1-9. 変わり果てた玉座の間



 城の最上階の回廊には王家の部屋が並んでいた。王妃と王の寝室、そして一人娘の姫の部屋。だがどの部屋も空室で中には誰もいない。


「どこ……どこなの……?」


 誰もいない部屋の扉を開けるたび、ヴィオラの顔は不安で青ざめていた。


「落ち着いて探そう。なるべく俺たちは息を潜めて、もう一度物音が聞こえないか耳を澄ませるんだ」


 彼女にそう言い聞かせている俺こそがちっとも落ち着いてなどいなかった。全身の血がどくどくと波打ち、暑くはないのに汗がじっとりと止まらない。


 くそっ、こんな状態で姫を助けられるものか。


 俺は焦って次の部屋へ行こうとするヴィオラを引き止め、一度その場で深呼吸をした。するとヴィオラの肩に乗るストンがピクリと何かに反応した。


「聞コエマス。何カノ音ガ……玉座ノ間ノ方カラ」


 俺はヴィオラの顔を見やる。


「……行ける?」


「うん。……行かなきゃ」


 ヴィオラは今にも胃の中のもの全部吐き出しそうな表情をしていたが、確かにここまで来て引き返すなんて選択肢はない。


 俺たちは抜け殻になった部屋を出て玉座の間へと向かう。


 玉座の間は最上階でもっとも広い部屋で、中央階段が崩れてさえいなければ一階から直接行けるはずの場所にあった。ずいぶん遠回りになってしまったが、幸い部屋の前ががれきで塞がれているようなことはなく、いかにも玉座の間といった雰囲気を醸し出す重厚な扉も二人で押すとあっさり開いた。


「な、なんだこれは……」


 部屋に一歩踏み入れて、思わず足がすくむ。


 まずはじめ、扉から部屋の奥の玉座につながる一枚のカーペットは崩壊した城の中でも色褪せない深紅で、一瞬その荘厳さに見とれた。


 だが、その色が血の色なのかもしれないということに気づいて、一気に全身から血の気が引いた。


 玉座への一本道の脇に、たくさんの人々が倒れている。


 鎧に身を包んでいる兵士、メイド服のようなものを着ている給仕係、王城によく出入りしているであろう貴族、誰もが平等に傷だらけで、床に突っ伏していたのだ。


「一体ここで何が……」


 むっと漂ってくる血の臭いに鼻を覆う。


 いくら世界が崩壊しているからって、こんな光景今まで見たことがなかった。ヴィオラ以外の人間の姿を見ることはなく、彼女以外の人々は皆どこかに消えてしまったのではないかと思っていた。


 いや、そうであってほしいと願っていたんだ。


 だけど、現実から目を背けるべきじゃなかった。世界が崩壊すれば、当然そこに住む人々は被害を受ける。この世界をうろつく限り、いつかその惨状を目の当たりにする時が来ると……ちゃんと覚悟しておくべきだったんだ。


 ここはきっとパンドラの箱。


 俺たちのような無力な少年少女が扉を開けるべきではなかった場所。


「ヴィオラ、やっぱり戻ろ——」


「姫さま……姫さま……?」


 引き戻そうとする俺の手を逃れ、ヴィオラは部屋の奥へとふらふらと歩きだす。


 だめだ、ショックを受けて呆然としている。


 倒れている人々の中に姫らしき姿は見当たらないが、城に出入りすることが多かったヴィオラにとってはこの中に知り合いもいるだろう。こんな光景を目にして平気でいられるわけがない。


 ……どうする?


 とにかくこの状態は危険すぎる。もしこの惨状を生み出した犯人がどこかに隠れているのであれば、今のヴィオラはかっこうの的だ。襲われる前に敵の居場所が分かればいいが……。この部屋だと隠れられるのは倒れている人々の影か、あるいは——


 ガシャン。


 部屋の中のどこかで小さな物音がした。


 ヴィオラの方を見る。彼女はまだ音に気付いていないのか、相変わらずふらふら歩いている。だが、音がしたのは彼女が今いるあたりだ。俺はいざという時に『ナ・レート』が使えるように頭の中で呪文を繰り返しながら、息をひそめて彼女の後を追った。


 かつてないくらい神経を研ぎ澄ます。今なら蟻の歩く足音さえ聞き取れそうだ。どこだ、どこだ……? ふと、ヴィオラの足元にある兵士の手が小さく動くのが見えた。


「〈ロエモ・ヨヒ〉!」


 呪文とともに、俺の指先から火の玉がほとばしる。


「グアアッ!」


 身動きを見せた兵士の手がひるんだ隙に、ヴィオラの元へと駆け寄った。


「な、何……?」


「分からない。けど、もしかしたら敵かもしれないと思って」


「この人が……? そんな、そんなはずは」


 ヴィオラは悲壮な表情を浮かべ、兵士のそばにしゃがみ込んだ。


 危険だから近づかないようにと言うつもりだったが、その気もせた。


 どうやら兵士は火傷した指先を動かせるくらいで、自力で起き上がる力はないらしい。うつ伏せに倒れている兵士の身体を仰向けにしてやる。よく見ると兵士の鎧は他の者たちに比べてひときわ立派なもののようだった。


近衛隊長このえたいちょうさん……どうしてこんなことに……」


 ヴィオラが彼の腰に差してある剣を鞘から抜く。剣には刃こぼれや血痕一つついていなかった。


 つまり、彼が犯人ではないという証拠。


 クソッ、最悪だ。


 早とちりして彼に攻撃してしまったことへの罪悪感はあるが、そんなことなど些細に思えるくらい嫌な気持ちが湧き上がってきた。


 それは、押し潰されるような恐怖。


 この部屋のどこかに潜んでいる敵は、近衛隊長でも太刀打ちできない相手ということなのだ。


 ヴィオラはぽろぽろと涙を流し、近衛隊長の冷たい鎧に顔を伏せた。彼は彼女に何か答えてやりたいようだが、ぱくぱくと口を動かすだけで声にならない。


「ああそうだ……とりあえず回復薬を……!」


 ヴィオラは慌てて「森のおばあちゃん」の家から持ってきた薬を飲ませようとした。


 ……本当はもう手遅れだ。


 近衛隊長の喉元には小さなナイフが突き刺さっていて、すでに出血がひどい。こうして意識を保っているだけでも奇跡なくらいだ。そうと分かっていても、ヴィオラはできることをしたかったんだろう。


 こういう時に人を救えるのは理屈なんかじゃないと、見せつけられているようで少し胸が痛む。


 だが、今は俺だけでも冷静にならないと。おそらくこの部屋の中でまだ息があるのは近衛隊長だけ。彼が犯人につながる手がかりのはずだ。図書館で聞こえた唸り声から最初はモンスターが暴れているのかと思ったが、この喉元のナイフを見る限り違う。人の手によってこの惨状はもたらされたのだ。


「ヴィオラ・サン。今シガタ同期シタ記憶情報ニヨルト、コノナイフノ持チ主ハ……」


「言わないで!」


 ヴィオラは涙目で訴える。だが、ストンの言葉を遮ったところであまり意味はなかった。ナイフに施された豪華な装飾と、今の状況を照らし合わせて考えれば……ある程度想像がついていた。




「やったのは……姫さまなんだな?」




 黙りこくるヴィオラの代わりに、近衛隊長の虚ろな瞳が縦に動いた気がした。言葉が通じているのかどうかは分からないが、彼の想いは伝わってくる。


 俺が今やるべきことは、相手が誰であろうと生き延びたヴィオラを守れ——だ。


「〈フルシ・セカ・ラカチ〉!」


 俺は『ナ・レート』で風の妖精シルフを呼び出す。倒れている人々に紛れて隠れているわけじゃないなら、考えられる場所はもう一つ。玉座だ。


「いっけぇぇぇぇぇ!」


 シルフが発生させた風の渦が、豪勢な玉座を破壊する。風によって舞い上がる粉塵。ほこりの幕が消えるのを待たずして、その奥にあった人影が動く。


「オォォォォアアアア!!」


 人影は獣が威嚇するような声をあげ、こちらに向かってきた。徐々にその姿があらわになる。美しい桃色の髪も、繊細なレースで装飾されたドレスも、すべてボロボロになって返り血で汚れていた。面影はないが、間違いない。俺たちが探していたはずの姫が、敵意むき出しに襲いかかってくる。


 キラリと何かが光った。彼女の手の中にある小型ナイフだ。


「一つだけじゃないのかよ!」


 こと切れた騎士団長の横でうずくまっているヴィオラを引っ張り、なんとか俺の背後に回らせる。変わり果てた姫はすぐそばまで迫っていた。


「〈レモマ・テタ〉! 〈レバシ・トイモク〉!」


 思いつくままに呪文を唱える。すぐ足元のカーペットの下にある大理石のタイルが浮かび上がり、俺の目の前に巨大な盾を作るようにして組み合わさっていく。


 姫の意表を突くことには成功したようだ。彼女は方向転換できずに大理石でできた盾にぶつかると、回り込んでこちらに向かってこようとする。だが、間髪入れずに次の呪文の効果が発動。天井のシャンデリアから蜘蛛の糸が伸びて姫の両手を拘束した。


「フーッ! フーッ!」


 姫はすぐにでも糸を千切らんとばかりに暴れる。目は血走って赤く、顔はあのブルースフィアで見た女性と同一人物とは思えないくらい、激しい感情で歪んでいる。


「姫さま……姫さまなのですか……? 一体どうして……。気づいてください、わたしです、ヴィオラです!」


 ヴィオラは必死に呼びかけるが、興奮している彼女にはその想いが届かないようだった。


「なぁ、あの杖の力で姫さまが何を言っているのか分かるようにできないか? どうして彼女がこんな風になっているのか、せめて理由が分かれば対策も……!」


 そろそろ蜘蛛の糸が切れる。それまでに次の手を考えなければいけない。


 だが、ヴィオラは涙目で首を横に振った。


「そんなの無理だよ……。だって、姫さまが発しているのは言葉なんかじゃない……ただの音、動物の鳴き声みたいなものだもの!」


「く……やっぱりそうなのか……!」


 薄々気づいてはいた。


 この世界で崩壊しているのは、物理的に存在するものだけじゃない。人々が何千世代にもわたって必死に築き上げてきた「文明」すらも崩壊の対象なのだ。


 ゆえに、初めて出会ったときのヴィオラも、モンスターの村の住人たちも、瀕死の近衛隊長も、そして目の前にいる姫さまも……皆が言葉の話し方から忘れてしまっている。


 言葉がなければ他人と分かり合えない。理解できない他人は、自分の命を脅かすかもしれない恐怖の対象へと変わる。そして、本能的に我が身を守ろうと攻撃的になってしまう。


「だったらやっぱり、を使うしかないだろ……!」


 俺は崖にいた時に使った『ナ・レート』の力を頭の中で振り返る。あの時はまさか本当にヴィオラが言葉を話せるようになるとは思わなかったが、次は大丈夫だ、二回目だから失敗する心配もない。


 暴れる姫の額に手をかざし、俺は例の呪文を唱えた。




「……〈レドモ・バトコ〉!」




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