4-2. 言葉を喰らうもの




「ヴィオラは今どうしてる?」


「寝ているよ。彼女、だいぶ無理をしているようだったからね。笛の音で子守唄を聞かせて休ませてる。で、それが君たちに何か関係あるのかい?」


「……彼女を返してくれ」


 単刀直入にここに来た目的を伝える。


 そうじゃないと、ふつふつと湧き上がってくる怒りで理性が吹っ飛びそうだったから。


 だが、笛吹きはわざとらしく首をかしげて言った。


「返すも何も、彼女は自分の意思でここにやってきたんだけどな」


「それはあんたが脅したからだろ!」


「脅した? むしろ感謝してほしいくらいだね。彼女に死以外の選択肢を用意してあげたんだから」


 ゼロ番は平然とした様子で飄々と言ってのけた。


 やっぱり、この男には話が通じない。


 他の伝言体たちと見た目が同じだからこそよく分かる。


 同じ世界の住人に対して協力的だったグリムや兄山の笛吹きとは違い、ゼロ番の数字を冠したこの男が投げかけてくるのは、まるで害虫を見るかのような軽蔑の視線。


 彼は俺たちのことを平等な存在だとはこれっぽっちも思っちゃいないのだ。


 今だって穏やかな表情を浮かべてはいるが、狭間の世界という縄張りに土足で踏み込んできた俺たちに対して快く思っていないのは明らかだった。


「……素直に返してくれたら、俺たちはあんたの主人あるじに手を出すことはしない」


「なんだって?」


 主人という言葉に笛吹きの表情が少しだけ動く。


 ——そろそろ、我々が本気だということを見せつけてやるか。


 バルカの声が頭に響く。


 ああ……俺もその意見に賛成だ。


「そのバクーとやらを倒せば世界の崩壊は防げて、ヴィオラがここにいる必要もなくなる……そう言ってるんだよ!」


 腰のサーベルを引き抜き、目の前の笛吹きに斬りかかる。隙をついたつもりだったが、笛吹きはとっさに手に持っていた笛でガードして刃を受け止めた。笛は硬く、サーベルの刃が少しも通らない。


「妙な力を使えるし、普通の笛じゃないだろうとは思ってたけど……!」


「これはバクーさまの牙でできた笛だからね。それより——」


 笛吹きの視線が上方に向けられる。


 ちょうどバルカが高く跳躍したタイミングだった。機械仕掛けの左腕から発射されたフックがバクーの牙を絡めとり、伸びたワイヤーを引き寄せる勢いに任せて地面を蹴ったのだ。


 彼女は人間離れしたしなやかな身のこなしでバクーの頭頂部まで登る。


 そう、俺はあくまで笛吹きの動きを止めるためのおとり。本命はバルカが狙うバクーの方だ。


「はああああああああッ!」


 バルカが電気をまとったサーベルを垂直に突き立てた。


「グモォォォォオオオオオオオン…………」


 バクーはいななき背をそらす。頭上から赤い血しぶきが舞う。


 やっぱり、いくら巨大な怪物でも生き物であることには変わりがない。思っていたより手応えがないのに違和感はあったが、今はそんなことを気に留めている余裕はない。


「どうだ、早くヴィオ■を……」


 急にぐらりとめまいがして、俺は立っていられずに地に手をついた。


「■れ……?」


 思ったように言葉が出ない。なんだかぼーっとする。俺は今、何を……?


「……お■かな」


 目の前の笛吹きが何かを呟く。その音を知っているはずなのに、頭の中の言葉と結びつかない。


「な、■■だ、今■は……」


 バクーの方を見上げるとバルカもその場でうずくまっていた。


 笛吹きは長いため息を吐くと、笛を手に取り奇妙な旋律を奏でる。するとバクーの頭の上に刺さっていたサーベルがひとりでに浮き始め、すっと笛吹きの手元に収まった。彼はその切っ先を俺の顔に向けると、今までに聞いたことのない低い声で叫ぶ。


「『ナ・■ート』を使って■に戻すんだ、早く!」


 彼が何と言ったのか上手く理解できなかったが、とにかく自分たちが何かやってはいけないことをやってしまったらしいという焦りはあった。慌てて『ナ・レート』の力を使いバクーの傷を元に戻す。


「はぁっ、はぁっ……」


 どっと疲れが襲ってきて、俺はしばらく立ち上がる気になれないままその場に這いつくばっていた。バルカも同じく、バクーの上から転げるように落ちて、地面に横たわりながら荒ぶった息を整える。目の前に立つ笛吹きでさえ、どこかやつれた表情を浮かべていた。


 ぐったりとしている身体に対して、さっきまでぼーっとしていた頭は霧が晴れたようにやけにすっきりしていて、ぐるぐるとフル稼働し始める。


 一体何が起きたんだ? バルカがバクーを突き刺した瞬間、笛吹きを含む全員の具合が悪くなって、上手く言葉を話せなくなって、聞き取れなくなって——


 自分の身に起きたことを思い返してみて、全身に悪寒が走った。


「……ようやくわかったかい。君たちが今やろうとしたことが、いかに恐ろしいことだったかを」


「どういう、ことなんだ……?」


 笛吹きは額に滲んだ汗をぬぐい、サーベルの切っ先を俺に向けたまま続ける。


「バクーさまは言葉の主人あるじ。あらゆる世界の言葉のいしずえであり、そしてあらゆる言葉の還るべき場所でもある」


「言葉の、還るべき場所……?」


「そう。簡単に言えば、君たちが発明した家畜というシステムと同じさ。バクーさまは人間に言葉を与え、人間は言葉によって文明を育む。そうして実り育ったものをバクーさまが喰らい、命を繋ぎ、また次の世代の人間に言葉を産みつけていく。世界はその循環のもとに成り立っているんだ。バクーさまの命が途絶えることはすなわち……すべての世界からの言葉の喪失を意味する」


「は……?」


 唖然として、何も言えなかった。


 なんだよ、それ。


 俺たちが家畜……?


 赤ん坊の頃に一生懸命話せるようになって、小学生になったら文字を書けるようになって、中学生になったら相手によって言葉を選ぶことを覚えて、大人になったら社会を動かすために言葉を使うようになって……それが全部、バクーに美味しく喰われるためのお膳立てに過ぎないっていうのか?


「ふざけるな! 私たちの言葉がその醜い化け物によって生み出されただと……!? そんなこと、あるはずが——」


 バルカは反論しようとしたが、バクーの巨大な瞳にじっと見つめられて口をつぐんでしまった。


 否定したくても、できない。


 俺たちは今、身をもって体験してしまったのだ。バクーの命を奪おうとして、自分たちの身から言葉が抜け落ちていく感覚を。


「あのまま刃がバクーさまの脳天を貫いていたらどうなっていたと思う? 君たちだけじゃない、あらゆる世界の人間が言葉を失い、知能のない動物に身を堕とすところだったんだ。想像してごらんよ。知能を失った人間たちは、厳しい生存競争の中で生き延びていけるかな?」


 俺は初めて会った時の姫のことを思い出してぞっとした。一歩間違えば、俺たちは皆ああなっていたのだ。どれだけ親しかった者たちのことでさえ認識できなくなり、縄張りを争い、食料を奪い合い、身体能力の優れた他の種族たちに勝るための知恵を持たず、ひっそりと絶滅していく……そんな光景がありありと浮かんでしまって、考えを払拭するために首を振った。


 だが、笛吹きには悟られていたらしい。


「ふふふふ……嫌だろう、そんな惨めな末路はさ。だから君たちはおとなしくバクーさまのために言葉を使って文明を築いていればいいんだよ。別に、すべての人間が崩壊の犠牲になるわけじゃないんだから。『カーム・ワールド』のように滅多に崩壊の脅威が訪れない世界もあるし、『スーサイド・ワールド』のように自壊しかかっても文明の力で持ちこたえる世界もある。そう、悲観することはないじゃないか! 世界の真実にさえ気づかなければ、人間にとっても悪くない話のはずだよ? ねえ?」


 笛吹きはにこにこと笑みを浮かべて、バルカのサーベルを弄ぶ。切っ先は今にも俺の皮膚を裂きそうなすれすれのところにあり、やはり彼がこの場所に足を踏み入れた俺たちのことを許す気がないのは明らかだった。


 どうすればこの状況を打開できる?


 例えば、『ナ・レート』の力でヴィオラもバルカも俺も何も知らなかった時の状態に戻すことはできないだろうか。笛吹きが気にしているのは俺たちが世界の仕組みを知ってしまったことであって、その記憶さえなくしてしまえばチャラになるんじゃないか。


 途中まで考えて……無理だという結論に至った。


 俺やバルカならまだしも、ヴィオラは自分の想像力で真相にたどり着き、想像を具現化する『ナ・レート』の力によってバクーやゼロ番の笛吹きを引き寄せてしまった。記憶を消したところで、彼女が想像することをやめない限り、常に危険はつきまとう。


 今ならヴィオラがどうしてこの狭間の世界でバクーの食事番をすることにしたのか、その理由がよく分かる。


 だけど、そんな重荷を彼女だけに背負わせるなんて……。


「ずいぶん悩んでいるようだね」


 ゼロ番は愉しげな表情を浮かべて言った。


「前から思ってたけど、あんたなんで俺が考えていることが分かるんだよ」


「それはこの笛のおかげさ。バクーさまの力を宿したこの笛には風を自由に操り、言葉を汲み取る力がある。君が頭の中でどんな言葉を浮かべているのか、手に取るようにわかるってわけ」


「……じゃあ、今俺が何を考えているかもわかるか?」


 すると笛吹きは目を細め、やれやれと肩をすくめた。


「僕がどうしてバクーさまの味方をするか、だって?」


「ああ。さっき言葉を失いかけてたってことは、あんただってバクーに言葉を与えられた人間の一人なんだろ? それなのに、どうしてこんな理不尽な仕組みを受け入れられるんだよ……!」


「そんなの、簡単な話さ」


 笛吹きは毛むくじゃらのバクーの身体にもたれかかると、愛おしげにその毛に顔をうずめて言った。


「このお方が僕を救ってくれた育ての親みたいなものだからさ。僕はただ、その恩に報いたいだけ……!」


 笛吹きがバクーの身体を優しくひと撫でする。


 バクーはぶるっと身を震わせたかと思うと、またおぞましい音でいななき始めた。


 無風状態だったはずの空間に、突如嵐のような風が巻き起こる。


「何をする気だ……!」


「君たちは知りすぎた。だからここでお別れだよ。……さあ、バクーさま! 今日は特別におやつの時間です! 彼らの言葉を喰らい尽くしてしまってください!」


 笛吹きの揚々とした言葉に促されるようにバクーが長い鼻を吊り上げ、窓の向こうの世界にやったように勢いよく空気を吸い上げ始めた。


「うぐッ……!」


 強い風に引っ張られ、地面にしがみつくのもやっとだった。全身の毛が逆立ち、まるでそれが一本一本抜けていくかのような感覚が降りかかる。実際には毛が抜けているのではなくて、抜け落ちていくのが俺の頭の中にある言葉だと気づくのにそう時間はかからなかった。


 クソッ、消えるな、喰われるな……!


 忘れないように、順を追って思い出すんだ……!




 そもそも発端はあの金色の■■■■だった。


 あれに導かれて、俺は異世界の■の上にたどり着いた。


 そこであの子と会って、あの子は■■を失っていて……。


 ■■■■■の村にも行ったし、■にも行った。


 ■■■と初めて出会った時は怖かったけど、■■してみると頼りになるし案外■しいところもあってさ……。


 森で■■■に襲われて、あの子がいなくなって、だけど■■■様に励まされて■■に登った。


 ■■の■■■はいい奴だったよな。


 ■■■様と一緒に、俺たちが■■の世界に行くのを■押ししてくれて……。


 あれ……?


 どうして■はこの■■に■■んだっけ?


 確か、あの子を、■■■■を……■■■ちゃんを助けるために……?


 ええと……あの■の名■は何だっけ……。


 わから■い……。


 なんだか、か■■がゆらゆら■れる……。


 まるでゆ■の■みにお■れている■■■だ……。


 こ■ばが、■える……。




「イサム!? バルカ!? どうしてここに……!? お願い、やめて……! やめてぇぇぇぇぇっ!」




 き■ゃ、■めだよ、■■■ちゃん……。




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