20.師の出自と怒りの訳

「あ・・・・・・フェルズさんも休憩ですか?」


 現われた男に、サージェは明るい声で尋ねる。

 あまり冴えない顔をした、眼鏡姿のその男性は淡く微笑身を返した。


「あぁ。だがそれよりも、あまりよくない報せがある」


 彼は全員の顔を見回しながら近づくと、椅子に座るか座らないか迷いながら、口を開く。

 その言動に、この場の皆は不審がった。


「なんだ? よくない報せって」

「あまり大声では言えないことだ。練想術士以外には秘匿にしてほしいんだが」

「だから、何が?」

「・・・・・・直に、王都全体にも避難指示が出るそうだ」


 ややあってから言葉を発した男・フェルズに、練想術士たちは顔を合わせた。

 そこには驚きと動揺が浮かび出す。


「それって・・・・・・」

「ふむ。そんなに、魔物との戦いの戦況が芳しくないのか?」


 少し前まで、練想術士たちを安堵させていたヘスベルンが、険しい顔でフェルズを見る。

 その視線に、フェルズは頷いた。


「今、工房の奥でエヴィエニス殿が騎士たちと話し合っている。表向きは新しい装備の受け取りのためだが、それだけでなく、避難に際しての細かい指示が来ているようだ」


 そう言いながら、彼は工房の方角を見ていた。

 その顔は真剣で、彼が言っていることが冗談の類でないことは、彼を知る練想術士たちにはよく伝わる。


「王都に避難指示って、そんなにまずいことなの?」


 大人の練想術士たちの顔色を見て、サージェは尋ねる。

 その純粋な疑問に、多くは戸惑ったが、ヘスベルンとフェルズは微苦笑した。


「そうじゃな。まず、北の民たちの避難先が、ここ王都になっていたはずだ」

「その王都が、今度は避難の指示を受けた。つまり――」

「そっか。避難先が避難の対象になったということは、ここも危ない、と」


 サージェは納得してから、自分の言ったことの事態の重さに気づいたようだ。

 その目が、すぐに丸くなる。


「って、えぇ?! それって、かなりまずいことなんじゃ・・・・・・」

「そうだね。もしかしたら、王都も戦場になるかもしれないということだからね」

「お、押されているの?」


 サージェに続いて尋ねたのは、先ほどからネガティブな言葉も発していた女性練想術士、フラズクスと呼ばれた人物だった。

 同じように眼鏡をかけたフェルズは、そんな彼女に笑みを消しながら、


「それほど押されているわけではない、と騎士は言っていた。しかし国王が、万が一に備えて先手を打つとのことだ。そこで、一部の非戦闘員たる市民を避難させるとのことだった」


 そう言うと、再び工房の奥へ目を戻す。

 騎士の言葉を信じるならば、それほど劣勢には立っていないものの、わざわざ王都まで避難指示が出るとなると、その信用も下がってくる。

 不要な混乱を避けるため、情報を秘匿にしているのではという疑いもあった。

 そんなことを気にかけながら、サージェの顔には陰りが落ちる。


「師匠、大丈夫かな? 嫌な思い出、思い出さなきゃいいけど・・・・・・」

「嫌な、思い出?」


 呟く彼女に、フラズクスが不審そうに尋ねる。

 答えたのは、別の練想術士だ。


「覚えてないのか。エヴィーは、故郷の祖国が戦争で滅ぼされてここへ来た難民だ。幼い頃に国を失い、両親親族も息絶えて、危うく人攫いにあったところをプロソフェル家の先々代に助けられたんだ」


 その言葉に、「そういえば・・・・・・」とフラズクスも思い出したようだ。

 そんな彼女に、フェルズは顎を引く。


「新たに出来た祖国が、今度また滅びるかも知れないとなって、彼女も嫌な気分かもしれないね」

「うん。だから、すごく心配なの・・・・・・」


 そう言って、サージェは過去の、ひどく嫌な思い出を思い出さざるをえなかった。




 初めて会った時のエヴィエニスは、表現するならば腐りかけの人形だった。

 少女ながらにとても美しく、同性のサージェからみても綺麗な子だな,と言う印象だったのを覚えている。

 しかしながら、その内面は腐敗しており、崩壊寸前であった。

 常に自分自身を傷つけるような言動を取り、また近づく他者も刃のように切り裂いた。

 サージェは、その過程で何度も傷つき、幼馴染みなどに何度助けられたことか覚えていない。

 刃のような、というのは形容ではなく、実際にそうだったエヴィエニスは、周りの皆が手を焼いた。

 多くの者が、彼女から手を引くように動く中で、それでもなお、サージェをはじめとした多くの人間たちは彼女をなんとか立ち直らせようとした。

 かなり険しい道だったのは、筆舌しがたく、具体的に思い出せないほど曖昧な記憶になっている。

 それでも、結果としてエヴィエニスは、練想術士の先々代宗領や、サージェたちのおかげで、癒やし立ち直らせることができた。

 生きる価値がない、存在自体が罪だ、などが口癖だった彼女を、自分自身で否定できるまでにしたのは、ひとえにサージェたちの努力の賜物だ。




 そんなことを思い出す一方、サージェはごく先日の、嫌な出来事まで明瞭に思い出してしまう。

 とある王国の姫との会話だ。

 彼女は、あのときのエヴィエニスと同じように、いや、見ようによっては過去から立ち直ったエヴィエニスやサージェたちの努力すらも否定するような発言を放った。

 それは、サージェにとってひどく侮辱的な言葉であった。

 否、サージェ以上に、エヴィエニスに対する嘲弄の発言だったといえよう。

 そんなことを思い出すと同時に、彼女はそんな姫の言葉を肯定したとある騎士のことを、その軽薄な笑みを思い出す。

 姫の侮辱に従ったあの笑顔、その軽さに、サージェは沸々と怒りを混み上がらせる。

 その態度は、まるで共有していた過去を、一方的に踏みにじられたような気分であった。

 それが、本当に腹立たしい――


「? どうした、サージェちゃん? 怖い顔になっているが?」

「ふぇ?」


 自分の思考にのめり込んでいたサージェは、突然かかったフェルズの声で我に返る。

 見ると、周りの皆は、不審そうな顔で自分を覗き込んでいる。

 それは、不審げであり、またどこか心配そうだ。


「な、何でも無いよ! そんな心配しないで!」

「・・・・・・そうか。ならば、いいんだが」


 慌てて手を振るサージェに、不審に思いながらも、全員追及するような真似はしなかった。

 代わりに、話を戻す。


「ところで、今は騎士の誰が来ているんだ? まさか、お前の馬鹿息子もいるんじゃねぇだろうな?」


 練想術士の一人が、フェルズにそう尋ねる。

 すると、フェルズはなんとも言えない様子で苦笑した。


「そのまさか、だよ。今、妻や部下と一緒に来ている」


 その言葉に、サージェの顔は強ばった。

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