1話・黒の剣士と白髪の少女

 街路樹が並ぶ道。

 何かを求めるように蝉が大合唱を続け、それを遮る音がないためか、今では蝉の声だけが町中に響いている。


 道の中央に乗り捨てられた車の数々。横転している大型トレーラー。折れた街頭に、店の中に突っ込んだ事故車両。それを処理する人間の姿はなく、床に粉々に割れたガラスが散乱し、乾いて黒くなった塊。腐臭とハエが飛びまわる死体が、この場でなにが起きたのかを物語っていた。


「これが、他人を見捨てて己の保身に勤しんだ奴の末路か……哀れだな」


 この日――町中を歩く男性の姿が久しく確認された。

 腕まくりされた黒い服。黒いGパン。腰にはボトルホルダーと小さなベルトポーチを3つ携え、左耳には小さく煌めく黒いピアスをしている。その中でも、なにより目を引くのが、背中には背丈よりも長い刀。

 その姿は、かつて世間を賑わせた《漆黒の剣士》を思わせる。


 化物が支配する外の世界を、1人で歩くことは自殺行為。

 それを理解していないのか、理解したうえで行動しているのか定かではないが、青年の堂々とした姿と表情から――おそらく後者であろう。



 この男性の名前は坂井大和。

 化物の世界となるウイルスを開発した坂井大祐の息子であり、ウイルスのを投与して、不治の病から解放されただけでなく、不老の力を得た人物である。



 世の中に化物が現れたのは2年前。

 3年前の嵐の夜に奪い去られたウイルスは、病で死ぬことはなく、不老の力さえ得るとあって権力者や金持ちに飛ぶように売れた。


 しかし――あの日奪い去られたウイルスはのものだった。


 そのウイルスを投与したものは、初期症状の意識障害を起こした後、目を覚ました途端、狂ったように暴れだし、人々を襲う化物と化した。


 化物は不老の力を得たからといって、不死の力を得たわけではない。

 政府は軍隊を派遣して化物を殲滅させることに成功したが、その殲滅したことこそ地獄の門を開ける結果になってしまった。

 化物の血液に流れるウイルスが外気に触れることで気化し、殲滅を行った軍人は次々と感染。野放しにしておけば殺される。殺せば空気感染で化物になるとあって、対応は遅れて感染は拡大。政府の要人たちは国民を見捨て母国を離れ、今では化物がうろつく国へと変貌した。


 しかし――空気感染しない者も存在している。

 厳密に言えば、空気感染はしているが化物に豹変していない人間である。


 大祐は《ALS(筋萎縮性側索硬化症)の薬》を目標として、このウイルスを開発した。手渡されたものは、まだ試験段階であったが、大和に投与されALSが完治したことから、大祐のウイルスは完成していたといえる。


 奪い去られたウイルスは、ではあるものの、不治の病を治す薬とあって常人には猛毒となる……が。なんらかの病気を抱える者だけに治療薬として作用し、化物になることはない。


 この作用が、開発段階で生み出されたものか、ウイルスが流出したことの対策として用いられたのかは、大祐だけが知ることであり、今ではその真意を知る術はない。



 大和は歩みを止め、裏路地を見つめた。

 その先では、外に設置された大型の教務用ゴミ箱に群がる化物の姿。

 化物の話を聞いていたが、実際に遭遇したのは、これが初めてのこと。

 もはや、人間だったと思えぬ異形の姿に気分が悪いのか、逃げなければ襲われる恐怖心に支配され、体を動かすことが出来ないのか、大和はただただ見つめ続けていた。


 1人の化物が大和の存在に気付き、雄叫びを上げる。

 その雄叫びの声量は徐々に大きくなり、群がっていた化け物は、乗り捨てられている車を跳び越え、涎を垂らし、ウジと何かの肉が挟まった黒い歯を剥き出しにしながら、大和へと近づく。


 不老になったからといって、不死ではない。

 化物は自我を失ってはいるが、生物の本能が残っているのか、栄養を摂取するために他者の血肉を貪り喰らう習性があった。


 しかし――不死ではない。


 町に響いていた化物の雄叫びは、今では蝉の声しか響いておらず、太陽光で熱せられたアスファルトに広がった赤い液体からは、湯気が昇っていた。


「あんな物を叩いて、なにをしていたんだ?」


 蝉の大合唱の中に、鍔鳴りの音が調和する。

 大和が刀を振ったのは1回。それをどのように振るったのかは分からないが、地に伏せた化物の死体は、腹部の位置で体が2つに別れていることから、恐らく横に振ったと思われるが、7人の化物を1振りで殺した方法は謎である。


 大和がゴミ箱を開こうと手を伸ばすと、大和が触れる前に、ゴミ箱の扉がわずかに開く。その刹那――大和は刀を掴むが、わずかに開かれたゴミ箱の扉はすかさず閉まった。


 大和は首を傾げながら、ゴミ箱を開く。

 その中には、ゴミ袋に紛れて白髪の女の子が身を丸めながら、頭を抱えて体を小刻みに震わせていた。


 蝉の大合唱が響くなか…。

 大和は黙って震える少女を見つめ続け、少女は恐怖で顔を上げることができないのか、ただひたすら震え続けた。

 その異様な光景がしばらく続いたが、少女がゆっくりと顔を上げる。


「お兄ちゃんは……人間なの?」

「人間ではないな」

「でも、怖い怪物と違って体が腐ってないよ?」

「そうだな」


 少女は大和を人間だと思ったのか、ゴミ箱から出る。

 少女は先に転がっている化物の死体を見ると、死体を指差しながら口をパクパクとさせ、死体と大和を交互に見るが、大和は喋ることなく、少女の頭に乗っているスイカの皮をつまんで、ゴミ箱に入れる。


「お兄ちゃんが倒したの?」

「そうだな」

「お兄ちゃんって強いの?」

「あいつ等が弱いだけ」


 死体を見つめる大和。

 そんな大和を、もじもじしながら見つめる少女。


「一緒に来るか?」

「うん!」

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