19.練想術士の井戸端会議
人が、せわしく行きかっている。
普段は人もまばらな廊下を、今は常に駆け巡る人の姿が確認できる。
走っているのは騎士や文官で、その中でもとりわけ騎士の姿が多い。
その全員というわけではないが、多くが焦り慌てた様子で、早く情報や書類を届けようという様子で、忙殺されているようであった。
「いやぁ。大変だなぁ、騎士の皆さんも」
騎士たちの行きかう姿を職場の休憩スペースから見ていたサージェに、声を掛けてきたのは中年の練想術士であった。
彼女が振り向くと、目には軽めの無精髭に蓬髪の男の姿が映る。
「まさかこんな平和な国に、戦火が訪れるだなんて思ってもいなかっただろうに。騎士になれれば格好つけられると思っていた奴らが、まさか生死を分ける最前線に放り込まれるなんてな」
「・・・・・・不謹慎ですよ、スコットさん」
男の配慮のない発言を、純真な赤い瞳を尖らせながら、サージェは注意する。
「あの人たちは、お国のために、王様たちや国民を守るために戦いに赴いているんです。私たちだって、その対象なんですよ。それを、そんな軽率に――」
「はいはい。まったく、サージェちゃんは生真面目だねぇ」
男・スコットはサージェの説教めいた苦言を途中で遮ると、その髪を笑いながらくしゃくしゃと撫で始める。
それに、サージェは「やめてください」と不平を言うが、男は構わず、笑うだけだ。
軽いスキンシップのつもりなのだろう。
「サージェが生真面目なのは確かだ。しかし、お主は不真面目すぎるぞ」
そう口を挟んだのは、工房がある方向からやってきた複数の影であった。
やって来るそれら人影のうち、先頭に立つ老人の姿を見て、スコットは露骨に顔をしかめる。
「げぇ、爺さん。なんでいるんだよ」
「何で、だと? 貴様のような不真面目な奴がいるせいで、おちおち隠居もしていられないからではないか」
嫌そうな顔をする年少者に、老人は憤懣も露わに言い放つ。
そんなやりとりの一方で、サージェが立ち上がり、深く一礼をする。
「お疲れ様です、ヘスベルン先生。休憩ですか?」
「あぁ。サボっている、そこの馬鹿とは違ってな」
礼儀正しいサージェに相好を崩し、ヘスベルンと言われた老人は椅子に座る。
そんな彼に、「俺だって休憩だ」と不満そうにスコットは言うと、ヘスベルンの後に続いてきた仲間と同時に、椅子へ腰をかけた。
彼らが座ったのを見て、サージェも腰を下ろすと、彼女に練想術士たちの視線は集中する。
「サージェちゃん、疲れていない? 一昨日から、家に帰ってないんでしょ?」
「そうそう。エヴィーの手伝いで、付きっ切りだったんだろう?」
口々に、練想術士たちはサージェを気遣う。
魔物との戦いが始まってから、サージェはエヴィエニスと共に城で寝泊まりしており、自宅へと帰っていない。戦いの対応でエヴィエニスが忙殺されているのを手伝うためで、二人は数日間、ずっと家にいた。
心配してくる同僚たちに、サージェは手を振る。
「そんな大したことじゃないよ。師匠を助けるのも、弟子の勤めだし。私に比べたら、師匠の方が大変だもの」
「ふむ。実に健気で純粋な心がけじゃな、サージェよ」
控えめなサージェに、ヘスベルンが好ましそうな温かい笑みを浮かべる。
「練想術士が皆、お主のように真面目で勤勉であればな。まったく最近の若い者ときたら――」
「うわぁ。また始める気か、爺さん。得意の若手弄りを」
「馬鹿もん。儂だって好きでしておるわけではないわ!」
何やら語り出しそうなヘスベルンをスコットが再び嫌な顔で遮ると、ヘスベルン本人は不快そうに怒る。
そして、何やら二人でにらみ合いを始めるが、そんなやりとりにサージェたちは苦笑するしかない。
「それにしても、魔物の侵攻だなんて・・・・・・急すぎますよぉ」
そう口を開いたのは。練想術士の中の端にいた、一人の女性であった。メガネをかけた陰気そうな顔立ちの人物で、ボサボサ伸びた髪の下、落ち着かない様子で視線を泳がせている。
「しかも、お隣のマクスブレイズが滅んでいたっていうじゃないですかぁ。そんな話、つい先日まで全く知りませんでしたよぉ・・・・・・」
「うむ。国王様も隠していたわけではないだろうが。確証が出るまで、公表は出来なかったのだろう」
女の言葉に、ヘスベルンが加わってくる。
「下手に風説が流れれば、不安になって国民が混乱する――それを心配して、防備が完了するまで伏せておきたかったのだろう」
「しかし、実際には庶民たちを安心させるよりも先に魔物が来ちまったわけだろ? 少し手を打つのが遅れたんじゃねぇか?」
ヘスベルンに続いてスコットが口を挟むと、他の練想術士たちも加わる。
「そうねぇ。でも、民の避難は混乱こそあれ、迅速に行なわれているそうじゃない。今のところ、魔物は海の上で迎え撃てているみたいだし」
「だよな。案外、もう防ぐ体制は完成していたのかもな」
口々に、彼らは自分たちの知っている情報を言い合う。
隣国の大陸国家・神聖マクスブレイズ王国が陥落したことがセルピエンテ王国全土に知られたのは、つい三日前のことだ。王からの告示で知らされた国民は、同時に王から、北方より魔物の大軍が迫ってきているため、、国の北部よりの避難指示が通告された。現状では、海上で魔物を迎え撃っているが、念のためということである。
なお、現状国民に知らされている情報はここまでだ。
すでに戦況が、海での水上戦から軍港での要塞戦に移ったことを知る国民は、当然ながらほぼいない。
「大丈夫、ですかね? 騎士の方々が、奮闘されていますが・・・・・・」
戦況について、サージェが心配そうな声を漏らす。
それに対し、応じたのはスコットだ。
「さぁな。だが、案外大したことないんじゃないか? 避難も一応の処置だろうし、そうそう騎士たちが負けるとは思えねぇな」
「で、でも、マクスブレイズは戦士大国だったじゃないですか。そんな大国が瞬く間に滅んだんですよぉ? 私たちの国だってひょっとしたら・・・・・」
「心配するな、フラズクス。マクスブレイズと我らの国は違う」
不安げな女性に、ヘスベルンが言う。
「マクスブレイズは軍事大国であり、また魔王を倒した勇者を、一番輩出した国として知られてはいた。しかし、近年は度重なる大大陸への出兵で疲弊していた。ゆえに、魔物の急な大量出現に堪えられなかったのだろう」
じゃが、とヘスベルンは続ける。
「我が国は、ここ百年戦争らしい戦争はしていない。そのため国力が漲っておる。戦える気力は充分にあるわい」
「だが、それはかえって戦闘経験が不足しているといえるんじゃねぇか?」
ヘスベルンの解説に、意地悪くスコットが釘を刺す。
それに対し、老人は鼻を鳴らした。
「馬鹿たれ。戦闘経験なら、魔物退治などで充分あるわ。儂やお主だって、騎士連中と一緒に出たことがあろう」
「そっか。じゃあ、魔物が大群で来ても――」
「充分戦えるわい」
少し安心した様子のサージェに、後押しするようにヘスベルンは頷く。
「それに何より、我らの国には、練想術がある。おかげで我が国の技術は大いに発展した。あまり公言は出来んが、おかげで軍の戦闘技術も向上しておるわ。魔物がどれだけ来ようと、そう易々と引けを取らんわい」
「だと、いいがな・・・・・・」
自信を持って言うヘスベルンに、スコットは失笑気味な苦笑をする。
そんな彼の態度に、「このあまのじゃくが」とヘスベルンは憤る。
二人のやりとりに、練想術士たちはその多くが不安が氷解した様子だった。
「でも、ヘスベルン先生が言うなら、安心できますね」
「そうだな。実際、うちの国がそう簡単に負けるもんか。フェルズの嫁さんみたいな、怪物みたいな人だっているしな」
ある中年練想術士の言葉に、彼らは笑い合う。
大人たちが笑う中、サージェはどう反応したらいいのか、ぎこちない愛想笑いを浮かべていた。
「人の嫁を、そんな化け物みたいに言わないでくれるか?」
かかった声に、その場の全員が目を向ける。
声のした方向に立っていたのは、白衣のような外套を着た、壮年の男性であった。
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