003 第二話:衣服と布と(前編)
『――優しい風と共に、柔らかな朝陽が人々を包みこむ。
穏やかな日常。けれど、二人は新しき出会いを求め、街を抜けていく。
彼らの目的はただ一つ。色濃く浮いた、
――――――著、グラフィアス・バーグラフ『冒険家ウェスティン ノールグラシエ探訪記』二章<灰色鼠の最期>より抜粋
◇
「着る物を整えよ、とは。言わんとしておることは分かるが……」
「分かってるんなら探しに行かないとな。わざわざそのために、お金まで出して貰ったわけだしさ」
「それは、そうなのじゃが……」
眩しいほどに降り注ぐ朝日の中にあっても、アリシアの姿だけは身黒く見える。通りを歩けば、目につくほどに、だ。
まぁ、その理由は単純で、アリシアのローブが灰色――それも汚れた灰色なことが原因だ。
正直、僕はこのローブ姿以外のアリシアを見たことがない。
いや、一度だけあるな……名を名乗るときにローブを脱いだ。あの一度だけだ。
ローブは、旅装束として用いられることが多い。
肌への日光を遮るため、風を防ぐためなど、理由は多々あるが、普段着として使っているのは稀だ。
使わない理由は簡単で、「顔や体を隠すのは怪しい」と思われるのを防ぐため、なんだろう。
まぁ、だからこそアリシアは目立ってる訳だが……。
ただ、どうやら彼女は、彼女なりになにか理由があってローブを纏っているように感じられる。
その理由を知らないだけに、僕から強く言うことも出来ず、こうして通りをただ歩くことしか出来ていない。
さて、どうしたものか。
「なぁ、アリシア。なんでそんなに着替えるのを嫌がるんだ? 僕は一度、その下を見たけど、そんな変でもなかっただろ?」
「それは、そうなのじゃが……」
「そうなのじゃが……はさっきも聞いたけど、その理由を教えてくれ。それが分からないと、僕にはどうしてやることも出来ない」
「それは……そうなのじゃが……」
言い淀むように言葉を切って、彼女はその場に立ち止まる。少し前で立ち止まった僕からは、逆光でフードの中はよく見えない。
しかしそんな中でも、彼女の口が開いたことだけは、しっかりと分かった。
「……恥ずかしい、のじゃ……それに……」
しと、と雨粒の音のようにか細く、小さな声で彼女は呟く。
アリシアの挙動に集中していた僕だからこそ、気付くことが出来たその言葉は、先日までの彼女のイメージを覆すほどの威力を持って、耳へと届いた。
最も、後半は小さすぎてまったく分からなかったんだけども。
「えーっと恥ずかしい? ……アリシアが?」
「う、うむ……」
「僕には、ローブを外して見せたよね?」
「それは、そうなのじゃが……あの時は、気分が高揚しておって……」
ああ、なるほど。
確かにあの時のアリシアは、少し興奮しているような感じだった。ずい、と前のめりになりながら、矢継ぎ早に質問を繰り返してきたし、フードの奥の表情もよく変わっていたように感じた。
しかし、だからと言って「なるほど、仕方ないね」で、終わらせるわけにはいかないんだ。
泊めてくれている宿の
「まぁ、なんにせよ、諦めて買いにいくよ」
「う、うむ……うむ……」
歯切れの悪いアリシアに、僕は少しだけ嘆息しながら、通りを北へと抜けていく。
僕達の向かう先、それはこの街の中心とも言える場所であり、商人達の戦場でもある場所だ。
まだ日はそこまで高くない時間だというのに、お店の見えない場所からでも、彼らの声は響いてくる。こんな状態で眠れるとしたら、死者か背神者くらいだろう。
「なぁ、アリシア。ひとつ良いかな?」
「む、なんじゃ?」
「アリシアってさ、その……王族なんだよね? 一応」
「一応ではないが、そうじゃな」
「なんで一人で来たんだ? 普通は護衛か何か着いてるよね?」
本来、これは最初に聞いておくべきことだったんだろうと思う。けれど、彼女の勢いや、これからの冒険に胸を躍らせていたからか、その事がすっかりと頭から抜けていた。
普通ならば、王族と言わず、多少身分が高い者であれば護衛くらいは付けているのが当たり前だ。
僕の祖父――ジャスティンも、貴族位を戴いてからは、常に護衛を最低一人は傍に置いていた。
もちろん、祖父が亡くなる数年前までは僕にも付いていたわけだが、それは人質として、祖父に害を及ぼさないための処置としてだったはずだ。
まぁ、祖父が亡くなり、護衛が付かなくなった関係で、僕が旅に出られたと言うのも、皮肉なものだが……。
なんにせよ、身分の高い者の付近の者には、護衛が付くのが当たり前のはずなのだ。しかし、彼女にはそれが無い。
「うむ……何と言えば良いかの……」
何気なく問いを入れた僕の横で、彼女が唸る。
唸り声だからか、いつもより低い声ではあるが、声の可憐さというものは損なわれないものらしい。初対面の時から思っていた通り、鈴のような、という唸り声。
「のう、ウェスティン。私は何じゃ?」
「何って……どういう意味でだ?」
「……私は精霊じゃ。それも一応、高位の精霊ではある」
「聞いといて自分で言うのか。まぁ、事実なんだろうけどさ。……それで?」
アリシアの一人問答に半ば呆れつつも、何が言いたいのか分かってない以上、話を促すことにする。
まぁ多分、僕の問いかけに対する返答なのだろうけれど、違っていたとしても、それはそれだ。
「うむ。それゆえ人や
「ほう……」
「なんと説明すれば良いか……そうじゃな、
表現に悩むみたいに唸りながらも、彼女は一つ一つ、その綺麗な声で言葉に変えていく。しかし、僕にはなんとも、言っている意味が想像しにくい……とでも言うのか、そんな感覚が広がっていた。
ここで話を切るべきではないと、そう思うのだけども、目的地はもうすぐそこだ。アリシアが唸っていた間に、結構歩いてしまってたみたいだな。
目的の店は、この街では珍しい透明の壁を使って、店内の商品を外へと見せている。最近、王都ではこの形の店が増えているとは聞いていたけど……それよりも、今はアリシアの件だな。
「その、影響を受けにくいって言うのがよく分からないけど、それと一人で来たのが何か関係あるのか?」
「うむ、大いにな。詳しくは私もよく分かっとらんが、精霊は一人でおっても危険は少ないということじゃと思っておれば良い。私も、父からはそう教わっておるよ」
「ふうん……。ならそれでいいけどさ、っと着いたみたいだ」
「う、うむ。ついにこのローブとも……私のローブ……」
「新しく服を買ったからって捨てるわけじゃないんだから、そこまで気にしなくても良いと思うけど」
「む、そうなのか?」
「当たり前だろ? 別に捨てろとは言わないよ」
「なんじゃ、それなら別に良い」と、いやに明るい声で店の戸を開け、足を踏み入れる。
もしかして、新しく買ったら捨てないといけない、とか思ってあんなに渋ってたのか……? いくらなんでも、それは……。
しかし、そこまで大事な物なのか? あのローブが。先ほど、聞きそびれたのは……このことだったのか?
先に行く彼女が身にまとう薄汚れた灰色のローブへ、なんとも釈然としない想いを抱きつつ……僕は彼女の後へと続いた。
◇
カランと、小気味いい鐘の音を鳴らし、僕の後ろでドアが閉じられる。その音を耳に感じながらも、顔を動かし店内を見渡せば……なるほど、なかなかに広い。
程よく空けられた通路スペースと、左右に展開される商品の数々。
リディルさんが、お勧めしてくるのもよく分かる。確かにこの店であれば、アリシアに合う服がありそうだ。
そう思って先に入った彼女の方へと視線を向ければ、案の定と言うべきか……見事に捕まっている。アリシアに相対している女性も、アリシアを逃す気はなさそうだ。
まぁ、僕は女性の服に関しては全くわからない。こればっかりは手伝えないし、精々頑張って欲しい。
そんな、少し薄情な念を送りつつ、アリシアを捕まえた女性へ、静かに少し頭を下げる。
彼女もそれに気づいたのだろう、アリシアに悟られないよう、一瞬だけ目を合わせ微笑んでくれた。うん、何も問題はなさそうだ。
「さてと。それじゃ、僕は僕で探しますか」
奥へと連行されていくアリシアを尻目に、僕はすぐ近くの商品を手に取った。
「ん……? 手触りが……?」
これは……
しかし
だが、僕の手に乗せているこの布は、非常に質が良いように感じる。それこそ、身分の高い方が身にまとうような……。
「お兄さん、分かってますねぇ……?」
「ッ!?」
死角から掛けられた声に、小さく息をのむ。
聞こえた声の高さは、高すぎず低すぎず、しかしハッキリと耳に残る……不思議な声。
その声に振り向く必要も無く、その人は僕の横へと移動し、ゆっくりと話を続ける。そんな店員と思わしき声を遮り、僕は本題を滑り込ませた。
「その商品は、当店でもお勧めの素材を使っ「
先ほどまでの声とは違う、低く警戒を滲ませるような声で、彼は肯定を返す。なるほど……、同業者かと思われてしまったかな?
先日、酒場でも言われた通り、僕の髪の色――黒髪はこの街では珍しい。それに加えて、身に纏う服もこの街のものとは違うことくらい、気づいているだろう。
「あぁ、すみません。僕は
「なるほど。それで違いを感じられた、というわけですな?」
「えぇ、仕入れなど、そう言ったことを問うつもりはありません。ただ、この素材について少し……教えていただければ嬉しいのですが。もちろん、秘密があればそれはそれでかまいませんので」
「ふーむ……」
唸りながら、彼は僕の全身を目で舐めまわす。それこそ、濡れた服が肌に張り付いたかのように、じっとりと。
こればかりは仕方が無い。身の潔白を証明する方法は特に無いし、言葉で伝えたところで、口からなんてどうとでも言えてしまう。
だからこそ、彼が自分で僕が同業ではないと納得する以外、方法は無いんだ。
「……申し訳ございませんが、その「うぇ、ウェスティン……」」
彼が口を開き、否と言葉を返す声に重なって、店の奥から僕の名が呼ばれる。
その声に、わざとらしい動きで店の奥へ向きを変えれば、僕の目に――
「精霊、様……」
言葉を失った僕の隣で、彼がそんな言葉を発する。
分からなくは無い。僕だって、スツィリス様ではなく精霊を信仰していたのであれば、きっとその姿は精霊のように感じてしまっただろう。
いや、精霊のように……ではなく、実際に精霊なのだけれど。
「ど、どうじゃ……? おかしくは、ないか?」
その声に、脱線していた意識を戻し、彼女の姿をしっかりと目に捉える。
さっきまでフードに隠れていた髪が、柔らかく光を跳ね返しつつ、背中へと流され、その細く白い首の形を綺麗に浮かび上がらせてくれている。そんな、触れれば折れてしまいそうな首から少し視線を下へ落とせば、薄く影を作る鎖骨と、淡い青の布地。
青の布地は、柔らかく波打っており、胸元から膝上まで続く一体型の衣服となっているようだ。
その青い服を上から覆うように、白い
どうやら、白い羽織と繋がっている青い紐を、胸下で結んでいることで、体の細さを強調しているらしい。……その結果、胸も強調されていて、ほのかな膨らみが……目に毒だ。
「……その、肩と足は寒くないか?」
「む、最初がそれか。今はそうでもないが、日が落ちれば冷えるやも知れんのう……」
羽織を着ているのにも関わらず、なぜか羽織は肩上に無く、代わりに細い紐で吊るされているような状態だ。足も膝下からは何も覆っていないため、さっきアリシアが言った通り、日が落ちれば少し冷えるかもしれない。
「大丈夫です! 夜になったら、こちらをお使い下さい! あと、靴もこちらをどうぞ!」
猛スピードで僕らの間に滑り込んで来た店員さんが、薄い茶色の布をアリシアへと手渡し、
「ふむ、こうかの?」
「大変お似合いです!」
柔らかそうな生地の布を肩に掛け、無骨そうな靴を履いた彼女は……なるほど、確かに似合ってる。
肩口の薄い茶色と、靴の色がアクセントになっていて、しっかりと色味が纏められている。
それに……無骨そうに見えた靴が、彼女の足の細さをより強調していて……。
「アリシア」
「む、なんじゃ?」
僕の声に反応して、彼女が目をこちらに向ける。その動きに合わせ、光のような金の髪が、一房……肩から滑り落ちた。
「似合ってるよ」
「そ、そうか……。良いか?」
「ああ、勿論だ」
「う、うむ……」
恥ずかしいのか、少し顔を紅くした彼女から視線を外し、僕は店員さんへ視線を合わせる。すると彼は姿勢を正し……深々と頭を下げた。
◇
『――一人の行動では成し得なかった事柄も、二人であれば届くこともあるのだろう。
けれどまだ、彼らはそれに気付くことが出来ないでいました。』
――――――著、グラフィアス・バーグラフ『冒険家ウェスティン ノールグラシエ探訪記』二章<灰色鼠の最期>より抜粋
――――――登場語録――――――
・リディル
ウェスティンとアリシアが泊まる、宿の女主人。
・シュルト
絹のこと。貴族など、身分の高い人達が着る服に使われており、手触りが良く、光沢もある素材。
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