第12話~ぽんぽこタヌキのラブコメディ 後編~
それまで静かだった会場の外が途端に騒がしくなる。出てくる人々は皆笑顔で、中には肩を寄せ合って泣いている者もいた。そんな穏やかな人の波に流されるようにタヌキと園長も会場の外へ出る。
久々に吸った外の空気はとても清々しく、遠くに見える鬼灯のような夕日が観客の背中を琥珀色に染め上げていた。
お互いに顔を見合わせたあとの第一声が「凄かったね!」と見事にシンクロしてしまい思わず二人して笑ってしまう。
全身が火照るように熱い。耳元ではまだ二度目のアンコールでやった『ようこそジャパリパークへ』がリフレインしており、自然と身体がリズムを刻んでしまう。わんわんと鳴り響く耳鳴りも、冷めない昂揚感も、全てが心地良かった。
「それにしてもビックリしたなぁ。まさか解散じゃなくて新結成だったなんて」
コウテイの最後のMCを思い出す。
『――みんな今日は来てくれて本当にありがとう。前にも話したと思うけど、私達PIPは今日を以って解散するわ。……でも安心して。確かにPIPは今日で終わりだけど、これからは新メンバーを迎えた新生PIP……いえPPP(ペパプ)としてまた復活するわ!――そして彼女こそPPPの新しいメンバー……ロイヤルペンギンのプリンセスよ!!』
彼女のMCはその日一番盛り上がっていたと思う。
今思い出しても背筋がゾクゾクするような興奮に襲われる。観客の声援を一斉に浴びて壇上へ上がるプリンセスは、その名に恥じない凛とした輝きを放っていた。
きっと彼女達は、これからもアイドルの新時代を切り開いていくだろう。これから先、たとえパークにアイドルという概念が失われてしまった時代が来たとしても、彼女達の歌と踊りを知った者が必ずその意志を継いで後世に語り継いでいくのだと、そう思わせるような何かがあった。
「コウテイさんのダンスもいつも以上にキレッキレだったし、久々にイワビーさんのギターソロも見れたし、ジェーンさんもフルルさんも……」
矢継ぎ早に語る感想はとめどなく、溢れるように口をついて出てくる。その横では園長がしきりにうんうんと相槌を打ち、タヌキの話を一生懸命聞いていた。あの曲のあそこの振り付けで誰々が間違っていたとか、歌詞の一部がライブバージョンにアレンジされていたとか、コアなファンでなければ気付かない点も彼は全てわかっているといった様子で頷いている。
タヌキの話が一段落したところで、今度は彼が話し始める。舞台の照明やメンバー一人一人の仕草、そして今までのライブのセットリストと比べてどうだったかに至るまで、彼もまた興奮した様子で熱く語る。
「あとあの新曲も良かったよね。アイシクルラヴァーズのすぐあとにやったやつ」
それを聞いて彼がニヤリ、と笑った。かと思うと待ってましたと言わんばかりにしたり顔で語り始める。
「えっ!?あれって新曲じゃないの!?」
どうもタヌキのいう新曲は新曲ではないらしく、ちゃんと『ウォーターガールズ』というタイトルもついているらしい。以前海洋系のアニマルガールを対象にコウテイがウォーターガールズというグループを結成した時に、そのイベントの限定ライブのアンコールで一度だけ披露されたという今や知る人ぞ知る伝説の名曲なのだというのだ。
「そ、そうだったんだ。くぅ……!知らなかった」
タヌキが悔しそうに項垂れる。
感想は幾ら語っても語り足りないくらいだった。 気が付けば会場を出た時には真っ赤だった夕日も、今は最後の輝きを放つように静かにその影を潜めようとしている。向こうに見える大きな観覧車がオレンジと藍色の鮮やかなグラデーションで彩られていた。
ふとタヌキが足を止める。
「……私ね、今までずっと一人でライブに行ってたからこうやって誰かと感想を言い合うのがずっと夢だったんだ」
少し見上げた彼の顔から蜂蜜を塗ったような
誰かと好きな何かを共有するということ。それがこんなにも楽しいものだとは思ってもみなかった。 ただ感想を言い合ったり、一緒に食事したり、こうやって隣を歩いたり――。好きな人と同じ時間を共有することがこんなにも素晴らしいものなのだということを彼は教えてくれた。
人も動物も、誰だってひとりで生きていけるほど器用ではないし強くもない。何よりそれは辛いし大変なことだ。
「だからね……。私園長さんと出逢えて本当に良かったって思えて……」
まっすぐに彼の目を見つめる。黒く大きく、見ているだけで吸い込まれそうな瞳。その瞳の中に自分の緊張で震えた姿が映っている。気詰まりしそうな沈黙の後、ゆっくりとタヌキが言った。
「私、あなたのことが」
しかしその先に続く言葉は、突然上から投げかけられた「おいお前達」という言葉にかき消されてしまった。
「だっ誰!?」
頭上を見上げる。薄暗くなった夕闇の空に紛れてギラリ、と四つの目が光った。それを確認すると同時に音もなく頭の羽を動かし、静かに目の前に降り立ったのは背格好のよく似た二人組のフクロウだった。
「コ、コノハちゃん博士と……ミミちゃん助手!?」
「何こんな往来のど真ん中でイチャついてやがるですか」
「パークでの不純異性交遊は禁止してるですよ」
「ふ、不純!?」
その言葉にタヌキの顔がボン、と一気に紅潮する。ようやく冷めかけていたライブの予熱がまた元に戻ったようだった。「どうしてここに」という問いに二人が答える。
「実は今、PIPライブの半券を観覧車のチケットと無料で交換しているのです」
「ここはちょうど遊園地エリアとアリーナの通り道になっているので、ここで待っていれば自ずとお前らに……じゃなくて観客にこのチケットを渡せるという寸法です」
「まったく、PIPも人使い……じゃなくて鳥使いが荒くて困ったものです」
博士の気怠げな呟きに「そうですね博士」と助手が相槌を打つ。
詳しい話を聞くと、どうも前回のライブのお詫びも兼ねてPIPから観客への粋なプレゼントということらしい。説明しながら助手のワシミミズクが懐から取り出したチケットをひらひらさせている。表情一つ変えずに
助手がぐいっと顔を近づけて耳元で囁く。
「ほら、これがあれば園長もお前の告白にイチコロなのです。二人して空の上で愛の讃歌を高らかに歌い上げるのですよ」
「も、もぉ!二人が邪魔しなかったら言えたかもしれないのに……」
「まぁまぁ。ここまでお膳立てしてやったんだから有り難く受け取るのです。男と女、密室、空の上。何も起きないはずがなく……というやつですよ」
「余計なお世話だよぉ!」
タヌキが声を荒げる。思わぬ人物の登場により、タヌキの気持ちはそこで緊張の糸がぷつっと途切れたようにリセットされてしまった。二人の邪念に満ちたアドバイスを払い除けるように首を振る。
彼女らの言う空の上での告白――。しかしふと考えてみるとそれも悪くないな、と思った。
それに二人だけの空間ともなればこうやって誰かに邪魔されることもない。ジャパリパークの夜景をバックに告白する、というのは何だか映画のワンシーンのようで想像しただけで心が踊り出しそうになる。
強いて言えばタヌキは実際に観覧車に乗った経験がないのだが、そんな一抹の不安を補って余りある位には魅力的であると感じた。
そんなタヌキをよそに、博士はひょいと半券を取り上げると観覧車のチケットをその手に持たせる。隣りにいる園長にも「ほら、これを持ってさっさと行くのです」とチケットを渡している。観覧車無料券、と書かれたチケットの隅には小さく手書きで『いつも応援してくれありがとう、これは私達からのささやかなお礼です PIPより』と綴られていた。まさかこれを一枚一枚彼女達は書いたというのだろうか。そう思うと胸に込み上げてくるものがあった。
「それより早くしないと、間に合わなくなっても知らないのですよ」
「えっ?それってどういう……」
その時彼が、あ、と声を上げる。チケットと腕時計とを交互に見ながら叫んだ。あと十分、と。
「そういうことなのですよ」
博士が笑った。
彼と顔を見合わせる。どうやらここまで来るのに結構な距離を歩いてきたらしく、先程まで遠くに見えていた観覧車も今では随分と近くに感じられた。今から走ればまだ間に合うかもしれない。彼もまた同じことを考えていたのか無言で頷く。
「健闘を祈るですよ」という博士の呑気な声を背中に受けながら急いでその場を後にする。
途中彼が本気か冗談かわからない声でまた抱っこしようか、と訊いてきたが、肩で息をしながら「大丈夫」とだけ答えた。余裕の無い自分が余裕ぶって返事をしたその大丈夫、という声だけが白々しく聞こえて自分でも苦笑してしまう。
大丈夫。お楽しみはまだこれからだ。
◇
タヌキ達が行ったのを確認して博士と助手が顔を見合わせて囁く。「かかった」「かかりましたね」と。すっかり日も落ちて暗くなった薄闇の中、その声だけが不気味に
「これでようやく舞台が整いました。園長にはこれまで随分とお世話になったのでこれでようやく“恩返し”ができるですよ」
「私達がまさかこんな“さぷらいず”を計画してるなんて露ほども考えていないでしょう。二人だけで楽しもうなど、絶対に許さないのです」
「助手の言う通りなのです。こんな面白そうなこと、放っておけませんですよ」
博士がニヤリとその口元を緩める。それに倣い、助手も微かに笑みを浮かべる。まるで全てが自分達の思いのまま動いているというような、確信に満ちた微笑だった。
博士が「さぁ私達も現地に向かいましょう」と荷物を抱える。
フクロウの翼は特殊な構造になっており、その羽音が外に漏れるということは普通有り得ない。
だからその時聞こえたバサリ、という大きな羽音は二人にとってまさに異常事態を告げる音に他ならなかった。
「ヘイ博士!そんなに急いでどこへ行くつもり?」
「お前達は……」
後ろからかけられた声に博士が振り向く。漆黒の闇の中に交わることなく、そこだけ切り離されたように白銀の長髪が浮かび上がって風になびいている。羽音の主はハクトウワシだった。
彼女がもう一度闇を裂くように翼を羽ばたかせる。こちらとの距離は少なくとも数十メートルは離れているだろうに、まるで目の前で突風が吹いたかのような衝撃が二人を襲った。
それが合図だったのだろう。気が付けば両脇に二人、後ろに二人と四方を囲むようにしてフレンズがぞろぞろと出てくる。その右翼と左翼を固めるのはハクトウワシ率いる『スカイインパルス』のメンバー、ハヤブサとタカだ。
「ここで博士と助手を足止めする。……それでいいんだろう、我等が参謀」
「ええ。問題ないはずよ」
参謀、とハヤブサから呼ばれたタカが自信に満ちた表情で答える。そして呼びかけた。
「そうよね、コモモ?ライチョウ?」
「うふふ……。ありがとうスカイインパルスの皆さん」
「そうですよ!タヌキちゃんと園長さんのデートを邪魔しちゃ……めーなんですからねー!」
迂闊だった。
油断していたと言ってしまえばそれまでだが、それを認めることは森の賢者としてのプライドが許さない。
瞬時に理解する。
自分達は“奴”に嵌められたのだ。
「むぅ……。どうやら博士と助手の日頃の行いが良すぎるせいで色んな方面から誤解を買っているようなのです」
「そんなことより早くしないと園長とタヌキのキャッキャウフフなシーンに間に合わなくなってしまうのですよ」
「そうはいかないわよ!」
博士と助手の会話にハクトウワシが割って入る。
「この先を通りたければ私達を倒してからにしなさい。……もっとも、倒せたらの話だけど」
「ホゥ……。あくまでこの天才博士と天才助手に楯突くつもりですか。いい度胸です」
「助手を怒らせると怖いのですよ。ワシミミズクのワシ的部分が火を吹くですよ。しゃー、ですよ」
助手が羽を広げて威嚇するように前に出る。
「ああ、あれは、ミミちゃん助手の秘技『ワシが卵を温める時の構え』……本気なのですね、助手」
呟きながら博士は彼女に背中を預ける。闘気の塊と化した助手はふーふーと荒い息を立てて今にも目の前のハクトウワシに襲い掛かる勢いだ。
しかしここでふと博士にある一つの考えが浮かんだ。
この絶対的不利な状況を根底から覆し、かつ自分達の手を汚さず、当初の思惑通りに事を運ぶことのできるまさに一石三鳥の悪魔的発想を。
「うむ……。良いことを、閃いた」
「博士?」
「ちょうど二人だけでは人手が足りないと思っていたところなのですよ。おい、お前達、今からこれを言われた通りの場所に持っていくのです」
そう言って博士は背中に担いでいた荷物を、ようやくといったようにゆっくり下ろした。ごと、と鈍い音が地面を伝わる。一瞬怪訝そうに顔をしかめた助手も、あぁなるほど、と言ったようにすぐに頷きそれに倣う。こういう時の助手は察しが良くて非常に助かる、と博士は思った。
「良いですか。これはヒジョーにキケンなシロモノなのです。取り扱いにはくれぐれも気を付けるのですよ」
そう言って荷物に掛けられていた布を一気に取り払う。その場にいた自分達以外の全員がはっと息を呑む音がはっきり聞こえた。
鉛色の大きな筒がこちらを覗いていた。
◇
観覧車の前に着くとそこには既に誰の姿も見えなかった。もうこの時間帯の人達は皆乗ってしまったのだろうか。もしかしたら受付自体終了してしまっているのかもしれないという嫌な予感が頭を過る。
視界を覆うようにずっしりと構えた観覧車は、近くで見ると想像以上に迫力があった。そこに連なるようにして並んだ色とりどりのゴンドラが一つ、待ち焦がれるように口を開けて佇んでいる。そしてその横では二人組の係員が今にも扉を閉めようとしていた。呼吸を整える暇もなく慌てて声を上げる。
「待って下さい!私達も乗ります!」
その声に気付いた係員の一人が怪訝そうにこちらを振り向く。帽子を目深に被った、タヌキと同じくらいの背をした小柄な女性だった。「チケットはー?」と訊ねられ、急いで握りしめていたチケットを彼のものと一緒に二枚渡す。
「はいよー。二名様ごあんなーい」
すると特に確認する様子もなく、拍子抜けするくらいあっさりとした声が返ってきた。どうやら間に合ったらしい。そのままもう一人の係員に促され二人で向かい合うようにして席に着く。椅子に座る感覚がやけに懐かしかった。
「いってらっしゃいませなのだ!」
ガチャン、と勢いよく扉が閉められる。一瞬どこかで聞いたことのある声と語尾だったような気がしたが、扉で隔てられた二人の係員は深く被った帽子を上げることなくこちらをただ見守っているだけで確認する術はなかった。
◇
「さーて、じゃあ私達も向かうとしますかー」
タヌキと園長を見送ったあと、係員の一人が被っていた帽子を取った。それまで隠れていた大きな耳が二つ、ドロンと正体を明かしたように現れる。
そのままついでにこの厚ぼったい制服も脱いでしまえればどんなに楽だろうか。しかしこの後に待ち構えている一大イベントのことを考えるとそうもしていられない。
取るものも取り敢えず、早足で階段を下りているともう一人の係員が彼女を呼び止めた。
「フェネック、博士達を待たなくていいのか?」
フェネックが足を止めて振り返る。
「ん?あー、博士達はきっと今頃コモモ達が食い止めてくれてるはずだから大丈夫だと思うよー」
「なにぃー!?それじゃあ二人はせっかくのタヌキと園長のラブシーンが見られなくなってしまうのだ!」
「アライさーん。タヌキはいきなり密室でおっ始めるほど度胸はないよー」
一体どこでそんな単語を覚えたのか、ラブシーンという言葉がアライグマの口から出たことにフェネックは思わず吹き出しそうになる。
階段を下りた先の茂みに入ると、すぐに「遅いですよ!」という声が二人を出迎えた。
「やーごめんごめん。タヌキ達が予想以上に遅刻してきてさー」
「あれ?どうしてここにベリーがいるのだ?確か予定では“先生”が……」
「あー……チーターさんは昼間の無理が祟って今は自宅療養中です」
なので代わりに私が来ました、とベリーが得意げに眼鏡をくいっと上げて言った。とにかく、と続ける。
「今は二人を追いかけることを優先しましょう。これで観覧車の上まで行くの結構大変なんですから……」
「おぉ!それはいつぞやのスカイレースで大活躍した、ハイパースペシャルグレイトデリシャスアライさんだーばーど2号!!」
いつの間にそんな大仰な名前を付けたのか、そしてそれが恐らく今咄嗟に付けたものなのだろうと何となく察する。
林の中から現れた台座の三つ付いた、足漕ぎ式の飛行機。その先頭にアライグマ、次いでフェネック、ベリーとそれぞれが位置についていく。
「そいじゃアライさん、あとは運転よろしくねー」
「まっかせるのだ!ふぉおおおおおお!!!」
アライグマの叫び声がエンジンとなり、飛行機が息を吹き返したようにぐわん、と加速する。アスファルトを切りつけるタイヤの音がリズミカルに等間隔で鳴り響き、それが次第に短くなっていく。風切り音が心地良い。
次の瞬間、ふっと重力から解放された不思議な感覚が宿り、それが離陸の合図なのだと悟る。
そうやってみるみるうちに離れていく地面を、フェネックはどこか所在なげに眺めていた。
博士と助手が何やら良からぬことを企んでいる、とベリーから聞いたのはフェネックがまだタヌキに本当のことを打ち明ける前だった。そして彼女達の言うXデーが恐らくPIPライブの日、つまりタヌキが園長に告白するであろう今日だということも何となく予測がついていた。
しかし博士と助手という二つ名は伊達ではなく、パークであの二人の頭脳に敵う者は殆どいない。恐ろしく悪知恵の働く彼女達のこと、流石にタヌキの告白を台無しにすることはなくても何かしらのサプライズは仕掛けてくるに違いない。セルリアン程度で気絶しているタヌキにとって、サプライズはきっと今の彼女の意志を削ぐのに十分過ぎるものとなるだろう。そうなってしまったらここまで尽力してきたフェネックの努力と苦労が水の泡となってしまう。
そこでフェネックは一計を案じた。
ならば逆にこちらから彼女達を近づけさせればいいのではないか、と。
PIPのリーダー、コウテイから『私達をずっと応援してきてくれたあの二人に』と譲り受けた二枚の観覧車のチケットを出しに、彼女は賭けに出た。
二人としても怪しまれずにタヌキと園長に近づけるのは好都合だと踏んだのだろう。難なくフェネックの『タヌキと園長にチケットを渡す役になって欲しい』という要求を呑んだ。あとはタヌキが告白するまでの間、コモモらに協力してもらって時間を稼ぐ、というのがフェネックの作戦だった。
実際ここまで博士と助手の手が来ていないのを見るに、フェネックの読みは当たったということだろう。
彼女の不敵な笑みが尾を引いて、闇に消えた。
◇
「た、たたた高いね……」
ちょうどゴンドラが動き始めて半分辺りを通過した頃、ようやく口から出てきた言葉がそれだった。 観覧車の中は思っていたよりも狭く、二人が向かい合って座るとお互いの足が触れそうになるほどの小ささだ。
初めて体験する地に足のつかない感覚、奇妙な浮遊感、そして園長と二人だけの閉ざされた空間。胸を鷲掴みにされたような圧迫感は絶えずタヌキにプレッシャーをかけてくる。遠くに見えるパーク・セントラルの温かな輝きですら、今のタヌキには視界の端で追うのが精一杯だった。
風が吹く度にがたがたと車体が揺れ、ともすれば吹き飛ばされてしまうのではないかという不安に駆られる。「落ちたりしないよね、これ……」という半ば本気のタヌキの問いかけにも、園長はただ「臆病だね」と嫌味なく笑って答えるだけだった。
「お、臆病なのはタヌキの習性だからいいの!」
習性?と彼が
「わ、私達タヌキはね……ちょっと驚いたりすると身体が強張っちゃってその場から動けなくなっちゃうんだ」
彼はタヌキの話を興味深げに聞いていた。
自分の習性を話すというのは中々に恥ずかしいもので、しかし余りにも彼の食いつきがいいので話題を変えることもできず仕方なくその先を続ける。
「えっと……基本的にタヌキは好き嫌いがあんまりなくて何でも食べるから縄張り争いもしないし、普段は皆仲良しなの。お家もアナグマちゃんの掘った巣穴を借りたりしてよくばったり顔を合わせたりしてたな」
これが同じ穴の
普段は彼から物事を教わることの方が圧倒的に多いのに、今日はどういうわけか立場が逆転していることに気付き少し新鮮な気持ちになる。なるほどこういうのも悪くない。
観覧車の中で彼と二人きりで話している内容がタヌキの生態、というムードの欠片も無いこの状況に心の中で思わず苦笑してしまうが、彼と夢中で話しているうちにいつの間にか恐怖心は消え去っていた。
そこではっとする。
もしかしたら彼は初めからタヌキの恐怖心を和らげる為に話に興じていたのではないだろうか。そう考えると、彼のどこまでも他人を想う優しさに胸が一杯になった。
観覧車がいよいよ頂上に差し掛かろうとした頃、ふとタヌキと園長の間に沈黙が流れた。特にお互い話すことがなくなったというわけでもなく、とても自然な流れだった。がたがたと揺れるゴンドラと風の音だけがうるさいくらいに耳元で喚いている。
彼の真剣な眼差しがタヌキを正面から射止めていた。本当は暗くて見えない筈なのに、その瞳の奥にしっかりと自分の姿が映っていることを確認する。
短い息を落としたあと、タヌキもそれに応えるようにその双眸を彼に向けた。
飾らず、ありのまま、いつのもように他愛の無い会話ができるということ。これがどれ程幸せなことなのかタヌキは知っている。痛いほどよく理解している。
彼と言葉を交わす度に、この時間が一分一秒でも長く続きますようにと祈り、願ってきた。
彼と一緒に初めて食べたジャパまんは、いつもと同じ味なのにまったく別のものに思えて、涙が出るほど美味しかった。
彼の名前を心の中で呟く度に、心をくすぐられるような気持ちに駆られ、何度も何度もその想いを筆に乗せて綴った。
彼を守りたい、そう思うより先に身体が動いていたあの日、うまくはいかなかったもののそのお陰で今では沢山の新しい仲間ができた。
あなたが好きだから。
あなたがいてくれたから。
その一心で――私は強くなれた。
「あ、あの、タヌキは決めた相手とずっと一緒に暮らす、の……」
静かに息を吸う。そして、言った。
「だ、大好き……大好きだよっ!園長さんはもうずっと、ずっと一緒、一生離れないよ……」
その時ドーン、と頭上で大きな花火が上がった。
夜空一面を覆い尽くすように、桜色の花火が綺麗な弧を描いて弾けた。その一発に続くように、次々とヒュルルルル、とか細い音が上がってはパラパラと色鮮やかな花を咲かせていく。
彼はただ黙ってタヌキを見つめていた。夜空を彩る花火には目もくれず、ただ黙って、ひたすらタヌキから目を離そうとしなかった。
彼の顔が一瞬照らされては、また消えて。その様子を、タヌキもまた同じようにただ黙って目を見張らせていた。どれだけ目を凝らしても彼の表情は読み取れず、驚いているようにも、困惑しているようにも見えた。
彼が何かを言おうとその口を開きかけた時、ごん、という鈍い音がゴンドラを揺らした。風ではない、何かがぶつかった音だ。
あ、という声と共に、タヌキと園長が揃って窓の外を指差した。
「コ、コモモちゃんにライチョウさん!?」
「あら……見つかってしまいましたわ。ライチョウさんがぶつかるから……」
「いったぁーい!コモモさんが見えないからもっと上に……って暴れるからおでこぶつけちゃったじゃないですかぁ!そもそも私、こんな重いもの持って飛んだことな……」
「何か言った?」
花火の明かりに照らされてコモモがいつもの微笑を浮かべながら手をひらひらと振っている。そして彼女を脇に抱えたライチョウがその顔を痛みと重さで歪ませていた。
一体どういうことなのだろう。何故この二人がここに、という疑問を持つより早く、その奥に見覚えのあるシルエットが近づいてくるのが見えた。
「別に博士はせっかくの“さぷらいず”を喜んでくれているかどうか間近で確認しに来ただけなのですよ。だから決して野次馬などではないのです」
「まったく、お前のせいで大変な目に遭ったのですよ」
「やー、私はてっきり二人がよからぬことをしでかすんじゃないかと踏んでたんだけどねー」
「すみませぇん!完全に私のリサーチ不足でしたー!」
「ぜぇ……ぜぇ……。やはりアライさん一人で漕ぎ続けるのは厳しいのだ」
まず真っ先に目についたのがついさっき別れた筈の博士と助手だった。そしてその横を足漕ぎ式の飛行機が並走している。そこにいたのは係員の制服を着たアライグマとフェネック、そしてベリーだった。
一人わっせわっせとペダルを漕ぎ続けるアライグマをよそにフェネックが憎らしいまでの笑顔で帽子を振っている。
その姿を見た瞬間、やられた、と思った。
彼と顔を見合わせる。「何か、私達らしいね」という諦めにも似た笑いがお互いの口から漏れた。
窓の外では絶えず無数の輝きが光を放ち力強く瞬いている。
だが今は、今だけは――。
少しうるさいその光達の祝福に目を瞑り、目の前の幸せを享受しようとタヌキは心に誓った。
桜色の丸い花火が、二人を包んでいた。
ぽんぽこタヌキのラブコメディ こんぶ煮たらこ @konbu_ni_tarako
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