エピローグ
エピローグ
『南方の小国リルムウッドに新しい竜王が現れる』
噂はすぐに大陸全土に広まった。
だが、全ての人が信じたわけではない。むしろ、馬鹿げた話だと一蹴する人のほうが多かった。
何より、もう一つの噂のほうが多くの人の関心事となる。
リルムウッドはローデリアと手を切った――エーテル制限に苦慮したリルムウッドは、ローデリアと敵対することを決めた。
噂では済まない話。
当然ながら、周辺の国からは真実を確認するために、多くの人間がリルムウッドを訪れるようになる。
「では、本当なのですね? 貴国がローデリアに反旗を翻したというのは」
「それではまるで、リルムウッドが反逆者のように聞こえますね。あくまで、独自に行動するというだけのこと。もちろん、ローデリアから干渉があれば、退ける覚悟はあります」
「なるほど……わかりました。ではこの話、国に持ち帰りたく思います。これにて失礼」
謁見の間にて、リィンは他国の使者と会談をしていた。リルムウッドの立場を確かめようと、こうした使者がひっきりなしに訪れ、リィンは少し疲れていた。今日は、この男が最後の会談相手。
リィンは仕事に区切りが付くと、ホッと胸を撫で下ろした。
「そうだ、それともう一つ」
立ち去ろうとしていた男が、急に振り向いた。リィンは急いで背筋を伸ばし、威厳を保とうとする。
「な……なんでしょうか?」
「この国に……その、竜王がいる、と。そのような、まあ他愛のない噂話ですが……聞いたことはありませんか? 竜王がここにいるという噂」
「はい、もちろんです」
「はあ、やはり噂ですね。まさか、竜王が復活したなどと」
「いいえ、本当です。この国には竜王がおります。それも、とびきり性格の悪い、人でなしの竜王です。ぜひこの件も、貴国の王にお伝えくださいませ」
「え……ああ、はあ? わ、わかりました」
男はリィンの言葉を理解したのか、しなかったのか。おかしな顔をして、そのまま退出していった。
「リィン様、おふざけもほどほどになさいませ」
後ろに控えていたサヤが釘を刺す。なにせ、男が退出してすぐに、リィンはくすくすと笑い出していたからだ。
「そんな意地悪をいわないで、サヤ。もしかして、まだ怒っているのですか?」
「もちろんですっ! まったく、リィン様ときたら。まさかこの国と命運を共にしようとしていたなんて……怒るどころではありません!」
サヤは頬を膨らませ、子供のように怒りを表現してみせた。リィンは少しだけ神妙な面持ちになる。
「本当に……ごめんなさい」
「はぁ……わかっていますよ。リィン様がそういう方であることは。本当は怒っているのではなく……寂しかっただけですから。せめて、私くらいにはきちんと話していただきたかったんです」
「……わかりました。これからはもう少し、あなたにも愚痴くらいは聞いてもらいます」
リィンの言葉を聞いて、サヤは驚いて目を丸くしてしまう。だが、次の瞬間には、顔の筋肉が緩んでいる自分に気づいた。
だから、一度咳払いをして、気を取り直す。
「ですが、お仕事は別ですよ。ここはきちんとしないと……」
「だって、皆さん……本当におかしな顔をされるものだからっ! つい……それに、噂を広げるのは大切なことですもの。サヤだって、影で笑っていたのでしょう?」
「私はそのような……プッ、そのようなことは……ププッ……ふうぅ! してません」
二人はお互いの顔を見合う。そして、結局どちらも大笑いをしてしまった。
「笑い事ではすみません! 何を考えているのですか、女王陛下はっ!」
「ところでサヤ、マーカス様はどちらにいらっしゃるのかしら? 今日はお見かけしていないのだけど」
「あの男なら、朝食を食い散らかした挙句、さっさと出かけていきましたよ。今日は町外れの古い砦に向かうとか。何でも、『疼いてる』とかなんとか……まあ、教えてくれたのはカッツェでしたが」
「なるほど! では邪魔をするわけには参りませんね。夕食時に労うことにしましょう」
サヤは不満そうな表情を浮かべる。
「そのようなこと……リィン様がする必要はありません! 適当に風呂にでも沈めておけばよいのです!」
「では、お風呂の用意を! ワタクシも疲れてしまいました。勉強の前にさっぱりしましょう」
「お背中、お流ししますよっ!」
サヤは飛び出すように走り出す。足取りは何とも軽い。彼女を見送ってから、ゆっくりと目を瞑る。
「どうかご無事で」
「ふああぁぁっ! いい天気だなぁ」
大きな欠伸をしながら、歩いている男。空を眺めれば、どこまでも蒼く晴れ渡っている。まさに快晴の陽気である。
「相変わらず呑気だな、アンタは! こっちはどうなるもんかと緊張しっぱなしだってのに……ああ、クソッ! 武者震いがするぜ!」
ブルルッと体を震わせるカッツェ。だが、マーカスはもう一つ大きな欠伸をする。
「あのなぁ、別についてこなくてもいいんだぞ? 俺一人でもどうにかなるんだ……」
「そうはいかねぇ!」
カッツェはマーカスの前に立つ。
「アンタだけにいい格好させるわけにはいかないんだよ! こっちは、女王陛下の覚えをめでたくしないといけねぇんだからな。俺の仲間にも声をかけてある……何人集まるかはわからないけど……とにかく、足手まといにはならねぇぜ!」
「そうかい、まあ……せいぜい頑張れ!」
マーカスはカッツェを避けて、そのまま坂道を昇っていく。鼻息を荒くしたカッツェも、彼についていった。
「ところで、あの子は……『白霜の巫女』はどうなったんだ? 『蒼天の夜』から見てないんだが……まさかっ!」
「帰っただけだよ! あいつは……あいつの居場所は結局、ローデリアだったのさ。止める義理も……権利もねぇからな」
リルムウッドの街が蒼く染まった日。夜空が蒼く染まっていくのを、多くの人々が目撃した。国内の人間だけではなく隣国の住民も、はたまた大陸の反対側にいた人間にさえ、蒼い夜空を見た人がいたという。誰ともなく、あの夜のことを『蒼天の夜』と呼ぶようになった。
「そいつは安心したぜ。アンタのことだから、知らないところでサクッとやっちまったのかと心配してたんだ」
「ここならお前をサクッとやっても、誰も気づかないよな?」
「……冗談です」
見たことがないような満面の笑みを浮かべるマーカスを見て、カッツェはしばらく口を閉じることを決めた。
坂を登りきれば、崩れかけの砦が目に入る。かつて、カッツェ達が根城にしていた場所。
人影も幾つか見える。
「おーい、お前らっ! 来てくれたのかよ!」
「おお、リーダー! そりゃ、アンタに声をかけられたら……逃げられねぇだろ!」
「本当……俺はいい仲間を持ったぜ!」
若干涙目になるカッツェに、集まった仲間達も言葉を詰まらせる。見ていたマーカスは大きなため息を吐く。
「はああああっ……!」
わざと聞こえるように。カッツェが目を細めながら、苦々しげにマーカスを見る。
彼は適当な石に腰掛け、剣を抜いて手入れを始めていた。あからさまに「早くしろ」という態度である。カッツェは仲間達へと向き直す。
「でもいいのか? 危険……だぞ? 正直、何が起こるかわからねぇし」
「それは構わないんだが……むしろ、本当なのか? 本当にドラゴンが?」
仲間達から訝しげな視線を向けられ、何と答えていいものか、カッツェもわからなくなる。何せ、話には聞いていても、カッツェ自身も見てはいないのだ。
もちろん、マーカス……いや、リィンが嘘を吐くとは思っていない。だからこそ、カッツェも信じることにした。仲間にも声をかけた。
「も……もちろんさっ! ドラゴン退治、それが今回の仕事だぜ!」
「うーん……」
沈黙。いくら自分達のリーダーであるカッツェの言葉でも、なかなか信じるのは難しいのだろう。重たい沈黙が続く。
「面倒くせぇな。もうお前ら帰れ。覚悟がないなら、邪魔なだけだぞ」
マーカスが苛立った声を上げる。
「そうじゃなくて! 別に覚悟がないとかじゃ……にわかに信じられないってだけで、な?」
カッツェの言葉に、仲間達がウンウンと頷く。
「……わかった。ならどっちでもいいや。お前らがどうなろうと、俺の知ったことじゃないしな。いるも逃げるも好きにしな」
マーカスはおもむろに服を脱ぎ始めた。
「お、おい! 何やってんだ、このオッサン!」
「いいから見てろ! 静かに……見てるしかねぇだろ」
慌てる仲間をカッツェが静止する。
肌着一枚になり、マーカスは最後、左腕を覆う布を取り去る。
腕の形をした黒い固まり。中からは、ドクンと微かな鼓動が響く。
「さあ、来るぜ……来てるんだろ、おい! さっさと、姿を現しやがれっ!!」
膨れ上がる黒色は、次第に別の形をなしていく。二つの大きな翼と鋭い爪や牙。人に仇なす最悪の脅威――ドラゴン。
「なんかの、冗談だと思ってたのに……」
「夢……じゃねぇよな?」
想像もしなかった光景を目にした者達は、思わず本音を漏らす。
ゴクリと息を飲んだのはカッツェ。すぐに剣を抜き、戦闘体勢に入る。
「ワイバーン級……? いや、少し小せぇ。ヒドラ級か?」
「ちょうど間くらいだ。ま、余裕で片付くだろ?」
ニヤリと笑うマーカス。応じるようにカッツェは声を張り上げる。
「ああ、もちろんだ! コイツがエーテルを生むってんなら、ぶっ倒して女王陛下に献上したやらァ!!」
「安心しろよ! 死んだら墓に『女王陛下にあらぬ妄想を抱いた不届き者』って彫ってやるからな!」
「ふざけんなっ! アンタ、悪魔か!」
「悪魔で済むなら、俺も困らなかったんだがな!」
言葉こそ軽いが、マーカスもカッツェも、視線はドラゴンから離さない。
マーカスはギュッと剣を握り直すと、深く腰を落とす。
「さあ、おしゃべりはここまでだ! 気合を入れろっ!」
剣を構え、切っ先は竜の喉元を狙う。
「殺すぞ、ドラゴンをっ!!」
竜王殺しはヒトでなし! 五五五 @gogomori555
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