精霊の住まう地で ~ノールグラシエの人々と文化~
一色 遥
ノールグラシエの人々と文化
序 章 ようこそ、ノールグラシエへ
001 第一話:旅路と出会いと
『――前略
故郷のお母様へ、お元気でしょうか?
僕は今、王国北部にある<ノールグラシエ>の街に来ています。
ここには、領地拡大後移住してきた王国民以外に、“エルフ”と呼ばれる民族が、昔から住んでいます。
そんな<ノールグラシエ>で、僕はとある少女と出会いました。』
――――――著、グラフィアス・バーグラフ『冒険家ウェスティン ノールグラシエ探訪記』序章<母への手紙>より抜粋
◇
「――!」
「――見えた!」
周りの乗客の声に、落としていた顔を上げる。どうやら集中しているうちに、目的地の近くに来ていたようだ。
僕は書きかけの手帳を閉じ、薄い朱色の紐でそれを縛った。
この街が目的地であったはずなのに、ここまで来るだけで、もうこんなぼろぼろに……。街についたら、まずは新しい手帳を買うところからかもしれない。
そんなことを思いながら、分厚い装丁の手帳を鞄へ入れて、周りの乗客に
「うわぁ……!」
馬車の
王国歴一七八年に王国領土として制定された街であり、それまではエルフと呼ばれる民族が暮らしていた街でもある。当時、彼らとの対話によって平和的に領土化した、と伝えられている土地なだけに、二百年経った今でも、彼らとの共存生活が続く……王国内でも少し特殊な街だ。
王国文化と、エルフの持つ文化の違いはこの二百年で大きく混ざっているらしい。それは、自然溢れる街の景観だけでなく、料理や衣服に関しても少し特殊な変化を見せているようだ。
「その数ある違いの中でも、特に気を付けておかないといけないのは……」
――信仰する対象、だろうか。確か、精霊……だったか?
本来王国は、王の祖先が神より神託を受けたということから建国を志した国であり、その信仰の対象は神託を授けたとされる唯一神“スツィリス”様だ。
しかし、昔からこの土地に暮らすエルフ達は、まったく別の存在を信仰している。
それこそが“精霊”と呼ばれる存在だ。
この信仰対象の違いは、この街の特異さに大きく関わってくる。
本来街を治める領主が、この街では三人いる、ということにも……だ。
いったい、どんな存在なのだろうか!
分からない、けれどそれも知りたい! たった一つの街でありながらも、王国と違う様々な事を、この目で、肌で感じて見たい!
そう、強く思ったからこそ、僕はこの地を旅の目的地に決めたのだ。
そんな僕――ウェスティン・バーグラフの生まれは、王国南部<フィステッド>の街であり、<ノールグラシエ>へは、距離だけであれば馬車で片道二十日ほどの距離の街だ。……もっとも実際には、途中で休憩や馬車の乗り換えなどが入るため、更に十日ほど足されるのだが。
ここに来るまでの道中、バーグラフという家名があるためか、貴族様と間違われたこともあるが、僕自身は正真正銘、ただの平民だ。この家名は、偉大なる祖父が王国からの褒章として戴いたものらしい。
そんな話を、自身の冒険譚と一緒に祖父は何度も語ってくれた。まるで年齢を感じさせない、少年みたいに輝く黒い目で。
そして、そんな彼の背中を、僕は今追いかけている。
「偉大なる祖父、ジャスティン・バーグラフ。貴方も歩いた地で……貴方の知らない冒険を、僕はしてみせる!」
遠く見える<ノールグラシエ>の街を目に焼き付けながら、僕は強く手を握りしめた。
◇
「ようこそ、ノールグラシエへ。街へ入られる方は、門のところで手続きをお願いします」
御者の方が、門から少し離れた位置に馬を止めて、乗客である僕らにそう言った。少し離れた位置に止めたのは、馬車用の入口と人が入るための入口が違うからだろうか?
その答えはわからないけど、乗客の方々は特に意に介した風もなく、馬車を降りていく。この街道馬車の利用料は、出発時点で払うのが王国内での決まりなため、乗客の中には御者の方と挨拶もなしに、降りてすぐ門へ向かう方もいるみたいだ。
しかし、大半の方は御者の方へ簡単なお礼と共に、少しばかりの銅貨を渡しているようだった。
ここは、真似しておく方がよいのだろうか?
「――しなくてもよい。それよりも、お主……」
「え?」
まるで、心の声に返事をされたかのようなタイミングで、僕の横から声が聞こえた。
どう言うことだろうか、と思いながらそちらの方を向けば、フードで顔を隠すような……そんなローブを着た全身灰色の人が、僕の顔を少しだけ見上げるように立っていた。
「ごめんなさい、声に出てました?」
「気にしなくてもよい。それより、お主は旅人か?」
「うん? そうですが?」
「そうか、ならば少し話したいことがある。門を抜けたあと、時間を貰えるだろうか?」
「それなら大丈夫ですが……あなたは?」
「後々話す。今はとりあえず街へ入るとしよう」
ローブの人は、鈴のような綺麗な声でそう話を終わらせ、僕の返事も待たず門の方へと歩いていく。
僕は首を傾げつつも、その後姿に不思議と懐かしいような奇妙な感覚を覚え……後を追うことにした。
◇
門を抜け歩くこと少々。「ココだな」と、ローブの人が立ち止まったのは、簡素な看板のかかった二階建ての宿の前。街の中心にある市場から多少離れていることもあって、行き交う人も少なく、そのほとんどがこの街の住民のように見える。
そんな場所の宿が、どれほど需要があるのだろう?
そんな疑問を感じる僕に対し、ローブの人は特に違和感を感じた様子もなく、戸を開け中へと入っていく。まるで勝手知った我が家のような気楽さだ。
しかし、ここまで何も言わず付いては来たが……このまま入ってしまっても良いものだろうか?
なにか、良からぬ類いの罠が待ち受けているのではないか?
「いや、罠も何も、僕に対して何を仕掛けるって言うんだ?」
こんな、少し汚れた旅装束に、小さい鞄一つ持った男に対して。
若い女性なら分かる。分かりたくはないけどさ。捕らえて売るとか、慰みモノにするとか……なんにせよ色々あるから。
だけど僕は残念ながら男だ。捕らえて奴隷にとかってなら、旅人捕まえるよりも王国の首都なんかに行けば、行き倒れの若い男なんて沢山いるんだしさ。
そっちの方が逃げられることも少ないだろう。僕なんかを狙うよりは。
なんて、そう結論付けて後を追うように入った宿は、やはりごくごく普通の宿であり、木製のカウンターを隔てた先に、一人の女性が立っていた。
その女性にローブの人は近付き、少し後ろに立っている僕からは見えないような動きで、数秒だけ頭の上のローブを持ち上げる。
それが何かの合図だったのか、女性は一度だけ深く頭を下げ、カウンターを出ると、僕らを先導するかのように歩きだした。
そうして、案内されたのは宿の二階の最奥の部屋。他の部屋よりも少し離れた位置にあるその部屋の扉を開け、僕らを中へと促した。
「ふぅ……。ようやく着いたわ。お主も適当に座ってくれ」
案内してくれた女性から鍵を受け取り、彼女が離れていくのを確認するやいなや、ローブの人は床へと腰を落とした。
道中、一言も喋らず、顔も見ていなかったため気付かなかったが、どうやら結構疲れていたらしい。
鈴のような綺麗な声と少し低い背丈からイメージできるのは、十九になる僕よりも少し年下の女の子だ。そんな子が馬車を降りてからほぼ止まることなく動いていたことを考えれば、疲れているのもよくわかる。
しかし、そんなことまでしないといけない話とは、いったい何なのだろうか?
それに、先ほどの女性の態度を見るに、このローブの人は……結構な身分の方だったりするのでは?
「それで、僕……私に依頼があるとのことでしたが?」
僕は、ローブの人と向かい合うように床に座る。というのも、おかしなことに、この部屋に家具がひとつもないのだ。
もし本当に高貴な方であれば、このような部屋に通すこと自体、不敬と取られる可能性もあるのだが……。相手は特に気にする素振りもない。
むしろそれとは逆に、「堅苦しいのは嫌いだ。普段通りでよい」と、僕への不満を言われたくらいだった。
「それじゃあ、普通に。僕に依頼があるって?」
「そうじゃ。しかし、その前にひとつ聞きたいのじゃが……お主、肉は好きか?」
「へ? あ、うん。焼いた肉とか、美味しいよね」
「魚は? 野菜はどうじゃ? 辛いのも大丈夫か? 苦いのとか甘いのはどうじゃ?」
「どれも大丈夫だけど?」
「うむうむ、よいぞよいぞ! 算術はどうじゃ? 文字は? 書くことも出来るか?」
「んん……? 一応、旅に出るために勉強したからどれもそれなりには……」
「よし! やはり私の目に間違いはなかった!」
座ったまま、ぐいぐいと前のめりになりながら質問を続けてきたその人は、僕から欲しい答えがもらえたのか、声に喜色の色を滲ませながら、小さく拳を握る。
そしてローブの奥に光る、鳶色の瞳を僕にまっすぐ向けて、口を開いた。
「お主、名は?」
「あー、そうだったね。僕はウェスティン。正式には、ウェスティン・バーグラフだ」
「家名持ちか。貴族、というやつか?」
「いや、違うよ。以前、祖父が王様に一代だけの貴族位を戴いてね。だから家名があるけど、僕は貴族じゃないよ」
「ふむ、人の世界はよくわからんな……。まぁよい、ウェスティンよ、お主に頼みたいのは他でもない。私の……先生兼、友人になってくれ!」
ついに依頼が! と、身構えた僕の耳に、よくわからない言葉が入り込んできた。
なんだって? 先生兼、友人?
いや、先生も友人も意味はわかるが……依頼?
「……」
「む、ダメか?」
「いや、ごめん。ちょっと意味がわからない。先生はわかるんだが、友人って? あと、先生するにも僕が何を教えるんだ?」
そう言いながら、眉間に皺を寄せた僕の目の前で、ローブの中の口から「なるほど」と、音がした。
「そうじゃったな。すまぬ、忘れておったわ。その、事の発端はつい先日のことなんじゃが……。父から突然、将来のためにこの地のことを知ってこい、と言われてな。半ば急き立てられるように家を出されたのじゃ」
「……はぁ」
「我が一族は、元々この地に住んでいたのじゃが、街が出来て以降発展が目まぐるしくてな。街に向かっていたはいいが、このままでは不味いと思うて……」
「それで、僕に?」
「そうじゃ。同じ馬車に乗っておったし、旅人ならそれなりに知識もあるじゃろうと」
なるほど、確かにその理屈ならわからなくはないが。
この地のことを知りたいなら、この地に住んでる人の方がいいのではないか?
その方が、より詳しく教えてくれるだろうし。
「無論、その考えもあったが。お主、この地に冒険に来たのじゃろう?」
「え?」
「そして、精霊に対しても並々ならぬ興味がある」
「……」
「だからこそ、私はお主を選んだのじゃ。一緒にこの地を調べ、冒険する
また、僕の考えを……?
そんな不可思議な体験に思考が纏まらない僕を置いて、フードの人は立ち上がり、座ったままの僕に右手を差し出した。
「ウェスティン・バーグラフ。……行こう、共に!」
「なんで、僕に……」
「先も言った通り、多少なりとの打算もあるが……。馬車の中で“見た”ときに、お主なら、と思ったのじゃ! 私と共に行ける者はお主だけじゃ、とな」
僕を射貫くように……フードの中、強く光る鳶色の――。
あぁ、そうか。この目……この目の奥の輝きは、僕の大好きな祖父と、同じ耀きなのか。
まるで違う目の色をしているはずなのに、その奥に宿る想いは、きっと祖父と同じ……。
――ウェスティン、冒険には沢山の出会いがある。
でしたよね。偉大なる祖父、ジャスティン。
「わかったよ」
「じゃ、じゃあ……!」
「ただし! 条件がある」
「……む?」
「なぜ知っているのかはわからないけど、僕にもやりたいことはある。それには付き合ってもらうよ? あと、少しの期間で良いから、君を知る期間を僕に頂戴。知らないことには、友達はおろか、先生にだってなれない」
射抜くように見つめてくる瞳へ、座ったまま視線を返す。
彼女はそれに少し
「……うむ。よいぞ! お主の旅の中で、私を知ってくれればよい!」
お互い、笑みに口を歪ませたまま、まっすぐ睨みあうように瞳だけは逸らさない。
しかしそれも数秒、どちらともなく吹き出すように笑い、ひとしきり笑ったところで、僕は彼女へと口を開いた。
「一緒に行こう。僕だけじゃない、君もいることで、不思議と面白い旅が出来そうだ」
言いながら立ち上がり、差し出されたままの手を同じ右手で握り返す。
思ったよりも力が入ってしまったけれど、まぁ大丈夫だろう。
「よし、それじゃ景気づけにご飯でも食べに行こうか。馬車降りてから食べてないから、さすがに僕もお腹が空いてるし」
「お、おおおう! こ、こういう場合は酒場じゃな! 行くぞ!」
真っ赤な顔で慌てたように手を放し、痛めそうな程に首を振る。
そして、どたばたとドアに手をかけようとしたところで、何かに気付いたようにこちらへと振り返った。
「そういえば、忘れておった。名を名乗ってなかったの」
そう言って、頭の上まで隠したフードの端を掴み――
◇
『――私の名はアリシア! 精霊王、ナルハトジア・フォン・ディ・ノールグラシエの一人娘、アリューシリア・フォン・ディ・ノールグラシエじゃ! と、陽の光のような金の髪を見せながら、言い放ったのです。
それが、後に精霊女王と謳われし少女アリシアと、冒険家ウェスティンの初めての出会いでした。』
――――――著、グラフィアス・バーグラフ『冒険家ウェスティン ノールグラシエ探訪記』第一章<出会い>より抜粋
――――――登場語録――――――
・ノールグラシエ
王国北部の街。エルフと呼ばれる民族と共存している街として有名。
・エルフ
ノールグラシエの地に、昔から住んでいる民族。
・精霊
エルフが信仰する存在。王国には広まっておらず、謎が多い。
・スツィリス
王国における唯一伸。王に神託を与え、王国を建国させたとされる。
・フィステッド
王国南部の街。ウェスティンの生まれ故郷。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます