第一章 ノールグラシエという文化
002 第一話:料理と酒と
『――活気に溢れた<ノールグラシエ>の大通り。
これからの冒険を共に――と、手を取り合った二人には、今共通する一つの悩みがありました。
空腹を満たす美味い料理は、どこで食べられるのか、という悩みが』
――――――著、グラフィアス・バーグラフ『冒険家ウェスティン ノールグラシエ探訪記』一章<酒場の夜>より抜粋
◇
「む……ウェスティンよ、ココでどうじゃ?」
隣を歩くアリシアが、そんな言葉と共に急に立ち止まる。彼女の姿越しに店を確認すれば、なるほどココなら確かに問題なさそうだ。
石造りの多い王国南部とは違い、北部によく見られる木造建築。妙に屋根の傾斜が強く取られているのには、なにか意味があるのだろうか?
わからないが、門から伸びる大通りの方に間口も広く取られている事に加え、壁に掛けられているメニューの方も、木板に墨を使い綺麗に書かれている。
それに――
「イイ匂いだ。空きっ腹にはキツいくらい」
「そうじゃろ、そうじゃろ! ほれ、さっさと行くぞ!」
「あ、おい、アリシア!」
僕の同意が得られたと取ったらしいアリシアが、早々に店の中へと入っていく。その背を見ながら溜息一つ吐きつつ、僕は彼女の後を追った。
僕らが座ったのは、入り口からほど近い三人掛けの丸テーブル。綺麗に手入れされているのだろう、埃なんてほとんど見えない。
ただ、一応念のためにナイフをすぐ手に取れる場所に入れておくことにしよう。なんてったって一緒にいるのは(彼女の言葉通りなら)精霊王の一人娘だからな……。何か起きたら、僕の冒険どころじゃなくなってしまう。
「ひとまず、飲むものを頼むとしようかの」
「そうだね。……アリシアは飲める?」
「勿論じゃとも」
「それじゃ」
手を上げて奥にいるお店の人へ、エールを頼む。
エールは王国全土に渡って愛されている酒であり、喉を抜ける苦みと、口に残る甘みのバランスが取れた、酒場では欠かせない一品だ。濃口の料理と一緒に軽く飲めば、なんだか幸せな気分になってくるところが人気の理由だろう。
もちろん、僕だって好きさ。
ちなみに、この国は十四から大人と共に働き始めることが多く、その頃から飲み始める人が多いが、国によっては十八未満は飲酒禁止になっているところもあるとか。
「それで、アリシア。食べたいものとかある?」
アリシアに問いかけながら、エールを運んできた女性へ、軽く手を挙げ礼を返す。
どうやらこの町のカップは、木をくり貫いて作ってあるらしい。僕の地元は粘土を焼き固める形だっただけに、手に感じる重さの違いが少し新鮮だ。
「よくわからん……」
「よくわからんって、アリシアの方がこっちに住んでるの長いんじゃ……」
「私は基本的に、出てきたモノを食べてただけじゃしの。こうやって選ぶにも、何が何かわからん」
「あぁ、確かに。そう言われたらそうか」
それなら何か適当に……そう思って、壁に掛けられているメニューに目を向けた直後、僕の隣に人が座る。
一応ここも、三人掛けのテーブルだ。他に人が座ることも可能ではあるけれど……。
「兄ちゃん達、この街は初めてかい?」
「……そうですが」
ボサボサな茶色の髪をした、二十歳半ばに見える男性。袖を捲くっていることで見える二の腕は、僕の腕の二倍近くはありそうだ。
身長は……多分僕と変わらない、男性の身長の平均的なところだろう。ただ、僕を見てくるその瞳からは、目的が全く読みとれなかった。
「まぁ、そうだろうと思ったよ。兄ちゃんみたいな漆黒の髪なんて、ここんとこ、とんと見てないからな」
「あ、はは……。お察しの通り、今日の昼にこちらに来まして。やっぱりこの髪は、この街じゃ珍しいですか?」
「そうだな。こっちじゃ俺みたいに、もう少し茶色混じりか、エルフさんたちなら金色の髪ばっかりだ」
「なるほど……」
その言葉に、今はフードに隠れているアリシアの髪を思い出す。
陽の光のように、眩しく輝く金の髪。あの髪色は、この街に暮らすエルフ達と近い色合いなのだろうか。
「まぁ、そんな感じでな。珍しいやつが来たから、ちょっと話しかけたってわけだ」
「ははっ、そうでしたか」
乾いた声を出しながらぎこちなく笑い、手に持った木のカップを傾ける。
喉を流れる感触から一瞬置いて、喉にクる。どうやらこの酒の味は、王国内に流通しているものと殆ど変りがないみたいだ。
「それで……どうだ?
「どう、ですかね? お恥ずかしながら、実は見るよりも先に虫が騒ぎまして」
返事とともに、空いた手で腹の上を撫でる。すると、それに呼応するかのように、中の虫が低いうなり声を上げた。
そういえば、とアリシアの方を見れば、お腹が空き過ぎて機嫌が悪くなっているのだろうか……じろりとにらみ返されてしまった。
「なるほど、そりゃでかい虫だな」
「ええ。ですので、もしよければおすすめのモノを一品、教えていただければ」
「任せとけ! おう、姉ちゃん。“ペスカの包み焼き”を頼む! ここの二人にな!」
男性は手を上げて、大声で注文を叫ぶ。どうやらこの注文方法はこの店にとっては当たり前のことなんだろう。
その証拠に、誰一人気にした様子もなく、ただひたすらに自らのカップと、目の前の料理に舌鼓を打っていた。
「あの……ペスカ、というのは?」
「あぁ、外から来たなら知らないよな。ペスカってのは、近くの森に自生する芋みたいなやつだ」
「芋、ですか?」
「ああ。なんでもエルフさん達にとっては、昔から喰ってるもんみたいでな。この街じゃ、どこいってもコイツの料理が喰える」
つまり、エルフ達に取っては主食にも近い食材なのだろう。
そういえば、芋は保存に適した食材と聞いたことがある。腐るまでが長く、一度の収穫で数が獲やすいという利点もある。
そういえば……
――ノールグラシエは王国北部の街。冬場は白に染まる。
って、偉大なる祖父ジャスティンが言ってたっけ……。
だからこそ、芋が主食になったのだろう。
なぜなら、僕の住んでいた王国南部の街<フィステッド>では、広大な土地を利用した“
「アリシアはどう? 食べたことある?」
「……わからん」
「……わかった」
深くは聞くまい。
ペスカも同様、出てきたものを食べていただけ、というやつなのだろう。
それなら、食べれば思い出せるのかも知れないな。
「そういえば、包み焼き……と言うのは?」
「おう。ペスカを一口で食べられる大きさにしたものを、“ラシャ”の葉で包んで火の中で焼くんだ。甘味があって、酒に合う! っと、来るみたいだぞ!」
料理を運んでくれた女性の手のひらより二周りほど大きいお皿が、僕とアリシアの前に置かれる。
焼け焦げたような色合いの楕円形の物体が二つ。どちらも両手で持つには丁度良さそうな大きさだ。
この巻き付いている焼け焦げたようなものが、さっき言っていたラシャの葉なのだろうか? 一枚一枚は細く、両刃のナイフのような形をしているが、それを数枚……今回のものだと、五枚ほど使って綺麗に包んである。
ただ……これだけ表面が焼け焦げていて、中身は大丈夫なのだろうか……。
「これは、剥いて食べれば良いのじゃな?」
「あぁ、そうだ。ただ、ゆっくりな? 湯気で火傷するやつもいるからよ」
「うむ!」
アリシアが前のめりになりながらも、その綺麗な指で一枚ずつ……ゆっくりと包みを開く。一枚、また一枚と剥がす度に、立ち上る湯気が彼女の顔に当たって、四方に霧散しながらその顔を紅く染め上げた。
頭を前へ下げたからだろう、流れるように一房の金糸がフードから垂れ下がる。彼女はそれを鬱陶しそうに指で掬い、フードの中の耳へと掛けた。
その姿に妙な妖しさを感じ、僕は思わず唾を飲み込んでしまう。
それに気付き、謎の恥ずかしさからか隣へと視線を移せば、あの屈強な男性すらも、その手に持った酒のことすら忘れたように、アリシアの姿に目を奪われていた。
「……ん、ぐ」
酒場中の男たちの視線を浴びながら、その小さい口でペスカを頬張る。その度に、水気を帯びた唇が動き、その形を変えていく。湯気で紅くなった頬も、飲み込むごとに鳴る喉も……。その全てが作用して、彼女から目が離せなくなってしまう。
「ふぅ……。ん? どうした、ウェスティン。食わぬのか?」
「あ、あぁ、食べるよ」
「うむうむ! 熱々で食べるのが美味いのじゃ! 包みを開いた時の熱と共に、鼻にクる甘い匂い……。口の中でホロりと崩れる柔らかな実……。それに……」
「アリシア、待って。僕はまだ食べてないんだし、それ以上は待ってくれ」
「む……それもそうじゃな」
何かに魅せられたように語りだすアリシアに、僕は手で目を覆いながら制止をかける。
言葉に嘘はない。嘘はないけれど、それ以上に……顔が熱い。
彼女は分かっているのだろうか……。自身の顔が、どれほど魅力的で、無防備なほどの妖しさに満ちた表情をしていたことを。
「……はぁ」
小さく息を吐いて、頭から彼女のことを切り離す。
今僕がするべきことは、アリシアの顔を思い出す事じゃない……この猛り狂うほどに主張する腹の虫を静めることだ。そう結論付けて、目の前のお皿に目を移す。
そこには、さっきまでと何ら変わりがない、焼け焦げた色の葉に包まれた楕円の物体。鼻を近づけてみても、特に臭いはしていない。焦げた葉なのに、その臭いすらしない、なんだかすごく不思議な気分だ。
気を取り直して楕円の端を左手で押さえつつ、右手でゆっくりと葉を剥がす。焦げた部分が崩れるかと思えば、そんなこともなく綺麗に剥がれていく。剥がした葉の裏側を見てみれば、青く瑞々しさすら感じるほどの色合いが残っていた。
「なるほど……。焦げてるのは表面だけなのか」
そのままゆっくりと剥がしていくと、葉と葉の間から白い湯気が立ち上り始めた。
さっきまでは感じなかった少し甘い香りが、その湯気からは感じられ……思わず僕は喉を鳴らす。すると、まるでそんな僕に呼応するように、腹の虫が低く唸り声を上げた。
「……兄ちゃん」
「す、すみません!」
低く鳴り響く虫に何を思ったのか、妙に優しい
特に
止めていた手を再び動かし、ラシャの包みを開いて行く。すると、白い湯気の中から薄い黄色の実が手の中に現れた。
光り輝くその姿は、焼かれたというのに水分が飛んでおらず、むしろ瑞々しさすら感じられる。
立ち上る香りも、強く僕の鼻の奥をくすぐり、理性が保てていること自体が不思議なくらいだ。
目を閉じ、香りを感じつつ、精神を研ぎ澄ます。
周りの雑音も、視線も……全てを置いて、この香りの世界を楽しみ――
「……では」
目を開き、手を伸ばし、口に入れる。齧りつくように、熱々のペスカへ歯を立てる。熱さが歯に伝わって少し痛いながらも、ふわっとした甘味が湯気を通して口の中に広がる……熱い、が、美味い。
アリシアが言ってたいた通り、口に含むだけでホロりと崩れる実はとても柔らかく、さらに熱を強く感じさせる。
熱に耐えつつ、なんとか小さく崩して飲み込めば、まるで自らの喉の形がわかるほどに、ゆっくりと胃の中にと移動していくのがわかる。
「あっつい! でも、美味い!」
「そうであろう! そうであろう!」
「あぁ、この甘く広がる匂いだけじゃなくて、飲み込んだときの熱も、味も……全部含めて美味い!」
アリシアと競い合うように感想を言い合い、それからまたお互いの意見を確かめるようにペスカへ歯を立てる。熱さに耐え、エールを喉へと流し込めば、甘さと辛さが混ざりあい、二つの味をより際立たせてくれる。
それを何度も繰り返し、腹の虫が鳴りをおさめた時には、すでに皿もカップも中身を空にしていた。
「美味かったな……」
「そうじゃな……」
まるで、何かとの戦いを終えた戦士のように項垂れながら、脳内に残るペスカやエールの味わいを思い出す。
熱くも、ペスカの実から昇り立つ甘さを感じる匂い……そう、今まさに鼻に香る――
「ん……?」
鼻に感じるペスカの匂いに顔をあげれば、同じテーブルでペスカを頬張り、エールを飲む男性の姿が見えた。
いや、彼だけじゃない。他のテーブルでも同じように、ペスカを食べてはカップを傾ける人が多数見える。
なにが……と考えた僕の前に、ドンッとカップが置かれる。そして、それはアリシアの前にも同じように置かれていた。
「お礼だよ」
先ほどエールを持ってきてくれた女性とは違う恰幅の良い女性が、気持ちのいい笑顔と共に、そう口にする。
周りの状況を鑑みるに、どうやら知らず知らず、料理の宣伝になっていたと見るべきだろう。
――気の合うやつらと喰う飯は上手い。ウェスティン、お前もそんなやつらと出会えると良いな。
祖父の言葉は、まだ実感は出来ていないけれど、いつかアリシアと食べる時間が、そんな時間になるのだろうか? 想像もできないな。
けれどひとまず今は、この目の前にあるエールを――
「……ありがたく受け取ろうか」
「うむ!」
楽しそうに笑いながら、彼女は置かれたカップを手に取り、軽く持ち上げる。
それにつられるように笑いながら、僕はカップを持ち上げた。
◇
『――通りを歩く音、豪快に笑う声、橙色に輝く光を内包したお店の中。
ウェスティンとアリシアがカップを軽く打ち合わせれば、響く音と合わせるように、店の客もまた軽く打ち合わせる。
まるで、彼ら二人の来訪を歓迎するかのように』
――――――著、グラフィアス・バーグラフ『冒険家ウェスティン ノールグラシエ探訪記』一章<酒場の夜>より抜粋
――――――登場語録――――――
・エール
王国だけでなく、この世界において広く飲まれている酒。原料は
・ペスカ
ノールグラシエにおいて、主食に近い扱いを受けている芋。栽培が簡単で、一度に取れる数も多く、腹に溜まる。
・フィル
小麦のこと。肥沃な土地を好む植物なため、王国では主に南部での栽培が活発。
・ボッシュ
小麦で作ったパン。主に手のひらサイズの物を指す。
・ラシャ
寒冷地で育てやすい植物。葉に水分が多く、食材を巻いて焼くことで、蒸し焼きに近い調理が可能。ただし葉が鋭いため、採取の際は切らないよう、気を付けること。
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