3-2. 『ナ・レート』の原理


 双子山は兄山と妹山の二つが並び立つ標高二千五百メートル級の山で、背の高い方が兄山、俺とヴィオラが出会った崖のある方が妹山と呼ばれている。笛吹きは兄山の山頂に小屋を構えて住んでいるが、普通に訪ねても彼の姿を見ることはできず、滅多に会えないらしい。


「慌てて出かけてきたはいいけどさ、もし会えなかったらどうするんだよ」


「その時はまた出直すしかないのう」


「マジか……」


 ミルコのその言葉を聞いて、俺はその場にへたり込む。


 山の中腹あたりまで登ったところで、俺の体力はすでに限界に達していた。


 日本国内じゃ最高峰といえば富士山で、標高は三千七百メートル級。中学の時の野外活動で頂上まで登らされたことがあるから、二千五百メートルくらいならまあ大丈夫だろうとたかをくくっていたが……大誤算だった。


 よくよく思い出してみると、俺が登ったのは吉田ルートと言われる標高二千三百メートルあたりまでバスで行けて、かつなだらかな道が多い初心者向けの登山道だったのだ。


 一方、俺が今登っている兄山に関してはショートカットルートが存在しないのは当然のこと、傾斜はきついわ風は強いわで一歩進むごとに体力がごっそり奪われる。


 ……それに。


「まったく、若いもんのくせに情けないのう」


「ちんたら歩くな、イサム。このペースでは山頂に着く頃には日が暮れてしまうぞ」


 宙に浮くほうきに乗ったまま自分の足を使わない老婆と、全身サイボーグでほぼ無敵状態の女将校にせっつかれ、一層疲労感が増した。


 クソッ、なんで俺だけ……。


「まぁそう心配するな。さっきのは万が一の場合の話じゃよ。兄山の笛吹きとは旧知の仲でな。わしが訪ねて来たと知ったら必ず姿を現わすじゃろうて」


 どこから来る自信なのかはよく分からないが、もはや突っ込む気力もなかった俺は素直にその言葉を信じることにした。


「それにしてもこの山は本当に風が強いな。風叢かざむらとかいう風が集まりやすい地形のせいだったか? 小屋を出る前の話だと、この風に乗って風穴を通れば元の世界に帰ることができるんだったな」


 バルカが尋ねると、ミルコは首を横に振った。


「正確にはそうではない。ただ風に乗るだけではどの風穴を通るか分からないからじゃ。風穴によって繋がる世界、着地する場所がそれぞれ異なる。任意の場所……例えば、元の世界の元いた場所に帰りたいのであれば、風と風穴、そして『ナ・レート』の力の三つが揃っておることが必要じゃ」


 『ナ・レート』は好きな時に好きな風穴を通るためには欠かせない、引力のような力なのだという。


 ヴィオラも言っていた、力を使い切ると元の世界に帰れなくなるというのは『ナ・レート』がないと自分の世界につながる風穴を引き寄せることができなくなるからなのだ。


「ばあさ……いや、ミルコ様。『ナ・レート』の力って結局なんなんだ? どうして俺たちはそんな力を使えるようになったんだ?」


 ミルコは煙管きせるを取り出して、ふぅとゆっくり煙を吐く。


「詳しいことはわしにも分からん。それだけ神秘に包まれ、規則性に縛られない力なのじゃ。じゃが、長年生きる中である程度はこの力の正体について把握しておる。あくまでわしの仮説ではあるが……それで良ければ話をしようかの」


 ミルコがそう言うと、彼女の吐き出した煙が宙にとどまり、ふわふわと何かの形を作っていった。二つの球体だ。


「この二つをそれぞれ別の世界としよう。イサムとバルカ、おぬしらが住む世界がまったく異なる自然環境と文化で成り立っているように、世界によってその様相は大きく異なっている。じゃが、どの世界も人間が共通して持っているものがある。それが何かわかるかの?」


 俺とバルカは顔を見合わせる。共通点と言えばいくつか思い当たる気もするが、それがどの世界の人間にも当てはまるかと言われるといまいち自信がない。


「答えは……『言葉』じゃよ」


「言葉……?」


「そうじゃ。人は言葉を持つ生き物。言葉によって思考し、言葉によって他者とコミュニケーションをとり、そうして文化を築いていく。種類や成り立ちの型は違えど、どの世界にも言葉のエネルギーが満ちている。この煙はそれを表していると考えておくれ」


 そうしてミルコは骨ばった指で片方の球体に穴を開け、もう一つの球体に向かってすーっと指を動かした。すると元の球体にまとわりついていた煙は、彼女の指にまとわりついたままもう一つの球体の中に溶け込んでいく。


「これは……?」


「今のわしの指の動きが世界間移動、そして『ナ・レート』の仕組みじゃ。人が風穴を通って別世界に移動する時、一緒に元の世界の言葉のエネルギーが風穴から漏れ出し転移者の身体にまとわりつく。そのエネルギーは転移者が何かしら干渉することで移動先の世界で具現化する。それこそがわしが『ナ・レート』と呼ぶ力の正体じゃ」


 まとわりついた言葉のエネルギーに対する干渉方法は、人によって異なる。どうもその人間が得意とする言葉の使い方に由来するらしい。俺の場合は「定義」、バルカの場合は「命令」、そしてヴィオラの場合は「想像」。言葉のエネルギーを消化していくと、やがて自身にまとっていた膜のようなものが薄れ、移動先の世界の空気に直接触れることにより髪や肌の色が変化していくという仕組みのようだ。


「ということは……ヴィオラも別世界から来た転移者なのか?」


 バルカの問いに、俺はミルコの顔を見る。彼女は表情を変えないまま縦に頷いた。


「そうじゃ。あの子は七年前にこの世界にやってきた。この世界は双子山の風叢かざむらの地形のせいか他の世界よりもよく風が吹き、『風の落とし』と呼ばれる転移者が多く流れ着く世界でな。転移者の存在自体は珍しいことではないのじゃよ。じゃが、どういうわけかあの子は断風たちかぜの日という風が吹かないはずの日にこの世界にやってきて、しかも元の世界に住んでいた時の記憶を失っておった。じゃからわしは不憫に思ってあの子を拾い育てたのじゃ。まぁ……『想像のナ・レート』という特異な力の使い手を監視するという目的もあったがの。あの子が記憶を失う前のことについてはおぬしの方が詳しいのではないか、イサムよ」


 バルカとミルコ、二人の視線が俺に向けられる。


「どういうことなんだ、イサム」


「……ヴィオラはたぶん、七年前に行方不明になった俺の幼馴染・武部菫たけべすみれなんだ」


「なっ……!?」


「今まで言わなくてごめん。本人が記憶を失っていたし、最近まで確信もなかったから言えなかったんだ。だけどよくよく考えてみれば俺とあの子だけが知っているはずの方法で手紙を出してきたし、何より姫さまのために語っていた物語……あれは昔スミレちゃんが作っていた物語にそっくりなんだ」


「そういうことだったのか。それで貴様はあんなに思い詰めた顔で『ヴィオラを忘れられるか』という話をしたのだな」


「うん。まあ……あの子が望んでいるかどうかは分からないから、俺の勝手でしかないんだけどさ」


 するとミルコは大きな声で笑い出した。


「カッカッカ! それくらい勝手な方がいいわい。あの子は鈍くさくて他人の気持ちに気づくのは人一倍遅いからの。それくらい強引に引っ張ってやらんと、いつまで経っても自分の殻に閉じこもったままじゃ」


「……そう、かもね」


 ミルコの言葉は鋭い刃物のように俺の胸に突き刺さる。ミルコの言う通りだ。七年前も、そしてつい最近のあのベースキャンプでの夜も、もっと強気に彼女の手を引っ張っていれば……。


 ——後悔しても何も変わらん。それよりさっさと足を動かせ。


 バルカの命令が頭の中に響いてきて、俺の足はひとりでに動き出す。


(確かに、そうだよな)


 顔を上げて頂上の方を見据える。兄山の先端は厚い雲に覆われてまだ見えない。あとどれくらいだろうか。ミルコに尋ねようとした時だった。


「ギャオオオオオオオオ!」


 地面が揺れるほどの咆哮が響き、俺たちはとっさにその場に伏せた。


「なんだ!?」


 すぐさま腰のサーベルに手をかけ戦闘態勢に入るバルカ。


「ギャオオオ! ギャオオオオオオン!」


 まるでこちらを威嚇するかのように徐々に近づいてくる。


 それにしてもこの咆哮、どこかで聞き覚えがあるような。


「まさか……ドラゴン!?」


 その瞬間、バサッという羽ばたきの音と共に山の風とは別の風が吹いて俺たちは思わず姿勢を崩した。山陰から赤い鱗のドラゴンが姿を現わす。


 そうだ、あいつはヴィオラと最初に訪れたモンスターの村で俺が『ナ・レート』で呼び出したドラゴンだ。


「ちぃっ、兄山の主か……!」


 ミルコが盛大に舌打ちする。


「もしかしてこのドラゴンって世界が崩壊する前からいたのか……?」


「ああそうじゃよ。いつぞやから住み着いたのか知らんが、こうして兄山を登る者の行く手を阻む厄介なやつでな。崩壊の影響で消え去ったものかと思っておったが」


「……ごめん、こいつ俺が『ナ・レート』で復活させちゃったのかも」


「はぁ!?」


 ミルコの非難の視線が痛い。


 だが、おかげでよく分かった。


 俺の『ナ・レート』の力はあくまで「この世界にあったはずのものを再定義し、再現する力」なのだ。だから獰猛なドラゴンを手なずけることなんてできないし、初めから日本語を知らない姫に言葉を復活させることなんてできない。一方で復興作業のようなそこにあったはずのものを復活させるのは得意なのだ。


 ——何をボーッとしている。さっさとサーベルを構えろ!


「はいはい!」


 バルカの命令に従い、俺はサーベルを抜いてドラゴンの方へと向かう。


「やれやれ、手伝いくらいしてやるかの……」


 ミルコがパチンと指を鳴らすと、地面が隆起して一箇所に固まっていき、ドラゴンと同じくらいの大きさのゴーレムの形になった。


 ゴーレムが泥の拳を突き上げてドラゴンの腹に一撃を食らわせる。ドラゴンは呻き声を上げ、怒りで口から炎を撒き散らした。炎はわずかに生えていた高山植物をあっという間に炭に変えていく。


「イサム、知っているか? 一説にはドラゴンの吐く炎の温度は核兵器のそれと同じだと」


「今はそんなことどうでもいいよ!」


 それでもなお、バルカの命令はドラゴンに接近するようにと言う。どのみち退いても彼女の命令なしでは炎を避けられはしない。俺は素直に従い、ゴーレムを盾にしながらドラゴンの足元に入り込む。


 ゴーレムが今度は上から拳を振り上げるのが見えた。


「うおおおおおおお!」


 サーベルの柄の場所にあるスイッチを押すと、刃全体に電気を纏う仕組みになっている。俺はそれを力一杯ふるって、ゴーレムの攻撃によってダウンしたドラゴンの首元に斬りかかる。


 鱗は固く、刃は通らない。


 だが、狙いは電気による全身の痺れだ。


「よくやった、イサム。私はいいことを思いついたぞ」


 バルカはそう言ってつかつかとドラゴンのそばに近づくと、その胸部にあたる場所に手をかざした。痺れながらも近づいてきた人間を払いのけようと、ドラゴンはバルカに向かって鋭い爪を持つ前足を振り下ろす。


 その爪が彼女の胸部に触れる瞬間、バルカはニヤリと口の端を吊り上げて唱えた。


「猛々しい赤き竜よ……我がしもべとなり従属せよ!」


 ドラゴンは一瞬雷にでも打たれたかのようにけ反ると、「ギャオオン……」と気の抜けた音で鳴き、ふにゃりとその場に座り込んだ。まるで従順な犬になってしまったかのようだ。


 バルカはひょいとドラゴンの背にまたがると、俺たちに向かって手招きする。


「さあ、これで頂上までひとっ飛びだ。さばいて今晩の夕食の材料にしようかとも迷ったが、この方がいいだろう?」



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