心の空模様

 殆どの生徒が帰ってしまったので僕が階段を降りる音もコツコツと響き、さっきの教室の五月蝿さを忘れさせるほどの静寂が校舎に広がっていた。

それはまるで自分以外誰もいなくなったのではないかと思わせるような空気感すら醸し出しているようにも感じる。一階に出てもその雰囲気は変わることなく、何処かからか梅雨特有の湿り気と寂しさを湛えた風が顔を撫でた。

また暫くしないうちに降り出してきそうだな。折り畳み傘を持ってきておいて正解だった。誰かのように傘なしで逃げ帰るタイミングはもう過ぎてしまったらしい。

最近では地球温暖化のせいもあってかコロッと天気が変わってしまったり、局所的に豪雨が降ることが割と多くなってきている。台風が来て学校は休校になったりするとみんな諸手を挙げて喜んだ日もあった。これが夕方に来ると逆に掌返しでブーイングが起こるのだから、台風も難儀なものだ。

踊り場からいつか見たグレーの雲が再び顔を覗かせていた。

 ふと下駄箱のある玄関に差し当たる直前に閑散とした校内の空気を破るドアの音がしたことで凪であった意識に波紋が生じ、反射的に音がした方向を向いた。

よく考えれば生徒は下校するが、教員が学校に残って作業を行うのは当たり前か。先生たちは朝は生徒より早く出勤し、日中に生徒の授業、帰宅は授業後に次の日の用意や作業を終えてからだ。

もしかしたら教師という仕事は世の中でも屈指の多忙な職業なのではなかろうか。

 そのような考えとは裏腹に一人の女子が保健室から出てきた。この学校は学年ごとに上履きの色が固定されているのでその女子が見た瞬間同じ学年だということが分かったのだが、なにぶん自分で行ってしまうのもなんだが人付き合いや顔の広さなんてお世辞にも広いとは言えないので仕方がない。

一学年の人数自体200人ほどの人数がいるこの学校ではこのように同じ学年でも顔と名前が一致しないのはそんなに珍しいことではない、はずだ。

 そんな自分のコミュニティの狭さを再認識していると、さっきいたはずの同級生もいつの間にかいなくなってしまった。そんなこととは無関係に気づかぬ間に曇天は雨を降らせている。早く帰ろう。




学校最寄りのバス停が見えてくる頃には、雨脚もより強くなってきていた。

植え込みがある歩道を進んでいくと、バス停の屋根の下にはまだバスを待っている同級生や先輩、後輩の姿も見えた。雨の日特有の土と雨がぐちゃぐちゃに混ざった匂いがする。

「よう、やっと来たか。」やはり藤岡はまだバスに乗っていなかったらしい。

この雨の中バス停まで濡れずにたどり着くのが限界だったのだろう。

「どうせ傘がなくて帰れなかったんだろ、結局。」

「ご名答、もうすぐバスもくるよ。」

僕と藤岡は隣の市から通っているので、バスでこのまま学校の最寄り駅まで行き、二駅ほど電車に乗ってから、家まで歩くという通学方法をとっているので、この雲の様子では藤岡は濡れずして帰宅は不可能だ。それなので、たびたびこのように仕方なく傘を共有しなくてはならないときがある。

「お前、今回で何回目だよ、傘忘れるの。いい加減なぁ・・・」

「まぁまぁ、一緒に帰れば万事解決!」

もう反省を促せるレベルではないらしい。これに答えてしまってはまた同じことになる。



家に着いてからは、特にこれといったことも無く粛々と読書を満喫することができた。両親は共働きなのでこうやって僕が早く帰った日は家には一人になれる。

シトシトと降りしきる時雨によって我が家には完全に雨音以外の音がなく、本を読み終わった今となっては何か釈然としない感じになっていた。

地下洞窟に迷い込んでしまったみたいに僕はなぜか心細くなった。

ひとりの時間には慣れているつもりでいたし、まずもって、僕は一人の時間が好きだ。きっとこれは雨音以外の音という音を持ち去ってしまった今日という日のせいだ。

 そんな内心で自分対自分の問答をしていると、ポストの開閉される音がした。

きっと予備校か大学のパンフレットだ。そう思いながらも手持無沙汰な僕は玄関へと向かった。


ポストを開けると、案の定予備校のパンフレットが入っていた。と、さらに丁寧にしたたまれたであろう便せんが一通、雨風で経年劣化した我が家のポストには場違いなほど白く静謐な雰囲気を放って入れられていた。






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凪の日々から らくがき烏 @tail

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