3-5. 風穴をあけろ



「ヴィオラ! ヴィオラ……! そこにいるなら返事をしてくれ……!」


「……もうだめだ。ゼロ番に風穴を閉じられてしまったよ」


 兄山の笛吹きが背後で呟く。


「それでもっ……!」


 ヴィオラのいる場所に繋がる風穴があった場所に向かって、声が枯れるまで彼女の名を呼び続ける。


 さっきストンが同期した彼女の記憶……俺は途中から直視できなかった。


 あんなのヴィオラじゃない。スミレちゃんじゃない。


 愉快な物語だろうと、悲哀に満ちた物語だろうと、いつでもどこか楽しげで、自らが想像の中でつくりあげた世界をたった一人で何役もこなしながら語りの中で鮮やかに表現してみせる——それが俺の知っている彼女だ。


 なのにあの狭間の世界とやらにいるヴィオラは作業のように話のネタを量産し、それに自分が納得していようとしてなかろうとに関わらず、ちっともリアクションを返さない化け物に向かってひたすら物語を投げつけている。


 いつかブルースフィアで見た、城で姫と語らう時の幸せそうな様子とは大違いだった。


 彼女のあんなに苦しそうな顔、今まで見たことがない。


 ……いや。正確には一度だけある、か。


 さっきのヴィオラの表情が、七年前に最後に見たスミレちゃんの表情と重なって、俺は頭をかきむしる。


 クソッ、今は昔のことで感傷に浸っている場合じゃない。


 とにかく、あの子をあんな暗い場所に閉じ込めておいちゃダメだ。早く狭間の世界とやらから連れ出さないと、ゼロ番の笛吹きが言っていたみたいに彼女の気が狂ってしまう。


 だけど、あの世界に繋がる風穴はすでに閉じられてしまった。


 どうすればいい? どうすればあそこに行ける? どうすればあの怪物とゼロ番の笛吹きからヴィオラを引き離せる?


 ……そんな焦りに駆られていたのは、どうやら俺だけではなかったらしい。


 いつの間にか、バルカが兄山の笛吹きの胸ぐらを掴んで詰め寄っている。彼女の表情は怒りで歪んでいて、額には青筋が浮き上がっていた。


「冗談も大概にしろ……! 貴様らの主人とやらはあの化け物ではなく別にいるのだろう? ごまかしても無駄だ、でなければ我々の世界の命運があの化け物の空腹に左右されるなど、そんな話が——」


「残念ながら、本当のことですよ」


 笛吹きは目を伏せてぼそりと言った。


の好物は『言葉』。人の言葉の力を結集して築き上げられたもの——例えば発達した文明のようなものほど、空腹を満たすのだそうです。そして僕たち伝言体がゼロ番から言い渡されている使命というのは、言葉を選ばずに表現するとしたら、『主人が食事できるよう世界を正しく崩壊に導く』ことにあります」


「世界を導くだと……!?」


 次の瞬間にはゴフッという鈍い音が響き、兄山の笛吹きは地面に突き飛ばされていた。


 バルカは肩で荒い息を整えながら、怒りに声を震わせる。


「ならば私の世界の貴様は……モルテ卿は、あの化け物の食事とやらのために、世界中で戦争が巻き起こるようなきっかけを作ったというのか……!?」


 笛吹きはバルカに殴られてもなお平然とした表情のままだった。反撃する気はないのか、その場にへたり込んだまま答える。


「あなたの世界は『スーサイド・ワールド』……七番目の伝言体が管轄する世界ですね。伝言体は別の世界の様子を見ることはできません。だから七番目が一体何をしたのか僕には分かりません。ですが、彼は彼なりに使命を全うすることを考えたのでしょう。少なくとも僕よりはゼロ番に近い存在ですから」


「ふざけるな! 何を他人事のように……! 貴様らのその使命のせいで私の故国は、人々は……!」


 バルカが腰のサーベルを引き抜こうとした時、彼女の手の上にトンとしわくちゃの小さな手が添えられた。ミルコだ。呪術を使っているのか見た目に反してその力は強く、バルカの動きがぴたりと止まる。


「落ち着け、バルカよ。兄山のに八つ当たりしたところでおぬしの世界の状況が好転するわけでもあるまい。まして、この男においてはおぬしの知っておるモルテ卿とは違い、自ら導かなくとも世界が先に崩壊に向かってしまった惨めな伝言体じゃ。見た目は同じでも中身は違うことを忘れるな」


「くっ……」


 ミルコに諭されバルカは引き下がった。必死に怒りを押し殺そうとしているのか、奥歯をギリギリと噛みしめている。


「それにしても困ったことになったのう……まさかゼロ番の主人があのような得体の知れんものだったとは……」


 バルカに落ち着けと言ったミルコもまた、どこか余裕のなさそうな様子で呟いた。


「ミルコ様は数百年もゼロ番について調べていたんだろう? あの怪物については何か知らないのか」


「残念じゃが全く知らん。あんなものが世界のどこかに存在するなど聞いたことがなかったのじゃ。もし知っていたとしたら、わしは今この世にはおらんじゃろうよ」


 確かに、狭間の世界で笛吹きは「知ること自体が禁忌」と言っていた。俺たちはすでにその禁忌に一歩足を踏み入れていて、ヴィオラと同じように命を狙われるリスクを背負っているのだ。


 このまま何もせずにいても、どうせ危険であることは変わらない。


 ……それなら。


「なぁ」


「はい、なんでしょう?」


 バルカに殴られたダメージなど感じないといった風に立ち上がる笛吹きに、俺は尋ねる。


「もしあの怪物を倒したら一体どうなる? 世界は崩壊しなくなるのか?」


「僕たちの主人を倒す、ですか」


 笛吹きはきょとんとした表情で復唱すると、首を横にひねって肩をすくめた。


「さて、どうなるんでしょうね。僕は主人のことを詳しくは知らないし、少なくとも僕が知っているこの千年の間にはそんなことを成し遂げた人は一人もいませんから」


「じゃあ、俺がやるって言ったら?」


「えっ」


 笛吹きの声が裏返る。


「まさか本当にに立ち向かうつもりで……? いや、そもそも狭間の世界に行く手段がないではありませんか。先ほどはゼロ番が開けっ放しにしていた風穴を覗くことができましたが、あの世界の場所がどこにあるのかは伝言体には知らされていません。僕の力ではあの世界に風穴を開けることはできないんですよ」


「誰もあんたを頼るとは言ってないだろ」


「はい……?」


「俺の『ナ・レート』で風穴を復元するんだよ」


 笛吹きも、バルカも、ミルコも、その場にいる全員が息を飲んで俺の方を見た。


 今言ったことは理にはかなっているはずだ。


 俺の『ナ・レート』はこの世界にあったはずのものを再定義し、再現する力。風穴が例外になるかどうかは分からないが、試してみる価値はある。


 空を睨み、そこにあったはずの風穴の形をイメージした。どんよりと曇った空が渦巻き始め、風が一層強くなる。足音に咲いていた小さな花は、飛ばされまいとまりのように丸まって眠る。


 髪の毛の先がちりちりと燃えるように熱い。


「正気かイサム! 風穴を開けて向こうの世界に行けたとて、その先はどうする!? 狭間の世界で『ナ・レート』が通じるのかは分からんのじゃぞ! それに、それ以上『ナ・レート』を使えばおぬしは……!」


 風の轟音の中、ミルコの警告が聞こえる。


「分かってるよ。……それでも、ここで何もできずにいるよりはましなんだ」


 ザッと地面を踏みしめる音が隣で響き、機械でできた冷たい手が風でぐらつく俺の身体を支えた。


「私も貴様の案に乗るぞ。世界を崩壊させているのがあの化け物なら元凶を叩き潰せばいい、それだけだ。どれだけ手強い相手なのかは分からんが、食事をするということは奴も生き物ではあるのだろう?」


「バルカ……!」


 なんだか不思議な感じだ。


 初めて会った時はあんなに威圧的で、話が通じなさそうな人だと思ったけど、今こうして同じものに立ち向かおうとしているだなんて。


「決まった風穴を通るには『ナ・レート』で風穴に自分を引きつける必要があるんだったな。それは私がやろう。貴様は風穴の復元に集中しろ」


「ああ、頼むよ」


 荒れ狂う風に乗って、背後から甘ったるい香りが漂ってきた。


「全く、これだから若いもんは……」


 振り返ると、ミルコが溜息を吐きながら煙管きせるをくゆらせている。


「ミルコ様は行かないのか? ゼロ番のこと、ずっと探してたんだろ」


「行くにしても年寄りにゃちと準備が必要での。後からわしが行けるよう、狭間の世界の風穴を開けといてくれ。別にこの世界につながる穴じゃなくとも構わん。ゼロ番が別の穴を開けたらそちらを使うでの」


「わかった。……待ってるよ、ミルコ様」


 念を押すと、ミルコははいはいと言ったように頷いた。


 確かに、自分でも無謀だとは思う。


 狭間の世界であの巨大な怪物相手に何ができるのか、さっぱり分からない。ましてや『ナ・レート』をほとんど使い切ってしまっている状態で、元の世界どころか今いる世界に戻ってこれるのかも謎だ。


 それでもこれは、後悔しないために始めた旅。


 どんなに精密にリスクを計算しても、意志に勝る解はない。




「待ってろヴィオラ……〈レドモ・ナアザカ〉!」




 空にぱっくりと穴が開く。俺とバルカの身体は風に乗って、穴の向こうの漆黒の闇へと引きずられるようにして飛ばされていく。


 振り返ると、さっきまでいた兄山の山頂はどんどん小さくなっていった。その場に残された笛吹きと、ミルコの会話がかすかに聞こえる。




「もしかすると、あの人たちならゼロ番のことも救ってくれるかもしれないですよ。……ねえ、


「……さぁて、どうじゃろうねぇ」



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