004 第二話:衣服と布と(中編)

『――燦々さんさんと降り注ぐ光。新しき陽が街を照らし、活気が通りを埋め尽くす。

 真新しい衣服を身に纏い、通りを行く彼女。その姿に人々は、こう呟きました。

 彼女こそ、“精霊様だ”、と……。』

   ――――――著、グラフィアス・バーグラフ『冒険家ウェスティン ノールグラシエ探訪記』二章<精霊の目覚め>より抜粋



 あの服を買った翌日。僕とアリシアは、再びあの店へと足を向けることにした。

 目的はただ一つ。あの布のことを、教えてもらうためだ。


「しかしウェスティンよ。昨日は断られたのであろう?」

「そうなんだけど……。言い切る前にアリシアが出てきたからね。厳密には断られていない・・・・・・・よ」

「……それは屁理屈、というものではないかのう……」


 そんな彼女の呟きを、わざと聞こえなかったことにしつつ、まっすぐに通りを歩く。

 通りの先からまばらに聞こえてくる喧騒も、昨日と変わらず活気に溢れ、この街に朝を知らせてくれているようだ。


「の、のうウェスティン」

「ん? なに?」


 そんな、ちょっとした街の明るさに心奪われていた僕の後ろから、アリシアの声が掛かる。

 そういえば、昨日もこの辺りで話をしたような……。まぁ昨日は、彼女が渋っていたからなんだけど。


「わ、私の格好はおかしくないか?」

「……何が?」

「その、すれ違うたびに後ろから視線を感じるのじゃ……。や、やはり私はローブのままの方が」

「あぁ、そう言うことか。別に変じゃないよ」


 膝上の裾を両手で掴み、彼女は辺りへ視線を彷徨わせる。

 どうやら、こういった対応には慣れていないらしい。裾を掴む手に、少し力が入っているみたいだしね。


「みんなが見てくるのは、アリシアが魅力的だからじゃないかな? 君のその髪も、朝日を反射してとても綺麗だと思うし」

「そ、そうなのか? その、お主も、その……」

「ま、まぁそれは……」


 可愛い、とは思う。

 朝日に反射する金の髪と、白い肌はとても綺麗だと思うけれど、くるくると表情の変わる顔や、触れると折れてしまいそうな細い手足は、まだ幼さも感じさせてくれて……。

 可愛いと思う。面と向かって、口には出せないけど。


「そうか。ふむ、そうか」


 にへら、と頬を歪ませて彼女は笑みを形作る。同時に、自らの裾を掴んでいた手を離し、軽い足取りへ。

 きっと、“読んだ”のだろう。相変わらず、不思議な力だけれども。


 喧騒を静寂に変えながらも、僕らはゆっくりと、それでいて確実に通りを抜けていく。隣に並んだ彼女も、楽しそうに笑顔を振りまきながら、しっかりと。

 そんな風に歩くこと数分、僕らはあの店の前に辿りついた。昨日はアリシアが突撃したことで、軽くしか確認しなかったが、店の外観も綺麗に整えてあるようだ。


 程よく古さを感じさせる、こげ茶色の板。しかし、壊れている箇所は無く、どれも同じような色合い・・・・・・・・の木板を使っている。つまり、この色合いはわざとやっている、と言う事だろう。

 しかし、通りの中でこの店のみがその色合いであり、他の建物は薄い茶色の木板を使用しているようだ。


「ここの店って、元々こっちの人じゃないのかもね」

「む? そうなのか?」

「いや、わかんないけど」


 ただ、あながち間違いでもないと思う。

 焦げ茶色の板に透明の壁。そんな店の外観もそうだけど、昨日買ったアリシアの服……これも、この街では珍しい形をしている。

 肩と足が晒される形……つまり、身分の高いお嬢様などが身に付ける正装ガレスと呼ばれる服の形に似ている。王国の中心――王都<ツィルト>であれば、よく似た形の正装ガレスを見た覚えもあるけど……。

 正直、王都から離れるにつれて、珍しくなっていったように思う。


 これが本当に、正装ガレスの流れを汲んだ形であるならば、この店の職人はこの街以外のことにも詳しい人物のはずだ。

 それも特に、王都付近にね。


「のう、ウェスティン」

「ん? 何?」

「その……入らぬのか?」


 店の前で立ち止まったままの僕を待ってか、扉に手をかけた状態で、彼女はこちらを振り向いていた。

 歩いていた時には意識しないでいられた視線も、立ち止まっていると気になるのだろうか? 心なし、顔が紅い気がする。


「そうだね。ここにいても店の迷惑になるだけだし、入ろうか」

「う、うむ!」


 快活に頷き、彼女は扉にかけた腕を引く。カランと軽い音が響き、扉の向こうへと、道が出来た。

 通り際に扉上部を確認すれば、細く小さい棒が数本吊るされている。つまり、扉を開くことであの棒が揺れ、当たることで音を奏でているのだろう。軽くも柔らかな音が、耳に心地良い。


 一歩足を店の中へと踏み入れれば、鼻腔をくすぐる新緑の香り。香を炊いているのではなく、対面に大きく取られた窓を通して、その先にある木々の香りが漂ってきているようだ。

 店の中にいるというのに、まるで森の中にいるような気持ち良さ……考えられている……。


「いらっしゃいませ。アリシア様、ウェスティン様」

「うむ、昨日は世話になったの。この通り、問題なく着れておるよ」

「ありがとうございます。私共も、アリシア様の精霊と見間違わんばかりのお姿に、昨日は興奮して眠れぬほどでありました」

「む、それはダメじゃ。きちんと寝ねば、力は出ぬぞ。のう、ウェスティン?」

「ん? ……そうだね、アリシアなんて毎日寝坊してくるわけだし。おかげで、力はあり余ってる」

「ま、毎日ではないぞ? ……たしか」

「墓穴掘るだけだから、それ以上は止めといた方が良いよ」


 「むぅ」と唸りながらも、口を閉じた彼女を尻目に、僕は昨日と同じ商品を手に取る。やはり何度さわっても、シュルトのような手触りだ。しかし、どこか少しだけ……柔らかさと光沢が違う。

 やはりこれはシュルトではない。なにか別の素材で作られた物だ。


「ウェスティン様。それは、その……」

シュルトではないよね。今日の用事はこっちなんだ」

「しかし、生憎ながら素材について詳しくとなりますと……」

「ふむ」


 まぁ、そうだろうな。

 昨日も悩んだあげくに断るという方向で決めたはずだし、なにか相応の理由があるのかも知れない。

 けれど、今日の僕は昨日の僕とは一味違う。なぜなら、協力な助っ人がいるからな!


「アリシアー」

「む、なんじゃ?」

「アリシアも、その服の素材。知りたいよね?」

「む……? お、おお、知りたいぞ。うむ、知りたい!」


 そんなことを言いながら、まるで壊れた玩具おもちゃのように、彼女は繰り返し頭を振る。

 いや、アリシア……挙動不審過ぎるぞ……。それに、なんだか首が取れてもおかしくない勢いだが……大丈夫か? 

 さすがに、こんなアリシアじゃ効果は……と思った僕を尻目に、目の前の彼は大きく息を吐き、強く胸を叩いた。


「わかりました。アリシア様の頼みとあらば、このガナシュ、お教えしないわけにはいきません!」

「お、おぉ!」

「よしっ!」

「まぁ、ウェスティン様の差し金なのは分かりきっておりますが、そこには目を瞑りましょう。そうですね……詳しい話は奥でしましょうか」


 少し笑いながら、奥へと歩いていく彼――ガナシュさん。

 「なぜバレておるのじゃ?」と首を傾げるアリシアに苦笑しながらも、僕らもその後に続いた。


 そう言えばガナシュさんは、どこの生まれなのだろうか? この店に入るときに思った通り、王都出身なのだろうか?

 だとしたら、なぜこの<ノールグラシエ>に店を建てることになったのか……。


「それも合わせて、聞いてみたいな」

「む?」


 僕の呟きが聞こえたのか、呆けたような顔でアリシアが振り返る。

 それに「なんでもないよ」とだけ返し、僕らはガナシュさんの後を追った。


 店の一番奥、隠されるような位置にあった木の扉を引き開ける。

 その瞬間飛び込んできた景色は、雰囲気ある店の部分とは違う……使いやすさだけを考えられた、質素で明るい小部屋だった。

 ここは店の裏方や店員さんの休憩の場所なんだろうか……。店の奥にこれだけのスペースがあるなんて、ただ歩いてるだけじゃ分からないものだ。


「そちらに座ってください。あぁ、君……レリュラの布を持ってきてくれるかい? 切れ端でもいいから」


 そう指示を出しながら、ガナシュさん自身も椅子へ腰を落とす。

 木で作られた椅子は簡素ではあるが、座面は少しだけ彫られていて、座り心地が良くなっている。それに、背もたれも、少し曲線を描いているからか、包むように体を支え、座り心地に一役買っているようだ。


 とはいえ、不思議な感覚だ。

 どの店も、華やかな店先の裏にこんな空間を持っている。そう思うだけで、今まで見てきた街も、また違う趣がある気がして、不思議と心が躍った。

 そんな気分を抱いたまま、視線を彷徨わせると目に入る、木で作られた簡素な机。そこには、あの布ともシュルトとも違う布が置かれていて、そばにはナイフや釘。……つまり、なにかを作っていたということだろうか?


「お待たせしました。こちらでよろしいでしょうか?」


 視界の外から声が聞こえ、目を向ければ、ガナシュさんへと差し出される一枚の布。多少茶色がかったその見た目は、僕が手を伸ばしたあの布によく似ていた。


「ウェスティン様。こちらは、あなたが当店にて興味を示されたモノと同じものです。切れ端ですが、どうぞ手に取って見てください」

「ありがとうございます。……やはり僕の知っているシュルトとは、少し違いますね」

「そもそも、シュルト? とやらは、どんなものなのじゃ?」

「そ、そこから……?」


 王族であるからこそ、知っていてもおかしくないのだけれど……。アリシアのことだ。知らない間に身に纏っていた、みたいなものだろう。

 実際、脱いだ後のローブを触った時に思ったが、あのローブもシュルト製だ。しかし、あの汚れた使い方を見るに、あのローブの素材が、そんな高級素材とは知らずに使っているんだろう。


 まぁ、その方が使いやすい、か。


「シュルトっていうのは、とある虫の繭糸を縒りあわせて作る布でね。手触りが柔らかくて、光の反射が綺麗に色を作るんだ」

「ほぅ……」

「それにシュルトは、基本の色味は乳白色から少し黄色いものが多い」

「なるほど……その点、今手に持つこの布は、少し茶色みがあるのじゃな?」

「そういうこと。他にも、手触りが多少違う。……正確にはどう違うのか、と言われると難しいけど」


 「ほぅほぅ……」と唸りながら、アリシアは布をこねくり回す。そこで、はた……と何かに気付いたのか、僕の方へと瞳を向けて、口を開いた。


「のぅ、ウェスティン。先ほど、シュルトとやらは、虫の繭糸と言っておったの」

「うん、そうだね」

「思ったのじゃが……例えば私の服一着には、何匹の虫が必要になるのじゃ?」

「え? えーっと……」


 ちょっと気になったという、気負いも感じられない表情で、アリシアは疑問をそう呟く。もちろん、僕もそれに答えようと、口を開いて……言葉を見失った。

 そういえば、知識として知ってはいるけれど、こうして実際の物差しとして扱う場合は……わからない。特に今回のように、表面から一歩進んだ問いかけに対しては、余計に。


「……? ウェスティン?」

「ごめん。僕に、それは分からない」

「ふむ……。ならばそこのお主。確か、ガナシュと言ったか? お主はどうじゃ?」

「もちろん私は大体の数は分かりますが……正確な数字はとてもとても」

「ほう」


 さすが、と言うべきなのか、ガナシュさんはアリシアの問いに、表情を変えることなく返す。やはりこの人は、ただの商人ではなさそうだ。

 そう思って、もう一度しっかりと彼を見据える。

 多少白の混じった短い茶髪は少し右側へ流すようにまとまっており、その利発そうな目を上手く和らげているように見える。常に微笑むように薄く形取られた唇と頬には、年齢を感じさせる皺が薄く見え、ガナシュさんの努力が透けて見えるような気がした。

 また、その下から伸びる首も、もう消えないのだろう……皺が、数本太く入っており、彼の生きてきた期間を、僕に教えてくれる。


 ガナシュさんは、きっと40歳前後、といったところだろうか?

 そんなことを考えながら、首から下へと視線を動かせば、目に飛び込んでくる白い衣服。よくよく見てみれば、光の反射で色が多彩に変化しているようにも見え……ふむ、これはシュルトか。つまり彼は、シュルト製の服を気軽に着れるほどの地位に就いているってことだ。


「……ウェスティン様。あまりそう、まっすぐ見られますと、私であれど少しばかり……」

「あっ! すいません! その……服も、シュルト製なんですね」

「ええ、そうですよ。触らず、よくお気づきになりましたね」


 ガナシュさんは少し驚いたように目を開き、笑いながら身に纏う服を摘まみ上げた。

 そうすることで彼の服はまたたき、その姿を輝かせる。白を基調としたその服は、淡く光り……白から青、橙、黄……もっと別の色へと流れるように変化し、僕の目を楽しませてくれる。

 目が痛いなんて思わないほどの、優しい輝き。これがシュルトの……いや、それだけじゃない、織り込み方すら計算されているとすれば、技術の……力もか。


「ふむ……その服がシュルトか。触らせて貰っても良いかの?」

「えぇ、どうぞ。着古したモノではありますが、シュルトらしさはあるかと思います」


 彼の差し出した腕を、軽く握るように、彼女は掴む。ゆっくりと、それでいて堂々と。

 「ほぅ……」と漏らした感嘆の言葉から表情を見なくとも、彼女が何を得たのか……分かる気がした。



『――未知に手が届く、たったそれだけのことにウェスティンの身体は震えを覚えました。

 そうして開かれていた目の先には……ガナシュという今だけの師。

 ウェスティンは、改めてこの地を踏むことの意味を、思い出したのでした。』

   ――――――著、グラフィアス・バーグラフ『冒険家ウェスティン ノールグラシエ探訪記』二章<灰色鼠の最期>より抜粋




――――――登場語録――――――


 ・ガナシュ

ウェスティンとアリシアの服を見立てた服屋の主人。

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精霊の住まう地で ~ノールグラシエの人々と文化~ 一色 遥 @Serituki

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