思い悩む者たち――――――――――――――――――――――――――――

10.練想術師弟の家族関係

 すっかり日が暮れた道を下り、サージェは自宅へとたどり着いた。

 ドアを開け、羽織っていたコートを脱ぐと、彼女はベッドへ向かう。


「はぁ~ただいま~。今日も頑張ったよぉ、私――」

「こら。待ちなさい、サージェ」


 ベッドへ勢いよくダイビングしようとした彼女の首根っこを、背後からむんずと掴む人物がいた。

 エヴィエニスである。

 白銀の髪と白磁の肌の美人が、その顔にやや怒気を浮かべながら、サージェをにらみ据える。


「また行儀悪くベッドに飛び込もうとして。子供じゃないんですから、まずは着替えてからゆっくりと寝転がりなさい」

「えぇ~たまにはいいじゃなーい。エヴィーのケチぃ」


 説教気味に注意をするエヴィエニスに、サージェは駄々をこねるように不平を言う。

 それから、彼女は仕方なく捨てかけていたコートを壁にかけると、洋服の入ったキャビネットの前へ移動し、外出用から屋内用の服へと着替え始めた。

 それを見ると、エヴィエニスも頷き、サージェに並んで着替え始める。


「まったく。油断も隙もないですね、サージェは。もう少し大人っぽく、乙女っぽく振る舞えるようになったらどうです?」

「むぅ。その言い方だと、私がいつも子供っぽいみたいじゃなーい」

「子供っぽいから言っているのです。大体貴女はですね――」


 唇をすぼめるサージェに、エヴィエニスは眉間に皺を寄せながら言葉を紡いでいこうとする。大方、説教を続けるつもりだろう。

 そんな彼女を見て、サージェは不満そうな顔をした後、ふと何か思いついた様子で、口を挟む。


「なら言わせてもらうけど、エヴィーは自分が大人っぽいと思っているの?」

「なっ・・・・・・どういう意味です! まるで、私までまだ子供っぽいみたいな言い方――」

「違うの? じゃあ、大人っぽい女性の見本を見せてよ!」

「~っ!」


 強引ではあったが、一瞬で攻守が入れ替わり、エヴィエニスは口を開閉する。

 おそらく多くの者が、その表情を見れば驚くだろう。

 クールで冷徹な振る舞いが多い彼女にすれば、それは普段ならば決して見られない表情だった。

 やがて、エヴィエニスは眼を泳がせながら言葉を返す。


「そ、そもそもですねサージェ。大人っぽい女性とは、普段の何気ない仕草に現われるものであって、いざ見せろと言われて見せられるわけではないんです」

「へぇ・・・・・・そう言って、実は自分もよく分かってないんだ。ませていただけなんだね、エヴィーも」


 そう言って、挑発を重ねるサージェに、エヴィエニスは喉を鳴らす。


「ぐっ! 怒りますよ、サージェ!」

「もう怒っているじゃん! 私だって怒っちゃうよ、エヴィー!」


 言い合いながら、二人はむむむと睨み合う。

 このくだらない言い合い、二人のやりとりは、普段の練想術士たちの工房では決して見られないものだ。

 二人が師弟であることも、上司と部下であることも考慮すれば、公的な場でまずありえない。

 しかしここは、二人の住む自宅。

 だからこそ、二人はこんな馬鹿げた痴話喧嘩を、練想術士の師弟ではなく、本当の姉妹のようなじゃれ合いが出来るのだ。




 トントントンと、小気味よく包丁で野菜を切る音が響く。

 部屋着にエプロン姿になりながら、サージェとエヴィエニスは料理に勤しんでいた。

 先ほどの議題、どうすれば大人っぽく見えるかについては、長い口論の末、一旦お開きにして、ひとまず夕食を作るという休戦協定がなされて落ち着いた。

 腹が減っては戦が出来ぬ、という奴である。

 一緒に野菜のスープやサラダを作りながら、サージェはふと、ある事を思い出して、手を止めた。


「ねぇエヴィー」

「はい。なんでしょう?」

「・・・・・・あの、さ。正直なところ、エヴィーはシグのことどう思っているの?」


 ピタッと手を止め、エヴィエニスはサージェの方をのぞき見る。


「藪から棒ですね。どうしたのですか?」

「今日さ。生徒の皆が、シグに集まっているのを見てさ、妙な気になっちゃった。子供たちは彼のこと慕っているみたいで、大人はシグのこと嫌いで。どっちが本当の彼なんだろうって」


 包丁を置いて、切った野菜を凝視しながら、サージェは考え込む。

 大人の前では、安い笑みを浮かべるシグ。そこで彼は嫌われている。

 一方子供の前では、面倒くさそうな顔をした彼。しかしそれでも、彼は子供たちに好かれていた。

 そのどちらが、彼の本質なのか分からなくなって、サージェは問う。

 そんな質疑に、エヴィエニスは眼を細める。


「なかなか、答えるには難しい問いですね。どちらが本当の彼、素の反応かと言われれば、間違いなく子供に対するものがそうでしょう。大人に対して向ける軽薄な笑みは、明らかにトラブルを避けるための偽りの表情です」


 そう答え、彼女はサージェが振り向くのと入れ替わりに顔を背ける。


「ですが、それとこれとは話が別です。彼の本性がどうだろうと、私が思う彼への所感は変わりません」

「そう・・・・・・じゃあ――」

「ですが、その前に訊きますが。サージェは彼をどう思っているのですか?」


 質問に答える前の確認として、エヴィエニスはサージェに問う。


「やはり、憎いですか彼は?」

「いや・・・・・・そんなことは・・・・・・」

「では、好きですか?」

「ううん。そういうわけでも・・・・・・」

「じゃあ、嫌いですか?」


 立て続けに、エヴィエニスは尋ねる。

 それにまごついた反応を返しながら、サージェは唇をきゅっと締める。


「・・・・・・嫌いじゃ、ないよ」


 やがて、サージェは震える声で、ともすれば消え入ってしまうようなか細い声で言っていた。


「昔はよく遊んでくれた相手で、一緒に練想術習っていた仲間だったんだもん。嫌いなはず、ないよ。けど・・・・・・」

「けど?」

「皆が彼を嫌いだから、悪く言うものだから、私もシグのこと嫌いになっているような気がして。やっぱり、嫌いになったら、この胸のもやもやも楽になるのかな?」


 戸惑うように、正直に自分の気持ちを口にする。

 そんなサージェに、エヴィエニスは一瞬呆れるが、すぐにその感情を消して、彼女を流し見た。


「そうですね。それについての回答を、正論を口にするのは簡単ですが、遠回しに貴女を庇うならば――貴女は、優しすぎますね」


 そう言って、エヴィエニスはサージェが再び振り向くのを尻目に続ける。


「周りに同調して、素直に人を貶める事もできない。それができれば、きっと楽なのでしょう。でもそれができないから、苦しんでいる。難儀なことです」


 ですがね、とエヴィエニスは言う。


「なんでもかんでも、他人に合わせる必要はないんです。嫌いじゃない人間を、無理に嫌う必要はないんです。たとえ彼が昔、貴女を非常に傷つけた相手だとしても、嫌いになりたくないんだったら嫌わなくてもいいんです。辛い道、ではありますけれど」

「そう、かな?」

「えぇ。あくまで貴女の場合に限れば、ですけれどね」


 すべてに通じることというわけではないと注意しながらも、エヴィエニスはそんなアドバイスを送る。

 それを聞き、なんだか少しであるが、サージェは気が楽になった。


「じゃあ、エヴィーもシグのこと、嫌いじゃなかったりするの?」

「いいえ。私は彼の事、嫌っていますよ」


 あっけらかんと、エヴィエニスはそう断言した。

 それを聞き、サージェは思わず「えぇ・・・・・・」と頬を引き攣らせる。

 こほん、と咳払いをしてから、エヴィエニスは語った。


「大体ですね、彼は練想術士たちに対し、おおっぴらに裏切り行為を働いていますからね。術士を目指して師事を仰いでおきながら、それを途中で辞めるなどというのは言語道断です。姉弟子として、見過ごせません」

「ま、まぁ、エヴィーの立場からすればそうかもね」

「でしょう? それに、彼は自分の父親に、フェルズの顔にも泥を塗ったわけですからね。あんな親不孝者を、許容できるわけありません。私は、サージェと違って寛容ではないのですから」


 そう、エヴィエニスは断言する。

 そこには、多少なり彼女の立場というものがあるだろう。

 現時点で練想術士の宗領であることもあって、裏切り者には断固として対応しなければならない。

 下手に例外を認めるようなことをすれば、練想術士内の固い結束にヒビを入れることになりかねないからだ。

 しかし、それにしても、だ。


(ちょっと、狭量じゃないの、それ・・・・・・)


 立場があるとはいえ、少しきつい言い分に、サージェはそんな事を思う。

 やはりそこには、多少なり私意も混じっていると思われる。

 だとすれば、結局エヴィエニスも、シグの事が嫌いなのかもしれなかった。

 そんな事にもやもやとした思いを抱きつつも――

 しばらくしてから、サージェとエヴィエニスは、夕餉の支度を再開するのであった。

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