第3章 世界を崩壊させたのは誰だ?
3-1. せわしない老婆とゼロ番
「あんたが森のおばあちゃんだって……!?」
「さっきからごちゃごちゃうるさい餓鬼じゃのう。お主は一体何者じゃ。ヴィオラの知り合いかえ?」
老婆は不機嫌にそう言うと、細い目でじっと俺の方を睨む。
「俺は——」
「イサム、一体これは何の騒ぎ……!?」
不審に思ったバルカが再びこちらにやってきて、案の定見知らぬ老婆の姿に怪訝な表情を浮かべた。
「この御仁は……?」
ミルコは今度はバルカの方に視線を向けると、懐から
「わしの名はミルコじゃ。ミルコ様とお呼び。全く……少しのあいだ留守にしておっただけでこうも異世界人が迷い込むことになるとはの」
やれやれと肩をすくめ、もう一度煙を吐き出す。その甘ったるい香りは森の小屋の中に漂っていた薬草の匂いとほとんど同じだ。
「ちょっと待て……ミルコ様よ、あなたは我々が異世界人だと分かるのか?」
バルカの問いに、老婆は深く頷いた。
「ああ分かるとも。わしゃこれまでいくつもの世界を旅してきとる。お主らのように格好も言葉も隠すつもりが無いんなら、見分けることなど造作も無いことよ。ほれ、こうして餓鬼の言葉に合わせて話してやっとるじゃろ? 年寄りを舐めんことじゃな」
そう言われてみれば確かに、初めから何の違和感もなく日本語で会話している。
「今、いくつもの世界を旅してきたと言ったな。それはつまり、あなたは自在に世界を移動することができるということなのか?」
「自在に、というのは語弊があるのう。じゃが、おおむねその通りじゃ。おぬしら『ナ・レート』についてはすでに知っているな? その力を使えば別世界に移動ができる。……ま、無条件にとはいかんがの」
その話を聞いて、俺はヴィオラの残した手紙に書かれていたことを思い出していた。
——二人はどうか『ナ・レート』が使えなくなる前に元の世界に帰る方法を見つけてください。昔、森のおばあちゃんが『ナ・レート』を使えば異世界に行けるという話をしていました。彼女を頼れば何かわかるはずです——
「……ばあさん。もしかして……『ナ・レート』を使えば元の世界に戻れるって本当なのか?」
「じゃから、ミルコ様と呼べと言っておるじゃろ。おぬし、さてはヴィオラに何か聞いたな? 見たところずいぶん『ナ・レート』を消費しておるようじゃが……それでも元の世界に帰るつもりなのかえ」
ミルコは俺の頭を見てそう言った。
「今すぐ帰る気はないよ。ただ、知っておきたいんだ。……いつか二人で帰るために」
「二人で、か。まったく……若いもんは難しいことを簡単に言うてくれるから困る」
俺が「二人」と言ったことについてバルカは要領を得ないようだったが、ミルコは俺の意図することを理解したようだ。
彼女はストンをひょいと持ち上げ、パチンと指を鳴らした。すると地面に落ちていた木クズが彼女の手元にぞわぞわと集まっていき、一本のほうきになった。
老婆は小さな身体でそれにまたがり、地面を蹴る。すると風に乗ってふわりと宙に浮き上がった。
「あ、ちょっと! どこ行くんだよ!」
「何はともあれ、わしは一旦旅の疲れを取りたいのでな。後でうちに来なさい。話の続きはそこでしてやる」
シワだらけの顔でカッカと高らかに笑う。どこからかビュンと強い風が吹き、次の瞬間にはミルコはその場から消えていた。
「なんだったんだ、一体……」
呆れたようにそう言って、さっさと作業の指揮に戻ろうとするバルカ。俺はとっさに彼女の服の裾をつかんで引き止めた。
「なぁ、バルカ。一応聞くけどさ……あんたはこのままヴィオラのことを忘れられるか?」
声が震える。
尋ねておいてあれだが、俺は本当は彼女の答えを聞くのが怖かった。
スミレちゃんがいなくなった時、最初のうちは色んな人が彼女の行方を心配していた。だけど半年経つ頃にはみんなが彼女を話題にしなくなり、次の年のクラスでは「
いなくなった人の存在は忘れられていくもの。
それでも忘れられないのは、きっと俺だけじゃない……そう信じてみたかった。
やけに長く感じられた間の後で、バルカはフンと鼻で笑った。
「愚問だな」
低い声音に、わずかな希望が打ち砕かれるような気がした。
確かにバルカはヴィオラと知り合って日が浅い。スミレちゃんのことなんて知るわけもない。忘れられる、そう答えられて当然だ。
やっぱり、俺だけなんだ。
「そっか……そうだよ——ゴフッ!?」
突然彼女の鉄拳——文字どおり機械でできた腕なので金属バットで殴られたような衝撃——が頬に叩き込まれ、受け身を取るための準備を全くしていなかった俺の身体は地面に投げ出された。
「くだらんことを聞くな! 忘れられるわけがなかろう! このバルカ・サンドリアを出し抜いた少女だぞ!? 異世界の存在をほのめかし、私をこの崩壊した世界に
バルカの怒号が身体全体に響く感じがした。
痛い。
殴られた頬が、地面に打ちつけた背中が、だけどそれよりも……胸が締めつけるようにズキズキと痛む。
俺だけじゃ、なかった。
「……ああそうだよ。忘れられるわけがない。忘れられないからこの世界に来たんだ。なのに本人から忘れろなんて言われるなんて……そんな理不尽、俺は認めない……!」
頬の痛みで顔が熱い。
情けない鼻水と涙は全部拭って、立ち上がる。
「バルカ、あの契約を更新してくれ。戦うための力が欲しいんだ。最初の期限はヴィオラの記憶が戻るまでだったけど、今度はあの子と一緒に帰るまで。そのためなら、俺はなんだってやる」
バルカはくっくと笑い、その手を俺の左胸にあてた。
「回りくどい奴め。だが目的のために手段を選ばんところは評価してやる。共に戦うぞ、異世界人同士でな」
俺たちは数日かけて元来た道を引き返した。途中、バルカの部下たちを姫の護衛として城に残し、俺たちは二人だけで森の中にあるミルコの小屋へと向かった。
「やっと来たか。待っておったよ」
ミルコが出迎え、俺たちを小屋の中へと招き入れる。中の様子は以前訪れた時とほとんど変わりはないが、心なしか薬草の甘ったるい匂いが強くなっている気がした。
「ストンはどうしてる?」
「家にあったエネルギー源をかき集めて記憶情報を同期させておるが、まだしばらく時間がかかりそうじゃ。ヴィオラが同期妨害の呪術式を組んだのかもしれんの」
ミルコはそう言って俺たちを一番広い部屋へと案内した。彼女がパチンと指を鳴らすと、床に散らばっていた鳥の羽のようなものが集まっていき、一人がけのソファーが二つ形成される。
「まぁひとまずかけなさい。わしが留守にしている間に何があったのか、詳しく見せてもらおうかの」
「見せる……?」
ミルコは頷き、部屋の中心に置かれている石を指した。
「これは
ミルコに促され、俺たちは幻日の精霊石を握りしめながらこれまでに起きたことを思い出す。
ヴィオラが書いた手紙を受け取ってこの世界にやってきたこと。だが当の本人は記憶を失っていて、彼女とともに姫を探しに城へ向かったこと。そこでバルカに出会って、この世界がなぜ崩壊したのかを解き明かすために、ヴィオラの記憶の手がかりである彼女自身が書いた物語を翻訳させていたこと。その最中でグリムに襲われて、ヴィオラは理由を言わずに姿を消してしまったこと。
「ふむふむ……なるほどな」
ミルコはブルースフィアで俺たちの記録を読み取ると、腕を抱えて考え込む。
「たぶんヴィオラはあいつに何か吹き込まれたんだ。一晩のうちに二つの選択肢のどちらかを選べって言われていたから」
「その選択肢とやらの内容は分かるのかえ?」
「正確には分からない。けど一つは……」
おそらく、「死」。
グリムがヴィオラを殺そうとしていたのがその証拠だ。だが彼女が跡形もなくその場から消えたのと、置き手紙の内容からして、命を絶ったとは考えにくい。彼女が選んだのはきっともう一つの選択肢の方だ。
「なるほど、じゃからストンの記憶が戻るのを気にしておるのか。……それにしても」
ミルコは腕を抱えて考え込む。
「
「兄山の笛吹きもなのか……? 俺が知っているグリムもそうなんだ。あの人はもっと無口で、何を考えているのかよくわからない人で、だけど悪い人じゃないはずなんだ」
特にスミレちゃんにとっては、なおさら。
俺の記憶の中のグリムは、いつも近所の河原にいて、俺たちが遊びに行くと話を聞いてくれたり、逆に彼の自作の笛の曲を聞かせてくれたりする、面倒見のいいお兄さんだ。
彼はどこか世間離れした雰囲気で飄々としていて、そのミステリアスな感じが子どもたちにとっては憧れだったが、素性が分からないからこそ大人たちはあまり良く思っていなかった。
俺の両親はグリムと関わることを禁止はしなかったものの、河原に行くと言うと「早く帰ってきなさいね」とか「知らないところに連れて行かれそうになったら断らなきゃダメよ」とか口酸っぱく言うので、俺は両親の気に障らない程度にグリムの元に行く頻度を抑えていた。
だけどスミレちゃんは違った。毎日のようにグリムのところにいて、日が暮れても帰らないことがしばしばあった。
『お父さんとお母さんは心配しないの?』
そう尋ねると、あの子は寂しそうな顔をして言うのだ。
『あの人たちは、わたしが家にいない方がうれしいみたいなんだよね』
そんな彼女にとっては、いつも優しく接してくれるグリムが親代わりのような存在だったのだと、俺は子ども心にもそう理解していた。
だからそんな彼がヴィオラを襲うなんて、目の前でその様子を目撃してもなお、いまいち信じられていない自分がいる。
「バルカの世界のモルテ卿ってのは一体どんな人だったんだ?」
その名を聞いた瞬間、バルカは顔をしかめる。
「……先日話した通り、世界戦争の引き金をつくった大罪人だ」
彼女は彼のことを思い出すのも嫌そうな様子だったが、お互いの認識のすり合わせのために必要だと判断したのだろう、モルテ卿について詳しく話して聞かせてくれた。
バルカが生まれる以前、世界はすでに食糧危機や資源の枯渇の問題を山ほど抱えてはいたが、それでも過去に結ばれた平和協定のもと、互いに過干渉はせず争いを避ける風潮にあった。
だが……ある日突然状況は変わった。一人の男——のちに
それは平和協定に反する新兵器開発に手を染めているという内容だった。正直、どこの国でもそんな秘密はごまんと持っているし、一般市民でも想像するに難くない変わり映えのない秘密であったが、それが水面下に隠され噂の域を出ない状態でいるのと公に証拠が出てしまうのでは、人々の反応がまるで違う。
バルカの国を含め、周辺国は団結して隣国を糾弾した。経済制裁をかけ、今すぐに新兵器を破棄するようにと迫った。
だが、モルテ卿は意地が悪かった。今度は糾弾する側に回った国の軍事機密も漏らしたのだ。
ある国はミサイルを、ある国は毒ガスを、ある国は感染症を引き起こすナノマシンを開発していることが次々と暴露され、世界中の人々は一斉に疑心暗鬼に陥り、そして悟った。
平和協定など、何の意味も無かったのだと。
この事態に最も不満を持ったのは、最初に理不尽に追い詰められた隣国だった。宣戦布告を出さないまま、モルテ卿の住んでいた国境沿いの街にゲリラ攻撃を仕掛け、街は陥落。その街はバルカの国にとっては食糧生産の要所であったため、バルカの国はすぐさま反撃のために進軍。その争いに周辺国もどんどん巻き込まれていき、今や誰が何のために戦っているのか分からないほどに混沌と化してしまっているのだという。
「それで、モルテ卿はどうなったんだ……?」
「『
バルカは吐き捨てるようにそう言った。
グリム、兄山の笛吹き、モルテ卿。
三つの名前について、俺たちの目の前に現れた男は「どれも正しくて、どれも間違っている」と言った。だったらヴィオラの命を狙ったあの男は一体何者だというのだろう。
それまで黙って話を聞いていたミルコがパチンと指を鳴らす。すると部屋の隅に丸められていた羊皮紙が浮き上がり、木机の上でひとりでに開いた。
「同じ世界に同じ人物が二人いることは考えにくいが、違う世界に同じ人物がいるということについては実は心当たりがあってな。……もしも兄山の笛吹きと同じ外見ならば、額に数字が彫られているはずじゃ。お主らが会った男の数字は何番じゃったかの?」
羊皮紙の中を覗き込むと、そこには数字が一から百までずらっと並んでいて、いくつかには丸印がつけられていた。
「ここにはないよ」
「なんじゃと?」
俺とバルカは顔を見合わせる。
「だって確か、俺たちが会ったあいつの額の数字はゼロ番だったから——!?」
そう言った瞬間、目の前の老婆がぎょろっと目を見開き、俺の服を掴んできた。
「ゼロ番……今ゼロ番と言ったか!?」
「そ、そうだけど……」
するとミルコは急に腹を抱えて笑いだした。
「かっかっかっかっか……! そうか、ついに
本体とはどういう意味なのか。何百年探し続けたということは一体ミルコは何歳なのか。突っ込みたいところはたくさんあったが、老婆は笑い続けていてなかなかその隙を与えてくれない。
やがて彼女は数字の中で「68」と書かれた場所を指差した。すでに丸印がついている数字だ。
「わしはこれから兄山の笛吹きの元に行く。お主らもついてこい」
「ええ!?」
あまりに唐突すぎる。呆気にとられる俺たちをよそに、ミルコはせっせと荷物をまとめ始めた。山登りの準備だ。
「待ってくれ、元の世界に帰るための方法を教えてくれるんじゃ——」
「どのみち双子山の風が無いことには始まらん。話くらいは道中でもできるじゃろう。それよりもゼロ番に通じる風穴が閉じてしまうことの方が心配じゃ」
「風穴って……?」
「異世界に通じる門、じゃよ。風穴と強い風、この二つが揃ってこそ世界間を移動できる。おぬしらも経験しているはずじゃ。この世界にやってくる直前……周囲には強い風が吹いておらんかったか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます