第7話
「どういう……ことですか?」
リィンは訝しげな視線を向ける。
当然だ。二つしか選択肢がないと言ったのは、他でもなくマーカスだったからだ。
「お前、最初に会った時に言ったよな。この国を救えるなら、例え悪魔にだって縋ってみせる……と。これは、そういう類の道だ。くそジジイの話どころじゃねぇ。本当に世界の敵になっちまう。それでも、受け止める覚悟はあるか?」
リィンは、マーカスの顔をジッと見つめる。深刻さがにじみ出ているのに、どこか清々しさを覚える表情。だから、リィンも明瞭な声で答える。
「女王として、この国を守れるのなら……どのような道だろうと進んでみせましょう!」
マーカスはニヤリと笑う。そして、すぐに上着を脱ぎ始めた。リィンは慌てて目を覆う。
「なっ! いきなり何をなさるんですか! そんな……服をっ!」
「いいから見ておけよ! これから、お前の願いを叶えてくれる最悪の存在が……ここに現れるんだからなっ!」
マーカスは左腕を覆っていた黒い布を捲り上げる。
黒い虚が象る腕。完全な漆黒。だが、リィンは気づいた。黒の中に何か……ギラリと輝くものが映ったことを。
「ほら、いるんだろ? アレだけの激痛だったんだ……出てこいよ、もう俺は邪魔したりしねぇぞっ!!」
「マーカス様……一体、何を言って?」
ドクンッ!
空気が震えた。離れた位置にいるリィンにも、肌で感じられるほどの鼓動。徐々に強くなる音は、間違いなくマーカスの左腕から響いてくる。
次の瞬間。
「グオオオオワオオオオオオオオオンンンッッ!!」
マーカスの左腕から、『黒』が溢れ出した。大きく広がる漆黒の固まりは、巨大ミスリルを収める部屋を埋め尽くすほどだ。それでも、リィンは現れた黒い物体が何なのか、すぐに理解した。
「これは、まさか……ドラゴンなのですか!?」
「ああ、そうだ! しかも……バハムート級か!! 一番デカいヤツ来やがったぜ!」
「どうして……一体何がどうなって?」
「そいつはな……おっと!」
リィンの問いに答える前に、マーカスは思いきり飛び跳ねた。直後、さっきまで身を置いていた場所へと、鋭い爪が襲いかかる。石床をいとも簡単に削り取り、三本の傷跡を深々と残す。
「まったく、せっかちなこった! 慌てなくても、きっちり相手してやるぜ!」
マーカスは着地をすると、そのまま走り出した。ドラゴンの腹の下へと飛び込み、そのままスライディングする。後ろへと回り込み、隙を突こうとした。だが、金色の瞳はマーカスの姿を逃してはいなかった。
大きく口を開き、口から炎のブレスを吐き出した。
ゴオオオオオオォォォォォォッッ!!
「きゃあああああぁぁぁぁ!!」
部屋の反対側にいるリィンにまで熱気が届く。
だが、マーカスはブレスが吐き出されると同時に詠唱を終えていた。光の壁は炎を阻み、マーカスの身を守る。
「お前らバハムート級は動きが鈍いからな。すぐにブレスに頼ろうとする……だから、対策を打つのも難しくねぇ」
光の防御壁が身を守る中で、マーカスは余裕で剣を構える。すると、そのままリィンのほうへと視線を向ける。
「俺の左腕は呪われてる……竜王から受けた呪いだ。それは竜王の力そのものでもある」
「竜王の……力?」
「ここにあるのは、『竜をこの世に産み落とす力』だ。俺の体から、新たなドラゴンが生まれてくる! この力を奪ってようやく、俺は竜王を殺せたのさっ!!」
「では……それでは、あなたが……マーカス様が新たな竜王に?」
「そう……なるのか? いいや、違うね。俺はあいつとは違うぜ。野放しにする気にはねぇからな。なんせ、俺は『竜殺し』だからな」
ドラゴンのブレスが切れる。改めて空気を吸い込み、再度炎を吐こうとするが、マーカスは一気に駆け出す。
左腕から左足へ、そして大きく回り込み、続いて右足。
素早い動きで次々に斬撃を残していく。が、斬られた端から、ドラゴンの傷は塞がっていく。
「まったく……図体がデカいと再生も早いっ! だが、時間稼ぎもここまでさ!!」
マーカスは、ドラゴンの正面に立つと、深く腰を落とす。
「ドラゴンと戦ったヤツは五万といる……竜を殺したヤツだって山ほど。だが、『竜殺し』は俺だ……俺だけだ! その理由を見せてやる!!」
構えた剣が発光を始める。最初は赤く、次第に紫になり、そして蒼碧の輝きへ。
「竜殺しは……単なる称号なんかじゃねぇ! 俺が俺である証だっ!! ずっと逃げたかった……そうするしか生きる方法を知らなかった俺そのものだ。だからコイツも、俺が作った『この魔法』も、俺そのものだ!」
マーカスの剣から放たれる碧の煌めきは、徐々に刀身から伸びていく。
「今、俺は初めて……俺自身の意志でコイツを振るう! お前を殺すためにっ!!」
「なんて……なんて美しいブルーなの……まるで昇る日に照らされる空と海のような……」
リィンの目に映るのは、満ちたる碧に彩られたマーカスの姿。剣から放たれる光はまるで、彼の背に天使の片翼のようで……。
「我、天を裂かんと欲するか……否! 我、地を砕かんと欲するか……否っ!!」
翼のごとく広がった蒼光は、次第に収束していく。そして、巨大な一本の刀身を形作る。
ドラゴンの傷は言え、バランスを取り戻した。すでに口には大量の炎が溜め込まれている。
「我はただ、竜を屠らんと欲するなりっ!」
詠唱が終わる。だが、同時にドラゴンのブレスがマーカスに向かって放出された。
「マーカスゥゥッッ!!」
ブレスの轟音に掻き消されたのか、リィンの声は響きを失った。にもかかわらず、彼女の耳にはハッキリと聞こえた。聞こえたのだ、その咆哮が。
「これが俺の……『屠竜剣〈ドラゴンスレイヤー〉』だああああぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
シュパアアァァァァァンンンッッ!!
一筋の光が全てを斬り裂いた。
ドラゴンの吐いたブレスを、ドラゴンの体を、石壁を、天高くある白い雲さえも。
まっすぐに立ち昇った碧の光は、真っ二つにしてしまった。
動かなくなったドラゴンを見つめるマーカス。リィンは急いで、彼の元へと駆け寄っていく。
「大丈夫ですか!」
「ちっとばかり……ブレスを浴びちまったな。少し、体が熱い……」
マーカスはガクッと膝を崩す。すぐに腕を回し、リィンが支えた。だが、彼女の力では耐えられず、二人は一緒になって倒れ込んでしまう。
「おいおい、お前まで転んでどうすんだよ」
「よいのです。ワタクシも少し、疲れてしまいましたから」
仰向けで寝転がる二人。リィンは、魔法で開いた天井の切れ目から、空が見えることに気づく。雲に覆われ、真っ暗闇になった空。
「マーカス様はずっと、そのお力を……竜王の呪いを隠してきたのですね」
「……最初は迫害されたくなくて、な。今は……ローデリアの連中に利用されたくなかった。もう、アイツらの思い通りにはなりたくねぇ」
「なら、どうして? ワタクシに明かす理由なんて……」
「理由はねぇ。なくていい。ただ……そうしたいと思っただけだ」
マーカスはリィンのほうへと視線を向ける。
「それより、お前わかってんのか? 知っちまったんだぞ、『竜王がいる』ってこと。ドラゴンは滅んでないってこと……後悔してねぇのか?」
リィンは夜空を眺めたまま、視線を動かさなかった。マーカスの声が聞こえなかったからではない。空の色が、おかしかったからだ。
「青く……空が青くなってる? どうして……まだ朝までは時間が」
リィンは急いで起き上がる。部屋を出て、廊下の窓から街を見下ろした。
街が青く輝いていた。
通りにある魔道灯が全て、まばゆいばかりの碧を讃えている。そればかりが、民家の中から、納屋の中から、港の倉庫から、ありとあらゆる場所から『碧き魔道の輝き』が吹き出してくる。
城門の前に押し寄せていた人々も、もはや怒声を上げることなどしていなかった。ただ、街から溢れる碧の美しさに目を奪われ、呆然としている。
街の光は天空にまで届き、空を覆う雲さえ青く染め上げていたのだ。
「どうやら、城のミスリルだけじゃ、バハムート級のエーテルを吸いきれなかったらしいな」
感心した様子で、マーカスの街を眺めている。
「後悔など……するはずがありません。ワタクシがお願いしたのですから、この国を救ってほしい、と」
リィンが振り向くと、マーカスはなぜか舌を出し、渋い表情をしている。何とも間の抜けた顔で、リィンは思わず笑ってしまった。
「あははは! なんですか、その顔は?」
「俺はこの国なんぞ救ってやる気はねぇよ。松明片手にここに登って来ようとした連中が、何でも他人のせいにしたがる奴らがどうなろうと、俺の知ったことじゃねぇ」
「そう……ですか」
リィンは落胆する。マーカスがきっとどこかに行ってしまうのだろうと思ったからだ。だが、もはや引き止める気にはなれなかった。
自分のせいで隠しておきたい秘密を晒させてしまった……。
「マーカス様! ワタクシは……決して誰にも話しません。あなたの、秘密は……ワタクシだけの!」
「はぁ? お前、何言ってんだ。それじゃ意味ないだろ。じゃんじゃか知らせろ。立て札にしたり……行商人に仕込んで噂にしてもらうのもいいな。『リルムウッドに竜王あり』って大陸中に広めるんだよ」
「ちょ……何言ってるんですか! そんなことをしたら……マーカス様がずっと隠してきた秘密だったのに!」
リィンはマーカスの袖を掴むと、腕ごとブンブン振り回した。マーカスは彼女に揺さぶられながら、ニヤリと笑う。
「心配するところが違うぞ、お前。竜王を抱えたリルムウッドは、周辺国にとって脅威だぞ。それもとびきりの! 国内も国外もひっちゃかめっちゃかだ! それを治めることができるか? リィン=リーシア=リルムウッド女王陛下!」
「な、なななななっ……!」
「言っとくがな、お前がやらなくても、俺が噂を流すぞ。こういう話はすぐに広がるからなぁ。はてさて、世の皆さま方はどんな面白い顔を見せてくれるのかねぇ」
「マーカス様……あなた、やっぱり人でなしですっ!!」
「もちろんだとも! 俺はこれから『竜王』だからな! 縋ってみせるんだろ、お姫さま?」
リィンはドキッとしてしまう。
まるで子供のように無邪気に笑うマーカスを初めて見たからだ。
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