大都市 イリアナポート

 痩せるのはいつも胸から。できればお腹か足まわりの肉から落ちて欲しい。そうしたら理想の体型になれるのに。

 白いワンピースの胸部をつまんで伸ばす。余裕が無い。これが現実。上背は平均的だけど、少しだけ、いやほんの僅かだけ気になる所にお肉が付いている。これが落ちれば……。


 客船から降りてまだ何も食べていない腹ペコの私は、気を紛らわせようと妄想の花を咲かせ棒立ち。対面では椅子に腰を掛けて黙々と入国手続きをする男性職員。見下ろすと頭頂部が少し寂しく、時の流れを感じさせる白髪の数。身の上について質問されて適当に答え、長文で難解な書類は心の目で読んで署名し、何か大事なお話をされたようですけど右耳から左耳へ素通り。

「説明は以上ですが、ご理解して頂けましたか?」

 顔を上げて私の表情を伺う男性職員。

「……はい」

 一瞬考えてしまった正直者の私。こいつは絶対理解してないな、と口には出さないけど疑惑を目で訴えかける男性職員。

「大丈夫ですよ」

 満面な笑顔で答えるけど、もちろん嘘です。ごめんなさい。今はとにかくここを出て早くお昼ご飯を食べたい。重要な話なら、先に入国手続きを終えた二人に聞けばいい。

「そうですか……」

 疑いは晴れていないようですね。貴方の顔にそう書かれています。しかし入国手続きで沢山の人が待たされているので、私一人に時間を使うのはもったいないと判断したのだろう。

「これが身分証明手帳です。無くさないようにして下さい」

 男性職員は何も咎めず、手の平サイズの手帳を差し出した。表紙はよく分からないヘンテコなマーク。魔方陣を模したように見える。私ならもっと上手に書けるのに。

手帳を開くと最初のページに私の氏名、年齢、出身地と拇印が記載されており、二ページからは白紙だった。これはどうやって使うの? と疑問が浮かんだけど。

「あちらのドアから出て入国して下さい」

 私は周りからよく言われる。パティは気持ちがハッキリと顔に出ると。つまり私の頭上には疑問符が光り輝いているはずだ。しかし彼はそんな疑問符には目もくれずに立ち上がり、開いたままのドアを指した。どうやら早めのご退席をご所望らしい。今日は許してやる。決して負け惜しみではない。聞くタイミングを逃しただけだ。

 自分にそう言い聞かせながら、言葉を飲み会釈をしてドアへ向かった。ドアを通り抜けると、眩しい日差しで視界が奪われた。思わず手をかざす。陽を避けると次第に視力が回復してきた。


 巨大な鉄の港門が左右に開き、その横に立つ二人の自警団。高そうな銀色の鎧に鋭い槍を地面に突け、左腕には身分証明手帳と同じマークの腕章。二人は入国する人々を、鉄仮面の目の保護具だけ開け監視している。その光景を見て実感が湧いた。やっとここまで来たんだと。


 私が辿り着いた、この場所は大都市イリアナポート。ラクルア島の北西に位置し、貿易で発展してきた港町。島の東にそびえ立つゴドア山から取れる上質な黒曜石。その黒曜石をドワーフ族が秘伝の技術で加工して作る武器や道具。またエルフ達が飼育している蚕からは、繊細で美しい織物が作られる。

 これらの品を求めイリアナポートに人とお金が集まり、世界でも有数の貿易都市に発展した。

 そしてイリアナポートには冒険者が集う場所としての顔も持っている。人口の多いイリアナポートには冒険者を必要とする仕事が多い。黒曜石の採取や要人護衛に建物の警備。お決まりのモンスター退治に、町の治安維持活動などなど……。

 難易度の異なる仕事を幅広く取り揃え、さらに他の島や大陸とは違いラクルア島には凶暴なモンスターが存在しない。仕事が多く危険が少ないので、そのまま定住する冒険者や他所から移住する人も多いそうだ。私達三人は生まれ育った辺鄙な村を飛び出し、冒険者になろうとイリアナポートへやって来た。


 さてと、まずは先に行った二人と合流して、冒険者組合に行かないと。私の親友はどこに行ったかな……キョロキョロ。辺りを見回す私は、他者から見れば挙動の怪しい不審者。自警団の視線が気になる。人ゴミに紛れ、自警団の視線を避けながら港門を通り抜け、先に行って待っているはずの二人を探す。

「パティ!!」

 聞き覚えのある声の方を向くと、人の群れから頭一つ飛び出た男がこちらに向けて片手を上げている。遠目から男の顔を確認して人ゴミの間をぬって小走りで駆け寄ると、長身の男と細身の男が立っていた。

私の名前を読んだ長身の男がオズワルド。屈強で威圧的な体格に似合わず、真面目で弱者にも優しい私達パーティーのリーダーである。

「おせーよ!」

 文句を言う細身の男がロイド。オズワルドとは同い年で頭が良く、何でも効率重視で割り切る性格。人の気持ちを考慮しない彼は、のどかでのんびりとした村では一際異彩を放っていた。

 良い意味でも、悪い意味でも。

「はいはい。ごめんなさいね。お待たせしましたね」

 ロイドと口ゲンカをしても得にならないので適当にあしらうと、どうやら誠意が伝わったらしい。舌打ちしてロイドは口をつむいだ。

「ところで、お腹が空いたからご飯にしない?」

 声を大にして提案する。お腹の虫が駄々をこねて、このままでは行き倒れてしまう。

「そうだな。飯にしようぜ」

 珍しくロイドと意見が合った。そりゃそうだ。朝から何も食べていないもの。

「それじゃあ、お店を探そうか」

 そう言ってオズワルドとロイドは歩き始め、私は二人の後からついて歩く。


 石畳が綺麗に敷き詰められ、数台の馬車が横並びでも通りそうな広い大通り。両脇には等間隔に並ぶノッポの木。暖かくなってきたので、葉っぱの色合いが濃くなっている。

 珍しい景色に目移りしながら人の流れに乗って右へ……、左へ……、そしてまた右へ……と町へ向かっていると眼前に白く細長い建物が見えた。その白い塔に近づくと、二人の自警団が警備をしている。重そうな斧を杖代わりにして身体を支え、田舎から来た私達三人を明らかに良くない目で見ている。こっち見るな!

「あれは灯台だよ。頂上で炎を焚いて明かりを照らし、航海する船が目印にするんだよ」

 生まれて始めて見る灯台について、オズワルドが説明を添えてくれた。村の中でも比較的裕福な家庭に生まれ五人兄妹の末っ子だったので、みんなにとっても可愛がられ、何一つ不自由なく育てられた。そうです! そうなんです! 私は箱入り娘なのです! だから村には無かった灯台を目の当たりして、目を輝かせているのです。

「どうだ? 箱入り。始めて見る灯台は?」

 ロイドが嫌味を込めて質問を投げ掛ける。しかしそんな嫌味に動じる私ではない。

「大きいね!」

 灯台に沿って視線を上げると、首が痛いだけで頂上の様子は分からない。ただ、空がとても青く清々しかった。

「見たまんまじゃねぇかよ。もっとまともな感想を言えないのか」

 呆れて、ため息を吐くロイド。正論なので言い返せず悔しい。

「ねえ、中に入ってみようよ」

「やめておけ。殺されるぞ」

 ロイドの視線を追いかけると、自警団が斧を持ち上げて待ち構えている。どうやら聞こえていたらしい。

「重要な施設だから、一般人は入れないよ」

 オズワルドが私の肩を叩き諭す。ここは大人しく退散しよう。

「もういいだろ。行くぞ」

 踵を返してロイドは一人で歩き出した。名残惜しいけど仕方ない。


 気持ちを切り替えて私達も彼の後を追って行く。二つ目の港門を抜けて、町に入るとロイドが急に立ち止った。辺りを見回して何かを探している。

「こっちだ!」

 どっちだ! と答える間も無く、親指で方向を指してロイドは勝手に歩きだした。

 彼の背中を追いかけ、看板の前に立つ人だかりをかき分け地図の前に立った。どうやらイリアナポートの地図のようだ。なるほど、ロイドは地図を探していたのか。なかなか出来るな。しかし思っただけで、褒めたりはしない。悔しいから。


 さてと、まずは現在地を探しましょう。人差し指を左上から右へ向かって、空中で泳がすと右下に現在地を発見した。現在地から考えると、さっきの灯台は港の外れに位置している。

 すると冒険者組合には、ここからどうやって行けばいいのかな?  地図上で指先を踊らせて冒険者組合を探していると、ロイドに先を越された。

「この道を直進して、突き当る噴水公園を右折すれば、冒険者組合があるみたいだ」

 ロイドは指でなぞり道順を確認すると「ついて来い!」とまた一人で歩き出した。おいて行かれた私とオズワルドは顔を見合わせる。

 忙しいロイドを見失わないように早歩きで追いかけ、寄り道せずに真っ直ぐ冒険者組合に向かうつもりだった。

 しかしダメだ。この道は誘惑が多すぎる。両脇に立ち並ぶ露店から香る湯気。あぁ……。軽やかでリズミカルな音を刻む包丁。あぁ……。フライパンの上で可憐に踊る食材。あぁ……。

「おばちゃん! 今日のお勧めは何?」

「いらっしゃい! 今日は良いイカが入ったから、バター焼きがいいよ」

 気が付いたら足が勝手に露店に向かい、少しふっくらとした露店のおばちゃんに話し掛けていた。額に汗を滲ませ、フライパンに入ったボリューム満点の野菜炒めを片手で扱い、手早くフライ返しで野菜をかき混ぜる。爽やかな汗と愛嬌の良い笑顔に好感を持った。

「イカって食べられるの?」

「お嬢さん、イカを食べた事ないのかい?」

「山育ちだから」

「それはもったいない! 今すぐに、ここで食べていきな。人生が変わるよ」

 この商売上手めっ!

 私はおばちゃんの勧めるままに、イカのバター焼きとご飯を頼みお金を払った。

 お昼ご飯の時間はとうに過ぎていたので、客は少なく好きな席に座れた。随分と年季の入った傷だらけの机と椅子。きっと、おばちゃんと苦楽を共にしたのだろう。

うーん……しみじみするなぁ……。

「パティ! 何をやっているの!」

 感慨に浸る私の元にオズワルドが大慌てで駆け寄って来た。

「えっ? ご飯を食べようと思って」

「それなら一声かけてよ」

「ゴメン。お腹が空いていたから、つい……」

 思わず舌を出して誤魔化した。

「すぐにロイドを呼んで来るから」とオズワルドは走り出した。その背中に向かって両手を合わせた。そしてすぐに二人が戻って来ると、ものすごい剣幕でロイドに詰め寄られる。

「勝手な行動は慎め。箱入り」

「そっちだって、勝手に行ったじゃん!」

「俺はちゃんと、付いて来いって言ったぞ。しかもお前は文句を言わなかったよな?」

「そう……そうでしたっけ?」

 視線を逸らすと胸倉を掴まれ顔を引き寄せられた。

「いいか。よく聞け。今から俺達がやろうとしている仕事は、常に危険と隣り合わせだ。身勝手な行動で、他人やお前がピンチになる可能性がある。分かるか?」

「それは分かるけど……。その時は身勝手な行動を取らないし……それに今回は些細な出来事でしょう?」

 あと顔が近いので離れて下さい、と言いかけたけど、もちろん寸前で言葉を飲んだ。

「些細な事も出来ないような奴に、いざって時に大仕事は出来ないぜ。違うか?」

 私を直視しながら正論をぶつけるロイド。返す言葉が……ございません。しょんぼりです。

「何か言う事はないのか?」

「ご、ご……ごめんなさい。以後、気をつけます」

「よし。それなら、ここはお前のおごりだな」

 不服を申し立てる前に、ロイドは手を離しおばちゃんに声をかけた。

「それじゃあ、ご馳走になるよ」

 オズワルドに笑顔で言われると、もう断れない雰囲気になってしまった。


 ロイドは豚のネギ塩炒めにジャガイモとキノコ炒めを、オズワルドはアスパラのオリーブオイル焼きとカブの肉詰めを頼んだ。もちろんご飯とパンも添えて。私の財布への配慮は皆無でした。お二人の厳しいご指導、本当に有り難う御座いました。

 料理は注文した順に机に並んでゆくので、最初に頼んだイカのバター焼きとご飯が並んだ。少し変わった見かけだけど、味は食べてみないと分からない。さあ、今から未知なる味を体験しようではないか!

「何だこれ?」

 そう言いながら、ロイドはスプーンを突っこんで口に運んだ。

私より先に。しかも私に断り無く。

「さっき勝手な行動をするな、って言ったのは誰? 勝手に食べないでよ」

「バカを言うな。お前と俺の行動は危険度が違う。一緒にするな」

 ぐぬぬ……、悔しいけどロイドの言う通り。

 良く考えれば、私は二人と逸れていたかもしれないし、都市の大きさを考慮すると落ち合うのは一苦労するはずだ。そして何より十六歳にもなって迷子は恥かしすぎる。

「これはうまいな。オズ、お前も食ってみろよ」

 ロイドはイカのバター焼きをオズワルドの前に滑らせた。ちょっと待て! それは私が注文したイカちゃんだぞ! さも自分が注文しました、みたいな顔をするな! 反射的に伸ばした左手はイカのバター焼きを捉えきれずに宙を仰いだ。

「食べてみてもいい?」

 きちんと断りを入れるオズワルド。誰かさんとは人間性が違います。迷惑をかけっぱなしだから、オズワルドは何も言わず食べてもいいよ。

「うん、いいよ。ちなみにイカだけど、食べた事はある?」

「イカは始めてだな」

「ぐえっ! ホントかよ!」

 飲み込んだ後にイカと聞いて顔を歪めた。なんだ? その反応は?

「ロイドはイカって知っているの?」

「ああ。見た目が気持ち悪い奴だ。足が十本もある」

 足が十本? 全く想像できないけど、おいしければ見た目なんて気にしないもんね。

さっそくイカのバター焼きを食べる。

「おおっ! うまい!」

 弾力のある歯ごたえに絶妙な塩加減。初体験! これはご飯が何杯でもいける。

「おばちゃん! おいしいよ! イカ!」

 立ち上がっておばちゃんに親指を立てて賞賛を送ると、フライ返しを突き立てて答えてくれた。それから着席をしてご飯を食べる。もぐもぐ、うまい!

「うん。とっても、おいしいね」

 オズワルドもおばちゃんに向かって軽く会釈をした。

「ところで、より良い仕事にありつけるように、これから作戦会議といこうじゃないか」

 頬杖をしてロイドは議題を提示した。


 お題は『実力が無い、名声も無い、ついでにお金も無い。そんな無い々づくしの私達が他の冒険者に打ち勝つには?』と言う難解な問題だった。この難問が解けるなら、大学の偉い教授になれるはずだ。

「イリアナポートは人口が多いから仕事は沢山あるはず。だから心配は要らない」と私が言うと「これだからぬくぬくと育った箱入りはダメだ」と一蹴され、次にオズワルドが「経験者を仲間にしては?」と提案しても「誰が好き好んで、お荷物の仲間になるんだよ」と提案を跳ね除けた。

 さっきから否定ばかりするロイドは良い案をもっているのか。もしかしたら妙案があります、って雰囲気を醸し出しているだけで何も考えていないかも。怪しい……。口に入れたご飯を飲み込んでから、狐疑の目でロイドに言った。

「否定ばっかりするからには、良い案を持っているのよね?」

「当たり前だ。お前達とは違う」

 ほおっ? 随分と自信満々ですな。聞いてみようではありませんか。

「この町で顔の広い奴を仲間にする。そいつの人脈伝いに仕事を貰う。どうだ?」

 得意気な顔のわりに大した内容ではなかった。がっかりだ。

「それで顔の広い奴をどうやって仲間にするの? ロイドはこの町に知り合いがいるの?」

「いるわけないだろ」

「じゃあ、どうするの?」

「俺が顔の広い奴を連れて来るから。お前が相手をする」

「ん? どういう事?」

「お前のおつむは人並み以下だが、顔と体は人並み以上だからな」

 彼の嫌らしい視線の先には私の胸。こいつの言いたい事がやっとわかった。

「はぁっ!? 身体を売れってか!!」

 机を叩いて思わず立ち上がり、ロイドを睨みつける。

「ああ。そうだ」

 顔色一つ変えずにロイドは頷いた。

「売るかぁ!! このぼんくらがぁ!!」

「まだ若いんだし、目先の欲に囚われず、まっとうな仕事をした方がいいよ」

 二人が頼んだ料理をトレイに載せておばちゃんが登場し、助け船を出してくれた。

いいぞ! おばちゃん! もっと言ってやれ!

「そうだよ。仕事はいくらでもあるよ」

 オズワルドとおばちゃんを合せて三対一。来ています! 私に追い風が! と思ったのもつかの間、おばちゃんは料理を置いて「いいかい。早まったマネをすると後悔するよ」と私の肩を叩いてそそくさと戻っていた。しかし、それでも二対一。多勢を前にして諦めるのが普通の人。だがロイドは違う。

「いいか、よく聞けよ」と諦めの悪いロイドは人脈の大切について語り始め、黙って聞くのも癪に障るので、ジャガイモとキノコ炒めを無断でパクパクと食べると頭を叩かれた。お金を払ったのは私なのに……。なんだか腑に落ちない。

「金も稼げて人脈も広がる。一石二鳥じゃないか。悪い話じゃないだろ?」

「まだ言うか! このあほんだらがぁ!」

 あほんだらの頭を叩いて叱り飛ばした。

「バカ野郎。若いうちしか、需要がねぇんだよ。やるなら今しかないんだよ」

 料理を殆ど口にせず、必死に私を丸め込もうと捲し立てる間に、あほんだらの料理を空にしてやった。にやり。口では負けてしまうので別の形で逆襲してやった。

「ロイド……。後で少し話をしようか……」

 オズワルドの低く冷たい声で空気が張り詰めた。普段は温厚で優しい反面、一度怒らせると非常に怖い。どうしてくれるのさ。ロイドさん、この雰囲気。

「まあ、それは諦めるとしても、他と差別化を図っていかないダメだぞ」

 この雰囲気を察しても動じない彼は大物なのか? それともただのあほんだらか? いずれにせよ、彼の持論はまだまだ続きそうだったけど、オズワルドの一言で議論に幕が下りた。

「方向性については、仕事をしながら様子を見て決めよう」

 ロイドは不満そうな顔だったけど、これ以上の議論は無駄だと判断し、残り少ないご飯を食べ始めた。何か言いたそうな顔を見せながら。おかずは私がほぼ食べ尽くからな。にやり。


 お腹がいっぱいになり元気を補充したので、冒険者組合へ向かって再び歩き出す。道を真っ直ぐに進むと、綺麗な装飾が施された噴水が見えた。

 その公園ではご婦人がベンチに腰を掛けて本を読み、芝生に座り日向ぼっこをしながら会話を楽しむご老人達に、噴水の前で絵を書く青年。そんな優雅な午後のひと時に、華を添えるように噴水が虹を駈けていた。

「おおっ!」と思わず声を出して立ち止った。綺麗。その一言に尽きる。まるで私達を歓迎しているかのように見えた。これは幸先がいいぞ。

 噴水の粋な演出に見とれていると、オズワルドが私の手を取り引っ張った。久しぶりに握った彼の手。お父さんのようにゴツゴツとして固く大きい。そして暖かい。私の手を引くオズワルドの背中を見ていると、ふと幼少時の記憶が蘇る。


 木こりの家に生まれた彼は、幼少時から家の手伝いをしていた。サイズの合わない手袋をはめて小枝を集めたり、子供の力では少し重い手斧で薪を割ったり、長男として幼い兄妹と私の面倒も見てくれた。

 今みたいに手を引っ張られ、オズワルドの背中を眺めていた。懐かしいな。手の平も身体も大きくなったけど、他は殆ど変っていない。それが何より嬉しかった。

「立派に成長したね。オズ君。おばさんは嬉しいよ」

「何の話?」

 疑問符を浮かべて振り返るオズワルド。その顔が体格に似あわず妙に可愛かった。

「何でもないよ」

 説明すると恥ずかしいので、胸にしまい笑顔で誤魔化した。不思議に思いながら何も聞かないのがオズワルド、グダグダとしつこく問い詰めるのがロイド。

 この差が二人の性格の違いである。


 オズワルドに手を引かれロイドを追いかけて行くと、広い前庭を構えるレンガの建物に着いた。遠目からなので看板は見えないけど、ここが冒険者組合だとすぐに分かった。

 何故って?

 それは庭でたむろしている人達の風貌が、公園に居た人達とは異なっていたから。彼らは武器や防具にマントを着用し、物々しい雰囲気を漂わせている。剣を地面に突き刺す女。木をこん棒で叩く男。大きな話し声といい、ガサツで豪快な笑い声といい……。所々に禿げた芝や切り株はやんちゃな彼らの刻印だろう。

 ちょっと怖いので目を合せないように二人の背中に隠れながら、無駄に長い石畳を歩いて正門から中に入ると、またしても人だかりに遭遇。都市だけあって人口が多いのは分かるけど、こうも人ばかり見ていると田舎者の私には耐えられない。人酔いしそうだ。

 それから建物に入ってすぐに目に留まったのは、壁に掛けられている自己主張の強い案内板。

 黙って読め! 男気溢れる太い文字から伝わる主張。目立つように書かないと、黙読しない方が多いのでしょう。そんな組合の方々の苦労が伝わって来ます。

案内板には組合の登録事項について書かれていた。ふむふむ。脂っこい文書をさらっと斜めに読んだ。

 まずは別館の登録所で組合への登録済ませ、職業ごとに存在するギルドに登録する。簡単だけど面倒だな。早く終わって町の探検に出かけたい。

 そんな気分に浸っていると誰かに肩を叩かれた。

 振り向くとオズワルドが話しをしているけど、雑音にかき消されて聞き取れない。しかしこの状況と口の動きから推測すると、別館へ移動しようと言っているはずだ。

 案内板に従い建物の左から外に出ると、遠目からでもすぐに別館の場所が分かった。

 だって、あれでしょう?

 四角い建物から生えている尻尾のような列。あの列の先頭にある建物が別館でしょう?

 さすがに二人もげんなりしたようで、仲良くため息をついて並び始める。


 無言で並ぶと時間が遅く感じので、何か暇つぶしになる様な話題を考えていると、重要な事柄を思い出した。

「そう言えばさあ、入国手続きで話を聞いてなかったけど、何か言っていた?」

「町中で剣を抜いて自警団に見つかると、町を破壊する行為とみなされ攻撃されるよ。パティなら魔法で火を灯し、明かりの替わりにしても攻撃されるから注意しないと」 

 危ねぇ! ここでオズワルドから話を聞かなければ、町中で火を灯し自警団に追いかけられる自分の姿が容易に想像できる。この歳で犯罪者になるのはごめんだ。

「って言うか、話くらいちゃんと聞けよ。話を聞かないと損をするのはお前だぞ」

 ロイドの言う通りで理解はしているけど、私は話を聞くのが苦手だ。聞いていると途中で飽きてしまい、別の事を考えてしまう癖がある。

「話は聞くものではないわ。感じるものよ」

 とっさに思い付いた言い訳を披露した。

「そうか。じゃあ、死ね」

 一喝された。残念です。さすがにこの言い訳は自分でも苦しいと認めるけど、死ねと言われてくたばるような軟な私ではない。生きる!! 新たな決意を胸に秘めている間にも入国手続きの話は継続していたけど、飽きたので全く頭に残らなかった。


 入国手続きの話が終わると無言の時間がやって来た。まだまだ時間は掛かると思ったけど、列の消化は予想以上に早く私達の順番が回って来た。

眼鏡の職員に案内され中に入ると、ぱっと思い浮かんだのは、お隣さんが経営している小さな養鶏場だった。だだっ広い部屋の両脇を薄い板でいくつも仕切り、その中で登録手続きが行われている。

 そうか。私達は職員から見れば養鶏場の鳥と同じなのか。なんだかやるせない気分だけど、どうせ鳥と思われるなら、まんまるぷっくりの雌鶏よりも私はすらっとした白鳥がいい。

 純白をまとい、あの大空へ飛び立ちたい!

「ぼっさとするなよ」

 せっかく白鳥気分で羽ばたいていたのに、ロイドに頭を叩かれ現実に引き戻された。

「頭を叩くなぁ……」

「バカ野郎。お前は頭が弱いから、刺激を与え続けないと手遅れになる」

 酷い。扱いが禿げ逝くお父さんの頭と同義。一応、乙女ですから、お父さんの毛根と同様にもっと大切にしてあげて下さい。

 頭を撫でながら歩き出すと、一番右奥の仕切りの前で職員が笑顔で立っていた。

「こんにちは。代表者の方はどなたですか?」

「私です」

 私達の真ん中に立つオズワルドが一歩前に出た。

「それではこちらに座ってこの組合登録用紙に皆さんのお名前と希望する職業を書いて問題が無ければ拇印を押してくださいね。そしたら皆さんが――――」

 あまりにも早口で言葉をぶつけてくるので、頭の処理が追いつかず後半は聞き取れなかった。

 口の止まらない職員の話を、オズワルドは律儀に相槌を返しながら羽ペンで丁寧に書類を書きこむ。私だったら、うるせぇ! と怒鳴っていただろう。

「ファイターとレンジャーとロニンのウィザードですか。バランスがいいですね。すぐにでも外へ飛び出してモンスターとか倒せそうですね。冒険者って感じでいいですね」

 ロニンとはロニンバズと言う火の神様の略称。

 この世界を支配する六大神の一柱で、夏を司り怒りの象徴とされる男神で、加護を受けた人は火の魔法を授かり、信仰力に比例して強くなるらしい。

 らしいと表現したのは、私には当てはまらないからだ。まだ物心が付く以前から火の魔法を使っていたらしく、村で唯一のウィザードであり、火の神に愛された子として祭り上げられた。

 それから成長と共に魔法の威力が上昇し、今では火を自在に操り火柱くらいは立てられる。ロニンバズには感謝をしているけど熱心に崇拝をしていないのに、どうして私の魔力が高まっていくのか。日夜疑問に感じていた。


 そんな神様が起こした気まぐれよりも、浮かんだ疑問を何となく声に出した。

「……レンジャーって何ですか?」

 ん? どうした職員。口が開きっぱなしだよ。私は質問しただけなのに、なんで可哀そうな子猫を見る様な目をするの?

「レンジャーは冒険を円滑に行う技能を持つ人達のことだよ。罠を解除したり、星座の位置から方角を割り出したりするんだ」

 オズワルドが手を止めて言った。なるほど。思わず手を叩いた。

「例えば、罠の解除は手先を使う細かな作業だから忍耐力が必要だ。お前みたいな大雑把で短気な人間には到底務まらない仕事だ」

 胸を張ってロイドは言った。私達の中で一番器用なロイドはレンジャーに向いている。しかし、その誇らしげな顔が気に入らない。

「なら、魔法で火柱を立ててみろよ」

「二人ともケンカしてないで、ここに拇印を押してよ」

 オズワルドが書類を指して私とロイドを交互に見た。

ここでケンカをしても時間の無駄なので、オズワルドに免じて戦いはお預けにしてやる。

 ロイドを睨んだまま、インクに親指を付けて名前の横にしっかりと拇印を押した。それから机の上に置いてある手拭きで親指を丁寧に拭いて、肩掛け鞄から身分証明手帳書を職員に手渡した。

「はいはい、どうもね。すぐに終わりますからね」

 職員は私達の身分証明手帳書を凝視したと思った瞬間に「はい! ご苦労様! 審査は通りましたので事務手数料と年会費を頂けますか?」と言われた。なんだ、案外適当なんだな。

 笑顔でお金を請求されると少し気にかかるけど、しぶしぶ銭袋から銀貨を取り出して渡した。

 職員は机上に銀貨を並べ、数を数えながら手元に滑らせる行為に卑しさを覚えた。しかしその行動は過不足を防ぐ、むしろ親切な行為であり愚弄するのは見当違いなので、心の中で彼に謝った。ごめんなさい。眼鏡さん。

「はい。手数料と年会費を頂きましたので身分証明手帳書に領収書代わりの判子を押しますね」

 職員は引き出しから判子を取り出し、三人分の身分証明手帳をリズミカルにポンポンと押し、鼻歌を歌いながら署名と拇印を押してゆく。ずいぶんと楽しそうだ。

「はい、それでは手帳を返して組合について説明しますね」

 そう言いながら職員は机の引き出しから一冊の小冊子を取り出してオズワルドに渡し、組合について説明を始めた。

 しかし職員の説明は横道に逸れては戻り、戻っては逸れるので話が長くなり、すっかり飽きてしまった私は再び白鳥になって羽ばたいていると、頭を叩かれて我に返った。またロイドだ。

「終わったぞ。ボケっとするな」

「叩くな……」

 頭を撫でながら二人の後を追って外に出ると西日が目にかかった。登録手続きが終わる頃には夜になっているはずだ。あとひと踏ん張り。早く休みたい。

「案内所の二階にウィザードのギルドがあるらしいよ。ファイターとレンジャーはここから反対側だから、待ち合わせは案内所の前にしよう」

「どこへも行くなよ。待ち合わせ場所で良い子にしてろよ」

「はいはい、分かっていますよ」

 私だって学習するんだ。馬鹿にするな。


 二人と別れた後、案内所に入り案内板の横の階段から二階に上がると、両開きのドアが開いていた。視線を上げると看板には『ウィザードギルド』と書いてある。緊張するなぁ。一呼吸置いて覚悟を決めて、入口の横に座っている受付の女性に話しかけた。

「ギルドの加入希望者ですか?」

「ハイ」と一言返事をすると、女性は笑顔で立ち上がり「こちらへどうぞ」と部屋の奥へと案内してくれた。

 歩きながら横目で見ると複数の机と椅子が用意され、お茶会を楽しむ女性陣と本を読みふける若い男性が一人。黒や紺色を基調とした、いかにもウィザードっぽい衣装。

 きっと立派なウィザード様に違いない。

 板で仕切られたスペースに座り、眼鏡のお姉さんからギルドについて説明を受けた。

 活動内容は、魔法研究やウィザード同士の交流を通じて互いの魔力向上が目的のようだ。魔法研究には興味が無いけど、友達が欲しいから所属しておこう。


 職員に加入の意志を伝えると「それでは、あなたを守護する神を教えてください?」と聞かれたので「ロニンバズです」と答えた。すると引き出しから登録用紙を取り出した。

 上から名前、年齢、性別、出身地を記載していき、最後は魔法の威力を示す具体例が書いている。該当する項目に丸をつけろと書いてあるので、私は『火柱を上げられる』と『火を生み出せる』、さらに『火を操れる』の項目に丸を付けた。凄い人になると爆発を起こしたり、岩を溶かしたりできるようだ。項目にそう書いてあるから間違いないだろう。

「まだお若いのに中級者程度の力をお持ちなのですね。さぞかし熱心に勉強も信仰もされているのでしょうね」

 胸が激痛です。勉強は嫌いだし、宗教儀礼も良く分からなくて、雰囲気で誤魔化している私にはもったいない言葉です。

「そんな事ないですよ! あははっ……」

 困った時は、笑顔を見せると良い。本に書いておりましたが、題名が思い出せません。しかし、この場合は笑顔ではなく、苦笑いと呼ぶのでは? あの本に突っ込んでみました。

「そんな、謙遜なさらずに」

 ダメでした。しかし、瞬時に気持ちを切り替えられるのが私の長所です。

「ところで嗅覚の方はどうですか? 犬並みに鼻が利くのですか?」

「?」

 質問の意味が分からず、妙な沈黙が私達を包んだ。

「もしかして嗅覚は操れないのですか?」

「ロニンのウィザードは嗅覚を操れるんですか?」

 質問を質問で返す大技を繰り出します。

「はい。ロニンバズは火と嗅覚を操り、夏を司る怒りを象徴する男神です。ですから、ロニンのウィザードは火と嗅覚を自在に操る魔法を使い、夏季限定で能力が上昇します」

 知らなかった。

 ロニンバズのウィザードは火の魔法だけだと思っていた。でも私は臭覚の魔法を使った事が無い。いきなり魔法を使って、身体に異常をきたしたら大変だ。まずは実験をしてみよう。

 ロイドで。

「ところで、ウィザードについて不明な点がございましたら、ご説明致しましょうか?」

「宜しくお願いします」

 即答です。ここはしっかりと話を聞くべきだと、もう一人の私が耳元で囁いた。


 冒険者の割合はファイターとレンジャーが大多数を占め、ウィザードは三番目に多い職業だけど、人口が少なく、かつ高い戦闘能力を持つので貴重な存在のようだ。

 またウィザードは信仰する神によって扱える魔法が決まり、その神が司る時間帯や季節によってウィザードの能力が一時的に上昇するそうだ。

 ところが一口にウィザードと言っても、信仰する六大神の力を借りて魔法を使用するので、六種類のウィザードが存在する。

 その中で最も多いのが、青年の姿で描かれ怒りの象徴と祀られるロニンバズ。夏を司る神に選ばれた人間は、嗅覚と火の魔法を授かる。村で魔法を使えるのは、私だけだから特別だと思っていたけど、そうでもないようだ。がっかり。

 次いで、幼い男児で描かれ楽しみの象徴と祀らるポサーダウェイ。ご機嫌な春を司る神に選ばれると、水遊びが出来るようになり触覚も自在に操れる。悪戯してお尻ペンペンされても、魔法で触覚の感度を下げれば痛みは感じない。おまけに水も手に入るし、ポサーダウェイは、生活をする上ですごく便利な神だと思う。

 三番目は、実りの秋を司り喜びの象徴として祀られる、フォーンオルダ。味覚と土を操り農業が良く似合う中年男性の神だ。でも神の中で一番地味だと思う。

 そして一番少ないのが、冬を司り聴覚と風を操る、クンシャー。悲しみの象徴であるクンシャーは、杖を突いた老人として描かれる四大神の中で最もみすぼらしく弱弱しい神。しかし、クンシャーは季節と時間を司る神々を生み出し、世界に四元素と生物に感覚を与えた一番偉い神らしい。

 季節を司る四大神の姿が男性の一生で描かれているけど、女性の姿で描かれるリトンとゾラエチムは、その姿も扱いも対照的だ。

 昼を司り視覚と自然治癒能力を高め、光と雷を操る、若く美しい愛の女神リトン。

 愛の女神の語句だけでも人が集まるのに、リトンのウィザードは傷や病気を癒せるので重要が高く、さらに他のウィザードに比べて多種の魔法を扱えるのでウィザードの中でも特別な存在だと言う。

 リトンのウィザードは特定のパーティーに属せず、雇われ兵として活躍する者や、教会や王宮に使える者もおり、果てはウィザード自体も女神同様に崇拝の対象になっているそうだ。

 そして最後は夜を司り闇を操るゾラチエム。その姿は醜い老婆として描かれ、憎しみの象徴とされ人々の信仰が集まらない。

 その話を裏付けるように、私の村でも五大神を祭る教会はあったけど、唯一ゾラチエムだけは祭られていなかった。可哀そうな扱いを受けているゾラチエムだけど、負の要素しか持たないので信仰が集まらず、ギルドにもゾラチエムのウィザードは存在しないそうだ。

 また一説によるとゾラチエムとリトンは愛を司る双子の女神だったらしいけど、ゾラチエムは優秀な妹を妬み、その嫉妬心によって憎しみの具現化になったと言われている。

「ところで、ロニンのウィザードは火と臭覚以外に何か出来るんですか?」

「できません。ウィザードは一人一系統。つまりロニンなら火と嗅覚の魔法しか扱えませんが、まれに二系統以上の魔法を扱える方がいらっしゃいます。よく見かける組み合わせは、ロニンとポサーダの能力を併用する方です」

 逃げ隠れる敵を鋭い嗅覚で見つけ出し、右手には火を、左手には水を纏い眼光鋭い私。例え傷を負っても触覚を鈍くすれば痛くない。最高だ。最高じゃないか、私。

「ただ、二系統以上の能力を持つ方は器用貧乏と言いますか、戦闘で使えるような威力を持たない方が殆どです。」

 なんだ。現実はそんなもんか。がっかりだな。

「それにしても、ここで長年働いていますが、貴方のように一方だけ秀出して、もう一方を扱えない方は初めてです」

 眼鏡さんの話によると、大方の人は戦闘では役に立たない初級者の状態でギルドに入り、数年かけて能力を高め、今の私くらいになる人が殆どだと言う。つまり私は異例のようだ。

「その若さでこれだけの力を持っているなら、いずれギルドを代表するような力の持ち主になる可能性は充分にありますね」


 ギルドを代表する若きウィザード、パティ・グリーンウッド。

 火の神に愛された彼女は幼少期からすでに火の魔法を使い、成人になる頃にはすでに火を自在に操れていたと言う。それから才能に恵まれた彼女は……、うーむ、どうもありきたりで、いまいちだな。なんか、すごいモンスターを倒したぜ! とかの伝説を付け加えたいな。

「あの……、説明は終わりましたけど……」

「あっ! すいません!」

 いけない! 声をかけられるまで、ずっとパティ伝説について黙考していた。

 このまま放って置かれたら、昔話で聞いた凶悪なドラゴンを登場させ、伝説のウィザードがドラゴンを丸焼きにするお話を創作して出版し、世界中の人々に夢と感動を与えるところだった。

「以上ですが、何かご質問はございますか?」

「いいえ。大丈夫です」と答えて年会費を払い、今月行われるギルドの催し物について説明を受けた。二日後に定期交流会があるので、ぜひ参加してほしいと言われた。 ただし少額ながらお金がかかります。お財布がピンチなので考えておきます、と告げてギルドを後にした。


 階段を下りて案内所から出ると二人はまだいなかった。もう陽は落ちたようで辺りは薄暗く、さっきまで庭でたむろしていた人達もいない。

 ふと空を見上げると、左側は赤く右側は紺色に染まり一番星が輝く。思えば遠くへ来たもんだ、と感慨にふけながら目線を元に戻すと、その先に変わった物体が目に留まった。

 白い柱? 私が気付かなかっただけで、さっきからずっと在ったのかな? 湧き上がる好奇心を抑えきれず足が前に進む。

 冒険者組合から道を隔て、雑草が鬱蒼と生い茂る空き地の真ん中に円柱がぽつんと立っていた。夕焼けに溶け込む円柱は哀愁を漂わせ、見る者に何かを訴えかけているように見えた。

 なんでこんな所に? 円柱に近づいて見るとさらに謎は深まり、胸中に発生したもやもやを叫んで吹き飛ばしたくなる。


 円柱の周りには雑草が一本も生えていない。しかも雑草が生えていない一帯は綺麗な円を描いている。恐らく円柱から発している未知なる力によって、雑草の育成を抑制しているように思える。

一体、どうなっているんだ。

 そして円柱の足元には酒瓶や花や人形が供えられ、触れてみて分かったけど縦に掘られた溝は洗濯板より細かく、見上げれば円柱の頭上に座り込む石の球体。

「お前がこの柱の主か?」

「可愛いね。お嬢さん。柱とおしゃべり?」

 男の声に反応して振り返ると、柄の悪い野郎が六人。高そうな鉄製の武器や防具を装備しているので冒険者だと分かった。私を食べたそうな目で見ている。ヤバいっ!

「ち、違うんです……。人を待っているので、手持ち無沙汰で、つい……」

 困ったから笑顔で答えますけど、この場を切り抜けそうにはありません。

「それよりもお金欲しくない? 俺達いっぱい持っているから」

 卑しい含み笑いを見せながら徐々に詰め寄り、後ずさりをしても背中が円柱にぶつかり取り囲まれた。火の魔法を使うべきか? 自警団に見つかると斬られるけど、そんな悠長に考えている場面じゃない。貞操がっ! 貞操の危機が迫っているのだ。頭の中で良くないイメージが浮かぶと、脇から腕を掴まれた。硬直する身体。

「ちょっと! やめて下さい!!」

 声を上げて覚悟を決めた。やるしかない! やらないと、こっちがやられる! 魔法を使おうと決心した――その瞬間!

「やめないか!!」

 勇ましい女性の声で一喝。まるで雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡る。

「その娘を放しなさい!!」

 辺りは薄暗く男達に囲まれて顔が見えないけど、きっと正義を愛する美しい女神に違いない。

「抵抗するなら容赦はせんぞ!」

 やっちゃって下さい。女神様。その卑しい連中に、正義の鉄槌を差し上げて下さい。

 心の中でまだ見ぬ女神を応援していると、頭上が急に明るくなり髪が燃えるように熱い。見上げると太陽が迫って来たと錯覚する球体の紅炎。真下にいる私からは空がほとんど見えない。

 おい! まさか!!

「ご命令を」

 別の男の声がした。どうやら声を発した男が、炎を操り女神の合図を待っているようだ。

「ち、ちょっと! 待ってくれ!」

 恐怖で音を上げる野郎ども。このまま炎を落とせば、私も一緒に丸焦げになる。いやいや、待ってほしい。私を丸焦げにする必要は無いはずだ。

「おい!! そこで何をやっている!!」

 今度は別の方向から男の声がした。

 女神とウィザードが声に反応した隙に、野郎どもはあっという間に逃げ去った。悪者の逃げ足が速いのは万国共通のようで、私の村に住む悪ガキも逃げ足は速かった。

 野郎どもが立ち去った後にウィザードは炎を消し、替わりに指先から松明代わりの火を灯す。

 女神とウィザードの顔が見えた途端に、安心感から腰が抜けてしまった。

 そして女神は私に近づいて手を差し出した。

「お怪我はありませんか?」

 細身の服を着こなす引き締まった身体に整った顔立ち。女性にしては長身で髪は短く、中立的な魅力を持っている。同姓の私が思わず見とれてしまうほど女神は美しかった。

「あ、ありがとうございます!」

 差し出された手を取って立ち上がる。彼女は美しさに反して、手の平は男性の様に硬い。そしてよく見ると、女神は腰に剣を差していた。どうやらファイターのようだ。

 女神を観察していると二人組の男が駆けつけて来た。腕には身分証明手帳と同じマークの腕章をつけているので、この町を自衛する自警団に違いない。

「町中で魔法を使われては困ります。アルフィーユ様」

「すまなかった。こいつは手加減を知らないものでな」

 どうやら私が女神と崇める方は、自警団よりも偉く顔の広い人物のようだ。

「力の差を見せつけるのが、最善の策だと思ったので……」

 人差し指で頬をかいてウィザードが言った。声で男だと分かるけど、男性にしては身長が低く、華奢な体つきで喋らなければ女性に間違われるかもしれない。

 女神が魔法を使用した経緯を説明すると、自警団は口頭で注意しただけで、あっさりとその場を立ち去った。

「私の部下が驚かせて、すまなかったね。ほら、お前も謝らないか」

 女神はウィザードの頭を叩き謝るように促した。彼は私の前に出て一言。

「相手を驚かす為とは言え、貴方に炎を向けて申し訳ありませんでした」

 謝罪の言葉を口にして頭も下げたけど、無表情だったので少し冷たい印象を受けた。

「いいえ! こちらこそ助けて頂き感謝しています」

 慌てて首を振った。かなり熱くて恐怖を感じたけど、それを口に出さないのがマナーだ。

「実はさっき冒険者の登録が終わって、仲間を待っているところだったんです」

『冒険者』の言葉に反応して二人の顔が一瞬曇った。どうやら冒険者は評判がよくないようだ。逃げたあいつらのような輩が評判を落としているようだ。

「おーい! パティ!」

 駈けつけて来たオズワルドに、暴漢から二人が助けてくれたと話した。オズワルドがお礼を口にすると女神は「当然の事をしたまでだ」と肩を叩き諭した。

「さて、私達はこれで失礼するよ」

「ありがとうございます」

 立ち去る女神とウィザードに、再度お礼を言い背中を見送った。いい出会いだった。

「ところで、二人の名前は聞いた?」

 あっ! しまった! 女神に見とれて聞きそびれた。

「女性は『アルフィーユ』って呼ばれていたけど、ウィザードの名前は知らない。でも縁があれば、また逢えるでしょう」

「そうかもしれないけど、パティはのんびり屋さんだね」

 オズワルドは苦笑いを見せ、私の後ろに回り背中を押して冒険者組合へ戻る。


 それからロイドが来るまで、女神の善行や美しさをオズワルドにとことん語っていると、ようやくロイドが戻って来た。しかも遅くなったくせに、謝りもしない。

「遅いぞ!」

「はいはい。ごめんなさいね。お待たせしましたね」

 ロイドは口を尖らせて言った。おい! それは私の真似か!? 馬鹿にしているのか!

「さて、風呂に入って飯を食ったら、すぐに町の外に出るぞ」

 遅れて来たくせに、ロイドが仕切り始める。

「町の外に何かあるのかい?」

 オズワルドが訊ねた。

「貧乏な冒険者は町の宿屋を利用せず、テントを張って生活しているらしい。今日から俺達も、そこで生活するからな」

「ええっ! 今日くらいは宿屋に泊まろうよ!」

 声高らかに主張します。今からテントを張ると、夜中になってしまうのは確実ですから。

「馬鹿野郎。収入を得るまでは、極力節約だ。それとも体を売りたいのか?」

「それなら急ぎましょう! すぐに行きましょう!」

 二人の背中を押して冒険者組合を早々に立ち去る。

 冒険者組合を出てすぐに道が二手に分かれていた。ロイドが「右だ」と言うので、私とオズワルドも素直に従う。それからしばらく歩くと高い建物が見えてきた。建物の外壁に明りがついているけど、遠くて暗いので良く見えない。

「あの建物は時計塔だ」

 地図を片手にロイドが時計塔を指した。

「このまま進めば時計塔が建つ交差点に着く。その交差点を直進すれば繁華街、さらに進めば町の外へ出る外門に着くはずだ」

「その地図はどこで手に入れたの?」とオズワルドが訊ねると「ギルドだ」と一言返した。

 おっ!? 準備がいいな。でもロイドなので、褒めたりはしませんけど。

 そしてそのまま道を進んで行くと、ロイドの言う通り時計塔が建つ交差点に着いた。この時計塔は遠くからでも目立つので、待ち合わせの目印に最適だろう。と、誰もが思うようで、時計塔の周りには大勢で賑わっている。またもや群衆! ぐわぁぁ!! もう人ごみは嫌だぁ!!


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