼女は、斜め下方向、袈裟切りの斬撃を叩き混む。旋風のように鋭く速い斬撃は、並みの魔物だったならば瞬殺できる。

 しかし、その魔物は二本の剣で軽々とそれをいなし、残る二本の剣ですかさずカウンターの刃を高速でひた走らせる。斬撃をいなされたことで体勢を崩していたロミアは、すぐに後方へ跳躍するが、回避は間に合わず、刃の切っ先が肩を抉った。

 防刃仕様のために浅くは済んだものの、血飛沫が舞い、ロミアは着地を乱す。

 そして、その傷口を咄嗟に押さえた掌が、瞬く間にじわりと血液で滲んだ。

 その様を、目の前の魔物は笑う。


「だが、まだまだだ。我の如き魔王と相対するには、まだまだ力が足りぬ」

「魔王・・・・・・貴様が、か」


 魔物の台詞に、ロミアが呟く。

 魔物たちの王であり、国を滅ぼすほどの影響力とカリスマ性を持つ個体、それが目の前の一体らしい。

 おそらくは、神聖マクスブレイズ王国を滅ぼした元凶の一体――そうロミアは考えた。


「魔王直々に出てくるとは。北の戦場は放っておいていいのか?」

「くっくっく。あそこは直にケリがつく。我の力など、必要あるまい」


 ロミアに応じ、魔王は刃の血を舌なめずりして味わう。

 自分の血をすする相手に、ロミアは嫌悪を覚える。


「北の戦地よりも、まず貴様は己の心配をしたらどうだ? 命乞いすれば、そうだな・・・・・・後ろの民衆どもと引き換えに、命は助けてやっても――」

「断る。守るべきものを差し出すほど、私は保身的ではない」


 相手の妄言を遮り、ロミアは剣を構える。

 手傷は多く、おそらく今の状況と実力では、目の前の魔王には勝てない。

 だが、それでも、彼女は逃げるつもりはなかった。勝てない相手でも退くわけにはいかないと、彼女は己を奮い立たせる。

 そして、魔物に再度突撃しようとした、その時であった。

 突然眼前に、馬が割って入り、横を騎士たちが抜き去っていく。

 そして、彼らが魔王へ躍りかかる中、眼前の馬に乗っていた騎士が、目の前へ下り、彼女の負傷していない方の肩を掴んだ。

 そして、強引に馬へ乗せようとする。


「! 何をする?!」

「お逃げください、団長。ここは我らが請け負います」


 そう言って、その騎士は強引にロミアを馬に乗せる。

 その行為に、ロミアは怒る。


「ビリー! 貴様、何を勝手に――」

「団長が討たれれば、我らの負けです。ですが、団長が生きて兵を率いている限り、我らの負けではありません」


 烈火の如き怒号を放つロミアに、しかし怖じ気づくことなく、その男騎士は言った。


「敵を壊滅させる必要はない。ただ足止めするように、と命じたのは団長でしょう? それを指示した団長がいなくなっては、意味がないのですよ」

「! お前、まさか身代わりになる気か?!」


 馬に乗せられながら、ロミアは相手の意図に気づいて言う。

 自分が勝てない相手に、配下で勝てる者はいない。

 それなのに自分を差し置いて立ち向かう意味を、彼女は敏く悟った。


「ま・さ・か。適度に戦ったら逃げますよ。私たちだって、無駄に死にたくはないですからね」


 いつものように、男は軽口を叩く。

 そうすることで、ロミアを安堵させるように。


「ですから、退いてください。騎士を最後まで指揮をするのも、団長の勤めです」

「――っ! すまん、恩に着る」


 そう返したロミアに、ビリーは笑みを浮かべ、馬の背を打つ。

 それにより、馬はこの場を離れるように駆け始め、ロミアは後退させていった。

 それを見送ると、彼は魔王を望む。

 そこでは、すでに斬りかかった騎士たちが何人か倒れていた。

 だが、それでも騎士たちは、剣を手放さない。


「よし。全員、ここで死ぬぞ」


 そう、ビリーは言った。


「団長や仲間や民たちを逃すため、ここで死ぬ。無駄な死ではないはずさ」

「了解・・・・・・!」

「心得た!」


 手傷を負いながらも、騎士たちは答えて構える。

 それを見て、魔王は嗤う。


「無駄なあがきだ。どうせ最後には、皆死ぬのだぞ?」

「ねぇよ。俺たちは、俺たちの仲間は、必ず人々を逃しきる」


 魔王の台詞を力強く否定し、騎士たちは言う。


「お前が思っているほど、セルピエンテの騎士は弱くない」

「人間をなめるな、魔物風情が」

「なめているのは貴様らの方だ」


 意気込む騎士たちに、魔王はさらに嗤い、言った。


「魔物をなめるな。もはや、人間が支配する世界は終わる。傲慢な支配者は魔神がたにより蹴落とされる運命にある」

 そう言うと、魔王は背の翼を大きく広げる。


「嘆け。そして喚き、絶望しろ。人間にはそれがお似合いだ」

「言ってろ、化け物。最後に勝つのは、人間だ!」


 威圧感と恐怖を伝えてくる魔物に、騎士たちは言い返して襲いかかる。

 ここに残った彼らは、最後のひとときまで戦い続けた。

 皆殺しにされる、その時まで。





「エヴィー! 敵が退いていく」


 人々の避難を誘導していたエヴィエニスの元へ、仲間の練想術士からそう報告がきた。


「横から迫っていた魔物たちは、撤退に移ったようだ。感知している奴から、そう連絡が入った」

「後方から迫った敵もだ。どうやら、追撃を諦めたようだ」


 次々と入ってくる安堵と喜色混じりの報告に、しかしエヴィエニスは安心しない。


「油断はなりません。まだ、敵がこちらを油断させているだけかもしれないのですから」

「エヴィエニス。後方から、ロミア団長たちが戻ってきたようじゃ」


 警戒を怠らないよう指示を出すエヴィエニスに、そう声を掛けてきたのは、練想術士の一人、ヘスベルンだった。

 それを聞き、エヴィエニスはそちらへ向かう。

 やがて彼女は、この場へ戻ってきたロミアを見つけ、そのひどい有様に驚く。

 滅多に怪我しない彼女が負傷し、周りの騎士共々、険しい顔であった。

 彼女たちは、近づいていくエヴィエニスたちに気づくと、顔を上げて力なく笑う。


「やぁエヴィエニス殿。騎士に協力して、民を誘導してくれたようだな。礼を言う」

「・・・・・・いえ。それより、お怪我の方は?」

「たいしたことはないさ。そちらの作ってくれた団服のおかげでな。だが・・・・・・私の代わりに、多くの騎士が犠牲になった」


 そう、声を沈ませるロミアに、周りの騎士たちは「団長のせいではありません!」と口々に否定し、励ます。

 その姿を見て、エヴィエニスは内実心が痛むが、表面は平静に、口を開く。


「ロミア団長。悪い報せ二つがあります。中盤の戦場でも、多くの騎士がなくなり、民の被害も少なくありません。そして、逃亡していった民たちですが――」


 そこで言葉を切り、一瞬迷ってから、エヴィエニスは仕方なく告げる。


「最前線で、待ち伏せにあったようです。それにより、ライル団長をはじめとした多くの騎士と、逃げた民衆が多数犠牲になりました」

「・・・・・・そうか」


 沈痛な面持ちで、ロミアは頷く。

 周りの騎士たちが愕然とする中、彼女だけ大きく取り乱さないのは、そうすることで周りの混乱を少しでも抑えるためだろう。

 実際には、彼女も事の深刻さに悲嘆して、慟哭したいはずだ。


「ただ、それでも被害は抑えた方です。貴女の息子のシグ・バーレイグが、敵の狙いに気づいて他の騎士ともども奮戦したおかげで、最前線の敵も駆逐し、突破口は確保したようです。今、多くの民はそこからこの場を離れているそうです」

「シグが・・・・・・。そうか」


 息子の活躍に、しかしロミアは全く喜ばない。

 ただ、彼女の顔には強い責任感による自責が浮かんでいる。

 そんな彼女の様子が、エヴィエニスには痛々しい。


「ともかく、騎士たちをまとめて、護衛を引き続き行なわなければ・・・・・・。エヴィエニス殿。悪いが、引き続き周囲の様子を探ってくれ」

「了解しました。お任せください」

「感謝する。では、我らもこの場を早く離れよう」


 その提案に、エヴィエニスは頷く。

 こうして、避難民の逃避行における戦闘は終結する。

 しかしこの戦いで、民と騎士はその二十分の一が犠牲になるという、大変な被害を被ってしまったのだった。

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