1-11. 同期済記憶情報/姫サマトノ出会イ




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呪術式ゴーレム:ストン

起動二三七三日目


王城・玉座ノ間ニテ、新タナ記憶情報ヲ同期。

情報量過多ノタメ、仮想記憶領域ヲ解放シ、

ココニ一時保存スル。


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 この世界にはまれに、「風の落とし」と呼ばれる人たちがいる。どこからともなくやってきた、生まれも育ちも一切不明な人たちのことだ。


 わたしは、その一人だった。


 幼い身体で頼れる人もなくあちこちをさまよっていたところを森のおばあちゃんに拾われて、わたしは初めて「ヴィオラ」になった。


 言葉も、呪術も、この世界のことも、全部森のおばあちゃんに教えてもらった。彼女はその一匹狼な性格と怪しげな風貌のせいで周囲の人々におそれられていたけど、物語でよく登場するような悪い魔女などでは決してなかった。鈍臭いわたしが頼まれていたのとは違う素材を採ってきた時も、呪術に失敗して家の一部を壊してしまった時も、森のおばあちゃんは決してわたしを見放すようなことはしなかった。


 ただ、何がきっかけだったのか、一度だけ森のおばあちゃんを怒らせてしまったことがある。


「むやみやたらに『ナ・レート』を使うんじゃない!」


 聞き慣れない単語に、わたしはなぜ怒られたのか始め理解できずにぽかんとしていた。


 森のおばあちゃんは言った。『ナ・レート』とはこの世界には本来無いはずの力で、使い方を間違えれば世界に大いなる災いをもたらしてしまうのだ、と。そして、わたしにはその『ナ・レート』を使う力があるのだという。


 それまでは無意識で『ナ・レート』を使っていたから、どうすれば使わないようにできるのか、幼いわたしにはよく分からなかった。


 だけど、森のおばあちゃんに怒られたということへの驚きが自分でも気づかないうちに歯止めになっていたのかもしれない。それからしばらくは『ナ・レート』を使うことはほとんどなくなっていった。







 推定年齢で十五歳になった頃、いい加減働かない者には食わせられないと、わたしは森のおばあちゃんに勧められて近くの村で人手不足になっていた運び屋の仕事をすることになった。


 運び屋はその名の通り、依頼されたものを運んで届ける仕事だ。運ぶものは食材から鉱石までありとあらゆるものが対象だったけど、わたしが食品を道中で腐らせたり、非力すぎて重いものを運ぶのに何十日もかかってしまったりしたので、見かねた雇い主からは手紙を運ぶ仕事を専門でやるように言いつけられた。


 専門と言っても、ドジなわたしには大事な手紙を任されることはなかった。そういうのは先輩のハーピー姉さんの仕事になっていたのだ。


「ねぇ、あんたって文字読めるんだよね?」


 ある日、運び屋の休憩所でハーピー姉さんはわたしに尋ねた。その頃のわたしは、森のおばあちゃんの家にある本を全部読み漁るくらいにはなっていたから、文字を読むことに多少自信はあった。


 頷くと、ハーピー姉さんはほっとしたような顔を浮かべて言った。


「実はちょっと面倒な仕事頼まれちゃってさぁ。文字さえ読めればできる仕事だから、あんた代わりにやってくれない?」


 ハーピー姉さんに頼られることなんて滅多になかったから、わたしは少し舞い上がっていて、悩むことなく「やります」と返した。


 ……それが、まさか王城での仕事だとも知らずに。


「はい、じゃあこれよろしくね」


 ハーピー姉さんはそう言って、両腕の翼いっぱいに抱えた手紙をわたしに押しつける。わたしのバッグに入りきるかどうか怪しいくらいの量だ。


「どこに運べばいいんですか?」


「ああ、安心して。それ全部一人に宛てられたものだから。行き先は一箇所だけ」


「これがたった一人分!? 一体誰の……」


「お城の姫さまよ」


「ええ!?」


 思わず声が裏返ってしまい、ハーピー姉さんからはたしなめるような視線で睨まれた。


「何よ、やるって言ったでしょ?」


「言いましたけど……」


「大丈夫大丈夫。多少の無礼に怒るようなお人じゃないからね、うちの姫さまは。もしハーピーはどうしたのかって聞かれたら、『彼女は文字が読めないから代わりに来ました』って言っておいて」


 そう言って、ハーピー姉さんはわたしが本来届けなければいけなかった手紙を代わりに持って仕事に出てしまった。






 平和な国だから昼間はいつでも王城の門が開いている。


 とはいえ、城の中のきらびやかな雰囲気や、出入りする人々の華やかな服装を見ているとどう考えてもわたしは場違いで、とにかく早く仕事を終えてこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいになった。


「運び屋です。姫さま宛てのお手紙をお持ちしました」


 衛兵にそう伝えると、「君が?」と怪しまれたけど、バッグの中の大量の手紙を見せると納得してもらえたようだった。彼に連れられて、わたしは王城の中を案内される。姫さまのお部屋まで直接連れて行ってもらえるらしい。


 上階につながる階段を一段上るたびに、緊張でお腹が痛くなる。頭の中では何度も姫さまにお会いした時の手順をおさらいした。まずはお部屋に入る前に一礼して、挨拶と自分の名前を言った後、近くに寄るように指示されてから進み出て片方の膝を床につき、一枚ずつ宛名の書かれた方を上に手紙を差し出して——


 全部、無駄だった。


 姫さまのお部屋の扉が開いた瞬間、わたしは頭の中が真っ白になってしまったからだ。


「あら、今日は可愛らしい女の子の運び屋さんなのね」


 目の前には、どれだけ腕のある芸術家でも再現できなさそうなほどに美しい姫さまがいて、穏やかな微笑みをわたしに向かって投げかけてきたのだ。


 わたしのような人間が、このお方と同じ部屋にいていいはずがない。


 そんな罪悪感に駆られて、わたしは身を縮こまらせる。間違いでしたって言って逃げ出したくなった。


 だけど、姫さまの右手が催促するようにわたしの方に伸びてきて、わたしは慌ててバッグから手紙を取り出した。片膝をつくことなど忘れて、そのまま手渡そうとした時、姫さまは「あなたが読んでくれないかしら?」と小さく首を傾げながら言う。


 わたしは言われるがまま、慌てて手紙の封を開けてその中身を読み上げる。


 一通、二通、三通、四通……。


 姫さまは始終優しい表情を浮かべたまま、わたしが読み上げる手紙の内容に耳を傾けていた。


 一体何通分読んだのだろう。数え切れないくらいの手紙を読み上げ終わった時、わたしの喉はカラカラに枯れていた。すると姫さまはくすくすと笑って、側にいた従者に何かを指示した。しばらくして従者が戻ってきた。彼女が持ってきたのは二人分のティーセットと茶菓子だった。


「お疲れさま、小さな運び屋さん。良かったら一緒にお茶はいかが?」


 それまで手紙を読むのに夢中になっていたわたしは、その時最初の緊張が一気に蘇ってきて、慌てて首を横に振った。


 ただでさえこれだけ長い時間お部屋に置いていただいて、おまけにお茶をご馳走になるなど、雇い主に知られたらきっとひどく叱られるだろう。これ以上姫さまのお時間をわずらわせる前に早く帰らなければ。


 姫さまはそんなわたしの考えを察しているかのように言った。


「気にする必要ないのよ。私があなたとお茶を飲みたいんだもの。なんならあなたの雇い主に宛てた手紙を書いて持たせてあげるから、ね?」


 そこまで言われては断るわけにもいかず、わたしは後ろめたさはありながらも、姫さまとお茶を飲んでから帰ることにした。


 姫さまは色んな話を聞かせてくださった。


 お城にいると、日々「今日も何事もありませんでした」の繰り返し。だからと言ってお城の外に出ようとすると、王様は大切な愛娘に何かあったら困ると城の周りの庭の散歩くらいしかさせてくれない。平和なことは良いことだけれど、姫さまはそんな毎日に少し退屈をされているらしい。


「だからね、最近運び屋さんに頼んで、国中の私宛ての手紙を届けてもらうことにしたのよ。それまでは貴族以上の身分の方のものだけ届けられていたのだけど、どれも内容が代わり映えしなくって。それよりもお野菜はどうやったらできるのかとか、隣の家の方への恋の話とか、そういう話の方が面白いんだもの。ほら、あなたがさっき読んでくれた中だと、あの手紙は思わず笑ってしまったわ。南の方から最近引っ越してきた方で、雪を初めて見ましたっていうお手紙。嬉しくて雪かきせずに放っておいたのだけど、しばらく時間が経ったら雪がだんだん赤黒くなってきて、雪って錆びるんでしょうか、姫さまはご存知ですか、って。あのお手紙、お返事を出してあげようかしら? それは錆びじゃなくて、砂けむりや泥が染みて汚れただけですよって。それとも、返事は出さずに雪は錆びるものと思ったままの方が夢があるかしら?」


 姫さまはお茶を飲みながら、楽しげにそんな話をされた。


 手紙は書き手の物語。誰かの物語についてこうして語り合う時間は、どうしてか分からないけれど、なんだか懐かしく感じる。


 お茶を飲み終える頃にはすっかり日が暮れようとしていて、わたしは慌てて帰る支度を整える。部屋を出ようとした時、ふと腕を後ろに引かれた。


「ねぇ、あなた私の専属の運び屋さんにならない? ただし、出された手紙を届けるだけじゃなくて、文字が書けない人や、普段手紙を書かない人の話を聞いて代筆して手紙を書く仕事もお願いするわ。私はできるだけたくさんの人の手紙を読んでみたいの。ハーピーは嫌そうな顔をしていたけれど、あなたなら引き受けてくれるでしょう?」


「わたしで……よろしいのでしょうか?」


 ハーピー姉さんに比べればずいぶん足が遅いし、知らない人と話すのも得意じゃない。姫さまが今おっしゃったような仕事をこなせるのか、正直あまり自信はない。


 だけど姫さまは縦に頷き、わたしの腕を温かな両手で包み込む。


「ええ、ヴィオラ。あなたがいいの。自分では気づいていないかもしれないけれど、あなた手紙を読み上げるときに色んな表情をしていたのよ。楽しい内容の時は微笑みながら、悩みごとの時は眉間にしわを寄せながら、あなたは書き手の気持ちになりきって手紙を読んでいた。そういうことって、誰にでもできることじゃないわ。あなただからお願いしたいことなの」


 そう言われて、わたしは急に色んな気持ちがこみ上げてきて……思わずその場で涙を流していた。


 わたしは「風の落とし仔」。自分が何者だか分からなくて、森のおばあちゃんに拾われた子ども。


 何をやっても鈍くさくて、時々わたしなんていない方がみんな嬉しいんじゃないかと思うこともあった。


 だけど、あるんだ。


 わたしだから、できることが。


 わたしが求められる、居場所が。


「姫さま……わたし、やります。姫さまのための運び屋を。姫さまに、たくさんの人たちの物語をお届けするために」




 ……この時のわたしは、森のおばあちゃんからの忠告などすっかり頭から忘れ去ってしまっていた。


 『ナ・レート』がもたらしうる、大いなる災い。


 それが一体どんなものであるか、この時のわたしは気にかけてすらいなかったのだ。




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同期完了。

仮想記憶領域ヲ削除シマス。

現在ノ記憶情報ノ同期ヲ再開、、、


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