いまさら夢とか

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 君のやりたいことはなんだ。

 蒸し暑い夏の日、扇風機が風を送る。


「羽良。もし夢がないのなら〜」


 面談室で担任は答えを迫る。俺は諦めた夢しか抱えていない。周りの人の実力に苦しんで、無言の圧力が辛くて、自分に絶望した。空っぽな俺は何もできない。


「先生が決めてください」


 頬杖をついて、椅子をきしませる。指先で横に手帳をずらしていた。


「自分の将来なんだ。真面目に答えろ」


 鼻から空気が抜ける。目を机に落とし、机の側面がシャーペンで削られていた。


「ごめんなさい」


 そうして面談は呆気なく終わった。部屋から出て教室に戻る。


「面談どうだった?」


 安田が今日の放課後に面接だから聞いてくる。


「将来、なんになりたいのだってさ」

「しょうらいなあ」


 先生たちは将来のことを高校三年生の俺たちに聞いてくるようになった。俺の高校は偏差値が低く、出世コース行きの大学へ行くような学生はいない。それを見越して先生達は就職か近場の大学を勧めてくる。


 授業開始の音が鳴る。慌てて席につき一息ついた。俺の席は1番後の左側を位置している。つまり、窓際で携帯を触ってもバレない。これは良いことしてきた飴だなと満足していた。


「起立。礼」


 一歩遅れて隣の席の女子が立ち上がる。彼女の名前は花咲だった気がする。長い黒髪に手入れされた肌。隣の女子はクラスで目立たない部類で、このクラスの友達は1人だけ。


「なんだ。白石は休みか」


 その友達は今日に限って休んでいた。2人しか友人関係を築かないのは痛い。その友人が休んでしまったらクラスが苦しくなるからだ。


 教科書とノートを開いて盾を作る。机にスマホを寝かせて、SNSの画面を開いた。充電は50%しかない。

 花咲はクラスのなかでは美人で、目立つ生徒も話題にあげていた。そのたびに眉を八の字にして愛想笑いしている。


「はー、将来。なあ」

「あっ」


 呼びかけられたように横向く。すると、彼女は体を丸ませていた。両手を顔につけ、髪の毛が横顔を隠してる。

 周りの生徒もその声を聞いた。前の席もわざわざ振り向いて注目する。先生は教科書から顔を浮かべ、ざわつきの元に問いかけた。


「花咲、どうした」


 俺は目を剥いた。

 彼女の指先から血が垂れている。赤黒い血が中指を指輪みたいに移動し、ノートに赤点を作っていた。


「鼻血!」


 咄嗟にポケットに突っ込んだ。そこにクシャクシャのテッシュを掴みとり、手を伸ばす。


「いや、いいよ」

「血が出てるから。早く」

「あ、ありがとう」


 顔から手が離れる。唇の上が血で汚れていた。

 血だらけの指がポケットテッシュの入口に挟まれる。人差し指と親指の爪で1枚するりと上に行く。血液が既に付着している。そのテッシュを鼻に当てて血を拭いていく。しかし凝固した血は取れないまま薄い赤を広げていた。


「私、保健室連れていきます」


 保健委員の椅子が大げさな音を立てた。騒然とする生徒たちの横を進み、彼女の背中を持った。そして、二人は教室から退場する。

 先生は皆をなだめるけれど、一向に収まらない。頼りない先生を蔑ろに、席についた。


「?」


 なにか聞こえる。音の方を探っていき、隣の机の中から音が漏れていた。


「メタル聞くのかよ」


 死に物狂いのドラムテクに、高速のギターリフ。甲高いシャウトやデスボが机から響いている。

 校則で授業中は携帯を触ってはいけないとあり、もし使用が露見したら、持ち物検査が行われ携帯没収が待っている。


「せんせい! トイレ行きます」


 腹部を抑え腰を曲げた。低姿勢で自分の机から遠のく。そして、彼女の机の中から携帯をとった。イヤホンを指に絡めてポケットに直す。先生に気付かれないことを祈りながら後ろの扉を勢いよく開けた。


 廊下に二人の姿はない。既に階を降りたと理解し蹴られたように走った。保健室に近い階段を三段飛びで降りる。ようやく、鼻を抑えた彼女を見つけた。


「花咲!」


 目だけ動いた。ポケットから携帯を取り出す。


「え、どうして?」


 どうして取ってきたんだと言いたげな目つきだ。それに対する言い訳を考えていない。音漏れが酷かったから持ってきたと力説しても空回りになる。それなら携帯を操作すればよかった。でも、他人の携帯は迂闊に開けない。


「あ、えっと。保健室退屈かなって!」


 階段に嵌められた硝子に俺の顔が写ってる。イヤホンからメタルの大音量が聞こえていた。


「なにそれ」


 携帯を受け取る彼女はそれだけを告げて去っていった。俺は下に降りていく彼女の背中を見送る。そろそろ帰らなければならない。


 教室に戻り、自分の席につく。SNSの返事するために携帯の画面をつけた。


『何があったの』

『鼻血』

『いや、お前が慌ててたけど』


 俺は何に焦っていたのだろう。その言葉を返せなかった。



 花咲は今日中に帰ってこなかった。夕焼けの教室で携帯を触る。


「あれ。羽良くん?」


 扉の開く音がして、目線を携帯から移す。

 花咲が教室に帰ってきた。鼻にテッシュを詰めて、汚した唇はあらわれている。


「もういいの?」

「しばらく寝たら落ち着いた」


 彼女は好意的な笑みを浮かべている。隣に座っているだけでは見られない。


「私って鼻血が出やすいんだ。今日は突然で困ったけど」


 鼻を抑え夕焼けの中を進む。横の席に横にかけている鞄を手にした。


「白石も休みだから困った」


 ところでと、花咲が気分を変えるように話す。


「なんで羽良くんがいるの?」

「安田の面談が終わるのを待っている」


 ああ、と天井を見つめ納得した様子だ。


「安田くんと仲いいよね」

「中学からの知り合いだから」


 俺の向かいに席をひいて座ってくる。

 時計と記憶の片隅にある時間割を確認した。放課後は二人の面接を控えている。


「あれ、花咲も面接?」

「そうそう。だから待たなくちゃいけないんだー」


 ポケットの中から流れ作業のように携帯をとりだす。イヤホンは携帯の周りを往復していた。


「これもありがと。音漏れしてたんでしょ」

「メタル聞くんだね」


 花咲は次の面接が始まるまでの時間つぶしとして身の上を語る。メタルと出会ったのは兄貴が演奏を目撃したこと。それからCDを快く貸してもらい、今はドラフォに関心を抱いているようだ。


「羽良くんも聞くんだ」

「詳しくないけどね」

「何聴くの?」


 女子と久しぶりに会話した。言葉に詰まることもあったが、暇つぶしに協力してくれている。なにしろ話題は花咲の趣味だ。


「ねー、羽良くん。面接で何聞かれた?」

「やりたいことはあるのか。夢はあるのか」


 花咲は夢とかやりたいことってあるの―――って聞けないから、このまま何だろう。


「なんて答えたのって聞いちゃダメ?」


 他人に夢を語れない。たとえ彼女であっても笑う可能性はある。


「人に夢なんて言えないかな」


 視界が下に塞がる。床が滑らかで木目がありありと存在していた。


「いや、夢とか人に話せないんだよね。バカにされるかもしれないから」

「私は信頼できない?」


 信頼していいのか。きっと俺は彼女の何かに惹かれている。それに準じて触りたい。


「俺は漫画家になりたかったんだ」


 諦めた夢を解体する。ボロボロになった自分のことを示していく。それは身体に刃物を差し込むように痛かった。幼すぎて涙が出てくる。それでも、彼女は残酷に止めない。頑張ったねって言われたい欲求がバレていた。


「悪いな。聞いてもらって」

「私も目指してるんだ」


 そういうと彼女は鞄に手を突っ込んだ。取り出したのはキャラクターの書かれたファイルだった。中を開けるとルーズリーフのネームが保管されている。


「君に読んでほしい」

「言っただろ」


 俺はもう絵の練習をしてない。彼女は首を横に振って、本質はそこじゃないと告げる。


「そんな君の意見が聞きたい」

「俺は優しく言えない。ワナビだから」

「ワサビ?」

「違う」


 コマが死んでいた。視点移動はできてないどころか、右を向いた顔が多い。


「これを先生に見せる」


 まだあるよとカバンから取り出してくる。同じような画力で、量だけつまれていた。


「熱意で認めてもらおうと思う」

「なんだよそれ」


 花咲は予想より面白い人間だった。そして、俺は彼女が眩しすぎて直視できない。

 それでも、マンガの評価を話す。


「あまり面白くない」夢を託すように呟いた。「応援するよ」


「ありがとう」


 きっと笑顔なんだろうと想像する。



 翌日。学校内が騒がしかった。

 俺は安田と共に教室に入っていく。


「お、羽良じゃん!」


 普段はなさない人が馴れ馴れしく近づいた。彼の口から下品な匂いがする。


「何か用?」

「漫画家目指してるんだって?」

「え?」


 なんで彼が秘密を知っている。とにかく、俺は努力を守りたいから否定しなければいけない。


「目指してないけど。誰か言ってたの」

「みんな言ってるぜ。応援するよ」


 花咲を真っ先に睨んだ。そして、その足取りで白石を払い除ける。


「頑張れ」「応援するよ」「次こそ受かるよ」「頑張れ」


 限界だった。


「花咲。なんで言った」

「ち、違う!」


 この期に及んで冷静じゃなかった。まるで自分は広めてないと主張する。


「嘘をつくなよ」

「嘘じゃない! 私はあの後先生に話して帰ったもん」


 教室は緊張して沈黙を連れてくる。彼女の乱れた前髪、瞳孔の開いた瞳。無罪だと言葉以外でも示していた。


「だったら誰なんだよ」

「それは……」


 心当たりのない様子だった。俺は話したとしても答えないなと考える。


「ちょっと、咲ちゃんがなにかしたの?」

「白石には関係ない話だ」

「友達が責められてるのに無視できないよ」


 そもそも人を信じるのがバカだった。鼻血で心配になって、夢にシンパシーを抱いて応援なんかしてる。俺は人に晒されたというのに。


「花咲。お前のマンガ売れねえよ」


 俺は踵を返した。安田は止めてきたけれど、家に帰宅する。誰もいらなかった。少しずつ頭は冷静になっていく。彼女が喋ったという確証はない。疑ったところで解決しないのに。裏切られるのが怖かった。


「ただいま」誰もいない自宅に帰宅する。階段をあがって机のルーズリーフをめくった。

 

 漫画を久しぶりに書いた。

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いまさら夢とか 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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