4-4. 八十一番目の真意
「はは……ははは……そんな、まさか……」
俺の下で笛吹きは引きつった笑いを浮かべる。
「君たちはバクーさまに言葉を喰べられたはずだろう! なのに、どうして——」
「形勢逆転だな、ゼロ番」
俺の『ナ・レート』の力で言葉を取り戻したバルカが、サーベルを引き抜きその切っ先を笛吹きに向ける。
「くっ……! バクーさま、もう一度彼らの言葉を……!」
笛吹きはバクーに助けを求めるが、うすのろな怪物の巨大な瞳はどこか彼方をぼうっと見つめているだけで、こちらには見向きもしない。やがて口から「ゲフッ」という音を発したかと思うと、鼻が曲がるような悪臭が漂ってきた。
「……あんたの
試しにそう尋ねてみると、笛吹きは悔しそうに顔を歪めた。
どうやら図星らしい。
笛吹きは地に転がっている自分の笛に手を伸ばそうとしたが、彼の指先が届くより前に別の人物に拾い上げられてしまった。
ヴィオラだ。
彼女は首を絞められていた影響か、今もぜぇぜぇと肩で息をしながらも、横たわる笛吹きに向けてキッと鋭い視線を投げかける。
笛吹きは身動きを取れず、バクーも手出しをできない状態。
さすがに観念するだろう——そう思ったが、彼はフンと鼻で笑って言った。
「甘いよ。僕を追い詰めたって問題は何も解決しやしない。さっき思い知っただろう? 君たちは言葉の主人であるバクーさまを殺すことはできない。どんなにあがいたって、言葉を手放さない限り崩壊の運命から逃れることはできないんだよ」
悔しいけど確かにその通りだ。
言葉はあくまでバクーから貸し与えられたもので、俺たちにはいずれそれを返還する義務がある——それが事実だとは未だに信じがたいが、主張としては理に適っている。
それに、バクーを殺せばすべての人間から言葉が失われることになるというのもさっき実証しかけてしまった。
これは、開けてはいけなかったパンドラの箱。
中を覗いてしまったこと自体が罪。
……だからって、今さら引き返せるかよ。
ヴィオラを奪われて、世界の秘密を知って、俺たちには前に進むしかなかったんだ。
今ここで立ち止まるわけにはいかない。
考えろ、考えろ……!
この状況を打開する方法が何かあるはずだ……!
「……友だちになったらどうかな」
ヴィオラがぼそりと呟いた。
小さな声だったけど、その言葉はやけにはっきりと聞こえた。
何の飾りもない、小学生でもよく知っている言葉。
それでも彼女が今この場でそう言ったことが、まるで言葉に晴れ着をまとったかのようにやけに鮮明に聞こえたのだ。
「友だちになる、だって?」
ヴィオラの言葉に真っ先に声をあげたのは笛吹きだった。
「そう。バクーもあなたも、そしてそれぞれの世界にいるあなたの伝言体も、わたしたちだけじゃなくて、その世界に住む人たちと友だちになるの」
すると笛吹きはぷっと吹き出して笑った。
「はは……あははははは! 一体どうしちゃったんだい? 疲れで頭がおかしくなったのかな? 想像力に
「ふざけてなんかない。大まじめだよ」
ヴィオラは真顔で答える。その真剣な眼差しに、笑っていた笛吹きはたじろいで口を閉ざす。
とはいえ俺たちもまた、ヴィオラの意図をつかみかねていた。
「ヴィオラ、説明してくれ。こいつらと友だちになるってどういうことなんだ?」
「そのままの意味だよ。友だちになって、お互い手をとりあえばいいんじゃないかと思って。わたしたち人間はバクーから言葉を借りる代わりに、バクーのお腹が空かないような頻度で物語をプレゼントするの。わたし一人じゃできないかもしれないけど、いろんな世界の人たちが協力してくれたらできそうな気がしない?」
相変わらず真顔でそう説明するヴィオラに、バルカは腑に落ちない表情を浮かべて言った。
「それはあくまで私たちに利がある話で、バクーたちにとってはそうじゃないだろう。ちまちま人間の物語を喰うよりも、文明が実り育った世界を崩壊させた方が効率的に食事が摂れると判断するかもしれない。こいつらがその提案を受け入れるとはとても——」
「受け入れてくれるよ」
ヴィオラは迷わず即答した。
「どうしてそう思うんだ?」
すると彼女は紫色の瞳を周囲にめぐらせ、俯いて自分の指を見つめながら呟いた。
「わたしね、ここに来てから思ったんだ。バクーもこの人も、本当は好きでこんな場所にいるわけじゃないんじゃないかって。狭間の世界は暗くて静かで寒くて……とっても寂しい場所だから」
ヴィオラはしゃがみ込み、そっぽを向く笛吹きの顔を覗き込む。
「ねぇ、あなたはどうしてわたしにあんな夢を見せたの?」
「…………」
「そのつもりはなかったかもしれないけど、あなたの笛の
「…………」
「わたし、分かる気がするんだ。わたしも小さい頃は家族に嫌われていて、家に居場所なんかなくて……自分なんて生まれてきちゃいけなかったんだって思ってた。そしたらわたしが住んでいた世界のあなた——グリムさんが『空とぶじゅもん』を教えてくれた。嫌ならここから逃げてもいいんだよって背中を押してくれたんだと思ってた。『空とぶじゅもん』はわたしのためだけの希望だと思ってたの。……けど、本当は違ったんだ。いつかわたしがあなたの存在に気づいて、お互い一人じゃないよってことを知って、友だちになること——それがグリムさんの狙いだったんだよ」
ヴィオラの言葉に、俺の下でじっとしている笛吹きがぴくりと反応する。
そうだ、伝言体は番号が大きくなるにつれ本体と性格がかけ離れていくとはいえ、本体のコピーであることには変わりがない。つまり、根っこに抱えている部分は同じはずだ。
俺たちが知っているグリムさんがヴィオラの言った通りのことを望んでいたのだとしたら、その本体であるゼロ番だって心の奥底では救いを求めて——
「やめろやめろやめろ……! やめてくれぇぇぇぇッ!」
急に笛吹きが叫びだし、彼の全身が光を帯びたかと思うと、次の瞬間には俺の身体は弾き飛ばされていた。
彼はすぐそばにいたヴィオラから無理やり笛を奪い取り、頭を抱えながらバクーに向かってよろよろと後退する。
「やめろ……くるな……僕の中に踏み込んでくるなッ……! 僕の親はバクーさまだけ……僕はバクーさまのためだけに生きると決めたんだ! 僕を捨てた者たちがどうなろうと構わない……! 人間なんて皆滅びてしまえばいいんだ……!」
笛吹きはすっと息を吸うと、まるで角笛を吹き鳴らすがごとく力いっぱいに空気を吐き出した。細長い笛から出ているとは思えないくらい腹に響くような低い音が鳴ったかと思うと、足元から続々と人影が湧き出てきた。
その人影の姿は笛吹きとまるで同じ形をしている。伝言体だ。
大量に現れた虚ろな表情の伝言体たちがぞろぞろと俺たちを囲み、ナイフを掲げて迫ってくる。
「ちっ、厄介な……!」
バルカと俺はサーベルで応戦するが、数は完全に相手の方が
——このままじゃきりがない! イサム、『ナ・レート』を使え!
バルカの命令が頭の中で鳴り響く。
分かってる、分かってるけど……!
さっきから思いつく限りの呪文を唱えてみた。けど何も起きないんだ。この狭間の世界じゃもともと何もないから、復活させようがないのか? それとも——
俺の様子がおかしいことに気づいたのか、ヴィオラが俺の方を見てハッと息を飲んだ。
「イサム……! 君の髪、すでにもう真っ赤だよ……」
つまり、俺は元の世界から持ってきた言葉の力をすでに全部使い切ってしまったということ。
薄々感じてはいた。さっきバクーに喰われた言葉を復活させた時点で俺の『ナ・レート』は尽きていたのだ。
だけど今はショックを受けている暇はない。
「ヴィオラ、危ない!」
彼女の背後に笛吹きが襲いかかるのを見て、俺は彼女の身体を突き飛ばす。笛吹きの持つナイフの切っ先がまっすぐに俺の方に向けられる。サーベルで受け止めなければ——そう思った時、後方から気配を感じた。伝言体がすぐ後ろに迫ってきていたのだ。
思考が止まる。
やばい、どうすれば——
「ブオオオオオォォォォオオオオオン!!!!」
突然バクーが雄叫びをあげた。
耳をつんざくような鳴き声に、笛吹きも含めその場にいた全員が地に足をつく。
「な、なぜです……!? どうして僕を止めるのですか、バクーさま……!」
バクーは笛吹きの問いに答えることはなく、むしゃむしゃと彼の生み出した伝言体を喰べ始めた。
「そん、な……」
呆然とするゼロ番の笛吹き。
何がどうなっている?
バクーは笛吹きの味方じゃないのか?
その時、一筋の風が吹いた。
涼やかで優しい風が、あの甘い香りを一緒に運んでくる。
風はさっきゼロ番が開けた「ワイルド・ワールド」につながる風穴から吹いていた。
風穴の前に、小さな老婆が立っている。
ミルコだ。
「ようやく会えたのう、ゼロ番の笛吹き——いんや、愛しい愛しいバカ息子よ!」
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