2-3. 女将校との刺激的契約
俺がバルカに協力することを宣言した直後、彼女は自分と俺を含む十数人——中にはいつの間にか彼女の配下に加わっていたモンスターの村の住人も含まれていた——で各地を復興して回る隊を結成した。
復興と言っても、現代日本のように災害後何年もかけて地道に街を築き上げる方法とは違う。
集落や畑の跡地を見つけたら、バルカの電子脳とやらの力で元々どういう場所なのかを解析し、そのイメージを聞いて俺が『ナ・レート』で再現するというチートな方法だ。
二人ともその力を使うことで体力を消耗するわけでもなかったから、最初の数日は城の近隣の街が、一週間経つころには少し足を伸ばした先にある
ただ、そんなハイペースに復興が追いつかないのがそこに住む人の存在だ。
城でほとんどの人がすでに亡くなっていたように、遠くの集落でも崩壊のせいで
「……イサム、来るぞ」
隣国の城下町の中心地で、バルカが呟く。
「ああ、分かってる……!」
俺は支給されたサーベルの柄を握りしめ、腰を低く構えて耳を澄ませた。
深く考える必要はない。焦る必要もない。
どうすればいいかは、すべて頭の中に響いてくる。
やがてどこからか
——背後に一人、正面に一人。背後の方が近い。
頭の中に響く声の通り、足音は前後に分かれていて、背後から聞こえてくる音の方がこちらに迫ってきている。
——背後の目標、足音が変わった。臨戦態勢だ。私の合図で抜刀せよ。前の敵は麻酔銃で仕留める。
背後の気配に集中する。サーベルの持ち方、力の入れ方、そして抜刀の方向まで、頭の中の声はこと細かに指示をする。一つ一つ理解しようとする必要はない。ただそれに耳を傾けていれば、自然と身体が動く。
——今だ!
合図とほぼ同時に、正気を失った男ががれきの影から飛び出した。だがその姿を捉えた時にはもう、俺のサーベルの刃は鞘の中を滑り出していた。相手が振り上げたぼろぼろの剣をしっかりと受け止める。金属音が響くのと同時、発砲音がして相手がびくつくのを感じた。前方から襲いかかってきた人間にバルカが麻痺銃を撃ち込んだ音だ。
——加減を知らん分、力は強いが立ち回りは素人だ。こういう血気盛んなのは逃さずさっさと懐柔した方がいい。腕の力を入れすぎるな。隙を作れ。引いて前のめりになったところで押さえ込め。
「了……解ッ!」
指示どおりに力を抜き、相手の力が空回った瞬間、刃をすり抜け肘で胸を突き呼吸を乱させる。動きが鈍ったところで、バルカが発砲した。麻痺銃によって意識を失い、パタリとその場に倒れる。
「……ふぅ」
サーベルを鞘に収めて一息つく。労いの意味を込めてか、バルカがとんと俺の肩を叩いた。
「ずいぶん慣れてきたようだな。つい先日まで剣を持ったことすらなかったとは思えん動きだ」
「自分でも驚いてるよ。あんたの『ナ・レート』があってこそではあるけど」
バルカは当然だと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「……ただ、やっぱりあの契約方法だけは見直した方がいいんじゃないかな」
「む、なぜだ? あれは私の国では日常的なスキンシップの一つだぞ」
「あんなのが日常的なのかよ……」
思い出すだけで顔から熱が噴き出しそうだった。
それは十日ほど前、玉座の間で協力宣言をした日に遡る。
バルカは俺の提案に乗るとは言ったが、そのためには「契約」が必要だと言い出した。
「契約……?」
「そう、契約だ。口約束を信じてやるほど私は優しくないのでな」
俺はそこで初めてバルカの『ナ・レート』について聞かされた。彼女もまた、俺と同じくこの世界にやってきてから『ナ・レート』を使えるようになったという。
力の性質は俺やヴィオラのものとは違う。バルカの『ナ・レート』は「命令する力」だ。彼女と契約を結ぶと、彼女の命令が頭の中に響くようになり、その命令を受け入れる意思さえあれば身体がそれ通りに勝手に動く。
言葉を失ったこの世界の人々が統率の取れた動きで俺たちを取り囲んだり、テキパキと城の修復作業を進めたりしているのも、すべて彼女の『ナ・レート』の力がなせる技なのだ。
「つまり、俺が契約を承認して、あんたの命令が常に聞こえる状態になればいいんだな?」
「ああ、その通りだ。なに、命令が常に聞こえてくるからといって全てに従わなければいけないわけではない。どうやらこの力は本人がその気になることと、肉体的にその命令を実行可能であること、この二つの条件が揃わなければ効かないらしいからな。それに、メリットもある」
そう言って彼女が提示したのが、戦闘での立ち回りを教えてくれるという話だった。
「戦闘なんて……イサムを危険な目に遭わせるつもりなの?」
ヴィオラは動揺していたが、俺にとってバルカの提案は決して悪い話ではなかった。
危険な目にならすでに何度も遭っている。そのたびにヴィオラや自分の身が窮地に晒されてきた。これまで無事に切り抜けられてきたのはほとんどまぐれと言っていい。いくら『ナ・レート』の力があるとはいえ、戦闘の基本のキも知らない状態では近いうちに命を落とすことになるのではないか……そう思っていたところだったのだ。
そんな中、手っ取り早く戦えるようになる方法があるならありがたい。
「いいよ。あんたとの契約を受け入れる。契約書にでもサインすればいいのか?」
するとバルカは首を横に振り、自分の左胸を指して言った。
「互いの手で心臓のある左胸に触れる、それが私の故国流の約束の交わし方だ」
「左……胸?」
そこは軍服のジャケットに収まりきらないほどの、見るからに柔らかそうなメロン大のオッパイがある場所なんですが?
「何か問題でもあるのか」
バルカは不満げに口を尖らせる。
いやむしろなんで問題がないと思ってるんだこの人は。
二人きりならまだしも(と言ってしまう自分の素直さが悲しい)、今はこの場にヴィオラも姫もそしてバルカに従うモンスター兵たちもいる。
公衆の面前でのわいせつ行為……とはいえこれは「契約」だから同意の上ではあるんだよな? それとも、バルカに強要されたんだったらむしろ俺の方がセクハラを受けていることになるのか?
……まぁ、そんなこと考えても結局ここは現代日本じゃないんだけど。
あたふたしているうちに、目の前のバルカの眉間に寄せられたシワが一本増える。モタモタするな、そういう圧の入った視線で睨まれる。
ええい、男になるんだ、俺!
そう思って、思い切って手をのばしかけた時——
「イサム・サン、ゴ存知ナイカモシレマセンガ、コノ国デハ、人前デ女性ノ胸部ニ触レル行為ハ辱シメデアリ、厳罰ヲ下ス規則ガ……」
「あるのかよ!」
ストンが余計なことを言ったせいで、せっかく固まりきっていた決意もたち消えてしまった。
「あのー……バルカさん? そういうことだから、契約は別のやり方で……」
うかがいを立てようとしたが時すでに遅し。
「ごちゃごちゃとうるさい奴らだな。ここはすでに私の国、私が法だ!」
そう言って彼女はむんずと俺の腕を掴み、自分の左胸に押し当てた。軍人として鍛えているからか、弾力のある柔らかさが指先に触れる。
「あっ……」
思わず変な声が出てしまった。
ああ、人体ってこんなに柔らかいものなんだな。しかもこんなに性格はキツそうな人でも、ちゃんと柔らかいところは柔らかいなんて。柔らかいっていいな。なんか癒される。なんでだ? 柔らかいからか。まぁそりゃ柔らかいもんな。メレンゲみたいな、スポンジみたいな、グミみたいな……
——さっさと手を離せ。でないと殺す。
「ひっ!?」
未知の感触に完全にお花畑モードに浸っていた脳内でバルカの低く轟くような声が響き、俺は慌ててその手を引いた。
目の前の彼女はにやりと口の端を吊り上げる。
「聞こえたか」
「もしかして今のが……」
ヴィオラや姫の方を見てみたが、彼女たちには何のことか分からないのかぽかんとしている。
「そうだ。これが私の『ナ・レート』。貴様は私の配下となった。契約期間はヴィオラの記憶が戻るまで。それで問題ないな?」
改めて言い渡されると、身が引き締まるような気がした。だが、もう引き返すことはできない。俺が頷くと、ヴィオラが慌てて駆け寄ってきた。
「ねぇイサム、本当にそれでいいの? わたし、自分の記憶が戻るかなんて正直自信がないよ。それなのにそんな契約……」
彼女の声は震えていた。
とても玉座の間で姫に物語を語っていた時と同一人物には見えない。
だけどそういうところこそ、俺がよく知る「
だから、彼女のもう一つの顔に気づくことはできなかった。
「……大丈夫だよ」
俺はヴィオラの肩を叩く。
「物語の翻訳が進めば、きっとそれを書いた時に何があったのかを思い出せるから」
「どうしてそう思うの……?」
「作者はその時自分が感じたことや、直面したできごとを物語の中に仕込むものなんだ。……昔、物語を作るのが得意な友だちがそう言っていた」
ヴィオラもきっとそうに違いない。半分賭けではあるけれど、自分の中では不思議と確信があった。
ヴィオラは「そっか」とつぶやくと、顔を上げて微笑む。
「なんか変な感じ。イサムの方がわたし以上にわたしのことを知っているみたい」
「……そうでもないよ」
痛々しい記憶が蘇ってきて、俺はヴィオラから目をそらす。
スミレちゃんがいなくなる前、彼女が俺に対して放った最後の言葉はこうだった。
『イサムはわたしのこと、何にも分かってない!』
あの子のことをちゃんと理解できていたら、こうして異世界に来ることもなかっただろう。今はほんの少し、記憶をなくしている君よりアドバンテージがあるだけ……そう思ったけど、口には出さないでおくことにした。
「おい、聞いているのか、イサム!」
バルカの怒鳴り声が聞こえて、俺はハッと我に返った。
「全く、貴様が色々知りたいというから、こうして遠征の疲れがある中で夜通し説明してやっているのに……」
そうだった。
俺たちは隣国の城下町の復興作業を終え、近隣の村跡地に築いたベースキャンプにいる。この辺りは農作物の育ちも良さそうなので、第二の拠点にすべく、最初の城から人員を呼び寄せ合流する手はずになっていた。その中にはヴィオラや姫もいる。
彼らが来るまでの間は手持ち無沙汰になるので、俺はバルカの持つ高度な技術について色々と話を聞いていたのだ。生命維持を行なう機械義肢に、電気を纏うことのできるサーベル、パソコンのような高速演算を人の脳でも行えるようにする電子脳。
バルカの傍らにある黒板——俺が『ナ・レート』で実現させたものだ——には、彼女が持つ銃の機構について細かく色々と書かれていた。説明によると、様々な種類の弾丸を状況に応じて撃つことができる万能な銃で、よく使う麻痺弾は殺傷力の低い銀の弾丸でできており、着弾の瞬間、弾頭から麻酔効果を持つナノマシンを放出、血管の中に入り込んで即座に相手を眠らせるのだという。
「複雑すぎて、頭に入ってこないんだよな……」
バルカに聞こえないようにぼやいてみる。
質問しておいてなんだが、説明の途中で俺は居眠りをしてしまったらしい。普段学校や塾の授業で居眠りをすることなんて滅多にないんだが、ここ最近は慣れない運動をしているせいでどうも身体のペースがいつも通りにいかない。
空を見上げるといつの間にか真っ暗になっていた。周囲にはベースキャンプの明かりくらいしかないから、星がよく見える。ただ、やはり世界が違うと見える空も違うようだ。月のように一番大きくて明るい星の周囲に添えるようにして小さな星がいくつも並んでいる。天の川のような帯状ではなく、渦を巻いているような形の銀河がちらほら見える。
ロマンチストじゃないが、昔の人が毎日こういう星空を眺めていたのだとしたら、そりゃ星座とか考えて遊びたくなるよな……そんなことを思っていると、後頭部がプツンと痛んだ。
「な、なにすんだよ!」
バルカが俺の髪の毛を抜いて、なにが面白いのかそれをしげしげと眺めている。
父も祖父も全員頭頂部が薄い赤塩家にとって若いうちに生えている毛がどれだけ大事か分かってるのかと、そう文句を言おうとした。
だが、バルカが抜いた髪の毛を明かりに照らしてその気も失せた。
「赤い……?」
俺の頭から抜かれたはずの毛が、真っ赤に染まっている。おかしい。生まれてから一度も髪を染めたこともない俺の地毛は黒一色のはずだ。
「やはり気づいていなかったか。この世界では鏡を見ることもほとんどないからな」
バルカ曰く、初めて出会った時はほとんど黒色の髪だったが、最近だんだん赤みを帯びてきて、今は光の加減によっては全体的に赤髪のように見えるのだという。
「どういうことなんだ……?」
「さぁ、私に聞かれても分からん。だがもしかしたら『ナ・レート』の使用量に関係しているのかもしれんな。今日の城下町の復興で一気に色が変わったようだから」
たかが髪の色の変化だ。相変わらず『ナ・レート』を使うことで疲れたり、体調が変化したりは特に感じない。今すぐに何かが不自由になるというわけではないのだろう。それでも、もし『ナ・レート』を使うことに何か弊害があるとしたら……。
「にしても遅いな。ヴィオラたちはそろそろ着いてもいい頃合いだが」
バルカがそう言って、様子を見に行こうかと出かける準備をし始めた——その時だった。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
西の森——ヴィオラたちが通ってくるはずの道がある方角から、甲高い悲鳴が響き渡った。
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