モンスター研究家 ユーリア

 眠い。凄く眠い。二度寝しようと毛布に潜り込んでも、すぐにロイドに起こされる。しかも毛布を取り上げ、蹴飛ばして起こす。酷い! こいつは女だろうと容赦しないな。

「早く準備しろ! モタモタしていると、組合に行っても仕事がねぇぞ!!」

 朝からロイドがうるさいです。もう少し寝ていたいです。

「明日でもいいんじゃない? 長旅で疲れたから、今日は休養にしよう」

 肌寒いので体を丸めて寝ます。

「今日からやるんだ! 売り飛ばされたいのか!」

 首根っこを掴まえられ、テントから引きずり出されました。


 昨日は夕食をとり、風呂屋で汗を流した後、町の外に出た。すると外の世界は幻想的な景色が広がっていた。暗闇をぼんやりと染める暖色の灯火。焚き火が町を守る防壁や街道に沿って点在していた。焚き火の数だけパーティーが在る。肩を寄せ合い、苦楽を共に生活しているはずだ。その光景を見て、自分も冒険者の仲間入りを果したのだと実感した。

 と、ここまでは良かった。

 このまま感慨に浸りながら就寝につけば、良い思い出になったはずだ。ところが現実は厳しく、テントを設置する場所が見つからない。ロイドはテントを設置する理想の場所として『町に近く、海や森から離れ、なるべく人目が多い所』をあげた。

 町に近ければ往来が容易く、もしも攻撃を受けても町に逃走できる。海から遠ざけるのは水害や風害を避ける為で、森林を避けるのは視界を確保して敵襲を未然に防ぐ意図があるそうだ。

 さらに人目が多いと、他人から敵襲を受けにくくなる抑止効果も期待できる。たかが、テントを張るだけで、そこまで考えているとは正直驚いた。私なら適当――いや、直感で決める。

 しかし、いつだって理想と現実には開きがある。

 その真理に幾多の人が涙を飲み、枕を濡らしただろうか。

 防壁や街道を歩き回った結果、テントを設置する絶好の場所は、すでに他の冒険者が占拠していた。要するに、考える事は皆おなじなのだ。

 そこで『町に近い』以外の条件を切り捨て、一時的にテントを張り、後日移動しようと決まった。設置場所は町の出入り口から、一番遠い西側の防壁。防壁は成人男性の四人分くらいの高さがあり、押しつぶされそうな圧迫感があるので防壁から離してテントを設置した。そして海が近い。耳を澄ませば波の音。爽やか……とはいかず、絶壁と風で海へ近寄るのは危険だ。

 テントで横になり毛布に包まった時は、すでにお月様が天辺を通り過ぎていた。もうすぐ満月だな、とテントの天井を見つめていると、いつの間にか眠ってしまい、ロイドに叩き起こされたのだ。


「今日は町の状況や求人情報を知りたいから、頑張って起きて。パティ」

 二対一。多数決ではかないません。仕方ない。仕事を探しに行くか。

 テントの幕を閉め支度を始めると、外でロイドが「まだか! まだか!」と急かしてくる。なので「急ぎますよ」と返事をしながら、ゆっくりと寝巻きからワンピースに着替え、髪に香油を塗り櫛で馴染ませる。じっくりと。丁寧に。これを機会に、女性の準備は時間が掛かると彼に教えてあげましょう。うん! そうしましょう!

 支度を終えテントを出ると「お前、わざと時間を掛けただろ」と言われました。

 まぁ! 驚きです。そんな証拠がどこにあるのでしょうか。

「女性のお出かけは、一大行事。準備に時間が掛かるのは同然ですよ。ロイドさん」

「じゃあ、死ね」

 まさかの命令形。暴言までは予想していましたけど、命令形とは虚を突かれました。

「二人とも、ケンカをしてないで出発するよ」

 一食触発。火花を散らす私達。オズワルドが割り込んでくれなかったら、私とロイドは全面戦争に突入しただろう。まあ、魔法がある私は負けませんけどね。

「ところで、お前にこれをやる」

 そう言いながら、ロイドは鉛筆とノートを差し出した。鉛筆は綺麗に削られ、今すぐにでも書ける様になっている。

「そのノートに気になった事や、疑問に思った事を書いて思考の材料にしろ。お前は頭を使わないから、メモを取って考える癖をつけろ」

「やだ! 面倒臭い」

 私は主張できる女。例え周到に用意されても、嫌なものはきっぱりとお断りするのです。

「いいから言う通りしろ。お前の為を思って、わざわざ鉛筆を削って、すぐに書ける状態にしてやったんだぞ」

ロイドが私の為に? 本当か?

「削ったのは、僕なんだけどね」

 リュックサックを背負いながらオズワルドが言った。やっぱりな。

「私は感じる派だから必要ない!」

「感じるな! 考えろ! でないと、この場で裸になるぞ」

「はい。ごめんなさい。言う通りにします」

 私は素直な女。その脅し文句には、屈服せざるを得ない。内容は意味不明だけど、反抗して全裸になったら困るので深い言及は避けるべきだ。

 たぶん使わないな、と思いながらロイド様から頂いた有り難い鉛筆とノートを、肩掛け鞄の一番奥へ押し込んだ。

「ところで、朝ご飯は?」

「飯は抜きだ。お前がダラダラしているからだぞ」

 ロイドはリックサックを背負った。

「ご飯くらいは食べて行こうよ」

「我慢しろ! ただでさえ、遅れているんだぞ。これ以上、時間を食ってたまるか! 俺達もお前のせいで飯抜きなんだ! 文句を言うと張り倒すぞ!」

「怖―い」

「ふざけてないで、早く歩けよ」

「分かったわよ」

 空腹ですが素直に従います。私は素直な女ですから。


 それから肩掛け鞄を肩にかけた時に、ふと思った。

 テントを留守にするけど、大丈夫なのかな? オズワルドに聞くと「お隣さんにお願いしているから問題ないよ」と言われた。そうか、それなら安心かもしれない。

でも人間不信のロイドはよく反対しなかったな。人を見たら疑ってかかれ! それが信条のあいつが。オズワルドが上手く説得したのかもしれないので、気になってこっそり聞いてみると「金目の物が無いから、今日だけならいいって、あっさり納得したよ」と小声で言った。

 お隣さんの前を通る時、鎧を着た一人の男性が石組みかまどの前で食事を作っていた。軽く会釈をすると、向こうも頭を下げてくれた。悪い人ではなさそうで安心した。


 防壁を時計回りに沿って歩き、街の出入り口に着いた。まだ陽が登って間もないのに、多くの人が行き来する。鉄の外門の両脇に立つ自警団。港で立っていた自警団と同様に、鉄製の防具で身を固め、目の保護具だけ開けて通行人を睨むようにチェックしている。

 鉄の外門を通り抜けて、すぐに右に曲がる。それからしばらく歩き、到着した岐路で左に曲がると繁華街に入った。露店や飲食店から良い香りがする。サンドイッチのような軽食を購入したいけど、どの店も人が列を作り時間が掛かりそうだ。

 まだ本格稼動していない頭を引きずりながら、繁華街を抜けて時計塔の前を通り、冒険者組合に着くと可愛らしい声が耳に入った。

「こんにちは! こんにちは!」

 道行く人に声をかける幼い子。遠目からなので断定はできないけど、膝が隠れる長さのズボンを履き、身長から推測すると七歳くらいの男の子だろうか。

 子供は画用紙を持って何かを訴えかけているようだけど、全く相手にされず可哀そうだなと眺めていると目が合った。

「こんにちは!」

 私に向かって元気よく挨拶をしてくれた。そのはきはきとした態度に惹かれ子供に近づいた。おや? 髪が肩くらいまで伸びているので、女の子にも見えるぞ。

「こんにちは!!」

 反応してくれたのがよほど嬉しかったようで、子供は満面な笑みを見せてくれた。でも、まだ『おはよう』の時間ですよ。

「こんにちは」

 子供に合せて返事をすると「こんにちは!!!!」とさらにデカイ挨拶が飛んできた。耳が壊れるかと思った。

「あの、冒険者の人ですか?」

「そうだよ。昨日からだけどね」

「あの、ユーリアも一緒に連れて行って下さい!」

 子供はそう言いながら持っている画用紙を私に突き付けた。どれどれ。

『私も冒険に行きたいです。モンスター研究家。ユーリア』と書いてある。

 モンスター研究家? はて、そんな職業は初耳だぞ。それに名前から察すると、この子はどうやら女の子のようだ。

「モンスター研究家って何をするの?」

「モンスターの生態を調べて、みんなを幸せにする人です」

 どうやってみんなを幸せにするかは分からないけど、ユーリアの主張は何となく理解できた。要するに人の役に立てると言いたいのだろう。

「それでユーリアちゃんは、どれくらいモンスターの事を知っているの?」

「えっとですね……、ちょっとこれを持って下さい」

 ユーリアは私に画用紙を渡して「これくらいです!」と背伸びをしながら両手で大きな円を描いた。これくらいってどれくらいだ? 質問に対する答えが噛み合ってないけど、別に問い詰める程の内容でもないか。

「お嬢ちゃんはモンスター図鑑を持っているか?」

 ロイドが私を押しのけて話に割り込んできた。

「持ってないですけど、図書館に通ってモンスター図鑑の内容を覚えています」

『お嬢ちゃん』と言われても否定しないので、やっぱり女の子のようだ。

 それにしても少女の得意気な顔がなんとも愛くるしい。今すぐ抱きしめて持ち帰りたい。そんなときめきいっぱいの私を尻目に、ロイドは顎に手を当て少し考えてから言った。

「お嬢ちゃんは、外に出て旅をしながらモンスターの観察をしたい。そう言うことか?」

「はい! そう言うことです!」

 話の分かる相手に出会ったユーリアは、嬉しそうに右手を上げてピョンピョンと跳ねた。

「よし! 一緒に連れて行ってやる。ただし三ヶ月くらい後になるが、それでもいいか?」

「はい!! お願いします!!」

「ちょっと、二人ともいいかな?」

 後ろで黙って見ていたオズワルドが、咳払いをして制止に入った。

「ユーリアちゃん。ちょっと、そこで待っていてね」

「はいっ!」

 ユーリアは無邪気な笑顔で答え右手を掲げたのでハイタッチを交わし、少し離れた所に移動し、オズワルドがロイドに視線を送る。ロイドはオズワルドの意図を汲み取って、口を開いた。

「分かっている。あの子は外へ連れ出す理由だろ?」

 ロイドが真意を確認するとオズワルドが黙って頷いた。

「理由は三つある」と指を三本立てて言い、ロイドは説明を始める。


 まずはユーリアが持つモンスター知識だ。

「箱入り。お前はモンスター図鑑を読んだ事あるか?」

「あるわけないじゃん。あんな高価な物」

 専門書は大量の紙を用いるので、それに比例して値段が上がり、一般人がお目にする機会はほとんどない。

「こんなに厚いんだぜ」

 ロイドは親指と人差し指でモンスター図鑑の厚さを示した。その厚さは、だいたいレンガと同じくらいだ。

「まあ、お前の尻よりかは薄いけどな」

 おい! なぜ私のお尻を引き合いに出した! そんなに厚くないんですけど! 断じて許さない! ここは私の地位向上の為に一発脅しをかけて、今後の扱いを改善するように要求せねば。まずは氷の様に冷たい表情で睨み、そして一言。

「燃やすぞ」

 ふふふ、決まった。ロニンのウィザードが言う、この一言は強烈だろう。

「燃やすべきものは、お前の尻肉だろ」

「…………おっ?」

 上手い切り返しだな。ご褒美として、今晩の就寝前にロイドの髪を全て焼却処分にしよう。そしたら、今後の言動を少しは改めるだろう。

「あの子がどれくらいの知識を持つのかは知らないが、貧弱な俺達には大きな武器になる可能性がある」

 なるほど。モンスターの生態に熟知しているのなら、弱点も知っているはずだ。弱点を突ければ戦闘が優位になる。小癪なロイドが考えそうな事だ。

「それから『図書館に通っている』と言ったのを覚えているか。つまりあの子は、町の住人であるわけだ。それで何が言いたいか、分かるか? 箱入り」

「……この町大好き?」

 思い付いた言葉を口にすると、ロイドは首を横に振って呆れた表情を浮かべる。

「思い付きでしゃべるな。コネだろ。コネ! このバカたれが!」

「あ、はい……」

 そうだよね。よく考えたら分かるよね。うんうん。負けるな、私。

「最後は懸念事項になるが、あの様子だと甘い言葉に誘われて、悪人でもホイホイとついて行くぞ。今は他人に付いて行かないように、口約束をして確保しておくべきだろ」

「ロイド!! 今すごく大切な事を言った!!」

 昨日会った、卑しい連中の顔が思い浮かんだ。あんな野郎どもから、ユーリアちゃんを守ってあげないといけない! 素晴らしい発言に免じて、今晩の髪の焼却処分は見送ろう。

「なんでお前が声を上げるんだよ。上げるのはあの子の両親だろ」

 なんでそんな不思議そうな目で見る。私は純粋にユーリアちゃんの為を思っていたんだぞ。それとも、あれか。やっぱり髪を焼却されたいのか。

「ロイドの考えは分かった。それから、もう一つ聞きたいのは『三ヶ月後に冒険へ出る』と言ったけど、その三ヶ月は僕らが冒険へ出る為の準備期間だと考えていいのかい?」

「その通りだ。後はあの子が使えるか、試す期間も兼ねている」

「使える? どういう事?」

「そのままの意味だ。あの子はまだ幼く体力と精神面に難があるだろうが、それを補って余る知識があるか試すんだよ」

 ロイドの説明が終わると、オズワルドは腕を組んで少し考えてから答えた。

「しかし、やはり体力と精神面が気になるね」

「それなら俺達が手を貸してやればいいだけの話だろ。疲れたらオズがおぶってやればいいし、泣きだしたら箱入りがあやしてやればいい」

「ああ……、なるほど」と納得しかけた時に思った。俺達? オズがおぶって私があやす。それではロイドの担当は?

「あんたは何をするの?」

「俺は無知で人の話を聞かない箱入り娘と、生真面目で人に騙されやすい友人のお守だ」

 そう言いながらロイドは私とオズワルドを交互に見た。ああ……、なるほど。ロイドは髪を燃やされたいようだね。ロイドの気持ちは、しっかりと受け止めたよ。

「分かった。とりあえず、決定は三ヶ月後として、ユーリアの両親に話をしてみよう。パティから両親に会わせてくれるようにお願いできるかい?」

「任せて」

 親指を立ててオズワルドに返事をすると、ロイドが「ちょっと、待ってくれ」とまた割り込んできた。せっかく話がまとまったのに、まだ、なんかあるのかよ。間の悪い奴だな。

 やっぱり髪燃やしの刑は決定だな。

「ところで、パティさんはあの子が言った『これくらい』ってどのくらいか理解したのかよ」

 はあ? なんだ? その質問は。私をバカにしているのか?

「だから『これくらい』でしょう」

 私はユーリアと同じように、背伸びをしながら両手で円を描いた。

 まったく、一度で理解しろよ。このあほんだらがっ!

「待てよ。あの子とお前の『このくらい』って、そもそも同じなのかよ」

「……一緒でしょう。ねえ、オズ」

 オズワルドに同意を求めると小首をひねりながら「いや、一緒かどうかは僕には判断できないよ。ロイドが欲しい答えは具体的な内容だと思うよ」

「そうだ。だからお前の質問の後に、わざわざ同じような質問をしただろ。『モンスター図鑑を持っているのか?』って。俺が欲しかった答えは『図鑑を持っている、または内容を暗記している』だ。それなら誰が聞いても、あの子の知識量が、だいたい把握できる。少なくとも『これくらい』よりは分かるだろ」

「まあ、確かに」

「お前は質問の内容を変えた方がいいが、改善する気は無いだろ」

「よく御存じで」

 とびっきりの笑顔で答えると「ああ……知っていたぜ」とロイドのため息はとても深かった。

「それじゃあ、予定を変更してユーリアの家へ行こう」

 オズワルドが最終決定を出しユーリアの所へ戻ると、そこにはウキウキを具象化した物が在った。手足をバタつかされて、高鳴る鼓動を抑えきれないユーリア。

 すでにユーリアの心は広い世界へ旅立っているようだ。

「ユーリアちゃん。両親とお話しがしたいからお家に案内してくれる?」

「親はいなくて、教会に住んでいるです。それでもいいですか?」

「いいよ。案内してくれる?」

「はい! それと皆さんの名前を教えて下さい」

 そう言えば、まだ名前を名乗っていない。私からオズワルドとロイドを紹介し、最後に自己紹介をしてユーリアと握手を交わした。すごく手が柔らかくて気持ちよかった。


 彼女と手を繋ぎながら冒険者組合を素通りする。まだ営業時間前なのに、すでに冒険者が列をなし、前庭には沢山の人で賑わっている。その光景を見て、競争に打ち勝つ方法に執着するロイドの気持ちが理解できた。横目で列を見ながらユーリアの話に耳を傾ける。

 ユーリアが住んでいる教会は冒険者組合に近く、季節を司る四大神(ポサーダウェイ、ロニンバズ、フォーンオルダ、クンシャー)を祭る教会でユーリアのような孤児が沢山住んでいるらしい。

 詳しい話を聞く前に教会に着いた。徒歩、五分程度だ。

 教会は強固なコンクリート造りの建物で、壁の所々が黒ずんでおり随分と年期が入っていた。

「ちょっと待っていて下さい」とユーリアは私の手を放し、教会に隣接する建物の中へ入っていた。この建物が孤児やシスター達が暮らす宿舎かもしれない。

 教会や宿舎の外観を観察していると、ユーリアが若いシスターの手を引っ張り戻って来た。

「初めまして。私はオズワルドと申します」

 オズワルドは自己紹介をして、丁寧にお辞儀をして話を続けた。

「早朝に押し掛けて申し訳ございませんが、ユーリアさんの事でお話があり伺いました」

 シスターの顔が一瞬曇ったけどすぐに口を開いた。

「分かりました。とりあえずお話を伺いますので、中へお入りください。ユーリア、貴方は外で待っていなさい」

 そう言いながらシスターは教会のドアに手をかける。

「お前も子供と待っていろ」

 ロイドに命令されるとムカッとするけど、私が話し合いに参加しても役に立てそうもないので素直に従おう。

「分かったわ。ユーリアちゃん、一緒に待っておこうね」

「それじゃあ、裏庭に行きましょう!」

 ユーリアに手を引かれて裏庭へ回ると、数人の子供達が木登りをしたり、かけっこをしたりしている。その様子を向こう側のベンチから見守るシスター。私が軽く会釈をすると、座ったまま会釈を返してくれた。

「ユーリアちゃん。ちょっと、あの人に挨拶して来ようか」

「いいですよ」

 ユーリアを連れてシスターに近寄ると、彼女は随分と歳を召していた。顔はシワだらけであったが、優しそうでどこか気品を感じさせる顔立ち。おそらく若い頃は美人だったはずだ。

「ユーリア、その方は?」

「はい! パティさんです。今度、一緒に冒険する人です」

「冒険?」

 老婆のシスターが目を丸くしたので、自己紹介と合わせてユーリアと出会った経緯について補足説明を加えた。

「そうですか。ユーリアを送って下さり、ありがとうございます」

 老婆は杖を突いて立ち上がり、丸い腰をゆっくりと曲げる。思わず私もつられ頭を下げた。

「ユーリアお姉ちゃん。遊ぼう」

 人形を抱えた金髪少女がユーリアに近寄り声を掛けた。私が金髪少女を見つめると、恥ずかしそうな顔をしながらユーリアの背中に隠れ「こんにちは……」と囁くような声で挨拶をしてくれた。

「こんにちは」

 私が挨拶を返すと金髪少女は小さく笑った。

「えっとねぇ……」

 ユーリアは私と金髪少女を交互に見つめ、迷っているようだったので「行ってきていいよ」と笑顔で言うと「行ってきます!」と少女の手を取り走り去る。老婆は二人を眺めながら「騒がしい所で、すいませんね」と言いながらベンチに腰を下ろした。

「元気があって、いいじゃないですか」

 老婆が座った後に私もベンチに腰を下ろした。

「ところで、ユーリアの言っていた『冒険』について教えてもらえませんか?」

 ユーリアの保護者である彼女にも話しておかないといけない。


 私達は冒険者として、ユーリアの持つモンスター知識が必要だと判断し連れて行きたい。しかし、まだ彼女は子供なので外に連れ出せるか、旅に出る前に試したいと考えている。そして私の仲間が別のシスターに、その件について相談している最中だと説明した。

「そうですか……」

 老婆は木の影でおままごとをしているユーリアを見つめる。その目はどこにでもいる我が子を見守る母親。優しい眼差し。田舎の母を思い出した。

「ユーリアからよくモンスターの話を聞かされます。あのモンスターが凄いとか、怖いとか……。目を輝かせ楽しそうに語るのです。その様子を見ていると、あの子にとって、この教会や町はあまりにも狭すぎる。もっと広大な世界を見せた方が、ユーリアの為になるかもしれない。あの子の顔を見ていると、いつもそんな気になるのです」

 返す言葉が見つからなかった。沈黙がやってくると子供達の元気な声がより際立つ。

 親として子供を守りたい気持ちと、子供の幸せを願う気持ち。

 対極に位置する二つの思いを噛みしめながら、彼女はユーリアを見守っていた。

 それから無言のまま、楽しく遊ぶ子供達を眺めていると二人が戻って来た。私が老婆に自己紹介をした後、続けて二人を紹介しているとユーリアも戻って来た。

「どうでしたかっ!」

 ユーリアは二人に迫り結果を尋ねたが、オズワルドが首を横に振った。どうやら結果は良くなかったらしい。しかしユーリアは結果に落胆するどころか、さらに元気な声で老婆に尋ねた。

「ヘンリさん! 何かいい方法は無いですか!?」

 どうやら老婆の名前はヘンリと言うらしい。

 ユーリアの純粋無垢な視線には、母性本能を擽る成分が入っているに違いない。しばらくユーリアに見つめられていた老婆は観念したように重たい口を開いた。それが証拠だ。

「ユーリアが皆さんと外に出られるように、署名を集めるのはどうでしょうか。皆さんが信用できる人間と証明し、かつユーリアの夢を応援してくる人の名前を集めましょう」

「それですね!!」

 ユーリアはヘンリの手を取り、ブンブンと容赦なく振り回す。コラコラ、やめなさい。ヘンリさんが壊れるでしょう。ユーリアの頭を軽く小突いた。

「そうだな。他に方法は思い付かないし、やってみる価値はあるな」

 ロイドが賛同すると「やりましょう!」とユーリアも声を上げた。

 しかし、その前にみんなが見落としている重要な事柄がある。

「その前に、朝ご飯にしない?」

「そうだね。朝ご飯を食べながら、今後の方針について話し合おう」

 オズワルドの一声で、ひとまず場をしめた。

 ユーリアは朝ご飯を食べたらしいので、食事をとってまた来ると告げて教会を後にした。


 どの店に行くか。何を食べたいか。

 歩きながら議論が始まる。行き先は繁華街、または港の出入り口付近に並ぶ露店の二択。

 私はイカが食べたかったので、港の出入り口付近を推した。ところがロイドは飲食店が多い繁華街を推奨した。店が多いので、よりすいている店を探せると対立の構えを見せる。

 オズワルドはどっちでもいいと言った。

 それでは、ここは公平を期してじゃんけんで決着をつけよう。私はグーを出した…………。

 さよなら、イカさん。


 道を戻り繁華街に着くと、すでに人の往来が少なくなっていた。私達は目に留まったお店に入ると、朝にしては遅く昼にしては早すぎる、空き時間だったので客は殆どおらず「お好きな席にどうぞ」と店員に言われた。

 入口から一番遠い席に座り、私は白身魚のムニエルを頼んだ。そして作戦会議の前にオズワルドから、改めて交渉の結果報告を受ける。

「残念だけど、ユーリアを外へ連れ出す許可は頂けなかったよ」

「こっちが手を変え、品を変えて提案しても、まだ子供だから危険の一点張りで話にならなかった。口には出さなかったが、俺達が信用できないってのが拒否した理由だろう。信用できないなら、はっきりと言えばいいのによ」

 話し合いの様子を思い出したロイドは舌打ちをしながら机を叩いた。今日会ったばかりの人間を信用しろと言うのは無理だろ。常識的に考えて。

「箱入り。お前は、ばあさんと親しくなれ。そして、ばあさん経由で俺達が話した女を説得するように働きかけろ」

「やってみるけど、あまり期待しないでよ」

 ロイドの言う通りにすれば確実だけど、ヘンリさんの心痛を思うと二の足を踏んでしまう。

 やっぱりユーリアを外へ連れ出すのは無謀なのか。

「やる気が無いなら、やらないと言え」

 ロイドに文句を言われても、怒る気力が湧かなかった。

 沈んだ気持ちのまま話し合いが進み、今日と明日以降予定が決まった。

 

 二人は必要な道具の買い出しと求職活動、私は今日から一定期間、ユーリアと一緒に行動し署名運動をする。署名運動の詳細はユーリアと話し合って決めるつもりだ。

 おいしいご飯を食べると気持ちが落ち着いた。うじうじ悩んでもしょうがないので、とりあえず行動あるのみだ。今は署名運動に専念しよう。問題は後から考える。

 日没後に教会前で落ち合うと約束して、食堂から出て二人と別れ教会へ向かって歩き出す。

 もうすっかり陽が昇り、歩き始めるとすぐに全身から汗がにじみ出る。

 ふと空を見上げ手をかざす。今日は暑い日になりそうだ。

 

 率直な感想として金持ちはやっぱりいいな。

 ユーリアに手を引かれて来た場所は閑静な高級住宅街。教会とは川を隔て反対側に位置するこの場所は、立派な門構えに綺麗な建物が建ち並び、どのご家庭も庭を完備している。

 出歩く人の服装はどれも色彩が鮮やかで、私らのような薄汚い者とは品も格も違う。おそらく値段を違うだろう。今すぐにスカートを捲って逃げ出したいけど、ユーリアの知り合いがここに住んでいるので我慢しないといけない。

 ユーリアと話し合いの結果、知り合いを巡り歩き事情を説明して協力を仰ぐ。そして記念すべき一人目は、ユーリアが花壇の草むしりをすると、お礼にお小遣いをくれる気前の良いご婦人さん。今回はお小遣いの代わりに署名を貰おうと決まった。

着いた先は周りの豪邸よりも一回り小さく、小ぢんまりとした新築の家だった。

「エイダおばさん! こんにちは! ユーリアです!」

 外門の前からユーリアが家主に向かって声を掛けてしばらくすると、とても上品なご婦人がドアから出迎えてくれた。涼しげな水色のワンピースをなびかせ階段を下り、襟や袖にさり気無く装飾されている服にセンスの良さを感じる。

「こんにちは、ユーリアちゃん。今日もよろしくね」

 優しい笑顔から感じる気品。例えるなら、月夜に照らされひっそりと咲く月見草。私も歳を取るなら、こんな感じになりたい。たぶん無理だけど……。

「初めまして、パティ・グリーンウッドです。本日は折り入ってお願いがあり、ユーリアと共に参りました」

 お願いする時は笑顔を絶やさずに。笑顔は相手に安心感を与えるそうです。本に書いていましたけど、今度は信じても大丈夫ですよね。

「お願いですか……。とりあえずお入りください」

 どうやら今回は正解だったようだ。

 ご婦人が外門を開いて中へ招き入れ、新築へお邪魔すると、世界が――いや全てが違う。

 高そうな絵画や花瓶に目が行きがちだけど、床や壁にもお金がかけられている。床はきしまないし、壁にくすみは無い。廊下は運動ができるくらい長く、幅もゆったりと快適だ。

 お金持ちってやっぱりいいな。分かっていたけど、改めて実感したよ。


 私達は庭を楽しめる客室に案内され「お茶を入れて来るから、適当に座って待っていてね」と爽やかな笑顔でその場を後にした。

 残ったのは薄汚い私とユーリア。汚いお召し物で大変恐縮でございますが、背もたれの湾曲が美しい椅子に私達は並んで座った。なお、目の前にある机の縁も装飾が刻まれ美しいです。

「お願いはユーリアちゃんからしてね。足りない部分は私が補足するから」

「任せて下さい」

 小さな胸を張り自信満々な表情だけど、うまく伝わるか非常に心配だ。

 庭に目をやると、奥にはレンガ造りの花壇に赤や白の花が咲き、その花達に紛れ雑草が元気良く生えている。今日の敵はあいつらか。パッと見た感じでは、本数といい成長具合といい、強敵に違いない。そして庭の右端には、背の低い広葉樹が一本。

 その景色を見て教会の裏庭を思い出した。花々が子供達で木がヘンリさん。

なんだか、この庭を眺めていると優しい気持ちになる。

 ほんわか気分に浸り庭を楽しんでいると、白く輝くティーセットを持ったご婦人が戻って来た。ほのかに香る紅茶を配膳して、ご婦人は私の向かいに座った。

紅茶を頂く前にティーカップを鑑賞する。美しいバラが高級感を引き出し、ティーカップに指紋をつけるのも気が引ける。間違いなく高いだろう。

「素敵なティーカップですね」

「ふふふ、ありがとう」

 ご機嫌は取ったぞ! さあ、後はユーリアちゃんの出番だ! 上手くやってくれよ!

「それでお願いって?」

 紅茶を口元に寄せて飲む前にご婦人はユーリアに尋ねた。

「はい! 実はですね……」と下ろしたナップサックからノートを取り出した。

 表紙には『がんばれ! ユーリア!』と書いてあり、最初のページに『なまえ』と『なにかかいてください』と書いてあった。おそらくこのノートは名前と応援メッセージを書く項目がある署名ノートのようだ。

「草むしりが終わったら、今日はお小遣いじゃなくて、ノートに名前を書いて下さい」

「名前? どうして?」

「冒険へ行くので、みんなから応援の言葉を集めているんです」

「?」

 ユーリアは前置き無しで話を始めるので、ご婦人は事情が分からず、私に視線を投げ掛けて補足を求めている。お任せ下さいませ。ここは私の出番ですね。

「実はですね……」

 ユーリアはモンスターを観察する為に冒険へ出たいけど、保護者であるシスターに反対されたので、みんなから署名を集め説得しようとしている。そして私達の現状も説明し、ユーリアの知識が必要不可欠なので、彼女の署名運動に協力していると話した。

「でも外にはモンスターだけでなく、悪い人達もいるでしょう? やはり心配だわ」

「大丈夫です! 島に巨悪なモンスターはいませんし、悪い人達ならパティさん達がやっつけてくれます!」

 興奮気味のユーリアは自慢げな顔で私を指差した。ご婦人の不安げな視線が心に突き刺さります。

「でも危ないわよ。もう少し大きくなってからでもいいんじゃないの?」

 ご婦人の指摘は誰もが思う疑問であり、この問いに答えなければ賛同は得られない。

 あいにく私は良い答えを持ち合わせていないけど、ユーリアは持っているのかな? このような交渉はロイドが得意なので、彼なら何と答えるのか。ロイドの気持ちになって考える……。

 しかし考えて答えが浮かぶなら、私の人生はもっと楽になっているはずだ。

「今からじゃないとダメです! 今から勉強して大学に入って、モンスターの研究をするんですっ!」

 おっ? なかなか良い答えじゃないか。そんな解答をされたら、ユーリアが好きな人は応援せざるを得ない。やるな、ユーリア。それにしても大学に入って研究か……。夢があっていいな。でもユーリアは孤児だけど、学費を出してもらえるのだろうか。

 ご婦人は紅茶を一口飲んで考えている。ヘンリさんと同じようにユーリアを応援したい気持ちと、危険な場所へ行かせたくない親心がぶつかり合っている。

「お願いします!!」

 前のめりになってご婦人に迫るユーリア。この一押しは効くだろうな。

 予想通りご婦人はため息を吐いて負けを認め、署名をすると約束してくれた。

 ユーリアは大喜びしてご婦人の肩が外れる勢いで握手をするので、私が頭にチョップを繰り出して止め、代わりにお礼を添えて握手を交わした。

 どうだ! これが大人だ! とユーリアを見ながら模範対応を示した。ユーリアは興奮を抑えながら私のマネをしようとすると、その意図に気付いたご婦人が優しく微笑んだ。


 それから草むしりの準備に取り掛かる。

 お願いに来た手前、ユーリアだけに草むしりをさせる訳にいかないので、私も腕まくりをして仕度をすると「パティさんは私とお話ししましょうか」と言われた。ユーリアが連れて来た私の素性を知っておくのは、署名をする際の責務と呼べるだろう。

 二つ返事をしてユーリアにエイダさんと話をすると言うと「これくらいなら一人で大丈夫です!」と言いながら親指を立てた。なんとも頼もしいお言葉である。そして軍手と帽子を装備して、臨戦態勢に入るユーリアにエイダさんが声を掛ける。

「大きな雑草だけ抜いて、庭の端に集めて置いてね」

「分かりました!」

 太陽が頂上に達し、気温が上がってもユーリアは元気だ。花壇を凝視して雑草が目に留まると「うおりゃぁぁぁぁ!!」と叫びながら気合で雑草を引き抜く。

 暑さに負けない為に声を出しているのか。それとも叫ばないと体が動かない性格なのか。どちらにせよ、閑散とする高級住宅街にユーリアの雄叫びがこだまする。

 雑草と戦うユーリアの奮闘ぶりを茶菓子にして、私達は優雅な茶会を催す。

「ところで、パティさんはどうして冒険者に? まだお若いから、仕事は選り取り見取りでしょう? わざわざ危険な旅に出なくても……」

 い、言えない……。思い付きで冒険者になったなんて。


 オズワルドは剣術を学び村の治安維持に貢献する夢を抱き、ロイドは一攫千金を目論んでいる。二人とも明確な目標を持ち、冒険者になったけど私には目標が無かった。

 ただ、漠然と外の世界に興味があり、幼い頃から火の魔法が扱えたので、多少の危険でも大丈夫だと考えた。良く言えば見聞を広める。悪く言えば村の生活に飽きただけなのだ。

「魔法が使えるので力をつけて、村の治安維持に貢献できたらと思って……」

「まぁ! とても立派な考えですね! 冒険者は素性の良くない人達が多いので、敬遠していましたが、貴方のような方もいらっしゃるのですね。感心しましたわ」

 エイダさんの笑顔が胸に突き刺さる。ごめんなさい、オズワルドさん。虚勢を張る為に貴方の見解をダシに使いました。ホント、私は最低な女です。

 しかしオズワルド様のお蔭でエイダさんは私に興味を抱き、あれやこれやの質問攻めにあった。するとエイダさんは私と同じ村の出身で母とは幼馴染らしく、結婚を機に村を出たそうだ。

 この町に嫁ぎ子育てに明け暮れ、もう何十年も戻っていないそうだ。最近、娘が嫁にいき息子が自立したので、久しぶりに実家へ顔を出そうと考えていたようだ。

 村を訪れる人も出て行く人も少なく、外の世界の話はなかなか聞けないので、エイダさんがこの地で体験した出来事は興味深かった。

 それに楽しそうに母との思い出を語るエイダさんの表情が印象的だった。

「言われてみれば、目もとはお母さんにそっくりね」

「そうですか? 周りからは、よく父に似ていると言われます」

 母とオズワルドのお蔭で時間を忘れエイダさんと意気投合していると、草むしりを終えたユーリアが戻って来た。全身汗まみれで顔に土が付いている。

 一仕事終えて満足げな表情。

花壇に目をやると目立つ雑草は引き抜かれ、その残骸が庭の端に山盛りになっている。

「ご苦労様。飲み物とおやつを持って来るから、手を洗ってらっしゃい」

「はい!」

 ユーリアの仕事ぶりと素直な返事にご満悦のエイダさんが立ち上がると、奇妙な感覚に襲われた。椅子に腰かけているのに身体が左右にぶれたと感じ、すぐに家具や小物が音を立てて揺れ始める。家がきしむ音に触発されて最悪の状況が頭を過った。

 地震だ!!

 頭で判断するよりも先に立ち上がり、エイダさんの頭を庇うようにして机の下に一緒に潜り込んだ。

 ユーリアも床に伏せて……、ん??

 疑問符が頭上に浮かんだ。状況から推測できる答えを探し求めて行くと、そこは迷宮だった。

 ユーリアは床に耳を付けて、必死で何かを聞き取ろうと目を瞑って聞き耳を立てている。地震に怯える素振りも見せずに、表情はいつになく真剣だ。

 危ないから、こっちへ来なさい! と叫ぶよりも早く揺れが収まった。静まり返る屋敷。机の下から這い出ると、エイダさんはお礼を言いながら抱擁をしてくれた。

「ラクルア島は地震が多いのよ。これくらいの揺れなら時々あるから慣れっこよ」

「なんか先走って、恥ずかしいです」

「いいのよ。パティさんが私の為を思って取った行動よ。むしろ感謝しているわ」

 改めてお礼を言われ、なんだか照れくさいけど素直にうれしかった。そんな美しいやり取りの最中、ユーリアはまだ床に耳を付けていた。

 おーい、地震は収まったぞ! ユーリアちゃん。

「何をやっているの?」

 私が声を掛けても無反応。たまらずユーリアに近づき背中を小突くと「しぃ!」と人差し指を口に当てて怒られた。ムムム……。

「なんでも巨大なミミズが地下を通ると地震が起きるらしくて、そのミミズが通る時に発する音を聞き取ろうとしているんですよ」

 エイダさんが代わりに事情を説明してくれた。どうやらエイダさんもユーリアからモンスターの話を聞かされているようだ。するとエイダさんがモンスターの話をしていると気づいたユーリアは立ち上がり、何やら熱く語り始めた。

「サンドウォームって言う、すごく大きくて凶暴なモンスターがいるんです。サンドウォームは砂や土を食べながら地中を移動するんですけど、その時にものすごい揺れを起こして突き進むので、もしかしたらと思って聞き耳を立てていました」

「すごくって、どれくらい大きいの?」

 初めて聞くモンスターについて、浮かんだ疑問がポロッと口に出た。

 するとユーリアは自分が座っていた椅子を廊下に出して「この椅子が頭だとすると……」と言葉を残して、長い廊下をトテトテと歩いてそのまま玄関から外に出て行った。

 残された私とエイダさんは顔を見合わせ慌てて追いかけると、ユーリアは外門を出て道を挟んだ隣人の外門の前から「小さなサイズでこれくらいです!」と私達に向かって手を振った。

「それから、もっと大きいサイズになるとですね……」とユーリアはまたどこかへ歩き始めたので「分かったから戻って来て!」と私は声を張り上げてユーリアを呼び止めた。

 小首を傾げて不思議そうに私を見るユーリア。

 どうやら彼女は夢中になると、周りが見えなくなる性格のようだ。

 しかも情報の伝達手段が言葉ではなく、身体を使って表現するのがお好みのようである。言葉で説明した方が分かりやすいと思うけど、彼女にも表現の自由がある。

 何よりまだ子供だし、しばらく目をつぶって、もう少し成長してから忠告しよう。

 ユーリアは私達の所へ戻って話を続けようとすると、エイダさんが話の腰を折って心配そうな顔で尋ねた。

「ところで、そのサンドウォームはこの近辺に生息しているの? すごく怖いわ」

 エイダさんの表情から余裕の二文字が消え、切迫した表情を浮かべる。

 生活圏に凶暴で巨大なモンスターが生息するとなれば、応戦手段を持たない一般市民にとって死活問題である。もしこの近辺に生息しているのであれば、町ぐるみの対策が必要だし最悪の場合は移住も視野に入れないといけないだろう。

 私だってそうだ。そんなモンスターがいると聞いた途端、ユーリアを守れる自信が音を立てて崩れた。前途多難。この先に困難が待ち受けているのは確実である。

「いないです。このラクルア島にはいないです」

 あっけらかんとした顔でユーリアは答えた。口が開いたままになるエイダさん。おそらく私も同じだろう。それならどうして地震の時に床に這いつくばって聞き耳を立てたのか。またしても私はユーリアのという名の迷宮に迷い込んだ。出口は彼女に聞かなければ分からない。

「それなら、どうして聞き耳を立てたの? そのなんちゃらってモンスターはいないのに」

 客室に戻りながらユーリアに聞くと「もしかしたらと思って試しました。ユーリアが知らないだけで、実はこの島にサンドウォームが引っ越したかもしれないと思いました」

 なるほど、お茶目なサンドウォームちゃんがこっそりと引っ越して、みんなを驚かせている可能性を示唆したのね。

 そんなわけあるか! と突っ込むのも野暮なので黙っておく。もしもこれがロイドなら突っ込んでその場で髪の毛焼却の刑に処する所存でございますが、ユーリアはまだ子供だし可愛いから許す!! その代わりに後でロイドの髪の毛を燃やそう、とロニンバズの神に誓った。

 エイダさんは台所へおやつを取りに、私はユーリアと一緒に洗面所へ移動し、顔や手足を洗う手伝いをした。上着を脱がすと汗の臭いが鼻を突き、洗面所に置いてあったタオルを水で濡らしてユーリアの体を拭いた。

「着替えは持っている?」

「持って無いです」

 湿った上着を着せるのは気が引けるので、乾いたタオルを巻いて上着替わりにして客間へ戻ると、すでにエイダさんがケーキと紅茶を用意して待っていた。

「エイダさん。上着を干したいんですけど」

「それじゃあ、私が干してくるわ」

 エイダさんに上着を預け、ユーリアと並んで椅子に座った。

 それからエイダさんが来るまで、目の前に出されたおやつを観察する。花柄模様のケーキスタンドは美しく、紅茶の香りもお上品。さぞかし、お高いんでしょうね。

 そして何より大粒の苺がスポンジに挟まれた、可愛らしく可憐な四角いフレジェ。山に生えている木苺とは粒の大きさが違う。これもきっとお高いに違いない。

 やっぱり田舎と都会は何もかも違うんだな。

 初めて目の当たりにするフレジェに、胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。フレジェを見て、いい歳をした大人が鼻息を荒げて興奮している様子をユーリアにばれると恥ずかしいので、これくらいのフレジェなんて普通ざます、って感じを醸し出して平然を装った。チラッと横目でユーリアを見ると案外落ち着いていた。どうやら舞い上がっているのは、私だけのようです。


 エイダさんが戻り「さあ、遠慮なく食べて」と許可を頂いた。まずは、初めましてフレジェさん、と心の中で挨拶をした。そして頂く前にじっくりと鑑賞しよう。皿を持ち上げて一回転。

 スポンジの間には、山脈のように連なる大粒の苺たち。三口ほどで頂ける、小さく可憐な美貌の中に見え隠れする優雅さ。千の褒め言葉を用いても足りない。ああ……。

「いただきます!」

 ユーリアは元気よく挨拶した次の瞬間「おふぁわりぃ!」と冬眠前のリスのように頬を膨らませ、口をモゴモゴさせながらエイダさんに皿を突き出した。

 お前っ! もっと味わって食え!! と怒鳴ってやりたかったけど、いい歳した大人がフレジェ一つで唾を飛ばして怒鳴り散らすのはみっともない。

 もう一人の私が耳元で囁いた。頭に上った血が引くのを感じた。

「はいはい。ちょっと待ってね」

 エイダさんはユーリアからお皿を受け取り、ケーキスタンドからケーキトングでフレジェを皿に移し、ユーリアに返した。

 ほら見てごらん。これが大人の落ち着きであり余裕なのだ。目くじらを立てて、ユーリアを叱ろうとした自分が恥ずかしい。とっさに止めに入った、もう一人の私に激賞を送りたい。

「とても綺麗なお菓子ですね」と一言添えてからフレジェを口に運んだ。甘いクリームと苺の甘酸っぱさが見事に調和した芸術的な一品。屋台で食べたイカのバター焼きも美味しかったけど、このフレジェは比較するのもおこがましい。甘美なり…。

 余韻に浸っていると、エイダさんはポケットから銀貨をユーリアの前に差し出した。

「これはお礼よ」

「今日はいらないです。その代わりに名前を書いて下さい」

 口元にクリームをつけながらユーリアは言った。

「でもお勉強する為にノートと鉛筆を買うんでしょう? それならこれでノートと鉛筆を買って、いっぱい勉強しなさい」

 どうやらユーリアはノートと鉛筆を買う為に、エイダさんの元へ通い詰めているようだ。

 何とも健気でいい話じゃないか。ん? 待てよ。

「ユーリアはノートと鉛筆がほしいの? ほしいならあげるよ」

「いいんですか!!」

 二個目のフレジェを飲み込んでユーリアは叫んだ。

「いいよ。別に使わないから」

 肩掛け鞄の奥底にしまいこんだノートと鉛筆を引っ張り出しユーリアに手渡した。

 フレジェを食べるよりも嬉しそうだ。

「後から返して言っても、もう返しませんよ」

 そんな事を言われると言わざるを得ない。

 いや、これはユーリアが言え、と言っている誘い文句のはずだ。

「やっぱり、あげませーん」

 ユーリアからノートを取り上げると、幸福に見舞われた表情が一転して谷底へ突き落とされたような悲しげな顔。今にも滝のような涙を流しそうな彼女を見ていると罪悪感が生まれた。

「冗談よ」と良心の呵責に負けノートを返すと、凄まじい速さでノートの表紙に『ユーリア』と殴り書きをした。

「お前! 名前を書いて、二度と返さないつもりだなぁ!」

 魂胆が見え見えのユーリアの頬を両手で掴んで引っ張った。ぷにぷにしてやわらかい。

「もひょかえひましぇーん……」

 頬を引っ張られても、ノートを抱きしめ強固な姿勢をとるユーリア。

 そうか……。ならば、ぷにぷにの頬を引っ張る刑にしてやる!

「なんだとぉ!」

 私がさらに頬を引っ張り、ユーリアで遊んでいると「仲の良い姉妹のようね」とエイダさんが微笑んだ。


 名残惜しいけど陽が傾いてきたので、エイダさんに別れを告げて帰路に就く。

残念ながらフレジェは一つしか食べられなかった。ユーリアがいっぱい食べたから。悔しくはない。大人だから。

 エイダさんから署名とお小遣いまで頂いたユーリアは上機嫌だ。そりゃそうだろう。おまけにフレジェも沢山食べられたからね。

「パティさん。明日はサーカスを見に行きませんか?」

「サーカス?」

「そうです。今、サーカスが来ているんですけど、そのサーカスでエクレアムースが見れます」

「エクレアムース?」

「雷を操る、ものすごく大きな鹿です」

 そう言いながら、ユーリアは両手で円を描いて大きさを強調した。

 まだまだ成長途中である小さなユーリアにとって、お隣さんの外門まで歩いたミミズも鹿も『ものすごく大きい』に分類されるようだ。

 それしてもサーカスはどうしようかな? 署名運動は午後から始まったとは言え、まだ一人しか集まっていない。具体的に何人の署名を集めれば説得できるか分からないけど、このままの調子で行くと三ヶ月で九十人くらいだろう。二人に相談してみようかな? 独断で決めると、怒りだす奴がいるので、二人に相談してから決めよう。

「オズワルドとロイドに相談してみるね。ちなみにサーカスは、いつまでやっている?」

「知らないです!」

 手足をバタバタさせて、ユーリアはなぜか得意げな顔で言った。なぜ得意げな顔で言ったのか?

 ユーリアと一緒にいると、疑問符が湧き水の如く湧いてくる。それを一つずつ、丁寧にすくい上げていると、沸いた水の激流に飲み込まれる。だから私は気にしないと決めた。

 そしてサーカスが開催されている場所を尋ねると「けんかして、歌を聞く建物です」と言われた。けんかして歌を聞く建物? …………きっと催し物がよく開かれる建物だろう。

 ユーリアの発言から推測にすると闘技場かもしれないけど、この町にそんな施設はあるのだろうか。全く見覚えがないので、町の地図を持っているロイドに聞いてみよう。

 サーカスの話はこれで終わってしまい、今度は鹿について熱く語るユーリア。肉体労働はしてないけど、ユーリアのモンスター談話は興味の持てない私にとって苦痛なだけだ。

 しかし楽しそうに話すユーリアの顔を見ると、聞き役も悪くないと思えてくる。ニヤニヤと顔の筋肉が緩んだまま、冒険者組合の前を通るとあの円柱が目に留まった。あの摩訶不思議な円柱はなんだろう。この町に住むユーリアなら知っているかもしれない。僅かな希望を胸に秘め、ユーリアの話に割り込んで尋ねた。

「ねえ、ユーリア。あの柱って何の柱なの?」

「…………柱です!!」

 少し考えて大きな声を出した。

「柱?」

「そうです!! 柱です!!」

「つまり、何の柱か知らないの?」

「はい! 分かりません!」

 どうやら、ユーリアは困ったら元気よく声を出して勢いをつければ、何とかなるんじゃないか、と思っている節がある。もちろん、その根拠は彼女にしか分からない。

 よし! 気にしないでおこう。

 

 冒険者組合の前を通り過ぎると教会が見えて来た。明日の予定を聞くと、ユーリアは教会の掃除当番なので午後から落ち合う約束となった。

 ユーリアと教会の前で別れると、すぐにオズワルドが迎えに来た。オズワルドの顔を見ると、緊張の糸が切れて急に疲れが出てきた。

「署名運動はどうだった?」とオズワルドに言われたので「楽しかったけど疲れたよ」と率直な感想を述べた。

「それじゃあ、風呂屋で汗を流して帰ろうか」

 そうか。テントなんだよね。フカフカベッドが恋しいな。

 風呂屋へ向かおうと来た道を戻り、冒険者組合の前を通り、あの円柱を見てユーリアの顔を思い出した。危うく、しょんぼりして聞きそびれるところだった。

「ねえ、オズ。闘技場の場所は知っている?」

「闘技場ならここから近いけど、教会の方へ戻らないといけないよ。急にどうしたの?」

「闘技場でサーカスが開催されているらしくて、ユーリアが見に行きたいって言っているのよ。それで闘技場の場所とサーカスの開催日時を知りたいなと思って」

「サーカスなら一日二回公演で、午前十時と午後二時から始まるよ。ちなみに明日は休みだよ」

 やけにサーカスに詳しいと思い尋ねると、オズワルドは明後日からサーカスの案内兼警備をするそうだ。私と別れた後にロイドは入用の道具を調達してテントに戻り、 オズワルドは冒険者組合へ出向き求職活動して、サーカスの案内兼警備の仕事を得たそうだ。

 言われて気づいたけど、オズワルドは腰に剣を差している。それしてもロイドは職探しをしなかったのか?

 あいつめ、もしかして私達だけに働かせようと画策しているかもしれない。もし帰ってテントで横になっていたら、髪の毛焼却の刑にしてやる。

 

 命拾いしたな。彼に向かって心の中で呟いた。

 テントに戻ると、ロイドは石組みかまどの前で鍋をかき回していた。レードルで味見をする姿が妙に様になっている。

「早かったな」

 ロイドの向かいに立ち、鍋を覗き込むと温野菜スープだった。しかもおいしそう。お腹が空いたので肩掛け鞄をテントに放り投げて、ロイドの向かいに置いてある椅子代わりの石に座る。

 ロイドからスープボールを受け取り、オズワルドからは乾パンを貰った。

 それでは、まずは一口。……うまいっ! しっかりと味付けがされているし、少ないけどお肉も入っている。スープが身体に染みていくわ。

「それで署名運動はどうだったんだ?」

「本日の成果は一人。それで聞きたいんだけど……」

 三人で食事をしながら、詳細な活動結果を話し署名運動について意見を求めると、真っ先にロイドが突っ込んできた。

「そもそも、ユーリアの知り合いって九十人もいるのかよ。有名人ならともかく、孤児だぜ」

「……あっ!」

 言われてみれば顔見知り程度を含め、広い視野で考えても九十人もいるとは思えない。根本的な問題をすっかり見落としていた。

「量より質だ。教会か町に影響力を持つ人物が一人か二人交じっていれば、五人くらいでも十分に説得できるはずだ」

「そんなお偉いさんと、どうやって接触するのさ。ユーリアは子供よ」

「だから、頭を使えよ」

 ロイドは片眉を上げ、人差し指でこめかみを二回叩いた。

「今日会った人の旦那は何の仕事しているんだよ」

「さあ? 知らない」

 ずっとエイダさんの思い出や母の話で盛り上がっていたから、旦那さんについてこれっぽっちも思い浮かばなかった。

「職業は分からなくても、金持ちなら人脈は広いはずだ。お前がその人にお願いして、旦那さん伝いでお偉いさんの元へ辿って行くんだよ」

「なんで金持ちなら人脈が広いって分かるのよ。人脈って人望ありきだから、やっぱり人柄でしょう? 金持ちだからって人柄が良いとは限らないじゃん」

 エイダさんはとても良い人だったけど、旦那さんも良いとは限らない。

「人柄は関係ない。人望は二の次だ。人は金や地位に群がるんだよ」

 しゃべり終えるとロイドはスープを一口飲んだ。

「人畜無害の田舎で生まれ育ったお前には酷な話かもしれないが、みんな自分が可愛いんだ。おこぼれを頂こうと金のある奴、権力を持つ奴、自分にとって都合の良い奴、そんな連中に人は群がるんだ。甘い蜜にたかるのは、虫も人間も同じだ」

 なんだかやりきれない気持ちが湧いてきたけど、彼の考えを頭ごなし否定できない。

 その考えに至った経緯を私は知っているから……。


 私が母親から文字を習い始めた頃にロイドは村へやって来た。彼の父親は悪い人に騙され借金を作り自殺したらしく、借金取りから母親と逃げ回っていたそうだ。当初は取り立てが来たらすぐに逃げるつもりだったらしいけど、積年の無理がたたり母親が身体を壊し動けなくなってしまった。幸い、借金取りは学校も無い辺鄙な村まで追いかけるつもりは無く、二人は村に定住する事になった。

 それからロイドは村人の善意を払いのけ、仕事と母親の看護を一人でこなしていたそうだ。

 他人を信用すると父親のようになる。そんな思いがあったのだろう。

 村と距離を置いて全てを抱え込むロイド。そんな彼を見かね、手を差し伸べたのが同い年のオズワルドだった。事情は違うけれど、同じ苦労人として気持ちが理解できたようだ。

 どんなに邪険に扱われても決してめげず、村とロイドの架け橋になれるよう奮闘したそうだ。そしてオズワルドのお陰でロイドの性格はほんの少し真っ直ぐになったけど、今でも他人に対して良くない感情を抱くのは父親の自殺が暗い影を落としているかもしれない。

 本人から聞いた訳ではないので、真意かどうかは分からないけど……。

「でも旦那さんにお願いしても、そんなお偉い人達に会えなかったらどうするのさ」

「それなら熱心な信者はどうかな? 教会の人々が信頼を寄せる人物なら、偉い人じゃなくても説得できるはずさ」

 今度はオズワルドが意見を提示する。

「そうだな。せめて、そんな連中の署名は集めておきたいな。あのばあさんから紹介して貰え」

 ロイドが乾パンをかじりながら言った。脳裏にはヘンリさんの顔が浮かんだ。けれどすぐに選択肢から外す。出来ればヘンリさんの力は借りたくない。もしユーリアを外に連れ出し、万が一の事態になれば、きっとヘンリさんは悲しみのあまり自分を責めるだろう。

 なぜ、彼らに協力したのか?

 あの時に断っていれば……。

 考えすぎかもしれないけど、その考えがどうしても頭から離れなかった。

「まあ、署名運動はお前が考えて好きにやればいい。その為にノートと鉛筆を渡したからな」

「鉛筆とノートならユーリアちゃんにあげたよ。勉強に使うんだって」

「お前……、俺の話をちゃんと聞いていたのかよ」

「いいじゃん! いいじゃん! ノートと鉛筆なんてまた買えばいいし、ユーリアちゃんの役に立つからいいでしょう!」

「…………もういい」

 ロイドは呆れた様子で息を漏らした。ため息を吐くな!

「それにしてもパティの話を聞く限りだと、ユーリアの体力は問題無いようだね。それにパティに懐いているようだから、外に連れ出してもホームシックの心配はいらないね」

 オズワルドが空気を変えようとユーリアの話を持ち出した。

「そう言えば、ユーリアちゃんからサーカスを見に行こうって誘われたの。何とかって言うモンスターが見たいんだって。行っていいよね?」

「何とかって何だよ。せめて、こっちが推測できそうな言葉を選んで発言しろよ」

 ロイドの細かい指摘にも、なんのその。適当に「はいはい、そうですね。ごめんなさいね」と受け流す。

「ユーリアの話だと、雷を操る鹿って言っていたよ」

「ああ……エクレアムースか。そんなモンスターがサーカスにいて大丈夫なのか?」

 ロイドが目を丸くし、オズワルドがスープを飲み干してから尋ねた。

「そんなに危険なモンスターなのかい?」

「大人しい性格でこっちが危害を加えなければ何もしてこないが、怒らせると雷で攻撃して人なんて簡単に死ぬそうだ。どこかは忘れたが、ある地方では山の神と崇められ、もし山で遭遇したら人間が道を譲り敬意を示しさないといけないらしい」

「それ、やばいじゃん。神様を見せ物して大丈夫なのかな?」

「俺が知るかよ。大人しいから丁重に扱えば問題ないかもな」

 ロイドもスープを一気に飲み干した。

「お前の仕事は署名運動とユーリアの観察だ。ユーリアの知識量と観察のやり方をノート……」

 ロイドはしゃべりながら、さっきのやり取りを思い出し「まあ、がんばれ……」と声が小さくなった。そんな小声で言うと、私が悪者みたいじゃないか。もっとユーリアみたいに大声をだせよ! お腹から声を出して、勢いをつけていけよ!

「任せてよ。記録はとらないけど記憶に残してくるから」

 明るく振舞うと、ロイドはオズワルドの顔を見て首を横に振る。すると慰めるようにオズワルドが頷きながらロイドの肩を叩いた。

 おいおい。本当に私が悪いみたいじゃないか。

「……ノートと鉛筆は明日買って来ます」

 胸の奥に眠る罪悪感がパン生地のように膨らみ、ノートと鉛筆を買うと約束した。

覚えていたらだけどね。

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