4-5. 永き旅路は終結へ



「ミ、ミルコ様いつの間に……というか今、なんて……?」


 その場にいる全員が言葉を失う中、ミルコはつかつかと歩いてきて煙管きせるでゼロ番の笛吹きの上着の裾をまくった。


「……っ!?」


 突然のことにうろたえるゼロ番。


 露わになった彼の腹には青紫色でうっすらと何か魔法陣のようなものが描かれていた。


「……やはりの」


 ミルコは煙管を引いてくわえると、今度は自分が着ているローブの裾をまくった。彼女のしわの入った細い腹にも、ゼロ番と同じ魔法陣が描かれている。


「それ、もしかして……!」


 ヴィオラははっとしてミルコと笛吹きの顔を見比べた。


「何か知ってるのか?」


「うん、わたしがさっき見た夢に出てきたんだ。あれは占い師が薬師の娘から子どもと彼女の若さを奪うために描いた魔法陣……!」


 笛吹きはふらふらと引き下がったかと思うと、バクーの手前で腰が抜けたようにその場に座り込んだ。


「もう、冗談も大概にしてくれ……。そのおばあさんが僕の母親だって……?」


「そうじゃ。おぬしはわしの息子。わしが占い師に騙されたせいで、わしの腹におったお主は世界から弾かれ、このどこでもない空間で産声をあげることになったのじゃ」


「そんな……そんなはずはない……! 僕が生まれてからもう千年以上は経っているんだ……エルフの血を引く者ならまだしも、普通の人間である母親が生きているはずが——」


「ああ確かに……全てを失い、見知らぬ世界に飛ばされ、寿命を待たずして死んでも良かった。じゃが、わしのせいで消えた我が子がもしかしたらどこかで生きておるかもしれない、しかもエルフの血によって永遠と孤独から逃れられずに……そう思ったらおとなしく棺に入る気もうなってしまっての」


 ミルコはローブの下から一本の空き瓶を取り出した。


「それは……?」


「手製の不老不死薬じゃ」


「なっ……!?」


「元の世界にいた頃に読んだ薬学書に調合方法が載っておってな。作り方だけは知っておった。じゃが材料がどれも眉唾ものでの。黄金竜のひげ、狂騒樹の根、不死鳥の骨髄——揃えられるはずが無かった。な」


 ミルコは占い師によって異世界に飛ばされたことで、元いた世界とは別の世界が存在することを知った。そしてその世界のことを調べるうちに、揃えられないはずの不老不死薬の材料が一つ手に入ることがわかった。それは、あらゆる世界を回れば不老不死薬の素材を揃えることができるかもしれないという希望だった。


 そうして彼女は旅に出たのだという。


 不老不死薬を作って永遠の命を手に入れ、どこかで生きているかもしれない息子を探すための長い長い旅に。


 その旅の途中で伝言体の存在を知り、ヴィオラと出会い、俺たちと出会い——そして今、彼女の旅はようやく終わりを迎えようとしている。


「ありえない……! そんなことのために千年以上も……」


 愕然とする笛吹きに対し、ミルコは穏やかな笑みを浮かべた。


「そうじゃな、思った以上に時間がかかってしもうた……その間おぬしにはどれだけの苦労をかけたことか」


 そして彼女はぺこりと頭を下げる。


「ずっと、謝りたかったんじゃ。すまんかった……もう、二度とおぬしを見捨てたりはせん。じゃから……わしにやり直すための機会を与えてくれぬか」


 ゼロ番の笛吹きは動揺していた。呼吸は荒く、瞳は涙ぐんでいて、すがるようにバクーの毛にしがみつく。


「やめてくれ……! 僕の親は、バクー様だけなんだ……! 他には誰も……僕のことなんて……!」


 その先は言葉になっていなかった。


 顔を覆い、苦痛に呻くような、あるいは悲鳴にも似た嘆き声をあげる。


 それはまるで赤子の泣き声のようだった。


 だがその叫びこそが誠言まこと——彼の感情、本心をありのままに伝える言葉だ。


 一方、バクーはそんな彼を拒絶こそしなかったものの、慰めようとしている風には見えなかった。嘆く笛吹きを大きな瞳で見つめて、もぐもぐと口を動かしながらだらしなく唾液を垂らしている。


 もしかしたら、バクーが笛吹きを側に置いておいたのは親心なんかじゃないのかもしれない。


 バクーにとっては実り育った言葉を収穫できさえすればいいのだ。笛吹きが担っている、世界の崩壊の管理者の立場はあってもなくても困らない。


 それでも彼を生かしたのは、『ナ・レート』で伝言体を作ることができ、かつ笛の音で語り部としての側面も持つ存在が非常食として最適だったからではないか。


 だとしたら……さっき俺が殺されかけた時にバクーが妨害した理由も説明がつく。


 バクーは単に、この狭間の世界で逆転劇を作ってみせた人間の命が奪われるのを避けたかっただけだ。俺を生かしておけば、今後も美味な物語を生み出す可能性があるから。この怪物にどれだけの知能があるのかは分からないが、それ以上に意味があるようには思えなかった。


「結局、ゼロ番の笛吹きもバクーに踊らされてただけということか」


 バルカの言葉にヴィオラは肯定も否定もしなかった。


 ただ、自分に言い聞かせるように呟く。


「……そんな関係はもう終わりにしよう。そのために、『友だち』になるんだ」


 ヴィオラはつかつかとミルコの方へと歩み寄る。


「おばあちゃん」


 ミルコはヴィオラの顔を見て、しわくちゃの顔で穏やかな笑みを浮かべた。


「ようやくすべてを思い出したかの、忘れん坊が」


「うん……おばあちゃんには何て言ったらいいか——」


「いい。礼も謝罪も要らん。お互い様じゃからな。それよりわしに何か用があるんじゃろう」


 ヴィオラは静かに頷いた。


「わたし、バクーと人とが友だちになれる世界を創りたいの。一方的に奪われるんじゃなくて、お互いが協力して支えあう世界を。そのために、おばあちゃんの力を貸してもらいたいんだ」


 ヴィオラの澄んだ紫の瞳が真っ直ぐにミルコを見つめる。言葉以上に強い意志が込められた視線に、ミルコはやれやれと肩をすくめた。


「お前は昔っからときどきとんでもないことを言い出す子じゃったが、まさかそう来るとはの。千年以上生きてきたわしが思いもしなかった方法を軽々と言いおって。……全く、これだから若いもんは」


 ぶつぶつと文句を言いながら煙管を咥える。だがその口調はどこか愉しげだ。


「……まぁ、そういうこともあろうかと思って、ここに来る前に色々と準備をしてきたんじゃよ」


 ミルコがパチンと指を鳴らす。すると彼女の輪郭がぼんやりと光を放ち始めた。そしてその光は徐々にミルコの身体を離れ、以前俺たちに『ナ・レート』の仕組みを教えてくれた時の煙のように球体を形作っていく。


「これは……?」


「あらゆる世界の言葉のエネルギー、つまり『ナ・レート』の源じゃ」


 兄山の山頂で別れる前に言っていた「準備」とはどうやらこのことだったらしい。俺たちが狭間の世界で笛吹きと戦っている間、様々な世界を巡って言葉のエネルギーをかき集めてきたのだという。


「一人では無理だったがの、伝言体たちが協力してくれたおかげで短時間でなんとかここまで集めることができた」


「一体何のために……?」


 するとミルコはにぃっと悪戯な笑みを浮かべた。


「わしの『ナ・レート』は翻訳の力。この言葉のエネルギーをおぬしらの言葉に翻訳すれば、おぬしらに力を還元してやれるのじゃよ。その様子じゃ、元あった力をすべて使い切ってしまったのじゃろう?」


 ミルコに投げかけられた視線に思わず言葉が詰まる。ヴィオラが無茶な提案をするのも、俺が力を使い切るのもすべてお見通しだったってことか。


「……で、ヴィオラよ。バクーと友だちになれる世界とはどのように実現するつもりなのじゃ? この狭間の世界から連れ出すのは難しいぞ。あの巨体じゃ風穴を通ることはできん」


「そうだね。だから新しくつくるんだ」


「新しく……つくる?」


「うん。わたしの『ナ・レート』を使って、透明な姿になったバクーをそれぞれの世界に顕現させるの。バクー本体の分身として」


 ヴィオラは説明する。


 分身はその世界で直に人々が築く物語に触れて言葉のエネルギーを喰べる。そうして蓄えたエネルギーが本体に還元される。彼女が考えているのはそういう仕組みを新しく作ることだ。透明な姿であれば、各地にバクーの分身が生み出されたとしても人々から恐れられたり迫害されたりする心配はない。


「だが、肝心の『友だちになる』というのはどうするつもりだ? 今貴様が言ったやり方では、単にバクーの分身を増やすだけで根本的には何も変わらんだろう」


 バルカの問いに、ヴィオラは「それについては考えていることがある」と言った。


「ただ、そのためにちょっと寄りたい場所があって。笛吹きさん……わたしが崩壊させてしまった世界、『ロスト・ワールド』への風穴を開けてくれないかな」


 笛吹きはうなだれていて反応を返さない。


 だが、その隣にいたバクーは違った。少し唸り声を上げたかと思うと、長い鼻をゆっくりと持ち上げ、何もない場所を突くような仕草をする。


 するとそこに小さな風穴ができた。風穴の向こうは見覚えのある景色が広がっている。


「もしかして、バクーはわたしの考えに賛成してくれてるってことなのかな」


 見上げてみても、バクーは相変わらずぼーっとどこか遠くを眺めているだけで何を考えているのかはよく分からない。


 ただ笛吹きがバクーの牙で作った笛で俺たちの考えを読み取る力を持っていたのだから、バクー自身も俺たちが何を考えているかはお見通しのはずだ。


 バクーはヴィオラの提案通りにした方が美味しい言葉を喰えると信じているのだろう。そうでなければ俺たちがこうして放置されているはずがない。


 ひとまずは安心、か。


 それにしてもヴィオラは「ロスト・ワールド」に戻って一体何をする気——




「イサム、ちょっとついてきて」


「え?」




 いつの間にかヴィオラによって半ば強制的に腕を引かれていた。有無を言わせず彼女はずいずいと風穴の方へと向かっていく。


 風穴の向こうからふわりと古い本の匂いがした。


 そうだ、この先につながる場所は——


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