終章 遠い未来
ファイルに書かれた出来事は、全く時系列順にはなっていなくて《私》は戸惑った。ある程度整理したつもりだが、つなげ方が間違っているかもしれない。
「それにしても……」
これは真実なのだろうか。あの衛星から回収されたものが彼女たちであるのだろうか。
いや、そんなことよりももっと重大なことがある。
慌ててネットワークに繋ぎ、ある情報についてかき集めた。
「……」
てっきり消されているだろうと思っていたのに、それらはいとも簡単に見つかった。それらは自動的にコピーされ、増殖していく。
――まるで生物みたいだな。
そんなことを思いついて苦笑いを浮かべる。そこに意思はあるのだろうか。あるとすれば、生物とみなせるのだろうか。その機構自体が、生物を生み出す役割を担っているというのか。
「まさか、な……」
それは増殖し続ける。侵食し、共有し、他者を自分としてゆく……。
何年も、いや、何十年も前の出来事だったはずだ。《私》が生まれるずっと前の話。
あのプロジェクトが騒がれたあと、人口はある年から急激に減ったという。それがどんな理由によるものかはわからない。とにかくこの現在、人口問題、食糧問題については回避された。昨今の問題としては主に地球環境と絶滅危惧種をいかに守ることだろうか。
「どうかしたのか?」
ふいに《私》の後ろで声がした。慌てて画面を切り替える。
「い、いえ。彼方さん」
《私》は焦った。振り向いて作った笑顔は引きつっていたことだろう。
青い石のついたピアスを銀髪の間からのぞかせる青年は《私》のそんな様子を怪訝に思ったのだろう。男とも女ともつかないその端正な顔を歪ませる。
「なにか驚かせるようなことを言ったかな? それとも、覗かれたら困るようなものでも見ていたか?」
「何言ってるんですか。施設の端末を私用に使ったりしませんよ」
とっさに《私》は笑ってごまかす。
「ま、君に限ってそんなことをしているとも思っていないけどね」
意地悪そうに彼方さんは笑う。《私》も合わせて笑う。しかし心拍数が上がっている。落ち着かない。
「あ、あのう……」
「ん?」
どきどきするこの不安な気持ちを抑えるために、《私》は思い切って聞いてみることにする。きっと彼は笑って否定するだろう。馬鹿にされるのには気が引けるが、こんな気持ちのままでは仕事にならない。患者を不安がらせることにもなろう。
「彼方さんは……どうしてこの施設に移ってきたんですか?」
「あれ? 前に話さなかったっけ?」
彼方さんは不思議そうな顔をする。
「聞いていませんよ?」
今度は《私》が怪訝な顔をする番だ。誰と間違えているのだろう。
「あぁ、そっか。そうだった」
彼は一人で納得をしたような顔をする。正直この反応は面白くない。
「ごめんごめん。ここのところあちこち転々としていたからごっちゃになっていて。オレ、前の施設のお偉いさんとけんかしちゃってさ。追い出されちまったんだよ」
「転々としていた?」
これは初耳だ。
「どうも方針が合わなくってね。近々ここのお偉いさんとも話をするつもりなんだけど、早くも嵐の予感。自分で研究所を持つのがいいのかもしれないね。金さえあればの話だけど」
彼方さんはそう言って笑う。見た目に似合わない豪快な笑い方だ。
「は、はぁ……」
「それはそうとヴァイス。そろそろ回る時間だぞ」
彼はそれを呼びに来たらしかった。患者を回って、様子を把握しなくてはならない。
「え、あ、そうですね」
時計を見て《私》は頷く。
「あの……?」
「まだ何か?」
立ち上がり《私》がまた声を掛けると、彼方さんは首を傾げた。
「どうして私をヴァイスと呼ぶんです?」
何度も言ったのに直らなかったその呼び名。あまりにも慣れてきていたのでここのところ注意することもなくなっていた。
「ん? 嫌か?」
「私は何度も注意したはずですが……じゃなくて、どうしてヴァイスってお呼びになるんです?」
彼方さんは苦笑いを浮かべる。
「いかんな。最近記憶がおかしくなっている」
「え?」
「こりゃ、施設のお偉いさんと勝負する前に去らなきゃならないかもしれないな」
ぶつぶつと独り言。言っている意味がよくわからない。
「えっと……」
《私》がなんと声を掛けてよいのか考えあぐねていると、彼は再び苦笑した。
「オレの息子に似ていたからつい」
それが《私》の問いの答えだと気付くまでに少しの時間が必要だった。
「……息子……?」
とても《私》と同年代の息子がいる年齢には見えないのだが。
「変な話だけどね。オレには息子がいたし、孫もいたんだ。その姿を見ることはもうないだろうけど」
何かの比喩だろうか。
「ヴァイス君」
「はい?」
いきなり呼ばれたので背筋を正してしまう。そんな勢いのある声だった。
「生物とはなんだろうね」
どこか遠い場所を見つめて彼は問う。
「どこからが生物なんだろうね」
彼は繰り返す。
《私》にはわからない。その答えを持ち合わせていない。ただ、言えるとすれば……。
「無理に境界線を引くこともないでしょう。明確ではないが、確かにそうだと直感できるものではないでしょうか。所詮は人間が定義するかしないかの問題だと思います。生物も、そうでないものも、自分が生物かどうかなんて気にしないでそこに存在しているのでしょうから」
「だとすれば、人間とはなんて面倒なことをしているのだろうね」
彼は苦笑する。どこか遠くを見つめながらのその表情は、充分すぎる年月を見てきた者の目と同じような気がした。
「……さぁ、行きましょうか。患者たちが待っています」
これ以上は聞いてはいけないような気がして、《私》は本来の業務に戻ることにする。
あのファイルのことは忘れよう。
「……そうだ、な」
彼方さんと《私》はここでのやり取りを忘れることにして業務に戻った。
それがでたらめであろうと、真実であろうと、今の《私》には関係ない。いや、どこか関係があったとしても忘れることにしよう。それはささいなことだから。《私》の人生なんて、この世界の歴史から見ればちっぽけなものなのだろうから。
だから『彼女たちは幸せだったのでしょうか』という問いは胸の奥にしまっておこう。聞くにはつらすぎる。幸せな時間はあったのだ、そう信じるので精一杯だ。
《了》
レイラ・プロジェクト 一花カナウ・ただふみ @tadafumi
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