No,16 Moody of causes other than pepper wife.Ⅰ

 お花畑を歩いて行くと、また城の近くに着いた。だが、そこには城の兵のトランプ兵はおらず、ましてや女王も使用人のジャックも、あの白うさぎでさえも居なかった。

 代わりと言えるかは分からないが、向こうから何かブツブツ言いながら歩いてくる一人の女性。

「……たくっ、あの白うさぎめ……私が牢にいるのをいいことにいたぶりやがって……今度こそ捕まえて、あの無駄に良い顔を原型無くなるまで殴ってやるんだから~」

 白うさぎに殺意しかない。

「あの……こ、公爵夫人? ご、ご機嫌麗しゅ……う」

 たいへん話しかけづらかったのだが、話しかけると公爵夫人は目の前にいたアリスを見て会釈した。

「ご機嫌麗しゅう、アリスお嬢さま~」

「あれ、私の名前覚えてくれていたんですね」

「当たり前じゃない! 私は名前を覚えるのは得意なの。あの物覚えが悪くてちょくちょく私を伯爵夫人だとか、胡椒夫人だとか呼ぶ白うさぎと同じにしないで~。そして、私に白うさぎを思い出させないでぇ~」

 最後の提示はアリスにとって不可抗力である。公爵夫人はついつい白うさぎの話をしてしまうのだから。

「まぁ、お気になさらなくてよ~。私は機嫌がとても良いの。何故だか分かる~?」

「え……うん……?」

「牢から出してくれたのが貴方だって聞くじゃない~。本当にありがとう~」

 そういう話になっているのか、とアリスは思っていた。どっちにしても公爵夫人は機嫌がよさそうだ。白うさぎの話さえ出さなければ、話を聞いてくれそう。

 でも、この人に『黒幕』を聞いた場合帰ってくる返答は百パーセントの確率で『白うさぎが黒幕に違いない』であるだろうからその質問をするのはやめた。

「公爵夫人は何故ここに?」

「あぁ、私は城から出て私のお家に帰るつもりなのよ〜。でも迷ってしまったのよ〜。そうね〜。暇つぶしと言ってはなんだけど、アリスは『クローケ』に興味はなくて?」

「クローケ?」

 アリスは聞き返した。

「クローケってなんですか?」

「あら、知らない〜? まぁ、私もよく知らないのよ〜。でもほら〜」

 公爵夫人は近くを指差した。そこには赤いバラに彩られたアーチの奥に広いコートが広がっていた。

「面白そうじゃない〜? フラミンゴは貸し出しオーケーということだから、しばらく遊びましょう〜」

「えっ……ヒヤァッ」

 グッと腕を掴まれ引っ張られた。そのままアリスは公爵夫人に連れてかれる。

 その時だった。

「メアリーアン、こんな所にいたのか」

 それは紅い左眼にモノクルをかけた――白うさぎだった。

「あら、白うさぎ〜。何の用〜?」

「御機嫌麗しゅう、公爵夫人。君はさっさと失せればいい。僕の前に顔を出すな?」

 ピシッと何かが割れる音がした。それが目に見えない空気であることに、アリスは遅れて気づく。

「あらやだ〜、白うさぎもここへ何の用〜? それにこのお嬢さんは貴方の可哀想な召使のメアリじゃなくてよ〜?」

「公爵夫人、僕は何も召使に暴言を吐いたことはないんだよ。だから、君が言う『可哀想な召使』という言い分には感心しないなぁ。召使は召使さ。使わなくて何が悪い。使えるから召使なんだ。使えない召使はいらないが、あの子は使えるから置いているんだよ」

 白うさぎは笑顔のままそれを言い切ったが、公爵夫人も負けていない。

「貴方の後ろに支えている男も〜、貴方のコロコロ変わる命令に飽き飽きしているんじゃないかしら〜?」

「パットとビルのことかい? いいんだよ。僕はこいつらの主人なんだから、仕事を与えているだけマシさ」

 それより、と白うさぎが言う。

「君のところの召使だって、魚みたいな顔のやつとカエルじゃないか。ああ、君が癇癪で投げて飛んでくる皿にいちいち驚かないのは評価したいところだね。それに君のところのあの胡椒ばかりかけているシェフは今どこにいる? それに君の豚みたいに鳴く赤ん坊も見当たらないなぁ。あの僕を監視し続ける薄汚いチェシャ猫は? そろそろ言いがかりもいいところだ。僕を監視して何が楽しいのか。彼らはどこにいる? ほら、答えてごらんよ――胡椒夫人」

 その瞬間、白うさぎの鼻先に何かが飛んだ。白うさぎはひょいっと避けて素早くしゃがみ、そのままのスピードで公爵夫人の足を伸ばした自分の足で払う。たちまち公爵夫人はバランスを崩し、スルッとアリスを掴んでいた手を離した。白うさぎはそれを見逃さず、アリスの手を掴んだ。アリスの体は重力が引っ張られるまま前のめりになり、白うさぎは右手にアリスを抱き抱え、左手で倒れかける公爵夫人を地面に着く寸前に手を掴み受け止める。

 その間一分もなかったが、白うさぎは息乱れることなくそっと二人を地面に立たせた。

「どうです、公爵夫人。散々罵った相手に助けられる気分は。さぞや、慈しみのある感謝の言葉でもあれば僕は文句を言いませんよ」

「感謝と言ったって貴方がナイフを避けるから悪いのよ〜。それにレディを助けたつもりなら、感謝はしないわ」

「そうですね。僕は紳士ですが、貴方をレディと思ったことは一度たりともありませんのでご了承ください」

 白うさぎはハハッと乾いた笑い方をする。

「えっと、あの……」

「あぁ、ごめんね。お嬢さん」

 白うさぎはパッと手を離し、アリスの顔を覗き込んだ。私が彼に抱き抱えられて一気に心拍数が上がったのを、彼が気づいて離したのかは知らない。

 私の心臓が勝手に体温を上げただけだ。

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