私たちの今後


 翌日の朝、私はギルドへ行くと嘘を吐いてロイドにお留守番をさせ、オズワルドと一緒にギルドへ向かった。

「ねえ、ちょっと時間を頂戴。聞きたい事があるの」

「いいよ」

 本当は明日から始まるサーカスの警備に向けて、剣術を習いたいはずだ。

 しかし私が抱えるモヤモヤを察したのか? それとも顔に出ていたのか? いずれにせよ、彼はギルド行きを諦め即答した。

 自警団が立つ外門を通り抜け繁華街へ向かう。落着いて話をするならお店に入った方が良い、とオズワルドが言ったからだ。

 繁華街に入ると、朝の遅い時間なので人の往来が少なく快適だ。落着いて話が出来れば良いので、適当に店を選び中へ入った。従業員に奥の席を案内され、木製の机に向かい合って座った。客はほとんどいないので、ここならゆったりと話が出来る。

「パティ、飲み物だけもいい?」

「いいよ。お腹がいっぱいだから、目の前に出されても食べきれないよ」

「どれにする?」

 オズワルドからメニュー表を受け取りパラパラと捲る。飲み物ならどれでも良かったので、パッと目に入った紅茶を注文して話を切り出した。

「昨日、ロイドが言っていた事がすごく気になったの。私達ってロイドにとって『自分にとって都合の良い奴』なのかな?」

 口には出さなかったけど、ロイドの考えには共感できない部分があり、彼への信用が揺らいでいる。オズワルドは彼の発言をどう思っているのか? きっと難しい顔をするに違いない……そう思っていた。

 ところがオズワルドは微笑を見せて言った。

「ロイドは生まれ育った環境が僕らと違い、冷淡な部分があって困惑するけど、彼は信頼できる人物だよ。それは僕が保障するよ」

「どうして?」

「それは母親との接し方だよ。もう亡くなったけど、ロイドは母親を凄く大切していたんだ」

「そうなの?」

 ロイドが母親思いなのは知っていたけど、そんなに特筆するべき事柄なのか?

「本人は恥かしがって誰にも言っていないようだけど、家に篭りきりの母親を散歩に連れ出していたんだよ。誰にも見つからないように、朝早くにね。例えどんなに遅く帰ってきても、早朝の散歩を欠かした事はないそうだ。悪天候を除いてだけどね」

「その現場を見たの?」

「うん。それにロイドのお母さんから話も聞いたよ。それで僕は彼の力になると決めたんだ」

 なにそれ! いい話じゃない! ハンカチを用意した方がいいかも……。

「ロイドは他人にも自分にも厳しい完全主義者なんだ。今は少し丸くなったけどね。それに彼は目先の損得勘定で動くような安易な人間じゃない。大観を見る目を持っているよ」

 返す言葉が見つからない。

「彼は僕達を『自分にとって都合の良い奴』と思ってはいないはず。おそらく『自分にとって必要な奴』の方が表現として正しいんじゃないかな。そうじゃないと『自分にとって都合の良い奴』って考えを披露した時点で、それは『君達にも当てはまるよ』って間接的に明言して、僕達に不信感を与えるよね。損得勘定で動く人が、自分の立場を危うくするような行動はとらないはずだよ」

「お待たせしました」

 区切りの良いところで店員が紅茶を運んで来た。まるで物陰からタイミングを見計らっていた、と思われるくらい絶妙だった。素早く配膳を済ませ立ち去る店員。良い仕事をしたな。

「もしも、ロイドが損得勘定で動くなら、パティはすでに見切られているだろうね」

 オズワルドが冗談交じりの笑顔で紅茶に手を伸ばし、私も紅茶を口元へ寄せる。

 ほのかな香りに気分が晴れてゆく。口をつけるのは、もう少し香りを堪能してからにしよう。


 色々と話し込んでいると鐘の音が聞えた。窓の外を見ると、人の往来が増え始めている。もしかしたら、さっきの鐘は時計塔が正午を知らせる合図かもしれない。それにお腹の具合からも正午と予想した。

 なのでそのままオズワルドと昼食をとり、小休憩してから一緒にお店を出た。空を見上げると、太陽が頂点に達していた。やっぱりお昼だったようで、朝に比べて日差しが強く暑い。

 オズワルドとは冒険者組合で別れ、私はユーリアを迎えに教会へ向かう。お腹もいっぱいになったし、愚痴もこぼした。これで署名運動に専念できる。

 教会に着くと、ユーリアと金髪少女が茶色の子犬と一緒に戯れている。可愛すぎる!!

 少女と子犬。子犬と少女。どちらにしても素晴らしい。

 その光景は見て胸がときめかない者などいないはずだ。今すぐ、みんなまとめて小脇に抱えて持ち去りたい。犯罪ですけど……。

 茶色い子犬が小さな尻尾を振って金髪少女の周りを楽しそうにピョンピョンと飛び回り、ユーリアが子犬の真似をして四足で子犬を追いかけている。

 邪魔をしてはいけない! でも声を掛けないと!

「こ…………、こんにちは!」

 すっかり混乱してしまい、右往左往しながらとりあえず声を出します。勢いをつければ何とかなりますかね? ユーリアさん。

「あっ! パティさん!」

 私に気づいたユーリアは子犬の真似を止めて立ち上がり、ひざ小僧をパンパンと叩き埃を落とした。

「こんにちは……」

 金髪少女はユーリアの背中に隠れて挨拶をしてくれた。ユーリアを慕う、この子の名前を聞いてなかったな。

「こんにちは。お名前を教えてくれる?」

 腰を落として金髪少女と目の高さを合わせ笑顔で尋ねた。

「…………イ……、イリア……」

 恥ずかしそうに俯く姿が何とも可愛らしい。

「私はパティ。よろしくね」

 手を差し出して握手を求めると、イリアちゃんは躊躇いながら恐る恐る私の手を握った。小さくて、柔らかい手が気持ち良い。

「いくつ?」

「さんさい」

 指を三つ立てるイリアちゃん。ユーリアをお姉ちゃんと呼んでいたから、ユーリアは四歳以上になるのか。

「その子犬の名前は?」

「コロだよ」

 コロ…………、名前が可愛すぎるだろぉぉぉ!!!!

 叫びたい!! あの太陽に向かって! しかし、ぐっと叫びたい衝動を抑えた。もう子供じゃない。自分自身くらいきちんと制御できるわ。

「その子犬はどうしたの?」

「朝に箱があって眠っていたの」

 イリアちゃんは教会の扉を指した。どうやら早朝に捨てられた子犬のようだ。教会なら何とかしてくれると思ったのだろう。まったく命を粗末にするとは、けしからん奴もいたもんだ。

「パティさん! サーカスはどうなりましたか?」

「サーカスは午前と午後の二回公演なんだって。今日は休みだから明日行こうか」

「それじゃあ! 明日の午後から行きましょう!!」

「いいな……」

 私達の話を聞いていたイリアちゃんは羨ましそうな顔で言った。

 うっ! そんな顔で見られたら……。

「じゃあ、イリアも一緒に行こうよ!」

 ユーリアはイリアちゃんの手を取った。二人のやり取りを見ていると、幼少時の思い出がよみがえる。私もオズワルドの後ろを付いて歩き回ったな。懐かしいな……でも今もあまりに変わらない気がする。あれ? もしかして私って成長してない?

「いいですよね!? パティさん!」

 そんな純真な眼差しで見つめられたら断れないじゃないか。はいはい、分かりました。お金は私が出しますよ。

「じゃあ、サーカスは三人で行くとして、今日はどうする?」

「今日は図書館に行きましょう。モンスター図鑑が見たいです」

 さすが都会。村に図書館なんてなかったな。でも字を読むのは嫌いだから、村に図書館が在っても無くても私には関係ないか。

「分かったわ。それじゃあ図書館に行こうっか。イリアちゃんも行く?」

「うん」

「それじゃあ、子犬を預けて行きましょうか」

「うん!」

 イリアちゃんは子犬を抱えユーリアと一緒に裏庭へトコトコと歩いて行った。その姿をしっかりと目に焼き付ける。

 しばらくすると、イリアちゃんがヘンリさんを連れて戻って来た。ヘンリさんは子犬を片手で抱き杖を突いている。

「すいませんが、二人の面倒をお願いします」

「はい」

 ヘンリさんが頭を下げるので私も釣られ頭を下げていると、図ったようにユーリアが戻って来た。背中のナップサックを私に見せびらかし「パティさんから貰ったノートと鉛筆が入っています」とか言うんだよ。

 その時、私は思った。良かった! ロイドから呆れられても、私の行動は間違っていなかった。自身を賞賛しながら、こぶしを握り締めて天を仰いだ。

 ユーリアとイリアちゃんが仲良く手を繋ぐ姿を後ろから眺める。ニヤニヤが止まらない。至福の時を味わいながら、二人の後を追うとコンクリートで造られた橋にさしかかった。

 橋から下を覗きこむと、恐怖を感じるくらい高い位置に設置され、飛び込み防止のフェンスが設けられている。どうして、高い位置に橋が設置されているのか。

 浮んだ疑問。しかし興味が無かったので、泡のようにすぐに弾けて消えた。

 橋を渡ると中間地点が円形の広場になっており、円の中心に女性の銅像が立っている。


 銅像は長いワンピースを着て両手を後ろに回し、顔を俯き加減で何かを考えているように見える。銅像の横に添え書きがあったけど、読んでいると二人に置いて行かれるので読まずに橋を渡った。

 橋を渡り終えて、すぐ右手に鉄の外塀で囲まれた二階建ての建物。柱と窓の縁は白く装飾され、レンガと見事に調和している。入り口には警備を務める二人の自警団。あの建物は何だろうと思い、入り口に設置されている木材の掛け看板を見ると市長邸・市議会館と書いてあった。

 ユーリアは市長邸を通り過ぎるとすぐに脇道に入り、昨日とは異なる道を進んで行く。ここでユーリアと逸れたら、迷子になり立ち往生するのは自明の理。周りの風景には目もくれずにユーリアの背中を凝視して追いかけていると、胸に身分証明手帳と同じマークの刺繍が入った紺色の制服を着た男性二人組とすれ違う。

 そうか! ここは高級住宅地。高価な金品を狙う泥棒対策として、自警団が重点的に巡回していても不思議ではない。つまり迷子になっても大丈夫なのだ。でも、迷子にはなりませんけどね。もう、大人ですから。

 高級住宅地を抜け大通りに出て、しばらく歩き交差点に着くと、右を指し示した矢印の看板が目に留まり立ち止まった。

『イリアナポート図書館・リトン教会』

 文字を読みながら自然に顔が右向け右をすると、ユーリアとイリアちゃんが少し離れた位置で立ち止まり不思議そうに私を見ていました。

「パティさん。どうしたんですか?」

 ばっちりと見られていました。とても恥ずかしかったので、笑って誤魔化しました。

「早く行きましょう!」

 ユーリアが手を振って呼びかけるので、足を前に出そうとすると違和感を覚え踏み止まった。

 何か奇妙な物が目に触れた。視線を上げて左側上部に目をやると、高い建物の後ろに緑の巨大な物体が見える。上下左右に広がる感じから、緑色の雷雲と読んだ方がしっくりくる。

「ユーリア、あの緑色のやつは何なの?」

 謎の物体を指しながらユーリアの元へ歩み寄ると、二人は指先を視線で追いかけて振り返る。

 息がぴったりで少し可笑しかった。

「あれは長老さんです」

「長老さん?」

 ユーリアは説明をしながら足を踏み出し、緩やかな下り坂を三人並んで歩いた。

「はい! あれは長老の木って言うです。町を守る神様だから悪戯したり、登ったりすると怒られます」

「もしかして、あの緑は沢山の葉っぱで長老さんは一本の木なの?」

「そうです! 長老さんは凄く大きいです!」

 ユーリアはイリアちゃんの手を離し両手で大きな円を描くと、それに合わせてイリアちゃんの顔も小さな円を描く。二人とも可愛い。

「それでどうして長老さんって呼ばれているの?」

「知らないです。えへへ」

 ユーリアは頭を掻きながら、なぜか照れ笑いを見せイリアちゃんは小首を傾げた。私との会話でユーリアが照れる要素があったのか。疑問が浮かんだけど、私は気にしない。


 それにしても、この町には冒険者組合の前に建つ変な円柱や、巨大な樹木といい奇妙な物が多い。そのまま放っておくのも気持ち悪いので、図書館で円柱と長老の木について調べるか。

 おっ? 私が勉強とは珍しい。嵐が来るかもしれないな。

 長老さんに向かって歩いて行くと、大きな建物が見える敷地内から子供達の声が聞えてきた。並木に囲まれた、その敷地内では子供達がボールで遊んでいた。もしかして、ここがリトン教会かもしれない。

「ねえ、ユーリア。ここがリトン教会なの?」

「違います。ここは学校でリトン教会は図書館をより、ずっと向こうです」

 ずっと向こう……、図書館の先にリトン教会があるのね。理解した。

 私達は学校を右手に見ながら通り過ぎると、今度は左手にコンクリートの外壁に囲まれた長方形の建物が見えた。色鮮やかなレンガ造りの建物は、まるでフレジェを三つ横に並べたように見える。不覚にもおいしそうだな、と思ってしまった自分が情けない。

「あれが図書館です」

 ユーリアは巨大フレジェを指差した。やっぱり都会は違うな。もっと小ぢんまりした建物を想像していた。見る物全てが私にとって新鮮だ。

 しばらく歩くと図書館の中心に入り口があった。外壁に図書館と掘り込まれ、ユーリアが中に入ろうとすると、イリアちゃんの足が止まった。どうやら初めての図書館で緊張しているようだ。

「大丈夫だよ!」

 怖気づくイリアちゃんの手を握り締めて、ユーリアは何度も励ます。混乱しているイリアちゃんは後ろを振り返り、私に助けを求めた。ちょっと泣きそうな顔も可愛い。

「大丈夫だよ」

 イリアちゃんに近づいて抱き上げ目線を合わせると、少し落ち着いたようで小さく笑った。

 図書館に入ると薄暗いトンネルのような廊下を、ユーリアは我が物顔でズンズンと奥へ突き進んで行く。その小さな背中が頼もしく見えたのは、私だけでは無いはず。

そしてトンネルを抜けるとそこは光があふれていた。壁に設置された大きなガラスから沢山の光りを取り込み、壁上部の小窓から風が通る。

まるで、そよ風を感じながら木陰で楽しむ読書……、その演出は憎いな。

「こんにちは!」

 ユーリアはカウンターに寄っていき、司書の背中に向かって挨拶をした。

「はい、こんにちは。ユーリアちゃん、久しぶりだね」

 司書は手を止めて振り返りユーリアに笑顔で答えた。やっぱりそうだ。ユーリアの『こんにちは』には人を惹きつける力がある。

 私とイリアちゃんも司書と挨拶を交わしカウンターを通り抜けて「あのへんに座ろうよ」とイリアちゃんを下ろして中央辺りの空いている席を指した。

「それじゃあ、本を取って来ます」

 ユーリアはトコトコと、どこかへ歩き出した。

 私は腰を落として、イリアちゃんと目の高さを合わせる。

「イリアちゃんは文字を読める?」

 無言のままイリアちゃんは首を横に振った。調べ物はまた今度にしよう。

「そうか。じゃあお姉ちゃんが読んであげるから、絵本を探してこようか」

「うん」

 カウンターに戻り司書から絵本の場所を教えてもらい、イリアちゃんと一緒になって絵本を探す。イリアちゃんは左から順番よく本を取って、表紙を見ては小首を捻り棚に戻す。可愛い。イリアちゃんは何をやっても可愛い。このまま眺めていたいけど、ユーリアも心配なので背表紙を見てイリアちゃんが好きそうな絵本を探す。

「これはどう?」

 私がイリアちゃんに見せたのは、子犬の大冒険、と言う絵本。表紙の中央で元気よく跳ねる子犬が可愛かったし、何より今日から飼い始めた子犬なら感心を示すと睨んだからだ。

「これがいい」

 イリアちゃんは差し出した絵本を抱きしめて笑顔を見せた。もう死んでもいいと思った。

 席に戻ると、すでにユーリアはモンスター図鑑を立てて読書にふけていた。ナップサックから取り出した白紙のノートと鉛筆を机に広げ、紺色の硬表紙で作られた高そうなモンスター図鑑を前にユーリアは目を閉じて呼吸を整えている。

 集中する為の儀式なのだろうか。ユーリアはもっと『わあぁぁぁ!!』とか『どかぁぁぁん!!』のイメージなので、意外な一面につい見入ってしまう。ロイドの言う通り、モンスター図鑑は私のお尻よりは薄かったけど、レンガと同じくらいはある。もう死にたいと思った。

「ユーリアお姉ちゃん。こんなに難しい本を読むの?」

「………………………………………………」

 イリアちゃんが話しかけても、ユーリアは目を閉じたまま。

 固唾を呑んでユーリアの言葉を待った。

「読みたいけど、読めないよ……えへへ」

 ユーリアは恥ずかしそうに頭を掻いた。ですよね。知っておりました。

イリアちゃんを膝の上に乗せ絵本を読み聞かせながら、隣に座るユーリアが読めない字や意味の分からない単語を尋ねてくる。しかし専門書なので、私も読めない字や聞き覚えない用語が多々あり、その度に辞書や関連書籍を調べて答えを教えると、疑問が解決したユーリアは嬉しそうな表情で教えてもらった単語や用語、モンスターの情報をノートに書き留める。

 そして再び図鑑を読んで、新たな疑問が浮上すると私に質問してくる。

 その度に絵本の読み聞かせが中断するので、イリアちゃんが少し不満そうな顔を見せた。このままではイリアちゃんが泣き出してしまうかもしれない。静かな図書館で泣かれては皆様の迷惑になる。何か良い方法はないか、と考えるうちに二つの疑問が浮かんだ。

「ねえ、ユーリア。普段は分からない言葉がある時はどうしているの?」

「あっちに行って図書館の人に聞いています」

 そう言いながら、ユーリアが指した先は司書が立っていたカウンター。

「分からない言葉がある度に、図書館の人に聞いているの?」

「そうです。ちゃんと教えてくれます」

 ユーリアは平然と言った。頭の中ではユーリアがカウンターを往復し、その度に仕事を中断させられる司書の苦労が浮かんだ。それでもユーリアの様子から察すると、司書はユーリアの叱りはせず、懇切丁寧に教えてあげているようだ。

 ユーリアが孤児と言う苦境にもめげずに明るく真っ直ぐ育っているのは、教会の人はもちろん、エイダさんや司書の小さな優しさによるものだろう。まだまだ世の中は捨てたもんじゃないな。うんうん。おっとっと、いけない。感心する前に、もう一つの疑問を解決しないと。

「それから、ユーリアはモンスター図鑑の内容を覚えているんじゃないの?」

「覚えてます。でもこの図鑑はまだです」

「ん? どういう事?」

「モンスター図鑑っていっぱい種類があるんです。今読んでいるのは新しく出た図鑑です」

 なるほど。言われてみればその通りだ。てっきりモンスター図鑑は、一種類しか無いと思い込んでいた。思い込みか……やっぱり思い込みは怖いよね。特に私は思い込みから、よく失敗をする。塩を入れたつもりの料理を、今まで数え切れないほど製造した。私ってお茶目だな。

「それにですね、図鑑によって書いてある内容が違うんです。例えばですね……」

 そう言いながら、ユーリアはモンスター図鑑をパラパラとめくり、あるページの記事を指差した。

「ここにエクレアムースの嫌いな物は水って書いてあるんです。濡れると興奮して雷を発生させるので、危険って書いてあるんです。でもこの図鑑より古い図鑑には、水浴びが大好きって書いていました」

 指した記事を読むと、ユーリアの言う通り、水が嫌いと書いてある。

「でも、それは間違いだから直したんじゃないの?」

「だから、エクレアムースに聞いてみます!!」

 まただ。またしても私の質問に対して、答えが噛み合っていない。エクレアムースが人の言葉を理解できれば、話は別だけど。

 ん? 待てよ。もしかして私がそう思い込んでいるだけで、実はエクレアムースは人の言葉が理解できるのかな? ロイドの話では『山の神』と崇拝されているって話だ。もしかしたら、もしかするかも。

「もしかして、エクレアムースって人の言葉が分かるの?」

「えっ? 本当ですか?」

「ん?」

「はい?」

 おや? 質問を質問で返されたけど、こういう時はどうすればいいんだ? お母さんから教わってないぞ。

「でもエクレアムースはですね……」

 あっ! まずい! この目の輝きはユーリアが夢中になって人の話を聞かない状態。いったれ! ユーリアモードだ。しかも私の質問が無かった事にされている。いち早くユーリアが語りだす前に手を打たなければ。

「ねえ、ユーリア。今は図鑑を読んだ方がいいんじゃない? もうすぐ日が暮れるよ」

「そうですね! パティさん! すごいですね!」

 何が凄いのかは分からないけど、気にせずイリアちゃんに絵本を読んであげよう。

 と言っても、なかなか絵本を読み進められずにユーリアの相手をしていたら、イリアちゃんはいつのまにか私の胸に顔を預けて寝ていた。これが癒しなのね……。子供いいな……。

 イリアちゃんを起こさない様に細心の注意を払いながら、ユーリアの相手をしていると窓から差し込む光が弱々しくなってきた。そろそろ日没が近いようだ。

「ユーリア。そろそろお家に帰るよ」

「もう少しだけ読みたいです」

「ダメよ。みんなが心配するから」

「分かったです……」

 肩を落として本を本棚に戻しに行く、ユーリアの背中が寂しい。その後姿に罪悪感を覚えたけど、日没までに二人を送らないと教会の人達が心配するからね。

 ユーリアのノートをナップサックにしまう前に、本日の成果を覗いた。


 モンスターの名前や特性、分からない単語や専門用語、それらに加えて自分で書いた挿絵まで記載されている。子供が書いた物なのに、図鑑の書式を真似ているので、それなりの形にはなっている。ただ見た目が様になっているだけで、必要な情報が随所に欠落しており使える代物ではない。けれど、情熱は感じ取れた。

 ノートと鉛筆をナップサックに収め、しばらくするとユーリアが戻って来た。

「楽しかったです」

さっきまであんなに寂しそうだったのに、急に元気を取り戻している。気持ちの切り替えが速い子だな。

「また、今度来ようね」

「はい!」

 君は、とても楽しそうに笑うんだね。ユーリア。

 私はイリアちゃんを胸に抱いたまま、司書に挨拶をして図書館を出ると、西日が差していた。

 一日の終わり。この町に着いてから色々あったけど、二人のお陰で今日と言う日を楽しく過ごせた。感謝しないと。

 西日を背に受け、長く伸びた二人の影を追いながら帰路に就く。すれ違う人や風景。なんでもない景色を目に焼きつけながら、ユーリアのモンスター談話に付き合う。教会に着くまで、ずっとエクレアムースの話をしていた。明日のサーカスが楽しみで、今夜は眠れないはずだ。

 夕日に照らされた君の笑顔。その光景を一枚の絵として胸に深く刻んだ。


 ユーリア達と別れ、風呂屋で汗を流し一日の疲れを癒した後、テントに戻るとオズワルドが焚き火で料理をしていた。今日の料理当番はオズワルドのようで、鉄板を広げパイのような物を作っている。私は肩掛け鞄をテントに置いてオズワルドの向かいに座った。

「何を作っているの?」

「今日は白身魚とジャガイモが安かったから、白身魚のジャガイモ包み焼きだよ」

「おお! いいね」

 男の料理にしてはずいぶんと凝っているな。もしかして私より料理は上手かもしれない。あれれ? 私は要らなくない? まあ、気にしないでおこう。

「ロイドは?」

「ロイドなら町の下見に出たよ。もうすぐ帰ってくるんじゃないかな」

「本当に? どこかで遊んでいるんじゃない?」

「お前と一緒にするな」

 いきなり後ろから声がしたので驚いて振り返ると、焚き火に照らされ浮かぶ、怒ったロイドの顔。ロイドは焚き火を中心に私とロイドの間に腰を下ろした。

「今後を考えて、町の事情を把握しようと下見に出たんだ。俺の行動をどう思う? 間違っていると思うかね? 箱入りちゃん」

「ごめんなさい。陰口とか言って、ごめんなさい」

 説教される前に謝ります。それにロイドの主張は正しいので、ケンカをすれば私が損をするのは見え見えですから。あっ! 町の事情と言えば……。

「ところでさあ、町の事情に詳しいロイドさん。聞きたいんだけど、冒険者組合の前にある変な円柱は何?」

「あれは『不倒の柱』だ。その名が示す通り、町が壊滅するような地震でも倒れない。武器を使っても倒れるどころか、傷一つ付けられない。倒れない。絶対に。そこから『どんな苦難でも倒れない』って意味で、冒険者から崇拝されているそうだ」

 ロイドの説明に触発されて、円柱に供えられた酒瓶や人形達を思い出した。

 なるほど、あれは冒険者のお供え物か。

「それで何の柱?」

「それは記録に残ってないから、誰も知らないそうだ」

「じゃあ『長老の木』について教えてよ」

「あれは町の守護神として祭られ、町が誕生する以前から存在しているそうだ。由来は誰よりも長生きだから『長老』らしい。そして長老が生えている雑木林一帯を『長老の住処』と言うそうだ。ちなみに長老に登ったり、傷をつけたりすると禁固刑らしい。たかが木に登るだけで禁固刑とか、どうかしているぜ」

 よくそんな情報を半日で調べたな。感心した。でもこれくらい当たり前だろ、って感じの澄ました表情が気に入らないけど、負けを認めなければならない。

「半日でよく調べたね」

 オズワルドが褒めたので寸前で言葉を呑んだ。

「まあな。ところでお前の方はどうだった?」

 ロイドが私に視線を送り、今日の出来事を報告するように促された。

「『今日のユーリアちゃん』だよね?」

「なんだ、それは?」

「いつも元気で楽しい、ユーリアちゃんの出来事を報告する時間だよ」

「いいから、早くしろよ!」

 なんだ! その扱いは! せっかく思い付いたのに……。私のユーモアを理解できない教養の無い奴め。抗議してやりたいけど、今回は町の調査の出来がよかったから許してやる。

 込みあがった怒りを飲み込んで、ユーリアと図書館へ行き、本日の観察結果を報告するとロイドは頭を抱えて言った。

「モンスター図鑑の種類が複数あるなんて、よく考えたら分かることだよな。完璧に見落としていたぜ。それにしても図鑑によって内容が異なるんじゃあ、ユーリアが記憶している図鑑の知識は使えそうにないな」

「だからね、ユーリアはエクレアムースの弱点について『エクレアムースに聞くんだぁ!』って言っていたけど、エクレアムースって人の言葉を理解できるの?」

「しらねぇよ」

「それはきっと、本物のエクレアムースで検証して確かめるって意味じゃないかな?」

 オズワルドがフライ返しで包み焼きを引っくり返す。その手つきはずいぶんと手馴れており、これは味も期待してよさそうだ。

「普通はそう解釈するだろ。まさか鵜呑みにしたのかよ」

 二人の視線が痛い。そのせいか、なんだか今夜はいつもより冷えるぞ。

「まさか! そんなわけ無いじゃない! いくら馬鹿な私でも分かるよ! アハハハ……」

 笑って誤魔化そうにも無理だったようです。言わずとも二人の表情が全てを語っています。

 がんばれ私。涙がこぼれない様に空を見上げると、満月に足りないお月様。あのお月様のように、私にも何かが足りないんですね。ええ、分かりますとも。

「そうなると、ユーリアを当てにするのは無理かもしれないな」

 ロイドは腕を組んで唸った。ロイドも私も揺れ動いている。やっぱりユーリアを連れて旅をするのは無理なのではないか。言うべきか迷ったけど、ここは自分の意見を二人に伝えておくべきだと判断した。

「わたしさあ、思ったんだけど……」

 一声を発して、二人の視線を集めてから話を続けた。

「ユーリアを連れ出して、もしもの事が起こったら署名運動に協力してくれた人達に顔向けできないし、ユーリアを慕う子供達に一生残るような傷を与えるかもしれない。やっぱりユーリアがもう少し大きくなってから。周りの状況が見えるようになってからがいいと思う」

「今更そんな事を言うのかよ。それは初めから分かっている。それでも使えるかどうかを調査しているんだろ? それに周りが見えるようになるまで、俺達は何年待てばいい? 一年か? 五年か? それとも十年か? 見える奴はガキの頃からでも見えるし、見えない奴は死んでも見えない。そんなものは判断の材料にはならねぇよ」

「そうじゃなくて、私が言いたいのはユーリアがもう少し成長からでいいんじゃない、って言いたいのよ! 病気や怪我に弱い子供だよ!」

「だから! 何度も言わすな! それは初めから分かっているんだよ!」

「二人とも、お腹が空いているからって興奮しすぎだよ」

 オズワルドが包み焼きをフライ返しでひっくり返すと、こんがり狐色に焼けていた。咳払いを入れて一呼吸おいてから、オズワルドが口を開いた。

「結論は三ヵ月後。まだユーリアに出会ってから、二日しか経っていない。色々と話し合う部分があるみたいだから、そこは時間を掛けて話し合い、みんなの方向性を統一しよう」

 私もロイドもため息を吐いて口を紡ぐ。彼の言うように、少々興奮しすぎたかもしれない。

 もう一度、空を見上げる。どうやらパーティーとしても、あのお月様と同様に足りない物がある。時が来れば、月は満月へと生まれ変わる。私達も時間を掛ければ、生まれ変わるのだろうか。まだ始まったばかり。これからだよ。そう自分に言い聞かせ、焚き火を見つめた。


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